パリ4日目。ルーヴルのすばらしい芸術の数々を堪能して、すっかり心豊かになった我々は財布まで豊かになった心持で、ついちょっと高級そうな階上のカフェに気張って入ってみました。そこでは感動的な出会いが私を待っていたのでした。





part158 美味なるかな、白ワサビ!











要約: ルーヴル美術館にはレストラン・カフェがいくつか併設されていた。階上のちょっと高そうなカフェに、この際、入ってみることにした。そこで「白ワサビ」に遭遇! 美味いことこの上ない薬味なのであった。ホタテには「白ワサビ」だね。しかし、「白ワサビ」の正体や、いかに?








ルーブルの階上にはカフェがあった。ひとつは、カフェとは名ばかり。見るからに格調の高そうなレストランだ。





ちらりと覗いてみると、テーブルについている客はナイフとフォークを手に、なにやら豪勢そうな皿を前に、優雅にお食事している。服装もただ美術館に来たというより、高級レストランにディナーに参りましたってな感じでドレスアップしてるじゃないの。とてもよれよれジーンズにコットンシャツの我々の跨げる敷居ではなさそうだ。





(ああいう人たちは、あんな肩の凝りそうなきっちりした服装で、作品をゆっくり堪能できるのかしらん? 甚だ疑問。)





もうひとつ、こちらはやはり格調は高そうだが、広々としたカフェでお客もたくさん入っている。カジュアルな服装の人が多い。それでも給仕が運んでいる皿はピッカピカで、お値段はなかなか張りそうだ。





しかし、折角だ。思い切ってたまには贅沢してみよう。入ってみよう。ルーブルのカフェ! 芸術の殿堂のカフェ! いかなるプラ(plat)が供されるのであろうや。





テラスの席は、眺めもよく気持ちがよいが、暑い! 天井の高い屋内の席に着き、ご立派なメニューから、シーフードサラダとコーヒーを頼んでみた。





間もなく出てきた大きな平皿は、白く滑らかな陶器。天井のシャンデリアの明かりだろうか、ガラス越しに場内を照らす昼下がりの日差しだろうか、とにかくカフェ中の明かりを一身に集めて光っている。もう皿だけでまばゆいほどだ。





そのきらきらした白い皿に、みずみずしい生野菜とシーフードらしきものがこんもり乗っている。赤に緑に彩られた野菜の丘の中腹に、さりげなく、どぉーんとホタテの貝柱一個! 今さっき海から獲ってきたみたいに艶々ぷるぷるしている。その光り輝くホタテちゃんに白いワサビのようなものが添えてあって、これが、これが、美味かった! 





うっんまいっ! この白いワサビは何だ? 是非とも給仕に確認しておきたい! と思ったものの、一口で食べてしまって現物がない。





いまさら給仕を捕まえて皿の上に存在しなくなったものを尋ねるのも骨が折れそうなので、あっさり諦めたのだった。





あれは何だったのだろう? 白いワサビ? 確か昔々、 「東京ジョーズ」 という店で何か一皿頼んだ時、やはりホタテにチョコンと乗ってきたものと同じものだと私は思うのだが……。 (その時は、緊張のデートの最中で、さすがの私も白いワサビの正体を給仕に尋ねることはできなかったのだった……。) 





白いワサビ……。あれは……何? ワサビより辛くなく、グリーンペッパーを頬張った時のような清涼感、しかし鮫皮でおろしたワサビのような滑らかな、ちょっとねっとりしたような、でも舌の上でさらりと広がるような……白いワサビ……あれは……何? 





とにもかくにも、白いワサビで、大きな感動と満腹感に浸りつつ、ルーブルを締め括ったのであった。 





(もし、地下の出入り口辺りに、もっとリーズナブルなカフェがあることを知っていたなら、そちらに入って一杯のコーヒーで済ませ、 「白いワサビ」 には出会わなかったであろうよ。)


         


        つづく


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2001年夫婦世界旅行のつづきです。パリ4日目。ホテルの部屋をダブルに替えることは叶わなかったからといって、落ち込んでいる暇はない。今日は日曜日。パリは日曜日に色々お得なことがあるのです。







part157 日曜日はお得! ルーヴル美術館





要約: パリでは日曜日には、博物館や美術館などの入場料が半額になったり無料になったりする。さすが芸術の都! 行かなくちゃ! で、やはりなんといっても、まずはルーヴル美術館だ。 で、やはりルーヴルは世界屈指の芸術の宝庫であった。









今日は日曜日なので、日曜日には入場料が安くなるルーヴル美術館へ行ってみた。 (毎月第一日曜日は無料になるらしい! くっ。今日は第4日曜日だった。残念ながら無料にはならないが、お得には違いない! ) 





今日もメトロでお出かけだ。 「ルーヴル美術館」 と名の付いている駅 「 Palais Royal Musée Du Louvre」 で降りれば、嫌でもルーヴルに着くだろう。





着いたところは、さすが “ルーヴル美術館駅” ! 駅から地上に出ると、目の前が美術館であった。砂色の巨大な建物だ。意外とシンプルな外観の四角張った建物だ。展示している美術品を効果的に見せるために、外観はシンプルにしているのかしら。





12世紀に城塞として建てられたものを、1793年に美術館として利用するようになったという。修復などはこまめにされているのだろうが、それにしても200年以上を経ている? そんな古い建物とも見えない。が、砂色の石はやはり時を経てきた風格をどことなく漂わせている。





人々が吸い込まれて行く方にそのまま進むと、そのままチケット売り場に着いた。チケット売り場は長蛇の列であるが、昨日のエッフェル塔ほどではない。





入場料45F(約770円)が30F(約515円)。よしっ。チケットを買って館内案内パンフレットをもらい、まずどこから攻めるか検討する。各国の言語で館内案内パンフレットが用意されている。日本語のものもあった。内容は各国どれも同じで (……当たり前か) 、特に有名な作品がピックアップされており、それがどこにあるのか一目で分かるようになっていた。気が利いている。





しかし、問題は現在地がよく分からないことだ。広い館内は迷路のように感じられ、少し歩いただけでもう自分が今どこにいるのかよく分からなくなる。





(実際は、建物全体は大きなコの字型で、わかりにくいはずもないのだが、床から天井から頭をぐるぐる巡らせていると、方向感覚が狂う。ルーヴル美術館は半地階のある3階建てに過ぎないのだが、6階も7階も回った気がする。)





廊下も階段の踊り場もホールも、すべてが展示場だ。天井も柱も、建物自体が芸術品に見えてくる。大広間のような部屋からこじんまりした小部屋まで、様々なセクションがあり、それぞれの部屋のサイズにあった絵画や彫刻が展示されている。





 一つ一つ味わっていたら一週間あっても足りない。これは! というものだけ集中的に見ていくことにした。





まず最初にお目にかかった “目玉作品” は 「ミロのヴィーナス」 であった。





群を抜いたバランスの美しさだ。人々に様々な想像を掻き立てさせてきた “失われた腕” に、まじまじと見入る。 「失われた」 ことに芸術を見出すのだから、そしてそのこと自体がやはり美しいのだから、西洋美術というのは、やはり偉大なもんだ。フランスには 「喪失の美学」 なんてものがあるのかもしれない。





「モナ・リザ (フランスでは通称 『ジョコンダ Joconde 』 だ。なぜいちいち名称を変えるのだろう? ) 」 も、さすが本物! やはりただ事ではなかった。同じ部屋に並んでいる作品群とは明らかに違う。人目を引くのだ。





せいぜい7号ほど(?)のこじんまりした大きさの絵だ。あんな有名な作品がこんなに小さかったのか? と意外に感じられる。部屋は 「モナ・リザ」 に合わせてか、同じようにこじんまりしたサイズの絵ばかりが壁に掛けられていた。そして、その部屋の一番奥の壁に 「モナ・リザ」 は据えられていた。





他の作品だって、天下のルーヴルに集められたのだから、価値ある芸術作品なのだろうが、そして、それらはそれなりに美しくはあるのだが、やはり 「モナ・リザ」 は群を抜いていた。





一目見て、何やらその絵に謎めいたものを感じて、見入ってしまう。どこか不思議な感じがするのだ。だまし絵を見せられているような、何かを見破らなければならないような、そんな謎かけを感じるのだ。あいにく絵の前は黒山の人だかり。人々は記念写真を撮ろうと殺気だってみえる。





(美術館内で写真撮影が許可されていることも、私には大いに驚きであった。そもそも美術館内で写生が許されているらしいから、写真撮影だって許されるのだろう。それにしても、そんなに訪問者に自由を与え、よく美術作品が損なわれないものだ。





こういうところは、フランス人の懐の深さ、鷹揚さ、芸術に対する真摯な誠実さを感じる。いつだったか展示中の梅原隆三郎の油絵を切り裂いた気違いや、己の棺の中にゴッホの絵を入れて一緒に焼けと言ったとか言わないとかいう腐れ爺のいる日本とは、そこが違う。決定的に違う! )





人垣は待っていても一向崩れない。仕方がない。人垣の後ろに付き、匍匐前進するがごとく、じわりじわりと絵に近づく。ようやく人垣の先頭まで出て、 「モナ・リザ」 を間近でマジマジと堪能する。ガラス張りの額に入っているのでちょいと見にくい。





ひとしきり間近で味わったら、人群れから離れ、部屋のあちこちから遠巻きに 「モナ・リザ」 を眺めてみる。誰かがフラッシュを焚くたびに 「モナ・リザ」 がパッと浮かび上がる。角度を変えて見ると表情が変わるようで、やはりどこから見ても不思議な作品であった。神秘の靄(もや)がかかったような一枚であった。





そして、何と言っても感動したのは、 「サモトラケのニケ」 であった。





ほぉほぉほぉ~とため息をつきつつ館内を進みゆき、階段を上ると、その踊り場に大きく翼を広げたこの像がどんと現れる。なんじゃ、こりゃ? と、思わず息を飲む。





身体は人間の女だが、首がない。腕は翼になっており、その両翼を大きく広げて、今にも飛び立ちそうだ。首のない首が、空へと、大海原へと、勝利へと、何か超越した到達点へと、突き出されているのがわかる。像は船首らしき台に立っており、前のめりに胸を張って風を受けているその姿は、誇らしさに満ちている。





身体だけで誇らしさ、力強さ、高揚感、歓喜、そうしたものが伝わってくる。どの角度から見てもそうなのである。しなやかな若い身体を覆っている長い布 (ギリシャ風ロングドレス?) は、海風を受けて激しくはためいているようだ。見ている私も海風を受けている錯覚に陥る。船の舳先で思いっきり潮風を吸い込んでいるような気になる。





(像は広い階段の踊り場に置かれているので、我々は階下から見上げたり、階段を上り切って上から見下ろしたり、右から左からと色々な角度から 「ニケ」 を堪能することができるのであった。しかもスペースは広々しているので、他の人を気にせず、たっぷり心行くまで眺めていることができる。  ♡ )





大理石なのだろう、白い石の肌合いが実に高貴に滑らかで、雄雄しいほど悠々としたそのポーズと若い女の柔らかく弾むような肢体とを見事に融合させている。





題名は 「victoire」 ―― 「勝利」 という意味だ。あの像に一体どんな首が据えられていたのだろう。これまた 「ミロのヴィーナス」 同様、喪失ゆえに想像力が喚起される。首がないからこそ、身体のみで感じさせられる芸術の偉大さ。





しかし、 「ミロのヴィーナス」 の失われた両腕よりも魅力的だ。今にも飛び立ちそうな躍動感・高揚感・生命力と、首がないという非生命感の、驚きの逆説的融合をそこに見るゆえか。





驚き呆れてよくよく確認すると、 「Victoire」 は副題で、 「サモトラケのニケ」 がこの像の正式名称であるらしい(?)。 「サモトラケ」 とは発見されたギリシャの島の名前らしい。





なぜ 「ニケ」 なのかよく分からない。神話にまつわる名前なのだろう。それにしても、 「サモトラケ」 と聞くと、 「ヨイトマケの唄」 が連想されてしまうのは、私だけ? あ、え~んやこ~ら……。うん。力強い生命力。生への執着力。よく似ているではないの。うん。





 (追記: 「サモトラケ島」 とはエーゲ海北東にある、現在のサモトラキ島。で、 「ニケ」 は女神の名前だという。1800年代前半、フランス領事がまず体の部分を発見し、そして、その後、翼や断片が発掘されて、復元されたらしい。





“ギリシャのもの” なのに、持ってきちゃったんだね。でもフランス人が掘り返さなかったら、今もこの世に日の目を見ずに土に埋まっていたかもしれないのだから、やはり 「ニケ」 は “フランスのもの” ってことになるのかね? )





この他にも、ルーヴルには錚々(そうそう)たる作品が勢ぞろいしていた。どれも世界に名だたるものだ。しかもそれらが、美大生の秀作でも発表するように無造作にあちらこちらに展示されている。教科書でお馴染みの作品のオリジナルが、お宝とも言える作品がごろごろと目の前にあるのは妙な感じであった。





しかし、オリジナルが、写真で見知ったコピーより感動的だったかというと、そうとは限らなかった。





特にドラクロワの絵は印刷されたものの方がよいように思った。本物の方は、大広間の壁一面ほどもあるカンバスの大きさに圧倒されはするものの、色がぼやけた感じで、精彩に欠ける感じだ。





ドラクロワを始め、巨大なカンバスが贅沢にスペースを取って、広間という広間を飾っていた。





ナポレオンなどの当時の名将たちが描き込まれた戦争図は、国境付近で下っ端の兵士が生死をかけて戦っているのに、フランスやオーストリア、プロイセン(?)などの首脳陣がこっそり同じテーブルについて、 「この戦争ももう随分長くなってきたから、あと1ヶ月でやめない? この土地は君にあげるから、こっちのここを僕たちに落とさせてよ。ね。」 「うーん。そうだね。そろそろ、一旦終わらせようか。もう3ヶ月くらい戦ってるもんね。君がここで、僕がここを頂けば、大体格好がつくよね。」 などと密約を交わしているような絵さえあった。





なにしとるんじゃ? どうやら当時の戦争は全国民が全力投球でするものではなく、どこかゲーム感覚。デモンストレーション的に適当にちょいと戦って、あとは首脳陣の仲良し会議、談合会議で、土地を分配しあっていた節がありそうだ。なんじゃ、そりゃ? だ。





当時のスクープ映像を見るような楽しささえ、ここでは味わえるのであった。ヨーロッパの歴史を知っていれば、もっともっと楽しめるのだろう。





しかし、我想う。ルーヴルという巨大な芸術の宮殿を築いたフランス文化は確かに偉大ではあるが、そのためにどれほどの搾取がなされたことか、と。そのことを思うと、何とも皮肉な気持ちになる。ルーヴル……豪奢な虚飾と搾取の仇花。


          つづく


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2001年夫婦世界旅行のつづきです。パリ4日目。2星ホテルでの朝食時、“ボン・キュッ・ボン” な黒人女給仕に驚愕しつつ、食事を終え、いよいよレセプションで部屋をダブルに替えてもらう交渉をします。





part156 その名はイザベル





要約: いよいよレセプションでダブルの部屋に替えてくれるように頼む。“紳士”レセプショニストを捕まえて交渉だ! と力んだものの、交渉の余地はなかった。空いていたのは1階の1部屋のみ。1階の部屋! それは、夫がいつの間にやら作りあげていた“安全な旅の宿の鉄則”にそぐわないもので、彼の強硬な拒絶により結局部屋替えは叶わなかったのであった。









さて、いよいよレセプションで部屋替えの交渉だ。





レセプションのカウンターの前では、例の “紳士” レセプショニストと “亀裂姉さん” が仲よさそうに立ち話をしているではないか。あれ? この2人は実は仲がよかったのか? 





さっきまで黒人女給仕マリーを叱り付けていた “亀裂姉さん” は、別人のようにその眉間から “亀裂” を消している。





着ている服もさりげなくおそろいだ。 (ホテルの制服なのか? 2人とも、昨日とは違う薄いベージュのスーツ姿である。)





やはり、昨日の、こちらが呆気(あっけ)に取られるほどすごい剣幕だった2人の言い合いは、我々に対するパフォーマンスだったんじゃないか? 





何やら2人寄り添って、シュショシュショ、ミュフミュフ楽しげにしゃべっている。 “紳士” がやたら自分の口ひげをいじりながら、 「いざべ~る」 を連呼している。どうやら、 “亀裂姉さん” は 「イザベル」 という名前らしい。





しかし仲よさそうに話すその姿も、この2人だと、何か悪巧みをしているように見える。 「ねぇ、モンシェ~ル。あんた、サバミソシャバショヴァで、ナンパショボボでザヴェジョワ……してやったら、いいんじゃない? 」 「むふぉふぉ~。おぬしも悪よのぉ。イザベ~ル。」 とでも言ってそうだ。





と、そこへまたもや先ほどの食堂の給仕ロボット、 “ボン・キュ・ボン” ことマリーが向こうを通りかかった。すると、その姿を目ざとく見つけたイザベルが彼女を鋭く呼びとめた。 「あ、まひっ! (Ah, Marie! )」





マリーはスイッチを止められたかのようにぴたりと止まった。呼び止められたからといって、イザベルの方を振り向くでもなく、寄ってくるでもなく、その場に背筋をのばしたままじっとしている。イザベルは “紳士” から離れてマリーのところまでつかつかと寄っていった。





イザベルはまたもや眉間に亀裂を走らせ、声を低め、なにやら厳しげにマリーに注文をつけている。マリーは無表情のまま頷きもしないが、イザベルが口を閉じるまでその場にじっと直立不動で佇んでいる。





なんとも、どこをとっても嫌な感じのホテルだわい。奇妙なホテルだわい。我々はイザベルがマリーと話しているすきに、カウンターに戻った “紳士” に部屋の交換を申し込んだ。





“紳士” に、 「やはり狭くてかなわないから、ダブルの部屋に替えてほしい。もしシングルの部屋が気に入らなかったら、今日にでもダブルの部屋に替えてくれると、昨日、あなた、言いましたよね? 」 と切り出してみる。





すると、そら見た事かと言わんばかりに、 “紳士” はちょいとのけぞって、余裕の笑みを浮かべながら、 「もちろん。しかし、ちょっとお待ちを。」 と言って、大きな予約ノートをぱらぱらめくり、ちょっと難しそうな顔をして、 「12時のチェックアウト時間まで待ってください。」 と言う。 「それまでは、ダブルの部屋の空きがあるかどうか、分からない。」 と言うではないか。





「なんですと? 昨日は 『即、替えてやる』 と、あなた、言い切っていたじゃないですか。」 「そうです。昨日は可能でした。しかし、今朝は、わからない。」 「今朝にでも替えてくれると言ったじゃないですか。」 「まぁ、空いたら知らせますから、お待ちを。」 ……まったくフランス人って奴は……。





とりあえず部屋でじりじり待っていたが、12時まで待つなんて、折角のパリの時間が惜しい。10時半頃、もう部屋を替えるのは諦め、出掛けることにした。





レセプションの前を通るときに、 “紳士” に 「我々はもう出かけます。さよなら。」 と言うと、 「ああ、もうダブルの部屋が見られますよ。」 と言う。 (準備ができたら、とっとと呼びにきてくれればいいでしょーがっ! ) 





とにかく空きがあってよかった。どれどれ? 早速部屋を見せてください。





すると、 “紳士” は我々を1階の廊下の奥へ奥へと連れて行こうとする。 「部屋は1階なの? 」 夫が廊下の途中で足を止めた。 「1階の部屋はご免だ。だめだね。」 と気色(けしき)ばんで言う。 





「1階の部屋は泥棒に入られやすく、危険だ! 」 というのが、夫の “旅の宿の常識” であった。 「1階の部屋には泊まらない!」 これが彼の旅のポリシーなのだそうだ。 ……いったいいつの間に、あなた……妻に内緒でそんなポリシーを……? 





まぁ、確かにそういう面はあるかもしれないけれどぉ。生憎1階しか空いていないんだしぃ……。ダブルの部屋があっただけでも、ラッキーかもぉ……と、妻は控えめに譲歩を願い出てみた。 





が、即、却下。 「だめだねっ。1階に泊まるくらいなら、今のシングルの部屋でよいっ! その方が安全だ。安全が第一だ! すぴっ。(鼻息音)」 ……あなたは現場監督か? 安全統括管理責任者か? 





“紳士” は、 「1階の部屋」 に対してこれほどの拒絶反応を見せる夫を不思議そうに眺めてから、 「ダブルの部屋は、この1階の部屋しか空いていないのだ。1階だって、問題ない。」 と言う。 「そうだよねぇ。」 と私もさりげなく頷く。





しかし、夫の意思というか、 “安全な旅の宿の鉄則” は鉄のごとく固く固く、曲げられることがなかった。 「いーや。だめっ!」 





「1階って、そんなにだめ? 」 「だめだね。」 


「どうしても、ダメ? 」 「ダメだね。」  


「だって、ダブルの部屋だよ? 」 「ダブルだって、だめだね。」  


「今の部屋じゃ、暑くて狭いよ!」 「だめだね。」 


「……。」 「だめだね。」 (まだ何も言ってないうちにだめ出しするなよ。) 





……そこまであなたが言うならば……しかたがない。 ってことで、話はチャラになった。 (ああぁ、今夜もあの蒸し暑くて狭い狭い狭い部屋で寝るの? ずっと? あと4日も? 暑いんだよぉ、狭いんだよぉ、私はっ! )


 


肩をすくめる “紳士” を1階の奥の廊下に残して、我々は4日目のパリの街へと繰り出したのであった。





「まったく……。 なんで1階なんだよっ。ねぇ? もっといい部屋、用意しろってのっ。」 と夫はちょっとぷりぷりしながら、闊歩していく。自分の主義主張をガンと通した人間特有の高揚感を発して、1歩1歩威勢がよい。





「まったく……。 なんで1階がそんなにダメなんだよ? ダブルなんだから、いいじゃん? いーーーじゃんっ! 」 と叫びたくなる言葉をぐっと堪(こら)えている私の足は、これからしばらく続くであろう夜の寝苦しさ、居心地悪さが思いやられて、なかなか思うように前へ進まないのであった……。 


        つづく


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2001年夫婦世界旅行のつづきです。狭いシングルの部屋で過ごした熱帯夜は、暑さに弱い私には耐えがたく、一晩過ごしただけでぐったりしてパリの4日目を迎えたのでした。





part155 ボン・キュッ・ボンロボットの恐るべき給仕





要約: ホテルのシングルの部屋は、狭く耐えがたいものだった。やはり追加料金を払ってでもダブルの部屋に替えてもらおう! 交渉の前に、とりあえず朝食を取りに食堂へ降りていったら、ボン・キュッ・ボンと音がしそうなダ~イナマイトな黒人女性が人間離れした給仕をしてくれた。新たなキャラクター出現に我々は目を白黒させたのだった。









昨晩はシングルの部屋で、たった1つのシングルベッドに2人小さくなって眠った。





今まで薄ら寒い日が続いていたのに、皮肉なことに昨日から急に暑くなった。いきなり夏になったようだ。クーラーもファンも付いていない部屋は、昼間のほてりをそのまま溜め込んで蒸し暑く、暑さに弱い私はろくに眠れず、今朝は4時半頃起きてしまった。





そっとシャワーを浴びて少しはさっぱりしたものの、狭いベッドの手前側に寝ている夫を乗り越えて、また奥の壁に張り付くように横になる気にもなれず、椅子に座って、ぼんやりと眠い空が明けるのを待った。





この狭さはたまらない。窒息しそうだ。暑い。是が非でも今日は追加料金を払ってダブルの部屋に替えてもらおう。寝苦しげに歪んだ夫の寝顔を見つめながら、レセプションで部屋替えの交渉をする際の会話をあれこれシュミレーションしているうちに、ようやく夜も明けたのだった。





顔に寝苦しさを刻みつけたまま、夫が目を覚ました。 (最近はめっきり、眉間に寄せていた皺の跡やシーツの跡が、そのままくっきり顔に残るようになってしまったね。昔はあなたも若かったのに……。) 





寝ぼけつつちょいと首をめぐらした夫の目に飛び込んだのは、ベッドのすぐそばの椅子にぐったりとへたりこんでいる妻。幽霊の如く、ンボーッと、血色悪く鎮座ましまして、目の下に隈をこさえた青白い顔をダル気にもたげて、夫をじーっと見つめ、開口一番低く掠れた声で、 「……暑い。……狭い。……部屋、ダブルに替えてもらおう……ねっ。」 と呟く。これで部屋を替えない夫がいるだろうか。いや、いまい。





ホテルの朝食時間は7時半から9時半までと短い。2つ星のホテルの朝食と言えども、昨日のレセプションの対応を考えれば、朝食だって期待はできない。





彼らのことだ。開始時間早々に行けば、 「おららー、まだ準備していない! 」 と言って待たされそうだし、あまりぎりぎりに行くと、 「あららー、もう早仕舞いしてしまった! 」 と食堂を締め切られてしまいそうだ。一番問題の起こりそうもない8時半頃を狙って、食堂に降りて行く。 





畳を縦に3枚繫げたものを2列並べたくらいの、縦に細長く狭い食堂には、ギッチギチにテーブルや椅子が押し込められており、テーブルを動かさないと椅子に座りこめない有様であった。





(こんなに狭い食堂で客に食事を取れというホテルなら、シングルの部屋に2人を押し込めることなど、当たり前のことなのかもしれない。)





数人の先客が奥のテーブルについていた。ビール樽のような巨体の白人紳士が一体どうやって入り込んだのだろう? と不思議なほど狭い席になんとか身を落ち着けて、肩をすぼめるように食事をしている。誰もが不満顔で、狭苦しさにじっと耐えているようだ。窓からは朝日が差し込み、決して暗い食堂ではないのだが、しんとして活気もなく、暗ーい雰囲気である。





入り口に近い隅のテーブルを動かし、身を滑り込ませて席に着く。ガタタッとテーブルを定位置に戻すと、カチッ、カチャ、モソモソ……他の客たちの食事の音だけがかすかに響く。ときには誰もいないかのように、しーんとするときもある。何なんだ、この食堂は? 





一度座ってしまったら簡単に席も立てないので、誰か係りの者がいないのか探しに行くこともできない。とりあえず、そのまま硬直して待ってみた。





しばらくすると、大きな黒人女性が銀色に輝くお盆にコーヒーカップを乗せて、我々のテーブルの横をすっと音もなく通り過ぎていった。おお。ようやく給仕が現れたぞ。





身長が180cmはあるのではなかろうか。大きな女性だった。大きいといっても太っているわけではない。筋肉もりもりというわけでもない。どちらかといえば、全身バネという感じ。





艶々とした黒い肌が美しい。見事にチョコレート色だ。蕩(とろ)けるようだ。甘い香りが漂ってきそうだ。黒い豊かな髪は後頭部できつく結って、シニョン (小さなお団子) にしている。そんなにぎしぎしに髪をひっつめたら、さぞ毛根も悲鳴をあげているんじゃないか? というくらいのひっつめ髪だが、ご本人は痛くも痒くもなさそうな顔をしている。





(ちなみに、私があんなシニョンに結ったら、生え際やコメカミから麻痺が始まって、3時間経たずして激しい頭痛に襲われることは間違いない! )





首から背筋から、ぴしーっと伸ばして歩いていく。お盆を手にしたその腕は定規で測ったかのように肘から直角に曲げられている。首と顎のラインに至っては、 「垂直を保って動かさない! 」 と決められてでもいるようだ。





彼女は奥のテーブルまで行くと、背筋を伸ばしたまま、くいーっと上半身を35度ほど前傾させ、客にコーヒーを出す。一言のやりとりもない。





彼女の仕草はよどみがなく、まるで機械が動いているようだ。コーヒーカップをテーブルに置き終わると、再びくいーっと上半身をまっすぐに戻し、ついーっと向きを変えるとこちらに向って帰ってきた。





なんとも妙な動きだ。なんだかわからないけれど、特殊な “給仕養成ギプス” でもつけているんじゃないか? 怪しむべきか、賛嘆するべきか……。





大きな黒い瞳。長い睫毛。豊満な胸と引き締まった腰、これまた特大に豊かなお尻。 「ボン・キュッ・ボン」 というのは、こういうプロポーションを言うのだろう。太ももはパンパンに筋肉が張っていて、むっちりと引き締まった脹脛(ふくらはぎ)からさらに足首にかけて、きゅーんと音を立てるように引き締まっている。何か美しい獣のようでもある。





しかし、このダ~イナマイトなバディを持つ彼女は、背筋をこれでもかというくらいピシッと伸ばして、頭も肩も微動だにせず、歩く。すーっと音もなく滑るように歩くのだ。体中でリズムを取って踊るようにキュッ・ボン、キュッ・ボンッと音を立てながら歩きそうな体なのに!





なんじゃ、この女は? 生きた人間か? 少なくとも目が死んでいるぞ!目はまっすぐ前方一点を凝視して動かず、他のテーブルの客の具合など気に掛ける様子もない。





このままでは、我々には目も呉れないだろう。こちらから声を掛けよう。内心、この黒光りしている “ボン・キュッ・ボン” ロボットにびびりながらも、彼女が接近してきたとき、今だっ! 手を軽く差し出して、呼び止めてみた。 「ボンジュール」 





声は認識されたらしい。彼女はふっと立ち止まり、首をこちらにクィーンと回した ( “顎と首は垂直” に保ったまま) 。おっ、こっちを向いたぞ。我々は彼女の網膜に対象物として捕らえられたらしいぞ。しかし彼女はにこりともせず、肉厚な唇を薄く開いて、 「na(ンバ)……」 と声を発しただけだった。





「んば」 ? 今、 「んば」 って言ったよね。何だろう? 「ボンジュール」 と言ったつもりかな? 「ん ぼん mmm……bon (ん~、いいっ) 」 と言ったのかな? それとも 「あんば en bas (下に) 」 とでも言ったのか? ……どれにしても、訳がわからん。





こちらが耳を疑っていると、 「カフェ ウ テ? (コーヒー それとも、紅茶?) 」 と、またも薄く開けられた肉厚な唇から、録音されたような無機質な音がフラットに洩れてきた。 





おっと、注文を取っているぞ。 「注文、注文。あなた、何飲む? 」 「え? あ、あ、あ~、僕は紅茶っ。」 2人して、いきなりアタフタする。 「あ、あ、あ、 カ、カ、カフェ、プル モワ~、で、え~と……エ~、テ プル リュイ、スィルヴプレ~ (私はコーヒー、彼には紅茶をお願い) 」  





注文する間、 “ボン・キュッ・ボン” は何も言わず、にこりともせず嫌な顔もせず、我々のそばに立っていた。





反応がまったくないので、注文をわかってくれたかしら? と不安になり、彼女の顔を覗き込むと、 「わかった」 とも言わず、 「アナタッ・ガタノッ・オンセイハッ・ニンシキッ・サレマシタッ・ピーッ」 という無機的な表情で、彼女は再びクィーンと首を前方に向け直し、つーっと音もなく空(から)になったお盆を直角に曲げた腕に乗せて去っていった。


 


変だ! やっぱり変だよ! 彼女はおかしい! 人間じゃないっ! 少なくとも普通の感覚の人間じゃないよね! 夫と2人、 “ボン・キュッ・ボン” の異様さをあれこれと確認し合っているうちに、飲み物が運ばれてきた。





奥のテーブルの時と同じように、前傾35度で飲み物をテーブルに置く。お盆の銀色が反射して、余計彼女を無機質に輝かせる。





飲み物と一緒にクロワッサンと小ぶりのフランスパンが一つずつ入ったかわいいパン籠と、バターとジャムが一つずつ、テーブルに置かれた。それだけだ。オレンジジュースもつかない。





パンは焼きたてでもない。美味くもない。コーヒーも薄い。ここはアメリカか? 一杯のコーヒーの粉で一体何倍分のコーヒーを取っているんだ? これで2ツ星。何から何までせせこましいホテルである。





我々が食事をしている間、ボン・キュッ・ボンは何度か我々の横を行き来したが、常に同じポーズ、同じ無表情であった。他の客は知ってか知らずか、彼女にオーダー以外声を掛けない。





不味い不味いと文句を言いつつ、しっかり全部平らげて食事を終え、テーブルをガタタッとずらして席から抜け出し、部屋に帰ろうとしたとき、食堂とロビーの間に、 “ボン・キュッ・ボン” と “亀裂姉さん” (注:このホテルのおっかないレセプショニスト。part150参照) が立っていた。どう見ても、 “ボン・キュッ・ボン” が “亀裂姉さん” に捕まったという感じだ。





“亀裂姉さん” が相変わらず険しい顔で、 「シュボジョッ、まひっ (マリッ) ! ンパッ、ボジョジョジョカショショショアシクセッ、まひっ (マリッ) ? 」 と声を落として何やらとげとげしく言いつけている。どうやら、 “ボン・キュッ・ボン” は 「マリー」 という名前らしい。





“ボン・キュッ・ボン”、いや、マリーは、全く表情を変えずに立ち続ける。 “亀裂姉さん” の言いつけをそのままその耳に録音させているようだ。そして “亀裂姉さん” が一通り言い終わると、そのまま顎を首から垂直に保ったまま、ついーっと向きを変えて去っていった。マリーは一言も声を発していなかった。 「 Oui(はい)」 「Non(いいえ)」 さえ言わなかった。やっぱり、おかしい。





マリー……。一体どういう素性の女だろう。モデルとしてでも通用しそうな美しい彼女に、一体何があったというのだろう? 人として生まれて、最初っからあんな状態であったはずがない。何が彼女から笑顔を剥ぎ取ってしまったのだろう? 彼女はいったいなぜ、あんな無表情な、無機質な、無口な、無反応な、無感動な、目が死んでいる女になってしまったのだろう? そのくせ、どうしてあんなに生き生きとした豊饒で豊満な肉体を維持していられるのだろう?





彼女はまるで魂を自ら抜いて、体だけ動かしているようだ。 “感動すること” を己に一切許していないようだ。空が青く晴れ渡ろうが、雲が白く輝こうが、花が美しく咲こうが、木々の葉が柔らかく芽吹こうが、温かいスープが美味かろうが、冷たいソーダ水が美味かろうが、何も感じまい! とでもしているかのようだ。





奴隷として売られてきたとでもいうことなのだろうか。彼女は死んだように生きている。そうでなければ、あんな風にロボットのように動けないだろう。あんな彼女を、 “亀裂姉さん” や “紳士” を始めとした同じ職場で働いている人々はなぜ放っておくのだろう? それがフランス? 


           つづく


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2001年夫婦世界旅行のつづきです。パリ3日目。エッフェル塔では観光客の多さとエッフェル塔のご立派な4本の脚をそれぞれ確認して、 “エッフェル塔見物” は終わりました。次はシテ島に架かるパリ最古の橋、ポン・ヌフを目指します。





part154 最古の新橋





要約: エッフェル塔からポン・ヌフへRER(高速郊外地下鉄)で移動。途中、親切なフランス人にも出会えて気分も晴れる。最後はセーヌ川を堪能。資本主義の悲喜こもごもを船に乗せたような遊覧船を岸から眺めつつ、ポン・ヌフに肩透かしを食らいつつ、やはり美しいパリの街に脱帽せざるを得ないのであった。  









「ポン・ヌフ」 ――セーヌ川に浮かぶシテ島には4本の橋が架かっているが、そのうち一番西の端の橋である。





日本語にしてしまうと 「新橋」 ……身も蓋もない。 「新橋」 という名前ながら、1607年に完成した、現存するパリ最古の橋だそうだ。





以前 「ポン・ヌフの恋人」 というフランス映画を観て、なんとなくパリ=ポン・ヌフというイメージが私の中に出来上がってしまっていた。





エッフェル塔からポン・ヌフまではちょっと距離があるので、メトロでシテ島に近いサン・ミシェル辺りまで出て、そこから歩いてみることにした。しかし、エッフェル塔の近くにメトロの駅は見当たらないのだった。





メトロではなく、RERという 「高速郊外地下鉄」 の駅ならすぐそばにあった。これは区間をうっかり乗り過ごすと多額の罰金を取られるという恐ろしい乗り物だが、サン・ミッシェルはすぐ近くなので区間を乗り過ごすということもあるまい。カルネのチケットもそのまま使える。ここは一番、RERに挑戦してみよう。





その入り口は、歩道を歩いていると、いきなりぽっかりと地面が口を開けている! という感じ。薄暗い階段はやけに殺風景だ。メトロと違って、行き先の表示も見にくい。 





とにかく降りてみようとその薄暗い階段を降りていくと、いきなりプラットフォームだ! 薄暗い階段とは対照的に線路の先には地上の光が降り注いでおり、なかなか明るかったりする。





切符売り場もない。改札も 「改札」 という感じでもなく、メトロのように入る改札と出る改札がきっちり分かれてもいない。係員もいない。がらんとしており、いきなり殺風景な異空間に紛れ込んだような、落ち着かない気持ちになる。





で、よくよく表示を見ると、どうやら我々は反対方向のホームに降りてしまったようだ。線路を挟んで向こう側にサン・ミッシェル方面のプラットフォームは見えるものの、そちらへ渡る階段などは見当たらない。今降りてきた薄暗い階段があるばかりだ。





はて、困った。どうやって向こうのプラットフォームへいくのだろう? 階段を上ればまた地上に戻るばかりだが?





ちょうどそこに一人の若者が地上から降りてきた。反対側のプラットフォームに行くにはどうしたらよいのか尋ねると、なんてーことはない。降りてきた階段をまた上って地上に一旦出て、改めて反対方向の階段を降りていけばいいのだった。





いくら係員がいなくとも、一旦入ってしまったプラットフォームをそのまま出るのはまずいんじゃないか? 別に新しく切符を使わなくてはならないのかな? などと私は思ってしまったのだが、 「そんなことは、全~然大丈夫。切符はそのまま使えるから。」 ということを、青年は丁寧に教えてくれた。





パリの人々は、カフェとホテルの輩を除いては、皆親切でなかなか愛想もいいのであった。ごく普通にこうして会話が成り立つと、心も晴れ晴れするものだ。ありがとう、青年!





さて、一旦地上に出て、反対方向の階段を降り、RERに乗り込み、乗り過ごすこともなく、無事サン・ミッシェル駅に着く。





地上に上がると、丁度セーヌ川の南側、サン・ミッシェル橋の手前に出る。目の前がシテ島である。サン・ミッシェル橋はシテ島の真ん中よりやや西側辺りに架かっている。右手、東に黒ずんで一際異彩を放っているのはノートルダム寺院であろう。 





西にはセーヌの向こう岸に、ホワイトチョコレートで固めて出来たような建てものがどーんと聳えて見える。ルーブル美術館らしい。ううむ。パリのど真ん中って感じだ。





とりあえず、ポン・ヌフに向かってセーヌ川の岸辺を歩いてみる。通りから川岸の遊歩道へと降りられるようになっているのだ。





川岸は完璧に護岸工事がなされており、白っぽい石英のような石畳できっちり覆われている。日本の川岸とさほど違わないのに、美観が違う。





なぜだ? と見ると、やはり石の力が大きいように思われる。コンクリートで固めただけの日本の川岸と違い、石で固められた川岸は、石そのものが美しく、日がさせば、石に含まれた雲母(?)がきらきらと光る。カラリとしていて清潔感がある。不思議なことに、日本のように石の隙間から雑草が顔を出したり、その雑草にゴミが引っかかっていたりなどしないのだ。金輪際、雑草がないのだ!





遊歩道には定間隔に並木が植えられており、遊歩道というより、まるで川を背景にした公園のようだ。道幅も広々と取られており、人々が思い思いに憩っている。





ベンチでひたすら抱きあう男女、川っ縁に寝転んで熟睡している若者、川をじっと眺めながらサンドイッチに齧りついている女、立ったままおしゃべりをしている女たち、読書している男、一人ただうつむいている男。





我々もしばし、セーヌの川岸の縁に腰かけ、思いのほか速い川の流れが岸を打つ音に耳を傾けていた。





観光船が引きも切らずセーヌを遡行する。観光船にも巨大な軍艦のようなボートから、6~7人乗りの小船まで、色々あった。拡声器で観光説明を喚き立てていくボートもあれば、 “いかにもパリ♪ ” といった感じの音楽だけを流しながら進んでいくものもある。どっちにしろ、かなりうるさい。





一山いくらのような観光客を満載した難民船のごときセーヌ・クルーズ。あんなに騒がしく、しかもかなりなスピードでドダダダダダッとセーヌを巡って何が楽しいのやら? 





川岸で耳を済ませていると、ドダダダダダダッ! 「○▽※♪◆♬!αγ! 」「Yahhhh! 」 ダダダダッ……。 ちゃぷっ、ちゃぷっ。 ドダダダダダダッ! 「ジャカジャンジャン♬♪♪♫♩♬ジャカジャン……♬♩♪」 ダダダダダッ……。 ちゃぷっ、ちゃぷっ。 観光船の騒音と岸を打つセーヌの波音の繰り返し。





バケーション真っ最中のこの時期、セーヌ川は掻き入れ時なのかもしれない。観光船のスクリューに巻き上げられて、セーヌの波もきっといつもとは違うリズムなのかもしれない。





豪勢なのは一番小さい5~6人乗りのプライベートな貸し切りボートであった。ボートの小さな甲板に、真っ白いクロスを敷いたテーブルが据えられている。ぱりっと正装をしてテーブルについている客のそばでは、これまた、きちんと正装したギャルソンが澄まし顔でワインなどを給仕している。





おまけにヴァイオリンとヴィオラの生演奏付きだ! 客が2人に、給仕が2人、ミュージシャンが2人。テーブルを置いた甲板はもう誰も身動きできそうもないが、エンジン音も静かに、ゆるゆると進むそのボートでは、優雅にセーヌ・クルーズを楽しめるのであろう。





ギャルソン付き、生演奏付きで、豪華な夕食や酒を楽しみながらのクルージング。一体おいくらするのだろう。見ているだけでこちらの財布が震えあがるのだった。





金を持っている奴と持っていない奴。できることは、きっちり違うのだ! 全く同じセーヌの川を渡りながら、全く違う味わい方になってしまうのだねぇ。





セーヌは資本主義の悲喜こもごもを浮かべては流れて行く。私は川岸でそんなセーヌを見つめながら、波音に耳を傾ける幸せを感じられる人間で、よかった、よかった ♡ と思うのであった。





(川遊びをしながらの食事といえば、ルノワールの絵に “川縁に浮かぶボートの上で食事を楽しむ男女の絵” (題名は忘れた) があり、その絵が私はとても好きだ。





その絵は船上での会食のワンシーンに過ぎないのだが、テーブルの上に忘れられたように置かれたワイングラスが午後の陽を受けて輝き、その中にちょっぴり残っている赤ワインの香りが漂ってきそうなのだ。





川を渡る風が柳の葉を抜けてこちらまで吹いてくる。絵の前に立って川風を感じる絵なのだ。グラスの触れ合う音が聞こえてきそうな、耳元でそっと囁(ささや)く恋人たちの睦言(むつごと)まで聞こえてきそうな、女たちのドレスの衣擦れの音さえ聞こえてきそうな、温くなった川の匂いさえしてきそうな、そんな絵なのだが、あれは、あの静寂と華やぎを合わせ持つ川は、きっとセーヌ川に違いない! ……と、これまでは思っていたが、今となっては、おそらくセーヌ川ではあるまいよ! と思われるのであった。)





さて、ひとしきりセーヌを堪能して、とうとうポン・ヌフに辿り着いた。





最古の橋? どこが? って感じである。一見して、向こうに見えている隣のサン・ミッシェル橋と何が違う? って感じである。よく見ると、確かに石はいかにも “脆(もろ)そう” であるが、それにしても、きっちりと補修が行き届いているものだ。しかも補修の跡さえ感じさせないのであった。





もっと古色蒼然とした橋なのだろうと思っていた。100年以上セーヌに架かってきた橋だ。橋の下を幾歳月が流れていったことだろう! と感慨無量になるものだと思っていた。





実は、私は密かに 「ミラボー橋」 に行ってみたかった。アポリネールの 「ミラボー橋」 という詩が好きで、是非ミラボー橋から流れゆくセーヌを味わってみたかった。





ミラボー橋の下、セーヌは流れる (中略)


日も暮れよ、鐘も鳴れ


月日は流れ、私は残る (後略)





誰の訳だか忘れた (金子光晴か?) が、確かこんな内容の詩だ。橋の下をセーヌが、 「時」 が、流れてゆく。そして私だけが残っている……。なんという決然とした寂寥感! くぅぅ。たまらん! ということで、是非ともミラボー橋でセーヌの流れを見るべし! と思っていたわけだ。





しかし、ミラボー橋はエッフェル塔あたりからセーヌ川が南へと大きく湾曲しているその先にあって、ちと遠い。ミラボー橋でなくたって、セーヌには橋が一杯架かっているのだから、今回はポン・ヌフで手を打とう! と思ったわけだ。最古の橋ともなれば、一番 「時」 を流してきているはずだから、なおよいかもしれない、などと思ってやってきたわけだ。





が、新橋の下を流れるセーヌでは、喧騒や傲慢な浪費がひっきりなしに行き来している。おまけに橋は、400年を越えたということが信じがたいほど白い石肌を見せている。私の思い描いていた 「時」 は流れない。これでは、私は残れない……。





ふと見ると、橋の欄干には紺色の看板が貼り付けてある。なになに? 「SECOURS / en cas de noyade ou accident / Demandez……」 なんと、 「溺死や事故の場合の救助」 を頼む際の電話番号が明記されているではないか!





これならいつ溺死や水難事故を見かけても、すぐに連絡が取れる。連絡先がはっきりしていれば、心強いね。よきかな。よきかな。さすがはパリだ! 





……しかし、それだけ事故や溺死が多いということか? ……さすが、セーヌだ!





そして、もしセーヌに飛び込むとなったら、やはりシテ島の最も西の端にあるポン・ヌフからだろう! やはり、さすがポン・ヌフだ!(?)





合理的現実的な看板から目を離し、辺りを見渡す。ポン・ヌフから東方を見やると、さきほどは黒ずんで見えたノートルダムが、不思議なことに淡いクリーム色がかった、白っぽい砂色のように聳えているのが見える。随分角ばって、先ほど目にした形となにやら違うのではないか? あれ? ……ノートルダム寺院は、見る角度によって形が違うのか? やはりここも改めて訪れてみなければ! 





なんだか “古さ=時の流れ” が感じられず、肩透かしを食らったポン・ヌフではあったが、そのメンテナンスぶりを思えば、やはり脱帽なのであった。


             つづく


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