2001年夫婦世界旅行のつづきです。昨日3泊4日のサメット島旅行から帰ってきて、明日はいよいよヨーロッパに向けて飛び立ちます。今日一日は静かにしていることにしました。





part107 交通事故じゃ、ないの?





今日は1日休養とヨーロッパにむけての準備と研究に当てる。





ヨーロッパでのことはヨーロッパに着いてからおいおい考えようと思うが、ヨーロッパに行ってしまってからでは間に合わないことが、一つある。 「ユーロパス」 なる鉄道周遊券だ。このチケットはヨーロッパの周遊券のくせに、ヨーロッパの現地では買えないというではないか。買うのなら、ここバンコクで、今日、買うしかない。





ヨーロッパでは移動に鉄道が便利そうなので、 「ユーロパス」 なる鉄道周遊券を購入するか否かずっと迷ってはいた。しかし、鉄道周遊券が我々にとってどれほどお得なのか、具体的にとんと分からない。周れる国が限定されていたり、増やせたり、その分料金が嵩んだり、期間もいろいろ選択肢があって、選ぶのも大変。





どうやら1日一人6,000円分以上列車を使うならば割が合いそうなのだが、はたしてそんなにしばしば電車で移動するだろうか? むしろバスを使った方が便利で、もっと安く済みそうではないか? 具体的にどこからどこまで移動するかさえまだ決まっていないのだから、計算の仕様もない。





そもそも 「ユーロパス」 がバンコクで売られているのかどうか。 (我らがご用達のMPツアーでは扱っていなかった。もっと大きな旅行代理店でなければ、扱っていないと言う。) まずスクンビット通りにあるHISにでも出向いて、具体的にどんなものなのか、調べてこなくてはならない。





そして、買うとなったら、一人10万円ほどの大金である。もう手持ちの現金やTCは心もとなかったが、とにかく残りを掻き集めて、レートのよいラマⅠ世通りまで両替に行かなくてはならない。あるいは、シーロム通りにあるシティバンクに引き出しに行かなければならない。考えただけで目が回る。





慌ててことに当たるのはよろしくない。 (サメット島なんて行かないで、ゆっくりバンコクでヨーロッパ研究をしていればよかったなぁ。いやいや、過ぎたことは言うまい。) 結局、出歩き回るより、今日は一日ゆっくりのんびりしよう。ということで、 「ユーロパス」 は買わないことにした。





そうと決まったら、暢気にインターネットをしたり、お茶を飲んだり、散歩などして、1日カオサン通りをぶらぶらする。雨が降ったり止んだりのぐずついた空の下、カオサン通りは今日も人や屋台や車で溢れ返っている。





MPツアーの前にツアーバスらしいミニバスが止まっていたりすると、おおっ、今日も、何も知らずにサメット島に行く奴がおるね? ほほほ。行ってらっしゃい。見てらっしゃい。と、心の中でほくそえむ。 (何も知らずに、予約もせずにサメット島に行く 「お間抜け」 は我々だけだ! っていうのに……。)





通りをゆるゆる歩いている時、いきなり、後ろからバンッと叩きつけるような音とともに、左肩に衝撃が走った。私の後ろから、左側を擦るようにバンが走り過ぎていった。 「バンッ」 は、車のサイドミラーが私の左肩に当たった音だったのだ。車に当てられた! これって、交通事故? 当て逃げだぁ。





私は通りの進行方向に向かって右端を歩いていた。タイの道路は左側通行なので、正面からやってくる対向車には気を付けていたが、後ろから来る車が私に当たってくるとは考えていなかった。正面から大きな荷物を抱えた女の人が来るので、一歩左に寄った瞬間の出来事だった。車の側からすれば、いきなり私が寄ってきたから当たっちゃったっていうところだろう。





車は通りの屋台や駐車車両を避けて、もう一杯一杯で走っていたのだろう。しかし、だったらもっと徐行しろよ! と私は思う。かなりなスピードで走っていったぞ。 「バンッ」 って大きな音がしたぞ! 痛いじゃないかっ! 





私は左肩が痛かったが、実際には左肩に掛けていた鞄に当たっただけなので、私の身体に直接車が当たったわけではなかった。鞄と言っても、巾着のような柔らかい布袋なのだが、ぶ厚いガイドブックが入っていたので、それで 「バンッ」 と大きな音が出たらしい。特に怪我などしなかったが、一歩間違っていたら、結構痛いことになっていたかもしれない。





夫は一瞬、音に驚いて 「どうしたの?」 と心配顔になったが、鞄が車のサイドミラーに当たっただけだと分かると、 「鞄はもっと抱え込むように持っていなきゃ、だめでしょ。」 「ぽ~っとしていないで、ちゃんと(車を)よけなさいよ。」 ……たちまち “教育的指導” で腕をくるくる回す。





車はそのまま行ってしまったし、道を譲ってあげた女の人は、あら? ってちろりと見ただけで行ってしまうし、カオサン通りでは、 「交通事故」 など何も起こってはいなかった。私を除いて。





誰も同情してくれない。 「バンッ」 という衝撃音だけが私の耳に残るばかりで、左肩がなんだかジンジン痛くもあり、 「肩が痛いんだよ?」 と訴えてみても、 「大丈夫、大丈夫」 とやはり夫は “カオサン通り” と化しているのであった。





一応、交通事故なのにっ。アー、痛っ。左肩が痛っ。


 


             つづく


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2001年夫婦世界旅行のつづきです。タイのゴールデンウィーク(?)に当たってしまって、休暇客でどの宿も満員だったタイのサメット島を引き上げ、バンコクに帰る日のことです。





part106 早い者勝ち! ツアーバス









昨日宿替えした400バーツ(約1,100円)の宿(シーブリーズバンガロー)には参った。水シャワー、手びしゃくトイレ、棚も台もない洗面所、ファン(扇風機)のみ。竹で編んだ茣蓙のような壁……設備は800バーツのホワイト・サンド・リゾートと大差ないものの、蚊が! 蚊がすごかった。蚊取り線香を焚き、蚊除けクリームを塗りたくったにもかかわらず、一晩中蚊に刺されまくったのだった。





蚊取り線香は、日本から持参した “世界最強の蚊取り線香” 「キンチョー蚊取り線香」! ……があればよかったのだが、チェン・ライ辺りで使い果たしてしまっていたので、焚いたのは、タイ製の “弱々しい象のマーク” の蚊取り線香だった。これは煙たいくせに、効き目がない。





しかし、タイ製蚊取り線香と違って、タイ製 「蚊除けクリーム」 (黄色いケース) はすばらしく効く! すばらしく効きはするが、蒸し暑い夜、汗とともにすぐに落ちてしまう。一晩中小まめに塗り続けるわけにもいかず、うとうとしている間に、クリームの剥げ落ちたあたりを蚊どもがぷすりぷすりするわけだ。





このバンガローも、薄い竹茣蓙一枚で部屋を2つに仕切ってある。狭い。狭い上に、床に敷かれた “ビニールシート絨毯” は、踏みしめるとクニュクニュッと柔らかい。ビニールが柔らかいのではなく、床自体が柔らかいのだ。絵に描いたような安普請だ。





突然ゆさゆさっと部屋が揺れた。地震? どきっとして様子を窺うと、地震が部屋の中を微妙にずれていく。隣の男の歩みに合わせて、のっしのし部屋が揺れているのだった。まるでウォーターベッドの上に部屋を二つ作ったようだ。なんという連動感! おまけに部屋は臭い。





我々が動けば、隣の部屋も揺れるのだろうに、お隣さんは夕方から深夜までギターを弾いて楽しく歌いまくっていた。ときどき訪れる “のっしのし地震” とタイ風ポップスに身を任せ、蚊取り線香に燻され、湿気と暑さと蚊と戦いながら、うとうとすると、 「クェクェクェキョェーーッ!」 夜も明けぬ3時だというのに、鶏らしきものが鳴き喚き、呼応し合う。800バーツの宿と400バーツの宿の違いをしかと噛み締めた。800バーツの宿では、夜はぐっすり眠ることができていたのだから。800バーツは伊達ではなかったのだね。





“駄目押し” のような一夜をやり過ごし、とうとう今日はサメット島を去る。さらば、サメット島。宿探しに追われた日々 (といってもたった3日だが)。実際には泊まってもいないのに、随分多くの宿のエントランスやソファの配置などを見覚えてしまった。無駄な記憶。サメット島。みごとに期待はずれだった島よ。 





今日も天気は悪い。波も荒い。ボートが出航停止で島から帰れなくなったらどうしよう? 我々の心配など、どこ吹く風。海風はやはりザッパンダッパン、我々を乗せたボートを翻弄した。湾内なのにこの波の荒さはどうしたことだ? なぜタイ湾の波は荒い? 地理学者か気象学者にでも聞けば分かるのか? これだけ波が荒ければ、身のしまったうまい魚が食べられるはずではないのか? なぜうまい魚にありつけなかったのだ? 魚もゴールデンウィークか? 





 海の美しさに見入る余裕もなく、ただひたすらボートが無事に岸に着くのを祈りつつ、サメット島への恨みにも似た、愚にもつかない疑問を繰り返すのであった。





ボートは荒波など慣れたもので、涼しい顔して波立つ海に揺られ揺られて、予定通りバンペーに着いたのだった。ほんの30分ほどの航行なのに、無事バンペーのボート乗り場に降り立った時は、ぐったり疲れてしまっていた。が、あとは風が強かろうが、波が高かろうが関係ない。バンペーからツアーバスに乗り込んで、一路バンコクのカオサン通りに帰るだけだ。





バンペーの海岸沿いの大通りには、海の家のような小さなカフェがいくつか並んでいる。カフェがツアー代理店も勤めているらしい。カフェ&代理店のオバチャンにツアーのチケットなど渡し、ここらで待ってろと言い渡される。





我々と同じボートで着いた客以外にも、別のツアー客らしき人々もいた。みんなバンコクに帰るらしい。小さなミニバスが通りのあちこちに待機している。カフェの店先にも3台ほど止まっているので、どれが我々のツアーバスなのか、まだわからない。とにかくチケットはチェックが済んでいるのだから、安心だ。ふう。ここまでくれば、バスに乗るだけ。島に取り残されなくってよかった~。





他のツアー客たちも同じ思いなのか、みんなどこかぐったりしている。なんとなくぼーっとしていて、普段は元気な白人たちも寡黙である。みんな呆けたようにそこら辺に座り込んで待っている。ふらふらと通りを散歩してみても、ろくな土産物屋もなく、手持ち無沙汰で戻ってくる客もいる。





そんなぼんやりとした待ち時間がしばらく続いた頃、突然カフェが騒然となった。カフェ&代理店のオバチャンとオジチャン (多分夫婦か?) が大声で言い合いを始めたのだ。何の手違いか、ツアーバスの席をダブルブッキングでもしたらしい。クェクェッ、メェックェーーッ! グワッ、マァイックグーッッカァッ! とがなり合って、お互い威嚇しているようだ。まるで鶏の喧嘩である。





どうやら我々のツアーバスが定員オーバーとなったらしい。オバチャンは、カフェの前に心配顔で待っているツアー客を見回し、我々が2人連れと分かると、 「こっちに来い」 と言って、少し離れた所に止まっていた他のツアーバスの所に連れて行った。





しかし、そのツアーバスでも定員オーバーなのであった。 「ちょっとー。この2人、そっちに入れてやって。」 「おいおい。こっちだって、もう一杯だぜぇ。」 「いーじゃないのっ。押し込んじゃってよっ。」 とか何とか、クェックェッ、ガーガー交渉している。





「 (あんたたち、ちんまいんだから、) 助手席に2人一緒に乗れるでしょ?」とオバチャンはにこにこ顔で、我々に頼んできた。狭い助手席である。いくらちんまい我々だって、1人一席頂きたい。3、4時間かかるバスの旅なのだから、座席は妥協しないぞ。オバチャンの虫のいいお願いは聞こえないふり。こんな時ばかり、分かりやすい英語で言ってきたって知るもんかい。





とにかく早いもの勝ち。我々は他の乗客が乗り込み始めるや、すかさず後部座席に乗り込み、すばやく2人分の席を確保。よっしゃっ。





しかし、のんびり他の客が乗り込むのを待っていた大柄な白人夫婦は、割を食った。結局、狭い1人分の助手席に、2人押し込められていた。お気の毒に……。





しかししかし、我々と同時に 「こっちに来い」 と移動を申し渡された、もう一人の白人バックパッカー青年は、いっそう気の毒だった。





ろくな説明もないまま、オバチャンに 「ついて来い」 と引っ張られてきたことが、何を意味するのか察しもつかないご様子。 「どういうことなんだろうねぇ?」 と聞いてきた。我々だって詳しいことはわからない。タイ人たちの挙動で事態を推測しながら動くばかりだ。 「さぁ。きっとダブルブッキングして、バスが一杯なんじゃないの?  我々はこっちのバスに乗れってことじゃないのかな?」 と言ってみても、彼は、 「だからって、なんで僕がここへ連れてこられるのぉ?」 って感じで、ぼぉぉっとしていた。迂闊にも彼は自分のバックパックをカフェの前に起きっ放しにしてついてきていたのであった。





みんながバスに乗り込み始め、 「さぁ、あんたも早く乗んなさい」 とオバチャンに急かされ、ようやく事態を把握したようだ。彼は慌てて自分の荷物をカフェに取りに戻った。駆け戻った彼は、自分のバックパックをバスの屋根の上に括りつけた。見違えるほど俊敏な動きだ。やれやれ。間に合ってよかったね。





さて、彼が、 「さぁ、乗ろう」 としたときは、後部座席は丁度きっちり定員数乗り込んだところで、運転席の横の1人分の助手席には、白人の大男と大女、2人が詰め込まれ、 “すでに定員オーバー状態” 。彼は、 「もう定員オーバーじゃないかぁ」 とぐずぐずしている。席があろうが、なかろうが乗り込みゃいいのに! 彼は 「一体、このバスにどうやって乗れって言うのぉ?」 と困っている。オバチャンは、 「ああ、わかった、わかった。じゃ、あんたは別のバスに乗せてあげるよ」 と、うるさそうにOKを出し、定員オーバーのバスはドアをロックされたのを合図に走り出した。





ふぅ。とにかくこれでバンコクへ向かって出発だ。振り返ると、走り去るバスに向かって、オバチャンがバイバイ~と手を振っている。あれ? 白人バックパッカーも手を振っている。っていうか、手を振りながら追いかけてくるよ?





なんだ、なんだ? 血相を変えているぞ? ってことで、走り出したバスは止まった。白人青年はようやくバスに追いつくと、はぁはぁ息を切らせながら、バスの屋根を指差す。そう。彼は自分のバックパックはきっちりバスの屋根に縛り付けたのだった。バックパックは乗せたのに、自分はバスに乗るのをやめたのだった。





彼はもう泣きそうな顔でバックパックを取り返すと、疲れ果てたうんざりした顔で、「バイバイ」 と、今度こそ我々に手を振ってくれたのであった。……きっとそのうち、いいこともあるよ。がんばれ、青年。しっかりしろよぉ。





結局、何台かツアーバスは来ていたが、どれも定員オーバーですったもんだしているようだった。青年もきっとあのあとは、席があろうがなかろうが、バスに乗り込めたことだろう。タイ人はブッキングなどきちんとできないのだ。こうしたいい加減なところはなかなか直らないのだろう。こちらは体当たりで自分の求めるものをもぎ取っていくしかないのである。





そんなこんなで、小さな代理店のいい加減さに呆れ果てることにも慣れ果てて、ぐっすり寝込んでいる間に、バスはバンコクへと戻ってきた。





バンコクはじっとりと雨に濡れそぼって蒸れていた。そして、懐かしのカオサン通りは、雨にもかかわらず湿気にもかかわらず、今日もぎんぎんに元気に賑わっているのであった。


           つづく


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2001年夫婦世界旅行のつづきです。タイ湾に浮かぶ白砂美しいサメット島で、「ビーチリゾート」3日目です。自分がどう思われているか、聞いてみると面白いものです。





part105 私、香港人?(サメット島3日目) 





朝は浜辺も静かである。じめじめ雨季(?)のサメット島であろうが、朝の1人散歩は気分がよい。幸い薄日も差している。 “団体さん” ご用達の浜辺の巨大カフェレストランもガランとしていて、静かである。ボーイは一人しか見当たらないが、客が少ないので、すぐこちらに気がついてくれる。モーニングコーヒーを頼む。





海は目の前に見えているのに、波音が聞こえない。潮の香りもしない。不思議な島だ。吹き付けてくる海風の重たさだけが、海を証しているようだ。薄いインスタントコーヒーも、重い湿気には丁度合っている。1人ぼんやりしていたら、ボーイが話しかけてきた。





その宿はタイや中華系の客が多く、タイ語が通じる客ばかりのようで、従業員達はタイ語のできない我々には話しかけてこなかった。そのボーイさんは英語に自信のある数少ないボーイさんだったのだろう。





はいはい。なんでしょう。とにっこり応じると、彼は私に「君って、タイ人? それとも香港人かな?」と聞くではないか。「香港人」と思われたのは初めてだ。予想外の質問に思わず目を丸くしてしまった。私が驚いたので、「あれ? 違うの? じゃぁ、日本人なんだね」と1人で勝手に正解を出す。





いままで、タイの田舎街を歩いていてタイ人と間違われたことは何度かあったが、“観光地” では日本人と思われないことはなかった。なぜ彼は私が日本人だと一目で分からなかったのか? 聞いてみた。





すると、彼いわく、「そりゃ、 “日本人” は色が白いし、みんな若いからさっ」、だ……そうだ。つまり、私は「色は黒いし、若くないから」 “タイ人” か “香港人” だろうと思ったってことか。ほほぉ。嬉しくってしょうがないってな笑顔で話していた彼の顔から一瞬にして笑いが消えた。「はっ」と彼の心の声が聞こえるようだった。気づいたな? 今自分が何を言ってしまったか、気づいたな? ほほぉと大きく頷く私の眉間あたりに不穏なものを感じ取ったか? 彼はかすかに身を引き、「え~と、それで、サメット島は何日目?」 などと話題を転換してきやがった。ふっ。





ボーイ君、率直なご意見、ありがとう。しかし、これにはかなりショックなものがあったぞ。そうかぁ、彼から見たら若くないんだなぁ、と感慨深いものもあった。 「色の白いは七難かくす」 と幼い頃から慰められてきた私であったが、もはや最後の頼みの綱の 「色白」 でさえなくなったようだ。しかし東南アジアを3ヶ月近く旅しただけで、そんなに黒くなったかしらん? ( 「年とともに色素が沈着するんでしょ」 と、夫が聞いていたら言いそうだ。)





彼は23歳だという。丁度今日からこの宿で働き始めたのだという。昨日まで、アオ・ハー・バンガローに勤めていたのだそうだ。そこは白人客が多く、落ち着いた感じで、我々が何度か交渉しに行った宿だ。昨日も一昨日も、満室で全く泊まれなかった人気のバンガローじゃないか。いい宿にいたんじゃないの。どうしてそこをやめて、こちらの “団体さんバンガロー” になんかに職場を替えたの?





聞くと、 「2年の任期」 が終わったのだそうだ。任期ごとに色々な宿を渡り歩くらしい。ボーイ修行でもしているようだ。 「そりゃ、大変だね」 と言うと、 「いい仕事だよ」 と嬉しそうに言う。島で何年間かボーイをして、お金を貯めてバンコクに戻るのだそうだ。これだけ観光客からボッタクれば、いい給金も出るのだろう。やれやれ。





ホワイト・サンド・リゾートの宿泊客は、香港の人が多いという。それ以外は、 「裕福な一部のタイ人。ほんの数人、欧米人と日本人」 といったところらしい。私は中華系タイ人かと思っていたが、香港の人たちだったのだ。羽振りがいいはずだ。最高紙幣の1,000バーツ札も、軽く右から左へポンポン払って行くわけだ。





正直者のボーイ君は、白人客ばかりのアオ・ハー・バンガローにいたから、英語も流暢なのか。タイ人、香港人ばかりのホワイト・サンド・リゾートに来て初日のせいか、フランクな彼は多少他の従業員から浮いているようにも見える。でも彼ならきっと、 “香港人のような日本人女客” を話の種に、すぐに仲間と和気藹々、仲良くなることだろう。





さて、今日は7月7日(土曜日)。来週の月曜日から仕事があるバンコクのビジネスマンは、今日あたりバンコクに帰るのではないか? タイのゴールデンウィークももう終わり! でしょう。今日こそどこかにましな空き部屋が出るはずだ! と今日も宿探しをする。つまり我々は3泊4日のビーチリゾートに来て、3日も宿探しをしたわけだ。





私はサメット島まで宿探しにきたようで、もう宿探しなんてやめたかったが、夫は今の宿がどうしても納得できないようで、宿替えを主張する。





で、まぁ、冷やかし半分、散歩する気持ちで夫について歩く。少し離れたところにある宿のバンガローが一つ空いていた。一泊400バーツ(約1,100円)。それでも高いが、一泊800バーツ(約2,200円)払っている今の宿の半額である。部屋の内容は大差ない。タイ式トイレと水シャワー、じっとりしてゴミっぽいシーツ。床がタイルでなくビニールが敷いてあったのは、さすがに400バーツの差というところだ。ほら、400バーツ、浮くんだよ。夫は満足気である。はいはい。根性のヤドカリ。宿探しの達人と呼んであげよう。





早速宿替えして、ビーチに繰り出す。この「ビーチに繰り出す」というフレーズだけが、唯一ビーチリゾートに来たからこそ言えるひとことだ。





しかし繰り出したビーチはドンヨリ曇っていた。今にも一雨振り出しそうだ。風も相変わらず強い。海は青ざめて、冷え冷えと波立っている。海に入ったら寒そうだ。海から出たら、なお寒そうだ。ヨーロッパ行きを目前にして風邪など引いたら大変だ。とりあえず、ビーチに面したカフェでお茶をして、さて、海にでも入らなければ他にすることもない。





そこで我々のバンガロー群の区画の浜辺をずっと歩いてみた。砂浜は実に心地よい。砂の肌理(きめ)が細かいのだ。砂浜は、よし。これで風がもう少し優しく吹いて、波がもう少し穏やかで、お天気がもう少しよかったら、そして、もう少しまともな宿があったら、ついでにもっと美味しい食堂があったら、おまけにもっと物価が安かったら、サメット島もいい島だったのになぁぁぁ。





私のため息など、つくそばから海風に吹き飛ばされる。タイ人や香港人、白人たちは寒さなど気にしないのか、平気で海に入って大はしゃぎしている。ビーチリゾート、してるね。寒くないのかっ、きさまらっ!





逆切れしても、サメット島はサメット島なのであった。


 


             つづく

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2001年夫婦世界旅行のつづきです。タイ湾に浮かぶ国定公園の島、サメット島の「ビーチリゾート」生活は2日目を迎えました。うきうき気分でやってきましたが、サメット島にすっかり憂き憂きな二人でした。


 



 


part104 サメット島で憂き雨季!(サメット島2日目)


 



 


タイの東側は、7月は雨季らしい? 連日お天気悪し。曇っては雨、曇っては雨、時々申し訳程度に日が射す。(そうと知っていたら、来なかったのにぃ。)


 



 


今日7月6日 (金曜日) はタイの祝日だそうだ。「仏陀の日」とかで、オフィスなどは昨日の木曜日から休みにしてしまうところが多いようだ。つまり、タイの人にしてみれば絶好の連休なのである。タイのゴールデンウィークといったところか。宿がどこも予約で一杯なわけだ。(そうと知っていたら、来なかったのにぃ。)


 



 


昨日は島に着いてから延々宿探しをしたが、今日も今日とて、朝から宿探しをする。島の小道をうろついて、島から帰っていくバックパっカーを見つけては、彼らがさっきまで泊まっていた宿の部屋が空いたはずだと、掛け込んでみるのだが、結局 “予約” が優先されるのだった。この時期に予約なしで来たのが致命的だったようだ。結局移れる宿も見当たらず、同じ宿に連泊の手続きに戻り、 “今日の宿探し” は諦めて、あとは海を満喫することにした。


 



 


曇っているくせに、ひと歩きすると汗だくになる。どこを歩いていても、湿っ気ていて蒸し蒸しする。なんて湿っ気た島だ。風がびゅーびゅー吹くのに湿気っているのだ。空も風も海も、バンガローも、シーツも網戸も、網戸につっこまれた “トイレットペーパーの栓” も、木々も、ベンチも、あらゆるものが湿っ気ている。島そのものが湿っ気ている。(そうと知っていたら、来なかったのにぃ。)


 



 


我々の宿の前のビーチは風が強く、波も高く、まるで “土用波” (日本の太平洋岸で夏の終わりにうねりを上げる荒々しい波) を見るようだ。あるいは、怒涛の日本海だ。少し先の方のビーチは、比較的静かである。足を伸ばしてそちらの方で過ごすことにする。


 



 


ビーチチェアを借りて、やれやれとひと心地ついていると、ぽつり、ぽつり。大粒の雨が降り出した。風がザザザと椰子の葉を唸らせ始めた。これは来るぞ! 慌ててビーチチェアを畳む間に、ボッボッと大きな音を立てて、大きな雨粒が砂浜に大きな染みを落とし始める。撤収ーっ。カフェに撤収ー。


 



 


島のバンガローはどれもカフェレストランを併設しているので、カフェレストランには困らない。(美味しいところはないのが玉に傷だ。) 雨宿り客でごった返すカフェの中は、ほとんど白人で占められている。店の方も白人仕様。大画面TVで英語の映画を大音響で流している。ゆったりとした大きな椅子は、数も少なく、多くの駆け込み客は席につけずにそのまま立っていた。ビールやコーラを片手に立ったまま画面に見入っている。雨はなかなか降りやまなかった。しびれを切らせてカフェを出て行く客もおり、しばらくすると席も空いた。我々も席に着いて、ようやくビールで乾杯。


 



 


雨宿りで、サメット島の1日が終わった。(そうと知っていたら、来なかったのにぃ!)


 



 


海を堪能できなければすることもなく、宿でぼんやりする。ホワイト・サンド・リゾート。白い砂浜がまぶしいほどに美しいサメット島にあるホテルとしては、ぴったりのネーミングではある。コンクリートの大きなホテル本館の他に、バンガロータイプの客室がたくさん設けてある。収容人数はかなりなものだろう。


 



 


団体さんが一丸となってバスで到着したかと思うと、ガイドさんの言うがままに大食堂でぎゃーぎゃー食事をして、ぎゃいぎゃい海でひと暴れしては、帰っていく。大きな鳥の群れがやってきては餌を啄(つい)ばんで水浴びして飛び去っていく感じ。慌しいことこの上ない。「サメット島日帰りツアー」の一団なのだろう。 (彼らは後に香港人集団と判明。香港人はタイ観光の “上得意” 様らしい。)


 



 


今日、我々の隣の部屋に泊まっていた、タイ人女の子2人組みがチェックアウトした。すると “掃除特攻隊” と呼びたくなるような女3人がさっと現れた。バンガローの裏でいつも待機しているのか? 掃除の隙を狙っていたのか? と思うくらい間髪(かん・はつ)を容(い)れぬ登場だ。この彼女たちの “やっつけ掃除” がなかなか見ものだった。


 



 


1人は箒、1人はモップ、1人は新しいリネン類を小脇に抱えて、3人が入り口にザッとサンダルを脱ぎ散らかして部屋へ突入していった。どことなく道場破りにきた素浪人3人衆のようだ。刀を掃除道具に変えて、肩で風切って乗り込む風情だ。


 



 


3人が突入したかと思うと、ぽいぽいぽいっとゴミが部屋の外へ放り出されてきた。空になったペットボトルだの、空き缶だのが飛んで出てくる。部屋がゴミを吐き出しているようだ。シャッシャシャッと箒の音も勢いよく、細かいゴミ屑が外へ外へと掃き出される。「塵取り」で受けるなんてことはない。鬼ではないけど、「ゴミは~外っ」って感じである。どうやらゴミは外へ掃き捨てるものらしい。入り口に脱ぎ捨てられた女3人衆のサンダルの上にも、掃き出されたゴミが容赦なく積もっていく。


 



 


“箒人” は部屋の奥から順に掃いてきて、入り口までくると、そのまま廊下になっているテラスの部分まで掃く。おいおい。部屋の中を掃く箒で、そのまま外も掃いちゃってるの? 脱ぎ散らかしてゴミにまみれている自分たちのサンダルも一緒に掃いていってしまう。自分たちのサンダルがゴミと化してゴロンゴロン掃き転がされていく。有無を言わさぬ掃きっぷり。そして、一通り気が済んだのだろう、その “箒人” は掃き寄せられたゴミの中から自分のサンダルを摘み上げると、砂や塵を足先で軽くはたき落とし、そのまま履いて、箒片手にすたすた去っていった。掃き散らかした他のメンバーのサンダルなど知ったこっちゃない。


 



 


唖然と見ていると、もう1人、部屋から出てきた。掃き捨てられたゴミの中から、ペットボトルなど目につく大きなゴミを薄汚れた厚手のビニール袋に手早く回収していく。一通り拾い集めると、細かいゴミの中にひっくり返っている自分のサンダルを足で掬い取り、そのままつっかけてすたすた去っていった。


 



 


3人目が出てきた。 “モップ人” だ。床をモップで拭き拭き、入り口まできたかと思うと、これまたそのまま同じモップで外のテラスをぺろりと一拭き。おいおい、外も中も同じモップで拭いちゃっているのかい。交換したらしいリネン類を小脇に抱えている。シーツなどはちゃんと交換しているらしい。彼女もサンダルが埃まみれになったことなどお構いなしで、ひっくり返ったサンダルを足先で器用に再びひっくり返し直し、そのまま履いてすたすた去っていった。


 



 


ほんの5分ほどの出来事であった。掃除女3人衆。箒人、ゴミ回収人、モップとリネン人。それぞれがきっちり自分の仕事だけをやって、とっとと消えていった。呆気にとられたと言うべきか、堪能させていただきました、と言うべきか。必殺掃除人! 次なる部屋の掃除の命を受けて、椰子の葉陰に消えて行った……のであろうか。彼らの去った後には、掃き出されたゴミがテラスの隅に残るばかりであった。


 



 


(余談だが、この後、颯爽と次の仕事へと出かけていったかに思われた彼女たちは、先ほどのバンガローの裏の植え込みの影で、地面に座り込んでお菓子を食べていた。ホテル中の部屋を掃除しているわけではないらしい。自分の担当のバンガロー以外は我関せず、なのかも知れない。彼女たちは一日に一体何分働いているのだろう。)


 



 


彼女たちが掃除している間、トイレやシャワールームを洗う水の音などは一切しなかった。洗剤の類も一切持っていなかった。多分、ベッドのシーツなどを交換して、床を掃き、モップでカラ拭きして任務完了! なのだろう。交換したタオルやシーツでそこら辺をちょいとは拭いているのかもしれない? これで800バーツだ、1,500バーツだと客から取るのだから……儲かってしかたあるまい。しかし掃除女衆はいくらで働いているのだろうか? おそらく微々たるお給金なのだろう。だから極力手を抜くのかもしれない。要は、迅速に、とりあえず部屋を設えておけばよいのだ。一度泊まった客がまた来ようが来なかろうが、一晩でざっくり儲かるのだ。泊まった客が 「こんなところ、二度と泊まるもんか!」 と怒って帰って行ったとしても、何も知らない客が、予約もせずに困って飛び込んでくる客が、次々にやってくるのだろう。はぁぁぁぁぁ。


 



 


なにはともあれ、サメット島の白い砂浜の砂が、文字通り床にもベッドのシーツにも積もっている宿、ホワイト・サンド・リゾート。その名に偽りはないのであった。


 



 


追記1: 日本に帰ってきてから、一体あのサメット島は何だったのだろうか? とインターネットで検索してみたら、豪勢なリゾートホテルがあるらしいということが分かった。その実態はわからないが、掲載されている部屋の写真を見ている限り、なかなかご立派そうだ。我々はどうしようもない “ぼったくり” 安宿地域に行ってしまったのかもしれない。 (しかし、他の客は特に不満そうな様子もなく、みな楽しげにリゾートライフをエンジョイして帰っていっているようだった。)


 



 


追記2: ちなみに7月初旬は、サメット島は「雨季」ということではないらしい。確かにタイの雨季は生半可な雨ではないので、雨季の頃と比べれば、 “かわいい” 雨なのではあるが、毎日毎日、降っては曇り、降っては晴れ。波は荒い。風も荒い。もうサメット島なんて、行くのはやめ(っ)とこー! と思った私であった。寒いし、暑いし。


 



 


             つづく


 


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2001年夫婦世界旅行のつづきです。タイ湾に浮かぶビーチリゾートの島、サメット島。ガイドブックでちらりとその名を見つけて、バンコクからツアーバスに乗り込み、ボートに乗って、やってきました。地図はなし。でもビーチで日がな一日のんびりリゾートするつもりだから、問題なし。と、安易に何も考えず来てしまった島でした。


 



 


part103 サメット島で、宿がない!?(サメット島1日目)


 



 


強風と高波の中、右に左にダッパンザッパン揺れながら、ボートは進んだ。30分ほどだろうか、全身に波を浴びつつ、いよいよサメット島に着く。


 



 


ガイドブックもなく、宿泊所の所在もわからない。一緒のボートだった人々が皆ソンテウに乗り込んで、○※#バンガローに行くと言うので、地名もろくにわからない我々は、とにかく皆と一緒に宿のある辺りまで行くことにした。


 



 


ソンテウが走り出したと思ったら、検問所のようなところで止まった。島のポリスらしき男が控えている。我々観光客に “国定公園入島券” の提示を求めて来たのだった。おお。ここで “入島券” を持っていなければ、 “ボート乗り場の2倍の料金” を取られるわけか? (part102参照) 実際に2倍になるかどうかは確認できなかったが、既に求めてあったぴらぴらの “入島券” を見せて、無事通過。


 


   


 


かなりでこぼこした細いアスファルトの坂道をしばらく走る。やがてぽちぽちとバンガローが現れてきた。タイ人らしい若者たちはホワイトサンド・リゾートという大きなバンガローホテルの前で降り、ぞろぞろと広大な敷地へ入って行った。どうしよう。我々もここで降りてみようか? しかし、 “団体さん歓迎” のバンガローのようなのでやめておこう。


 



 


さらに少し走って、やがてアスファルト舗装も途切れたとあるバンガローの前で白人たちが全員降りたので、我々も降りてみた。細い道の一方は海に面しており、一方は山の斜面を切り開いたようにバンガローが並んでいる。白人たちはすでに宿が決まっているようで、迷う様子もなく、それぞれのバンガローへと散っていった。


 



 


さて、我々はぶっつけ本番で宿を探そう。目に着く所から尋ねていった。すると、どこも「もう満杯だ」と言って、部屋さえ見せてもらえない。見せてもらえた所は部屋もトイレも薄汚く (しかも“手びしゃく”トイレ) 、そのくせ宿泊料が高い。とても泊まる気にならなかった。


 



 


一区画を一通り歩いてみてろくな宿がないので、最初タイ人団体さんが降りて入って行った宿まで行ってみることにした。宿泊料金が高そうに見えたが、この際、多少高くてもよかろう。


 



 


そこはやはり団体客で異様に賑わっていた。不思議なことに白人が全くと言っていいほどいない。客は皆、タイ人に見える。タイ人ご用達の宿なら安かろうと思うと、なんとそこが一番料金が高く、一泊1,500バーツ(約4,200円)だと言う。


 


他の宿の2倍、3倍の高級バンガローなのであった。そんな高い所に泊まっていられるかいっ。


 



 


宿などいくらでもあるだろうと思っていた我々の甘さを嘲笑うかのように、宿はとんと見つからない。細い道をくねくね、バンガローはあちらこちらにあるのだけれど、よさそうな所はどこも満室。明日も明後日も予約で一杯だって? どうなってるんだ? 


 



 


(これは後に、丁度タイのゴールデンウィークとも呼べるような連休に当たってしまったことが判明。ああ。そうと知っていたら、こんな島に来なかったのに……。迂闊だった……。)


 



 


宿がない! 宿探しに疲れ、気持ちも焦ってきた10何軒目かのバンガローに入っていった時のこと。そこはなかなかいい宿だったが、満員だとやはりそこでも断られ、がっかりして出てきた所、その庭に面したカフェテラスに、見覚えのある男が1人。さっきのイーzzzzおじさんだ。予約をしてあったのだろうか。彼はその宿に投宿できたらしく、すでにアロハに着替えて、ゆっくりお茶をしているではないか。


 



 


おじさんは我々を見かけると、自分がリラックスしているせいか、既に顔なじみになったせいか、今度は随分うちとけた感じで、手を高く振って、声を掛けてきた。さっきの陰鬱な雰囲気はどこへやら、だ。


 



 


しかしこちらは、1歩も2歩も出遅れ、その宿も「さっき満員になってしまった」と断られたばかり。次なる宿を探さねばならず、ゆっくりおじさんと話している場合ではなかった。残念ながら、挨拶もそこそこに、またおじさんと別れたのであった。


 



 


ユダヤのおじさん。一体どうして一人でサメット島などに来ていたのだろう。ゆっくり聞いてみたかった。(「だから、 “休暇” でしょ。(part102参照)」と、夫。つれない合いの手、いつもありがとう。)


 



 


もうどこに行ってもろくな宿が見当たらない。つまり、サメット島には、バンガローかバンガローに毛が生えたような物しかなく、ホットシャワーなどというものは存在しない。水洗トイレは存在しない。散々歩き回って疲れていた我々は、もはや思考力を失い、さらに宿探しをする気力もなく、 “空き” のある例の “団体さんご用達” の馬鹿高いバンガローに泊まることにした。


 



 


さっき聞いた時は、一泊1,500バーツ(約4,200円)だと言っていたが、今度は1,500バーツの部屋は空きがなくなってしまって、800バーツ(約2,200円)の部屋ならあると言う。800でも、他のバンガローは大抵400~500バーツ(約1,100円~1,400円)だったことを考えると、破格に高い。そのくせ、特別清潔でも格別綺麗でも近代的でもない。しかし、うろうろ迷っている間に他に泊まれる部屋がなくなってしまったのだから、そこに泊まるしかない。も~、どこでもよいから、泊まれる所に泊まってしまおうっ! かくして、800バーツというカオサンの2倍ほどの高級 “ボロバンガロー” の部屋を取った。


 



 


案内されたのは、一軒のバンガロー。ワンフロアーを、竹で編んだ壁で2部屋に区切ってある、その片方の部屋だ。隣はタイ人らしいの女の子が2人、泊まっていた。


 



 


10畳ほどの部屋にワン・ビッグ・ベッド。小さなワゴンが一台。そのワゴンに壊れて取り外さた扇風機の金網が置かれている。窓の網戸にはあちこちに大きな穴が空いている。先客の “修繕” の跡なのか、ところどころ、千切って捻(ひね)ったトイレットペーパーの “栓” がその穴に詰められている。ゴミ箱もない。シーツは砂混じりのチリが積もって、触るとジャリジャリッと音を立てる。 (ベットにいながらにして砂浜が体感できそうではある。) 染みも点々と付いている。結構不潔である。とても「リゾート」という雰囲気ではない。


 



 


おまけに朝の8時から夕方6時頃まで電気が来ない。 (夫いわく、さっき見てきたバンガローの中には、電気は24時間通じるという所があったので、この島全体で電気がこないなんてことはないはずだ。このホテルが意図的に電気を止めているのだ! と言う。) これで800バーツなんて、カオサン通りではありえない。実態に合わない法外な料金に、改めて気分を害する。


 



 


昼を食べ損ねていたので、早速宿のレストランに行ってみた。レストランはやたらに大きい。屋内レストランと、ビーチに設けられた屋外レストランとあり、広々してはいるが、ずらりと並んだテーブルを見ると、 “団体さん” の騒がしさが思いやられる。食事もうまくない。「海の幸」らしきものもない。


 



 


売店に行ってみると、飲み物もスナックもタバコも、これまたカオサンの2倍近い値段だ。いくら「島は物価が高い」と言って、それはないだろう!? という感じ。


 



 


島は特にどうと言うことのない、田舎の島だ。海は湘南よりは綺麗だが、 “エメラルドの温泉” のようだったラン島の海ほど美しくもない。 (ラン島とはパタヤからボートで行ける、同じくタイ湾に浮かぶ小島である。)


 



 


砂浜だけは美しかった。真っ白で、さらさらしているのだ。きめ細かい白砂が波に洗われて光ると、まるで大理石の浜辺のようだった。しかし砂浜以外、我々の心を癒すような、「リゾート」という名にふさわしいものは何もなかった。


 



 


島を一周するように海岸に沿って未舗装の小道が伸びている。ところどころアスファルト舗装もされているこの道が、島の幹線道路らしい。起伏が激しい上に、路面もでこぼこで、実に歩きにくい。その細い道を、ソンテウやバイクは黒い排気ガスを吐きながら爆音を立て、バッコンポッコン砂埃を巻き上げて始終行き交う。所々下水臭い。バンガロー群は多少小綺麗な外観を呈している所はあっても、結局どれも “掘っ建て小屋” なのであった。


 



 


夕方、どこか外のレストランにでも行ってみようと島の小道へ出ると、あたりはもう真っ暗。街灯もないデコボコの道はかなり危険なのであった。宿のレストランにはもう一度入る気もせず、かと言ってよそへ足を伸ばすには夜道が危うく、結局宿の売店でスナックを買って部屋に戻る。


 



 


部屋に戻って、ザラザラなベットの上で、ポテトチップスと缶ビールをちびちびやる。なんともささやかな「ビーチリゾート」初日の “サメット・ディナー” であった。うぅ。窓の金網につっこまれたトイレットペーパーが、海風を含んだ闇を背に白々と眩しい。ワゴンに転がっている扇風機の金網がさみしい。竹茣蓙のような柔らかげな壁が、蛍光灯の明かりを吸い取っていくようだ。波の音は、聞こえない。海は沈黙している。


 



 


どしん、ばたん。きゃーははははっ。隣のタイ人女の子たちのはしゃぐ声が響く。……楽しんでる? 彼らは「ビーチリゾート」している? ……なぜ、できる? 寄せては引いていく楽しげな笑声を聞きながら、「リゾート」ムードからすっかり取り残されている我々だが、これも、また、旅の一興。サメット島、タイでは「ビーチリゾートとして有名」な島よ……。


 



 


……………………。でも、やっぱり、言いたいっ。何なんじゃっ、この島はーーーーーっ! 酔いにまかせて叫ぶ私に、「あなたが行きたがったんでしょ。」 ……夫である。呟くのである。白々と、網戸のトイレットペーパーよりも白々と。返す言葉もなく、「へへへっ。乾杯っ!」と再び缶ビールで乾杯を促す妻であった。)


 



 


           つづく


 


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