2001年夫婦世界旅行のつづきです。ベルギー4日目の午後。ブリュッセルの街なかを観光して歩いています。 「小便少女」 を見物して、すっかり気分を害してから……。





part130 ブリュッセル4日目 ②警察だ!





気分をすっかり害して、路地を後にする。よく見ると、 「小便少女」 の付近の通りに並ぶ店々は、つぶれたらしく売りに出ている店が多かった。 “観光客の土産物屋通り” として栄えていた “小便小僧通り” (part125参照) とはなんという違いだろう。





人の気分を害するような像を飾るからだっ。あの 「小便少女」 を見た後に、 「小便少女」 のレプリカを土産に買おうという気など起きないし、とっととその通りを去ろうという気持ちになる。ば~か。ば~か。





一通り毒づいて、さて、気分直しに美味しいものを食べることにした。





ちょっと夕食には早いが、先日試しに入ってみて感じのよかったビアカフェに今日も行ってみた。客の入りもよく、活気があった店だ。





ところが、今日は打って変わったように客足が途絶え、店は閑散としている。・・・・・・時間帯のせいかしら? ちょっと落ち着かない気持ちで、ビールと白ワイン仕立てのムール貝 (part123参照) を待っていると、警官が数人、店に入ってきた。





警官の一人は防弾チョッキまで着ている。店の人たちはさしてうろたえた風でもなく、ちょっと迷惑そうな顔をして彼らを迎え入れた。警官たちがちろりと我々を見る。どきっ? いやいや、どきっとする必要は我々にはないぞ。





心に疚(やま)しさなどないくせに、ついどきどきしている我々を黙殺して、そのまま彼らは店の奥でひそひそと話し始めた。ほんの2~3分ほどひそひそやると、警官たちはそのまま店を出て行った。ほっ。出て行った。いやいや、ほっとする必要など我々にはないぞ。しかし、・・・・・・何があったんだろう?





不穏な空気を感じつつ、ビールと白ワイン仕立てのムール貝が運ばれてくるや、またもやつるんぷりぷりっとしたムール貝に心奪われた。ワインがほの甘く香り立っている。いっただっきまーす  





警官達が去ってしばらくして、我々が一心不乱にムール貝を貪っている時、今度は先ほどと違う警官が一人、観光客らしい一団を引き連れて、店に入って来た。観光客一団はスペイン系の人々に見えた。何やら店の主人に向かって、声高に食って掛かっている。口角あわを飛ばして何やら訴えている。店の人は斜(はす)に構えて、 「聞いて呆れちゃうぜっ! 」 ってなポーズを取る。警官はあまり関心がなさそうに、多少困り顔で、彼らの間に入って、団体さんの代表をなだめている。





5分もしないうちに、観光客一団は店を追い出されるように出て行った。ちらりと聞こえたことには、言った言わない、聞いてないという言い合いをしているようだった。察するに、料金に関して理解の齟齬が発生していたか、ぼられたのであろう。店の方は店員総出で、腕組みしながら店の前にずらりと立ちはだかり、観光客一団が去っていく様子をじっと眺めていた。





我々は野外席ではなく、店の中の席に着いていたので、外の様子はわからない。そこで、窓越しに通りの人々の様子を見ていると、通りかかった人もみな立ち止まって店の入り口の辺りを振り返り、何やら野次馬顔で見ている様子。外で先ほどの一団がまだもめているのである。





やがて、一団の人々が中指を立てて、誰かに向かって大声で怒りをぶちまけながら、向こうの通りへ去って行く姿が窓からも見えた。店の人達は苦笑いをして、様子を窺っていた。





一団の姿が見えなくなっても、かなりの間、店の人達は店先に立ちはだかって、一団の去って行った方を睨んでいた。来るなら来い! 徹底的に叩きのめしてやる! という感じだ。・・・・・・この店も相当怖いところかも知れぬ? 





俄かに不安になってきた。 “客で賑わう和やかな活気に満ちたレストラン” は別の顔で、一皮むけば “人種差別、ぼったくり平気の平左” のレストランなのかも? ・・・・・・しかし、ムール貝は美味い。白ワイン仕立てより、やはりグリーンペッパー&クリーム仕立ての方が私は好きだなぁ。などと冷静さを失わないところは、我ながらさすがである。 





一応夫と、 「会計の際、ぼられないように注意しようね。」 と密談を交わし、会計に臨んだ。しかし、明朗会計、何の問題もなかった。





察するに、スペイン人団体さんと店は、何かやり取りで誤解があったのだろう。ところが気性激しいスペイン人のこと、誤解を膨らませて大騒ぎ。そこで他の客もこりゃタマラン、と逃げ出した。スペイン人は帽子を叩きつけて 「訴えてやる!」 と警察を呼びに行った。そんな折に我々が何も知らず店に入っていったのであろう。





ベルギーはかつてスペインに攻められた苦い経験を持つ国だ。そんな歴史的恨みもあって、スペイン人には結構つっけんどんだったりするんじゃないかしら? どうかしら? ま~、私の勝手な憶測に過ぎないけれど、あれほど怒って警官にも何とかしてもらおうと行動したスペイン人団体さんを思うと、彼らにも承服しかねるものが大きかったのだと思われる。





折角の旅でお気の毒だ。どうかあの後、何かいい出来事があって( “他のいいレストランで美味しいものを食べる” とか、 “泊まったホテルがとても快適だ” とか) 「いい旅」 として締めくくられるよう祈る。彼らはあの美味しいムール貝を食べたのかしら?





それはそうと、われらがマンハッタンホテルの朝食には驚いた。昨日の朝のことだが、マンハッタンホテルでの初めての朝食に出向いた時のこと。





それまでの三ツ星ホテル(オテル・ボー・シテ)での朝食、 “そこそこのコーヒー、果汁100%のオレンジジュース、焼き立てのパン、瑞々しいチーズやハムを食べ放題!” と同じというわけにはいかないだろう。まぁ、コーヒーさえ飲めればいいや、と覚悟して食堂に行くと、30~40人は一遍に入れそうなくらい広い食堂に、テーブルがきっちり並んでいた。





重厚なカーテンに飾られた、天井まである一面の窓からは朝日が差し込み、各テーブルには、一応立派なテーブルセットが綺麗に並べられている。いかにもヨーロッパのブレックファーストという感じだ。ほほぉ。マンハッタンホテルという名は伊達ではない? 





だが、出てきたのはビスケットのように硬い真ん丸のパン1個と一杯のオレンジジュースのみ。 (友達に言わせると、それこそが 「コンチネンタルブレックファースト」 というものらしい。)





パンはハンドボールのボールくらいの大きさがある。バターとジャムが添えられたが、その他のおかずは一切ない。コーヒーを頼むと、1リットルほどの大きさの真鍮のポットに半分ほど、薄くてお世辞にも美味しいとは言えない、正直に言えば出がらしのような代物が出てきた。





パンと飲み物だけ。これはこれで一興ではあるが、パンはいつ焼いたの? ってくらい硬い。硬くて硬くてぱさぱさだ。アジアではもっと美味しいパンが食べられたぞ? パンはヨーロッパが本場じゃないのか? なんだ、このまずさは?





バターはさすがに美味い。 (アジアではバターはひどいものだった。) オレンジジュースも美味い。 (アジアの 「オレンジジュース」 とは名ばかりの “蜜柑色砂糖水” とは大違いだ。)





バターとオレンジジュースの美味しさを考慮しても、宿の値段を考えるとこの朝食は腹立たしいものだ。





そう言えば、街なかのワッフルも不味かった。





ベルギーといえば、ワッフル! ということで、今日ワッフルも食べてみたのだ。街中では、そこここでワッフルを売っている。屋台もあれば、ちゃんとした店構えで、フォークにナイフが出てきて、テーブルマナーよろしく頂くワッフルの店もある。





格子柄にふっくら焼かれた淡い狐色ワッフルは見るからに美味しそうだ。かなり焦げ茶色にこんがりとしたワッフルもある。ワッフルの上にクリームやフルーツやらが乗っているものもある。





それぞれの店先で、ワッフルを買った客の様子を窺うと、どこでもみな満足そうに食べている。





私も通りの小さな屋台で買ってみた。客が後から後から買っているから、美味いか? と期待したのだ。





が、ぱくりと頬張るや、ニチャニチャした歯ごたえで、甘さが鼻につく。まずくはないが、特に美味しくもない。名にし負うベルギーワッフル・・・・・・どこかに美味しいベルギーワッフルはあるのだろうが、私は残念ながら徹底的に探す気にもなれないのであった。





(昔、原宿の表参道にある喫茶店で 「パンケーキ」 というのを頼んだら、めちゃくちゃ美味くて驚いたことがある。今思えばあれがベルギーワッフルではなかったかと思う。当時としては珍しい格子柄だった。





当時はベルギーワッフルなんて言葉はなかったが。外側はカリッ、サクッと軽やかな歯応えがあって、中はふんわりむふぉ~っと柔らかくて、仄かな甘さ。それに確かシロップか蜂蜜か何かをかけて食べたのだった。野菜も添えてあって、ホイップした生クリームも添えてあって、どう食べても美味かった。カリッ、サクッ、しっとりとろ~り、むふぁ~、ぱふぱふっ・・・・・・うふん。あはん。うめーっ! という美味しさだったことよ。)





そう言えば、ベルギーでは野菜が不足している。 (オランダでも同様だったが。) フライドポテトは付け合せとしてよく出てくるが、それ以外の温野菜はとんとお目にかからない。香味野菜はムール貝の鍋に入ってくるが、それは既に灰汁を吸って、野菜そのものを楽しめるものではないのだ。





ヨーロッパ人は野菜を食わんのか? 乳製品と小麦だけは豊富なので、ワッフルなどが “発達” したのか?





ベルギーに入って美味しいものは、まだムール貝とビールしか出会っていない。 (オレンジジュースとバターも美味しいが、ベルギーでオレンジが取れるのだろうか? 輸入物では? ) ミネラルウォーターは美味しいが、値段がやや高めである。 





 旅先で美味しいものに巡り合うためには、結構 「運」 も必要だ。ああ、今朝の朝食も昨日と全く同じまずさだった。ってことは、明日も “出がらしコーヒー” と “がちがちぱさぱさのハンドボールパン” なのかしら?


       


  つづく

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2001年夫婦世界旅行のつづきです。7月17日、火曜日。ブリュッセルには今日を含めてあと2日しかいられません。





part129 ブリュッセル4日目 ①


    教会巡りと 「小便少女」 考





今日はパリ行きのバスチケットを買いに行く。ユーロラインズのバスはパリのどこに着くのかが、我々にとって大きな問題だった。





ユーロラインズのパンフレットには、バス停の住所はあるが、地図がない。『ロンリープラネット』 によると、パリの 「The edge of the east」 と書かれている。パリの東の端? とてつもなく辺鄙なところではないのか? 住所を頼りに手持ちの地図を探しても、どこにも記されていない。これはも~誰かに聞くっきゃない。





ユーロラインズのオフィスカウンターで尋ねてみた。案の定、 「バス停の場所? パンフレットの裏にアドレスが載っているわ。 トラムで東駅にすぐ出られるわ。」 とのたまう。 「いえね、そうじゃなくて。地図で示してほしいんですよ。」 と、ガイドブックの地図を見せて、印を入れてくれるように頼むと、 「hmmmm・・・・・・」 と地図を見て、ペン先をまずパリの東駅に軽く落とし、 「ttttttt・・・・・・」 と、そのペン先をさらに東へと移動させていき、地図の枠を越え、 「kkkkk・・・・・・」。 おいおい。カウンターの上だよ、そこは。 「ここら辺ね。」 と、カウンターの上を差して教えてくれた。「東駅に近いわ。」 ・・・・・・。十分遠いじゃないのっ。





地図にも載っていないパリの外れに着くのなら、その後の移動が面倒だ。鉄道で行けば、北駅というかなり中心の地域に着く。そこで鉄道を調べてみると、1人2,300ベルギーフラン (約6,300円) もかかることがわかった。バスなら590ベルギーフラン (約1,600円) である。メトロをを乗り継ぐことを考えてもユーロラインズの方がはるかに安いので、結局ユーロラインズのパリ行きチケットを購入した。





アムステルダムとは異なり、ブリュッセルのユーロラインズオフィスでは、出発の2日以内に買うと、100ベルギーフラン (約270円) 余計にかかるのだった。 (フランス語の注意書きでは、逆の意味に取れたのだが・・・・・・。)





さぁ、バスのチケットは手に入れた。明後日の出発まで、後はひたすらブリュッセルの日々を楽しむだけだ。





ロジェ周辺まで戻ってきて、珍しくじりじり暑い陽射しの中を、オープンカフェでお茶をする。 (ベルギーのコーヒーはどうしてどこもこう不味いのか? とてもアメリカンである。かといって、エスプレッソは量が少なすぎるし、お代わりするには濃過ぎる。ベルギーではコーヒーよりビールを飲んだほうがよいね。) 一息ついたら、教会見物に出かけることにした。





ブリュッセルの街なかには教会がたくさんある。グラン・プラスの北西にある聖カトリーヌ教会 (Eglise Ste.-Catherine) は、黒ずんだ陰気な教会であった。





しかし、中には “イエス・キリストの等身大の立て看板” が置いてあったり、誰かの寄進であろうささやかな “鉢植え” が置いてあったりと、あちらこちらに庶民の “心づけ” らしき品々が置かれていた。住民の生活の中で、今も親しまれている教会なのかもしれない。何やらやたら庶民的な雰囲気の教会であった。





(追記: ガイドブック 『地球の歩き方』 によると、この聖カトリーヌ教会の内部には、 「黒い聖母子像 (Vierge Noire) 」 という15世紀の作品があるらしい。新教徒によって18世紀、川に棄てられたが、 「浮遊する泥の中から発見されたという伝説」 を持つという。え~? そんなのあったの? 気がつかなかったぁ~! 





しかし、カトリーヌ教会で撮った写真を見ると、黒ずんだ聖母像の写真が一枚。・・・・・・これか? である。大きな翼を下ろして聖母の足元に跪(ひざまず)く天使の後姿。聖母の腕に幼いイエスが抱かれているのかどうかは、暗くって黒くって、写真ではよく分からない。しかし、おそらくこれだろう。





教会内ではこの一枚しか撮っていないのだから、この像がこの教会の中のピカイチだとは思ったのだろう。我々はしっかりと 「黒い聖母子像」 を目の当たりにしていたのであった。・・・・・・。しかし、聖母子像よりイエスの立て看板の方に見入っている私って一体・・・・・・? つくづく下調べは必要なことよ。とほほ。)





すぐ近くに聖ジャン・デュ・ベギナージュ教会 (Eglise St.-Jean du Beguinge) もある。14世紀にはかなりの繁栄を見せていたらしいが、今はひっそりとした教会だ。しかし、その内部は荘厳なものであった。この教会の床も墓石が敷き詰められていた。教会を見るというより、ヨーロッパ建築を見学しているような気分になる。 「厳かなる建築物」 と言ったらこれでしょ! っとリストアップしたくなるような、もの侘びた、しかし堂々とした教会であった。





続けざまに教会を見学していると、教会建築はどれも錚々(そうそう)たるものなのだが、その内部は、ゴージャスなんだか、 “質実壮麗” なのだか、庶民的なのだか、よくわからなくなってきた。





教会見物にも飽き、またグラン・プラスの界隈に戻って、今度は小便小僧の女の子版、ジャンネケ・ピス (Jeanneke Pis) を探す。小便小僧を見たからには、小便少女も見なければ片手落ちというものだ (?) 。





グラン・プラスから北へ、レストラン街の細い路地と路地の間の道(Bouchers通り) の真ん中当たりにさらに行き止まりになっている細い道が一本伸びており、その行き止まりになった所に 「少女」 はいた。これも小便小僧同様、台に乗った小さな像だ。女の子がしゃがんで用を足している。なんとも “かわいくない” 像だった。





顔がまずかわいくない。小便小僧より少し歳が行っていて (推定10歳? ) 、小太りで肉感がかなり強調されており、あどけなさに欠けるのである。しゃがんだ足の向こうに、ぐりんぐりんと大きく弧を描いて見える真っ黒い鋼のお尻も重たげで、大きくアラレモナク開かれた股間から、じょぼぼ~っと水が出ている。見ていて微笑みを誘う手の物ではまったくない。





我思う、小便をしてかわいいのはせいぜい3歳までではなかろうか。 (ガイドブックなどには、小便少女のことを、 「小便小僧の妹分」 などと呼んでいるが、違うぞ。ありゃ、どうみても小便小僧の姉貴分だ。)





大体、顔が白人顔ではない。鼻が低くて、一重の目。顔全体がおしなべて扁平で、おまけにぱんぱんにむくんだような丸顔だ。一見してすぐに、白人じゃない! アジア系の顔だ! と思われた。





しゃがみこんでいるスタイルもアジアンスタイルではないか? セミロングの髪を耳の後ろで二つに分けて結っているが、その髪もいかにも直毛の剛毛。小便小僧のようにかわいらしくウェーブのかかった髪ではない。





しかし、なぜ小便少女はしゃがんでいるのだろうか?





白人文化の中では、トイレは 「腰掛式」 だが、彼らはトイレがない場所で致すとき――つまり 「野トイレ」 をするとき、どうしているのであろう。女性はやはりしゃがむのであろうか? 





また、現在の腰掛式トイレが完成されるまでは、ヨーロッパのトイレとはどのようなものだったのだろうか。やはりしゃがんでいたのだろうか? 古い城など見学しても大抵既に腰掛式トイレに出来上がっているものしか見たことがないが、昔むかーしはどんなトイレだったのやら?





何かの映画で、それほど古くない時代だと思われるが、新大陸アメリカでの移住に失敗し、アイルランドに帰ってきた一家を描いたものがあった。彼らはトイレもない掃き溜めのようなアパートに住み、廊下に置かれたバケツに小便をして、溜まったら外の通りにぶちまけるというスタイルをとっていた。映画では父と息子のトイレ事情しかわからなかったが、女性はどうしていたことだろう?





マリー・アントワネットなどのフランス宮廷夫人は、鯨の骨で張られたドレスを着ているのでしゃがむこともできず、宮廷の庭で 「立ちション」 をしていたという話も聞いたことがあるが。・・・・・・考え出すと切りがない。





とにかく、あの小便少女を見ると、女の子があからさまに人前で小便をしている姿はあどけなくも美しくもなく、ましてその顔も美しくなく、膝頭を手でがっしり掴んでしゃがんだポーズも美しくない。 (いわゆる 「ヤンキー座り」 なのだ。) しゃがみながら、そのむくんだ顔が乗った首を、誰かを見上げるように左上方に回している点もいただけない。どこからどう見ても、うつくしくない。かわいくない。えげつない。東洋の少女を卑しめているように見えてしまう。





おまけに、背景も随分違う。小便小僧は土台や周りの壁が、煤ぼけて薄茶色になっていたものの、白さを残したコンクリート (だか漆喰だか) であった。だから、小便小僧は実際は黒い銅像だったにも関わらず、思い出そうとすると、小僧が白かったイメージが残る。 (小便小僧はあきらかに “白人作り”だし。)





しかし、小便少女の方は背景に黒い鋼 (?) が多く、像が細い路地の行き止まりにあったこともあって、どことなく閉塞感漂う、重苦しいイメージが残る。





こんなものをなぜ作ったのだろう? 作った人は我ながらいい出来だ! なんて思ったのだろうか? とてもそうは思えない。東洋人に対する蔑視。私には小便少女からはそういう作者の目しか感じられなかった。





他の見物客も、一様にちょっと困った顔をしていた。誰も 「おーぅ! かわいらしい! 」 なんて言っていなかったように思われる。誰も彼も、「ちょっと、これって・・・・・・」 って感じで、コメントに窮しているのであった。





像の前で写真を撮る際は、ついつい像と同じポーズを取る浮かれ女の私だが、さすがにこの小便少女と同じポーズを取る気にはならなかった。 「なんじゃーっ、この像はっ!? 」 という怒りのポーズで一枚収めた次第である。


            つづく


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2001年夫婦世界旅行のつづきです。ブリュッセル3日目。日本大使館に出かけ、窓口の人と、ものの10分ほどの会話で用事は済んでしまいました。さて、次は・・・・・・。





part128 ブリュッセル3日目 ②お洗濯の夕べ





さて、パスポートのスタンプの件も一件落着したので、後は自由行動 ロジェ駅まで帰ってきて、グラン・プラス方面ヘ向けてぷらぷらする。





本屋があったので、次なる目的地、フランスのガイドブックを立ち読みして、憧憬の地、シャルルヴィルについて調べるが、どっこにもシャルルヴィルについてなど載っていない。こりゃ、いよいよシャルルヴィルに行くことは諦めた方がよさそうだ。なんだか気が抜けて、たまった洗濯物も気に掛かり、街の散策は早めに切り上げることにした。





ホテルに帰って、バスルームで洗濯を済ます。手で洗うせいなのか、手でぎゅーーっと絞るせいなのか、柔軟材を使わないせいなのか、同じ服ばかり着ているせいなのか、旅を始めて3ヶ月の間に、服は相当によれよれしてきた。色も相当褪せてきた。しかし乾かすためには、やはり渾身の力を込めて、ぎゅーーっと絞る。





部屋に洗濯紐を張って、洗濯物を干していく。まだまだ明るい夕べの時を、部屋いっぱいに干された洗濯物を見上げながら、ホテルの部屋の中でのんびり過ごした。





街の中心を貫くメインストリート沿いにある我らがマンハッタンホテルは、地の利はよいが、コストパフォーマンスがすこぶる悪い。





バスルームは最新式のものだが、バスマットも付いておらず、洗面所の棚も埃を被っている。狭い部屋に小さなダブルベット。清潔な白いシーツの下には、安ホテルがよくやる “ビニールシート” が敷かれている。体を動かすたびにそれがゴワゴワキュプキュプ音を立てる。二つ並んだ枕のうち、一つは普通の枕なのだが、もう一つは20年は使い込んだ座布団のように、重たくてペッタンコである。





セントラルヒーティングが設置されているが、スイッチをひねっても稼動しない。大元を止めてしまっているのであろう。我々にはかなり薄ら寒い7月でも、ベルギーの人にとっては、文句ない夏なのかもしれない。





バスルーム以外は、部屋の何から何まで安っぽい。こういう部屋に泊まると夫がブツブツが始まる。・・・・・・うるさい。のんびりしよーよ。のんびり。


 


夫同様、キュプキュプうるさいベットに寝転がり、次の目的地について再び検討を始める。明日はバスチケットを買うつもりなので、なんとか今夜中に目的地を決めなければ! もうシャルルヴィルにこだわっている場合ではない。が、心のどこかでまだシャルルヴィルが捨て切れずにいる。どこも帯に短し襷に流し。今ひとつ強く心惹かれない。





そうこうするうち、地図の上をきょろきょろと彷徨っていた夫の目が、ぴたっとある地点で止まった。そして、なにかいいものでも見つけた子供のように嬉しそうに、顔を上げて言った。 「リールに寄るっていうのはどう? 」





「リール」 ? 聞いたこともない地名だ。地図を覗き込むと、シャルルヴィルの少し北に 「リール」 という街があった。シャルルヴィルよりは大きな街らしい。ユーロラインのバスも止まる。しかし、そこがどんな街だかガイドブックには一切取り上げられていない。ユーロラインが止まるのだから、それなりに大きな街ではあるのだろう。地名しか分からない所にふらりと降りてみるというのも、一興だ。





だが、ヨーロッパだと、なんだかそうした冒険も今ひとつ心が動かない。ヨーロッパに入ってまだ6日目だが、ヨーロッパはアジアと違って、 「ど~にかなるさぁ! 」 というお気楽モードが罷り通らない融通の悪さを感じるのだ。インフラがきっちりと整えられて整然とした街並み、どう転んでも、あっちもこっちもそっちもどっちも、ご立派な繁栄ぶりを目の当たりにするのだが、ひとたび向こう (ヨーロッパ側) の都合に合わなければ、取り付く島がないという空恐ろしさをヨーロッパには感じる。





夫は地図の上に書き込まれていた 「リール」 という名前に惹かれたようだ。確かにいい響きだ。リールねぇ。でも、どんな所かね? 宿はあるかしらね? 泊まるところがなかったら、どうする? 「なんでもあり」 のアジアとは違うよ? ヨーロッパに対する猜疑心丸出しの妻の言葉に、 ぶつぶつモードの夫も、 「大丈~夫。(^^) 何とかなるっ! の~ぷろぶれむっ! 」 と、アジア的太鼓判を押すわけにも行かず。・・・・・・リールはさりげな~く却下されたのであった。 





(追記: 今思えば、そんな辺鄙な街には個人旅行でしか行けないのだから、行ってみればよかった・・・・・・。そう思えばなおのこと、魅惑的に響く町、リール! 自分で却下しながら、後悔しきりの妻である。)





あれやこれや、検討し過ぎて疲れてしまった。も~、とっととパリへ行ってしまおう。もしかしたら、パリからシャルルヴィルまでのプチツアーがあるかもしれないし! ということで、結局次の目的地はパリに決ったのであった。       


          





追記: 冬物なんてありませんっ !





 時は7月も半ば、季節は夏だというのに、ヨーロッパに入ってからというもの、寒くて寒くてしようがなかった。我々は荷物を極力軽くするために、 「冬物」 を一切持っていなかった。





半袖Tシャツ3枚、綿のシャツ長袖1枚、半袖1枚。ジャージの上着。パジャマ用の巨大Tシャツ1枚。薄いパジャマ1組。Gパン1本。デニムのパンツ1本。ソックス4足。そして、ヴェトナムで買った帽子 (キャップ) 。水着1着。シューズと、タイのチェン・ライで買ったビーチサンダル。これが私の全衣装であった。





もともと暑いところにばかりいる予定だった。ヨーロッパやアメリカは夏から秋にかけて周り、それ以外の寒そうな時期は、アツアツのアジアを周るつもりでいたのだ。 





体がまだアジアモードで、ヨーロッパの気温に馴染んでいないせいか、はたまたヨーロッパが特に異常気象の冷夏なのか (我々意外の人々は半袖シャツ1枚やタンクトップで元気に闊歩しているのだが) 、予想以上に寒いヨーロッパの夏に、我々はありったけの衣装で対抗した。半袖のTシャツを2枚重ねて着、その上に綿の長袖シャツを着、手荷物の中で一番温かいジャージの上着を羽織る。もう持っている衣装総動員! である。





小まめに洗濯しないと着替えがなくなる。アジアと違って、洗って干しておけばすぐ乾くという気候でもない。Tシャツも底をついてくると、パジャマ用のTシャツを着て街を歩いた。膝が隠れそうなほど長いTシャツが綿シャツの下からたら~んと出ている。見苦しいことこの上ない。しかし、それは太ももの辺りまですっぽり暖かくしてくれる、私にとって体に優しいファッションではあった。・・・・・・しかし、ヨーロッパでは、身なりをきちんとしないと外を歩いてはいけない! とつくづく思い知るのでもあったが・・・・・・。)


          つづく


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2001年夫婦世界旅行のつづきです。7月16日、月曜日。ブリュッセル3日目。今日は宿替えをしてから、日本大使館に。





part127 ブリュッセル3日目 


                 ①ユーロ圏滞在許可期間判明!





今日は申し分ない夏の1日。 (と言っても、少し日が陰れば途端に肌寒くなり、ジャケットは手放せないのだが、晴れの間は汗ばむほどに暑い。) 





今日は居心地のいい三つ星ホテルを出なくてはならない。 (多少交通の便が不便でも、こんないいホテルはずっと泊まっていたかった ―Hotel Beau Site オテル・ボー・シテ✩✩✩ ) ハムやチーズが並んだビュッフェ形式の朝食を、これでもかというほど寝起きのお腹に詰め込んで、ゆっくり荷造りをしてから名残惜しくもホテルを出た。





今日から泊まるホテルは街のメイン通りに面している。地の利は抜群だ。古い街並みの一画にあり、外観は相当にボロボロだが、さて、中はどんなものか。とにかく移動してみた。





ぎょぎょっ! フロントのおじさまが昨日とは違う人だ (中デブ) 。昨日のフロントのおじさま (やや痩せ) に 「予約は不要」 と言われ、その言葉を信じて今日来てみたわけだが、フロントの人が変わってしまっては、昨日の口約束 (=今日から3連泊、可) も罷り通らないかもしれない。





不安顔の我々に中デブのフロントマンは、何ごともなさそうに 「はい。3連泊ですね。大丈夫ですよ。どうぞ」 と、ルームキーを渡してくれた。やや痩せのフロントマンが話を通しておいてくれたのかしら? それとも、このホテルは、実は “いつでもガラガラ。問題あり! のホテル” なのかしら?





中デブのフロントマンは一見温厚な “紳士” 然としている。ロビーも狭いが特に問題がありそうには見えない。ロビーに寛いでいる他の客も、問題がありそうには見えない。・・・・・・ま、いいか。とにかく他に泊まる所はないのだから。不安をつるりと拭(ぬぐ)って、礼を言い、ルームキーを受け取る。





部屋は8階だった。外から見ていたら5階建てにしか見えなかったぞ? 不思議絵のようなホテルであるね。





はっ。それとももしかして、 「屋根裏部屋」 なのかしら? 白人はそんな部屋には泊まらないから、いつも空いているのかしら? 我々は黄色人種だから、すぐにその部屋をあてがうつもりで、予約もなしに3連泊もできると太鼓判を押してくれたのかしら? 昨日の 「やや痩せ」 は・・・・・・? 一度は拭った不安が、こめかみの辺りからたら~りと垂れてくる。





エレベーターは手前のドアを開けて入る。ヨーロッパではエレベーターの前にドアやアコーディオン式の鉄 (?) 格子がある場合が多いようだ。エレベーターに乗り降りするとき、いちいちドアを開けるのは面倒臭いが、古式ゆかしい雰囲気もあり、異国情緒も盛り上がって、私は結構好きである。





外国の階の数え方は国によって違い、日本で言う 「2階」を 「1階」と呼ぶ国は少なくない。多少混乱の種だが、我々はあまり気にしない。エレベーターに乗れば、どの階が 「1階」 と呼ばれているのかわかるし、エレベーターのボタンを押せば、数字通りのフロアーに着けるのだから。むしろ下手に考え込まない方がよいのである。





手前の重いドアを開け、薄暗く狭いエレベーターの中に入って8階のボタンを押す。しかし、困ったことには、エレベーターのドアを閉じるボタンが分からない。どれだろう? と探していると、いきなりゴグンッと音を立てて、エレベーターがそのまま上がり始めたではないか! エレベーター本体のドアは閉まっていない。





目の前を建物の壁がするすると移動して、エレベーターが上がって行くのがわかる。2階、3階…・・・と、各階のドアを通り過ぎ、黒ずんだコンクリートの壁、ドア、壁、ドア・・・・・・と繰り返して、8階のドアの前で、エレベーターはグゥンムと止まった。





――どうもきっちりと四角く完璧に閉じられた箱状のエレベーターでないと、ホテルの壁の隙間から何かを落としてしまいそうで、ちょっと怖い。しかし、このいかにも怖いエレベーターの方が事故が少ないのかもしれない。日本のようにいかにも安全そうに見える方が、安全を信じて、油断するのだろう。





日本では、ときたま、エレベーターの隙間に挟まったとか、エスカレーターに挟まれたとか、一体どうしたらそんなことになるのか? と、想像もつかないとんでもない事故がしばしば起こっている。それは、見た目を安全にしすぎるからではないのかしら。





危ないんだぞぉ~! ということを一目瞭然にしておけば、エレベーターやエスカレーターでふざける子供もいなくなるに違いない。慎重に乗り降りするようになるのではないか? 危ないものは 「危ないのだ! 」 と見てわかるようにしておく方がいいんじゃないか? ――





さて、8階の重い扉を開け、廊下に出る。入り組んだ廊下の突き当たりの部屋。狭いながらも窓が大きく、かなり明るい部屋である。屋根裏部屋という風でもない。





が、いかんせん、昨日までのホテルとは比べものにならない。よくて、星1つ って感じだ。 (追記: このホテルに星がついていたかどうか、チェックし忘れた。) 洗面所とバス・トイレだけは最新の設備であることが嬉しい。3日間、そこそこ快適に過ごせそうだ。





荷物を置いたら、まず日本大使館に行く。





日本大使館はメトロの 「トロン」 という駅のすぐ傍にあるはずだった。ブリュッセルも3日目ともなると、メトロやトラムにも慣れて来て、たいして迷うことなく乗りこなせるようになった。 





オランダでもそうだったが、街には看板や表示がほとんどない。ブリュッセルの街なかでは、 「グラン・プラス」 の方向を示す標識などはところどころにあって、 「観光名所」 の場所は見つけやすいのだが、それ以外の普通のオフィスなどを見つけるのは、アムステルダム同様、ちょっと大変だ。





オフィスビルばかりが林立するビジネス街のトロン辺りでは、それこそ何の看板もない。大使館を見つけるのは難しい。どこもかしこも、なぜ看板を出していないのか? せめて店のドアには店の名前を書いてくれ! 分かりにくじゃないか。日本では分かりやすいぞ。





――アジアでは看板が “発達” している。これがアジアとヨーロッパとの決定的な違いである。特に香港などは 「看板の街」 と言いたいくらい、看板が空を覆うくらいに所狭しと掲げられている。 (そのため、看板落下事件も多く、頭の上に看板が落ちてきて、毎年2~3人ほど死んでいるらしい。1990年代の話だが。) ここまでいくと看板が多過ぎて、返って分かりにくい嫌いもあるが、アジアでは、ある意味、看板は一種独特な景観美を作りだしていると言えるのではないだろうか。





ごじゃっと不統一に掲げられた看板は、ヨーロッパ的美意識ではあまり 「美しい」 とは言えないかもしれない。看板のないヨーロッパの街並みは確かにすっきりしていて美しい。





しかし、看板がないと、とても目的地を探しにくい。我々アジア人は結構看板を頼りに道を歩いているのだなぁと改めて感じたことであった。





しかし、アジアで看板が発展したのは、店がしょっちゅう入れ替わり立ち代りして、変わるせいかもしれない。ヨーロッパはよしんば店がつぶれたとしても、内装を変えるだけで、建物そのものを壊して変えたりしなさそうだ。だから、街の建物そのものが目印となっていて、看板など要らないのかもしれない? ――





さて、トロンのオフィスビル街は近代的な高層ビルが立ち並び、どれといって特徴のある建物もなかった。しかし、さいわい、日本大使館はビルの外に日の丸の国旗をはためかせていたので、すぐに見つけることが出来た。





おおっ。日の丸が出ているからには、あそこに違いない! 我々は旗に導かれるように、無事に日本大使館まで辿り着くことができたのであった。





――国旗 「日の丸」 は好きではない。一体誰が考案したのか、「白地に赤」 のあのデザインは、血のシミが染め抜かれているようで、死後硬直した死体の “白” に鮮血を滴らせたイメージが喚起されてしまうのだ。





あの旗を見ながら 「君が代」 が流れてきた日には、どうも滅入っていけない。 続けて、 「ここはぁ~お国の何百里~ぃ」 と悲しく歌い出したくなってくる。コーリャンを貪り食いながら、地平線に赤々と膿んだように沈む夕日を浴びて、満州の大平原 (?) にぽつねんと佇んでいる気分になってくる。


 


【注:コーリャン (高梁) 高キビとも言われる穀物。粟やキビよりもまずいらしい。種類によっては野菜のように食べられるらしいが、詳細はわからない。中国大陸に戦争に行った兵士の詩の中で、貧しく辛い食事の代表のように使われており、さらに大陸の漠とした広大さ、大地の厳しさを現すもののように歌われていたので、どうも 「日の丸―君が代―戦争―満州―コーリャン」 というイメージの連鎖が私の中で起こってしまうのである。いつか食べてみたい。コーリャン・・・・・・。やっぱりまずいのかな? 】 





ところが、不思議なことに、外国で 「日の丸」 の旗を見ると、無性に懐かしくなる。嬉しくなる。味方を見つけた気になる。 (大使館なんぞがまともに “浮かれ貧乏旅行者” である我々の味方だった試しはないのだが。) ――





大使館の人は、予想通り大した助けにもならなかった。が、とにかく 「ヨーロッパ圏内で国境を越える際、パスポートのチェックはない」 し、 「出入国のスタンプも押してもらえない」 し、 「滞在許可期間は一国で90日間ではなく、ヨーロッパ全体で90日間と数えるようになった」 らしいということが確認できた。 





たとえ、途中でユーロ圏外の東ヨーロッパ (2001年当時) へ寄ってから、再びユーロ圏内に入ったとしても、滞在許可日数は一番最初にユーロ圏内に入国した日から90日までと勘定されるらしい





「どうやら、そうらしいです。」 と美しい声でなんとも心もとない言い回しではある。が、大使館がそう言うなら、それをそのまま受け入れるしかない。





いかにも深窓の令嬢がそのままお年を召したような上品な女性係官の、何ごとにも動じない曖昧な笑顔。 「 『らしい』とは何ですか! そんな曖昧なっ! 」 と、いきり立つ気も失せる。





「それでも念のため、スタンプをもらいたかったら・・・・・・? 」 と食い下がると、色々手続きが必要そうなことを言う。で、 「ベルギーでも役所は手続きにとーーーっても時間がかかるんですよぉ。」 と “うふふ” 顔でおっしゃる。大使館の人でさえ、お役所ののろのろ仕事にうんざりしているのかと思うと、なにやらおかしい。うぷぷ。





結局のところ、アムステルダムで出国スタンプをもらおうが、ベルギーで入国スタンプをもらおうが、我々はアムステルダムに最初に入国した日から90日以内にヨーロッパから出国しなくてはならないのだ。そんな話は初めて聞いた。どうしてガイドブックに1行も書いていないのだろう。 (注:2001年度7月の時点で。)


        


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2001年夫婦世界旅行のつづきです。ブリュッセルの街なかで、いずこも同じ夫婦喧嘩を目撃。喧嘩もどうせするなら、楽しくしたいものです。
















part126 ブリュッセル2日目 ③喧嘩夫婦ジャポネ





今日、中央駅からロジェ駅に向かう途中、我々の背後から日本語が聞こえてきた。いかにも日本からのツアー観光客といった風の、初老のご夫婦であった。





どうやら奥さんがトイレに行きたくなって、中央駅で途中下車したものの、トイレがなかなか見つからず、 (そうそう。中央駅でトイレを探すのは一苦労なのだ! part122参照) すったもんだした挙句、ロジェ駅まで歩く羽目になったようだ。





ご主人の方は、中央駅からロジェ駅までメトロに乗りたかったようだ。中央駅からロジェ駅まではほんの一駅。歩いても10分ほどの距離ではある。





ご主人の方はしきりに 「メトロに乗っていればよかったんだっ」 と繰り返す。奥さんの方は、 「だって仕方ないじゃないっ。おトイレに行きたかったんだもの。 (あれあれ? 私と同じセリフを訴えているぞ。) トイレがなかなか見つからなかったんだものっ。 (ロジェ駅まで) 歩いたってすぐじゃないっ。いいじゃないっ。こっちでいいのよっっ。」 とやり返す。





どうやら、中央駅から相当道に迷ったようだ。中央駅は小高い丘の中腹にあり、建物が大きいので、方向違いの出口から出てしまうとわけが分からなくなる。道路表示もろくに出ていないし、あったとしても、フラマン語かフランス語なので、英語しか知らない日本人ならちょっと戸惑うだろう。





丘を西に向かって降り、グラン・プラスに出て、さらにブルス (証券取引所) まで出ると、ロジェ駅に通じる大通りに出るのだが、彼らはその手前のヌーヴ通りという繁華街を通ってきたようだ。グラン・プラスからヌーヴ通りに出るには、小さな路地が縦横無尽に走っているので、おそらく観光客で賑わう雑踏の中を生きた心地もせず、迷い迷ってようやくやってきたのだろう。 





「だから中央駅で電車に乗ればよかったんだよっ」 と、ご主人がまた繰り返す。 「いいじゃない。もう、道はわかったんだからっ。こっちなのよっ。こっちでいーのよっ! 」 と、奥さん。 (そうですよ。合ってますよ。もう少しでロジェ駅ですよ~と、声を掛けたくなる。)





「ああ、そうですか。じゃぁ、行きなさいよ。」 と、ご主人。勝手にしろと言わんばかりの口ぶりである。がむしゃらに歩いていく奥さんと、その後をしぶしぶ疑わしげに追うご主人。二人とも疲れ果ててへとへとという感じで、腰は折れ、前こごみにのめるように歩いていく。





そのくせものすごいスピードだ。フラフラ、ヘコヘコしながら風のように我々を瞬く間に追い越して行った。感心して見送っていると、ずっと先に見えるロジェ駅前のシェラトン・ホテルに入って行った。彼らの安堵の顔が目に浮かぶようであった。無事に着けて、よかった、よかった。





しかし、こんな風に喧嘩しながらへとへとになって必死で歩いている観光客など、日本人夫婦以外見かけたことがない。西洋人は実にゆったりと歩くのだ。地図を片手にあれやこれや騒いでいる時もあるが、言い合いをしているところなど見たこともない。中国人団体は喧嘩腰で喧々囂囂(けんけんごうごう)うるさいが、やはり、夫婦2人で喧嘩しながら観光しているところなど見たことはない。





道に迷ったからといって、夫婦で諍(いさか)いしつつ歩く姿は実に見苦しい。どうして笑って、その状況を楽しめないのだろうか。 (注:我々のことは棚の上に、おいしょっと・・・・・・。part122参照) 





メトロを降りて歩くと決めたからには、 「やっぱりメトロに乗ればよかった」 などという責め句をぶつぶつぼやいていないで、折角のブリュッセルの街並みを楽しみつつ、道を探しつつ、ゆっくり歩いて行けばいいではないか。シェラトン・ホテルなどという有名高級ホテルに泊まっていれば、最悪、タクシーに乗れば連れて行ってもらえる。どんな状況になっても、相棒を責めず、むしろ励ましてその状況を楽しんで見せる度量が、日本人男性には欠けているのではないの? あん?





           つづく


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