2001年夫婦世界旅行のつづきです。バンコクに到着して2日目。まず、するべきことを、とっとと済ませます。

part92 カオサンロードの安宿探し!

 今日の予定は、まず、とりあえずもう一泊する今の宿の部屋を、1階から2階に替えてもらうこと。次に、マーブンクロンの眼鏡屋で、昨日注文した私の眼鏡を受け取り、旅行保険の書類にサインをもらうとこ。そして、これからのバンコク滞在は、世界周遊に向けて色々準備に費やすためのものなので、格安チケットが手に入るというカオサン通りに腰を据えるべく、カオサン通りの安宿を探すこと! 小さな移動が多いが、すべきことは、大したことない。

 昨日のうちから部屋替えのことは頼んであったから、朝9時頃、フロントに行くと、部屋の準備がまだできていないので、12時前まで待てと言う。12時? そんなに待っちゃいられないよ。こっちは、とっとと部屋替えを済まして午前中にはマーブンクロンで用事を済ませたいんだ。「すぐに、部屋は整うね。部屋の準備ができたらすぐ呼ぶから。」「10時くらいまでにお願いできない?」「あー、はいはい。」という従業員の言葉に、とりあえず、待つ。

 いつでも部屋を移動できるように、こっちは引越しの準備をしてじりじり待っていたが、11時半を過ぎても一向呼びに来ない。待ち切れず、荷物をまとめてフロントに行くと、宿を出て行かれると思ったのか、慌てて2階の部屋を見せてくれた。準備は遠の昔に出来ていたのだ。それなのにすぐに呼びに来てはくれなかったんだ。どうも、この宿は、日本人が経営しているには、胡散臭い。だらしがない。心象すごぶる悪し。そもそもまだ「日本人経営者」なる人にお目にかかっていない。本当に、いるのか? ……あやしい。

 2階の部屋は、同じ値段なのに1階の部屋より広かった。おまけに1階の部屋とうって変わって、静かである。風通しも良い。よろしかろう。部屋替えに時間を取られて、今日のスケジュールが随分ずれ込んでしまったが、ま、しようがない。ゆるゆる行きましょ。

 宿を出るとき、フロントに日本人の男が座っていた。おっ。本当にいたんだね、日本人経営者。我々の俄かな安心感は、しかしすぐに消え去った。なんだか、暗い男なのだ。年の頃は50歳前後の、ごく普通の、痩せた中年の男なのだが、表情が暗い。挨拶が暗い。日本語で我々が話しかけても、彼には日本人に会ったという喜びがない。日本語を話すことへの喜びが、ない。どこか疲れて、投げやりな表情だ。笑っているのに、それがただの顔の歪みに見えてしまう、そんな笑顔なのだ。どうも、嫌な感じだ。……やっぱり、あやしい。

 あやしい主人とは話も続かず、そそくさと大通りに出る。路地の美味そうな辛そうな屋台飯から目を離そうとしない私を、夫は犬でも追い立てるようにせっつくのであった。うるさいなぁ。歩けばいいんでしょ。

 少し歩くと、大きなバス停がある。ベンチまで付いているバス停である。表示らしきものもある。人々が “バス待ち顔” で待っている。バスが後から後からやってくる。「これがバス停だ!」とわかる嬉しさ! 久々の感覚である。ラオスやタイ北部の田舎町では、街から街へ移動する際のバス停はそれとわかったが、途中の小さなバス停などは、なかった。乗り降りする人がいれば止まるというわけでもなかった。何を目印にバスがとまるのか、とんとわからなかったものだ。

 サイアム・スクエア方面のバスに乗り込み、サイアム・センターがバスの窓から見えてきたら、降りる。で、「東急」目指して歩いていくと、巨大アミューズメントパーク的ショッピングセンターのマーブンクロンに着く。マーブンクロンの中には眼鏡屋が3、4軒入っており、昨日入った店がどの店だったか、わからなくなってしまった。どこも似たような店で、似たような店員だ。ここだったかな~? と思われる店先には、昨日見かけた店員がいない。メンバーが替わっているのかもしれない。こりゃ、困った。が、注文書の「控え」があった。おお。これこれ。と、取り出し、店の名前を初めて知る。で、店の名前を確認したからには、自信を持って、その店に入っていく。「控え」を差し出すと、昨日の見覚えのある店員が奥から出てきた。やっぱり、ここでよかったのだ。改めて、ほっとする。

 しかし、昨日の今日で果たして眼鏡はできているのだろうか。私の目は相当度が悪いので、日本でもすぐにはレンズが入手できず、1、2週間待たされることがあった。このタイで、はたして同じレンズがすぐに入手可能なのだろうか?

 私の不安をよそに、約束通り、眼鏡は出来ていた。壊れたものと同じ番号のレンズだということだが、久々に掛けるせいか、掛けた途端にぐらっと視界が歪んだ。おえ、おえ。しばらく掛けていても、細かい字などあまり鮮明に見えもしない。しかし、「以前のレンズ自体が私の目に合わなくなっている」という向こうのご忠告を、頑迷に捻り伏せての注文なので、今さら、「よく見えないじゃないか!」と文句も言えない。「老眼」を拒否した以上、これで、いいのだ。とにかくなんとか見えるのだから、これで、いいのだ。眼鏡一つ新調して、1,000バーツ(約3,000円弱)。安い。眼鏡はバンコクで買うに限る。 (アフターケアが付いていないけれど。)

 旅行保険のための書類のサインを頼むと、「ボスが今日まだ来ていないので、だめです。」と言う。なぬ? 「今日サインをもらえる約束だったでしょ。ボスでなくても、あなたが書いてくれれば、いいですよ。」と押して頼んでも、「ボスでなければ、だめなのです。明日は必ず、ボスが来ます。」ということで、結局、明日も眼鏡屋に足を運ばなければならなくなった。またもや、スケジュールがずれ込んでしまう。ま、まぁ~、しようがない。ゆるゆる行きましょ。眼鏡が手に入れば、とりあえずいいのだ。

 マーブンクロンにはフードコートも入っている。フードコートとは、東南アジアにおいては貧乏旅行者の頼もしい味方、大衆食堂である。安くて、(大抵)うまい。で、早速そこでお昼を取ることにした。フードコートのあるフロアーは、日本で言えば、デパートの最上階(?)、「お好み食堂」に似た賑わいである。

 フードコートの入り口に、デザートや果物、お菓子を売る店も軒を(正確にはワゴンを)連ねている。で、その中のデザート屋さんで、プリンのような容器に入ったバニラババロアのようなものを買ってみた。20バーツ(約56円)なり。蓋を開けてよくよく見ると、なんだ、ただの豆乳だったか? と思うのだが、それは豆乳がたっぷり入った半熟(?)豆乳ババロアのようなものだった。ジューシーで美味。辛うじて形を保っているババロアをそぅっと一匙口に運ぶと、ひんやりとした仄かな甘さが、プルルルンと喉を滑り落ちて行った後、口の中に静かに豆乳の甘い香りが漂う。豆乳独特の “大豆臭さ” が全くない。健康にもよさそうだ。美味しいデザートに巡り合ってしまったなぁ。

 フードコートで腹を満たし、美味しいデザートにも出会って、すっかり気をよくしたので、ちょっと気が大きくなる。で、同じくマーブンクロンの中に入っていた喫茶店でお茶をすることにした。マーブンクロンの中にある喫茶店はおしゃれだが、どこも高いのだ。

 日本でもパン屋としてお馴染みの、アンデルセンに入ってみた。焼きたてパンの軽食とお茶を出す店だった。当然、焼きたてのパンが “売り” であるようだが、メニューにはタイ料理もあった。なかなか美味しそうではあったが、我々はもうお腹は一杯だったので、コーヒーだけ頼んでみた。

 久々に一点のシミもない陶器のコーヒーカップ。インスタントでないコーヒーの香りに、一息ついていると、夫の背後のテーブルにいた男が、我々をちらりと見て、席を立った。かと思うと、いきなり我々のテーブルに覆い被さるように腰を屈めてすり寄って来た。で、臭い息で、「私、日本人なんですけど~。大阪とか近江とか、どこにあるか知りません? ほらぁ、マッサージですよ。」と言う。

 「オオサカ」「オウミ」? そんなマッサージ屋は知らないと二人で首を傾げていると、夫の方にテーブルの下の方で何やら手でサインを出して、「これ。これだよ。いわゆるソープですよ。知らないの? そういうとこ、行ったこと、ないのぉ?」と急に下卑た調子で「マッサージ」の真相を語り出した。「ソープ」が石鹸のことではないことくらい、私だって知っておる。連れの女性である私を前に、夫にソープマッサージのことを語り始めるとは、なんて失礼な奴だろう。まして、男ならそういう所に行っているのが当たり前という風に語りかけてくる。実に下卑た不愉快な奴であった。毛穴から腐れた人間の臭気が吹き出ておる。爛れた人間性が廃油のようにどろりとその顔面を覆っておる。えげつない言葉は歯糞に塗れ、細く笑ったような薄汚い目は、視野狭窄を起こして、黄色く濁っておる。寄るんじゃねぇっっ!

 夫から情報が得られないと分かると、その下世話野郎は礼もそこそこに、さっさと席に戻っていった。私の激しい憎悪と軽蔑を込めた抗議の睨みなど、その掃き溜め野郎にはむしろ鼻白むもののようだった。怒り収まらず、見るとその脱糞野郎は妻らしい日本人女性(多分)を連れているではないか。どういう神経をしているのか? わからん。非っ情ーに不愉快! 

 10歳にも満たない少女を当たり前のように買う日本人男性をカンボジアで目撃したという話を、ヴェトナムで耳にしたが、日本人男性はどうしてこうも下卑た変態野郎が多いのか! 情けなくなる。東南アジアで、性風俗にうっほうっほ血道をあげる品性下劣な、獣(けだもの)日本人。憤慨する私に夫は、「売る方もいけない」というようなことをよく言うが、私はやはり買う奴が一番いけないと思う。断然、そう思う。買うんじゃねぇぇっっっ!

まったく、折角の “豆乳ババロア気分” が台無しだ。が、あんなゲス野郎に気分を壊されているのも片腹痛い。とりあえず、記憶の中から、抹殺。

 次は、いよいよ本日のメインエベント、カオサン通りだ! 安宿と格安チケット販売店の下見である。まずは、カオサン通りまでバスで辿り着くことが、第一関門である。

 バンコクは、ノン・エアコンのバスならば一律3.5バーツ(約10円)で利用できる。 (後日、ノン・エアコンで5バーツ、約14円かかるバスもあることが判明。わけが分からない。バスがやや小型で古いと3.5バーツなのかもしれない。)  安いもんだ。ただ、どこのバス停から、何番のバスに乗ればいいのか、どこで降りればいいのかが、わからない。タイのバス停は何かしら標識が立っているので、バス停とは分かるが、バス停に名前が付いていない。 (タイ語で書かれているのかもしれないが、我々にとってタイ語はきれいな装飾くらいにしか見えないので、気がつかないのかもしれないが。) 

 日本人による日本人旅行者のための、わかりやすいバスの路線図も売ってはいるが、安いものでも、50バーツ(約140円)。わざわざ50バーツ払って買うのもシャクだ。50バーツでバスに10回は乗れてしまうじゃないか。バスをそれほど乗りこなすわけでもなし。 (振り返ると、つくづく「シケテル」なぁと思う。50バーツくらい、コーヒー一杯分の値段だ。どうも、チェン・マイからバンコクまで1等寝台急行列車に乗ったことで、気が大きくなるよりは、よりいっそう吝(けち)臭くなったようだ。)

 カオサン行きのバスはサイアムセンターの前から47~79番のバスで行けるという情報を信じて、まずサイアムセンターまで行った。マーブンクロンからは目と鼻の先である。バス停は大抵人が屯してバスを待っているので、それと分かる。サイアムセンター前は、下校する学生達(?)であふれていた。次から次へとバスはやってくる。夕方のラッシュが既に始まっており、バスはぎっしり数珠繋ぎに並んだ車の列のはるか後方に見えているのに、ずーっとこちらに近づいて来なかったりする。あまりの渋滞に、バス停のある歩道側の車線に入ってこず、中央車線をそのまま走って行ってしまうバスもある。そんなバスには、渋滞で車の流れが止まった隙に、客達が車道に走り出て、乗り込むのである。バスが走り始めても客は乗り続ける。乗客が降りている最中でもバスは走り始める。日本ではありえない光景である。

 53番、73番とカオサンに行きそうなバスがやってきた。トロトロ走りながらほとんどきちんと止まろうとしないそのバスに素早く乗り込み、ごった返す人を掻き分け、女車掌さんを捜し、カオサンに行くか確認すると、「かおさぁぁん? 行かない。」と言う。「カオサン行きは、15番よぉ。」と言う。15番? そんな情報は聞いていない。が、ともかくどこやらに向かって走っている「かおさぁぁん? 行かない」バスから、慌てて飛び降りる。とろとろ走っている車の隙を縫って、バス停まで戻る。

 そんなことを2度ほど繰り返して、やっぱりカオサン行きは15番らしいと分かってきた。ところが、15番のバスはなかなか来なかった。バスは4、5台折り重なるように一遍にやってくるので、見逃さないようにするのが一苦労である。やがて3車線の通りは、反対方向の車線も同じ車線に組み込まれ、5車線全て一方通行状態になった。ますます車は重なり合い、バスを探すのが大変になった。

 バスを待ち始めてから50分ほど経った頃、ようやく15番のバスが第2車線を走ってくるのが目に付いた。他の乗客が一斉に車線に飛び出して行く。それ行けっ! 我々も遅れじと後を追う。

 バンコクのバスは日本のようなアナウンスもない。こちらは地図を片手に目印になる建物を必死で探しながら、バスの進路をチェックし続け、ここら辺かなという当たりをつけて降りるのである。ラマ1世通りを、15番のバスはまっすぐ進む。いいぞ。このまままっすぐ行っておくれ! と思っていると、バスはラマ一世通りを途中で折れた。おいおい、どこへ行くんだ? 焦る目に、やたら漢字の看板が並ぶ街並が飛び込んでくる。チャイナタウンだ。バスはチャイナタウンを回って、再びラマ1世通りに入った。よしよし。そのまま進め~。あれ? また曲がるの? もぅ、わけが分からなくなってきたぞ~。目を皿のようにして外を見やっていると、やがて、目安にしていた「戦勝記念塔」が見えてきた。ここらで、いいはずだよね。慌ててバスを降りた。思い通りの場所に上手い具合に降りられた。他の乗客もわさわさ降りるので、降りやすいと言えば降りやすいが、とっとと降りないと降りそびれそうだ。乗るときも、降りるときも、あたふたしてしまうのであった。

 中央分離帯を越え、渋滞の大通りを渡って、今度は2車線の狭い通りを奥へ進むと、角に少々大きな食堂が見える。そこからがカオサン通りの始まり、始まり。カオサンロードは細い横道である。通りには屋台などがそこかしこに店を開いているので、乗用車がすれ違うのにはよほど注意が必要な狭さである。うっかり歩いていると、轢かれかねない。一歩足を踏み入れると、そこはカオサンワールド。闇鍋のようないかがわしさと喧騒と気だるさと気軽さが沸き立っている。

 カオサンと言えば安宿街で有名なのだが、調べてみると、安っぽい宿ながら、どれも結構なお値段である。シャワーの水道のノブが壊れてスッポリ取り外されていたり、トイレの水が漏れ続けていたり、部屋がひどく狭かったり、洗面のシンクがなかったりと、どれもかなりの欠点があるくせに、一泊400バーツ(約1,200円弱)、550バーツ(約1,500円)もする。納得できないまま、すっかり日が暮れ、1、2個、そこそこの宿も見つけたが、なおも宿探しは続いた。

 とにかくカオサン通りには腐るほど宿屋がひしめいていた。カオサン通りからさらに路地に入った辺りにも沢山宿はあった。少しいいなと思うと、目玉が飛び出すほど桁違いに高い。おまけにそうしたホテル級の宿は、ちょっとリッチそうな西欧人か日本人の予約客で満室なのであった。

 カオサン通りは人、人、人で賑わい、ロックなどの音楽が最大ボリュームで流されており、うるさい。カオサン通りを抜けて、寺の裏側の通りへ入ってみると、かなり静かになった。その通りにも数軒ゲストハウスが並んでいたが、どれも息が詰まりそうな狭い部屋ばかり。しかも値段は最低でも400~500バーツする。水シャワーの所がほとんどである。お風呂と言ったら「お湯」を浴びることだという感覚の日本人からすると、神経を疑うことだが、お風呂で「水」しか浴びない国は結構多い。「お湯の出るシャワー(ホットシャワー)」などは、世界に誇る日本の文化の一つである。しかも、水力のたっぷりある、シャワーのあの心地よい湯の出具合たるや、まさしく、日本の誇るべき “湯の文化” の一つであろう。シャワーヘッドを作らせたら、日本人は世界一なのではないだろうか。

 あまりにもホットシャワーの宿が少ないので、水シャワーでも手を打とうかと私は思ったが、夫は水シャワーに断固反対する。水シャワー以外はいい条件の宿を見つけても、夫は「シャワーはお湯でなきゃ、だめでしょ!」と譲らない。「もう、お湯シャワーで安くていい宿なんて、ないよぉ。」と訴えても、「絶対お湯のシャワーの宿を見つける!」と、頑として首を立てに振らない。

 受付も、最初っからニコニコ、笑顔が感じのいい宿もあれば、ぶすっと仏頂面で感じの悪い宿もある。最初はニコニコ感じがいいくせに、泊まらないとわかるや、こちらの「サンキュー」の言葉に返事もせずソッポを向く、態度の変化激しい宿もある。

 夫は不動産屋の血が騒ぐのか(夫は不動産関係の仕事をしていた。)、部屋を物色することに飽くことがない。宿を見る度に、目はいよいよランランと輝き、その宿の人々の反応などを面白がり、放っておけば1日中でも宿探しをしそうな勢いであった。間取りがどうの、建蔽率がどうの、私には知ったこっちゃないのだ。よくカオサン通りの安宿を見て、そんなことを熱く語れるものだ。私の方は、朝から体調が今一つ優れないので、1日中歩き回って、日が暮れてからはメッキリへばってしまった。もう、宿なんて、どこも似たり寄ったりだ。適当なところでとっとと手を打とうや、と思うのだが、宿チェック大好き夫は納得しない。

 とうとう私が音を上げたので、ようやく「今日の宿探しは打ち切って帰る」ことになった。「明日、今泊まっているホテルを引き払って、カオサンに移動して、もう一度宿をチェックしながら新しい宿を決めよう。」って……。夫よ。まだ宿を吟味するつもりかいっ! もう、宿探しは、あなたに任せる。とにかく格安チケットを手に入れるためには、やはりカオサンに移ってきて、ゆっくり旅行代理店を選ばなくてはならない。カオサンに宿を取ることに依存はない。ああ、またバスに乗らなくちゃ。またバスから降りなくちゃ。もうへとへとである。

             つづく
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2001年夫婦世界旅行のつづきです。タイのチェン・マイから、スーパーエクスプレス (1等寝台急行列車) に乗って、一晩で首都、バンコクへ移動。定刻通り、朝日の中、バンコクに到着しました。



part91 バンコク中央駅(ほあらんぽーん駅)到着!



 翌朝、バンコクに無事到着。チェン・マイ駅は広大な敷地がそのまま露天の駅という感じだったが、バンコクでは、ホームの端は、朝日の降り注ぐ明るく広大な駅舎に繋がっていた。



 どこをどう見ても、立派な駅舎であった。たった一つの駅に一体何十本の列車が発着しているというのか? とあきれるほど、たくさんの人がざわめいていた。天井がすこぶる高い。お上(のぼ)りさん丸出しで、しばし天を仰いでしまった。人々のざわめきが天井まで立ち上って、朝日と共に駅舎全体に降り注いでくるようだ。ベンチもたくさんある。インフォメーションのカウンターもある。売店もある。



 空港にあるフライトの発着掲示板のような、黒く大きな列車発着表示板もある。カタタタタタッと大きな音を立てながら、表示がどんどん変わっていく。その度(たび)に人も動く。ベンチの人々が、アタッシュケースを掴んですっと立ち上がったり、大きな荷物をどっこいしょと抱えて歩き始めたりする。人々が時間とともに動いている。都会の風景だ。ざわめく人々の人相もがらりと悪くなった。さすがタイの首都バンコクの中央駅(Hunalamphong Railway Station ほあらんぽーん駅)である。バンコク中央駅は、バンコクの玄関口として、首都の活気をしっかり呈していたのであった。



 インフォメーションカウンターでバスのナンバーや乗り場を調べて、ホテルを探しに行こうと駅舎を出たとき、 “朝の決まり” なのだろうか、国歌らしきものが駅舎に、街に、流れ始めた。そこら辺の柵に腰掛けていた人々がすっと立ち上がる。みな姿勢を正して曲を聴いている。おおっ。さすが、タイ。王様大好きの首都である。我々も敬意を表して立ち止まり、直立不動で曲に聞き入ろう……と思いつつも、やはりまず、ホテルが先じゃ、と遠慮がちにバス停へと移動を続けたのであった。



 (基本的に、旅人もこのタイの国歌が流れたら、直立不動で敬虔に聞き入るのが礼儀である。が、因みにタイの人でも、直立不動にならず、動き続けている人はそれなりにいらっしゃった。)



 我々はバンコクに以前2度来ていた。しかし、1度目は旅行代理店主催の格安パックツアー。右も左もよくわからないまま、名所観光一辺倒の一週間ほどの短い滞在だった。 (贋警官にまんまと騙され、タイが大ッ嫌いになって帰ってきたのだったなぁ。) 2度目は、一ヶ月かけて、バスで、シンガポールからマレーシア縦断・タイ南部縦断をしたときだ。旅の終着点としてバンコクに辿り着いた。バンコクには貧乏旅行者の集まる安宿街で有名なカオサン通りという通りがある。しかし、その時は初めての個人旅行だったので、宿は少し値段の張る、しかしセキュリティーがしっかりしていそうな安ホテルを選んだ。



 カオサン通りは、ちょっと下見程度にうろついただけだった。しかも丁度「ソンクラーン」というタイ正月に当たってしまい、タイは「水掛け祭り」の真っ最中。派手に “祭り騒ぐ” 地域と特に水掛などしないという静かな地域とあるらしいのだが、カオサン通りは特にハチャメチャに水を掛け合う。



 白い粉 (多分、タロイモの粉か、小麦粉か) を溶いた水をビシャビシャ、ぴゅーぴゅー、ばしゃーっ! と掛けられまくり合う。皆が皆、小さな水鉄砲や火炎放射器のような大きな水鉄砲に矢継ぎ早に水を充填させては掛け合う。バケツに水を汲んでは、人を目掛けてぶちまける。大きな貯水タンクを積んだ散水車さえ、ドシャシャシャーッと放水しながら狭い通りを練り走る。上から、後ろから前から横から、とにかく至る所から水を浴びせられる。



 蒸し暑いタイにあって、体が冷えて、悪寒さえ走るようになる。(こんなに水が飛び交っているのに、小さな屋台の鶉卵焼き屋さんなどには、水が全く掛かっていないのは不思議だった。彼らは無差別に放水しまくっているわけではなく、水を掛けてはいけない所はちゃんと心得ているのだ。)



 こりゃ、たまらん、と喫茶店に逃げ込んでも、ゆっくりコーヒーを飲む間もない。喫茶店の店員が水鉄砲で襲ってくるのだ。やや風邪気味だった私は、冷たいから、やめて! と真剣に頼んでみたが、やめない。やめたら申し訳ないとでも思っておるようだ。もう、休んでいる暇などない。



 このままでは本格的に風邪を引いてしまう。もう限界じゃっ! かなり本気で不快になって、水と人の群れを掻き分け掻き分けカオサン通りから抜け出し、値段交渉もそこそこにツクツクに乗って帰る途中さえ、道々にはバケツ水を用意して人々が待ち構えているのだ。通りかかった我々目掛けて思いっきりバケツの水をぶちまけてくる。ツクツクのおじさんにはほとんど掛からない。しっかり乗客席を狙ってくる。



 信号で止まったとき、前後に軽トラックなどが着いたら、これもまた大変だ。トラックの荷台には水鉄砲抱えた子供たち、大人たちが、待ってましたとばかりに、我々目掛けて水鉄砲を構える。やめてけれ~っ! という我々のゼスチャーなど通じない。きゃーっはは、わはははーぁっ! 楽しげな喚声が上がり、水攻撃を浴びる。非武装の我々に、卑怯なまでの集中攻撃! うぬ。汚いぞ! しかし、奴らは楽しそうである。嬉しそうである。も~~~っ。やめてっ!



 もういい加減、ソンクラーンに沸き返る地区を出たかな……と思われた頃、ツクツクのスピードの下がる道の曲がり角に、重そうなバケツを持った父子が、地獄の門番の如く待ち構えていた。うわっ! やばいっ! 我々はも~ぅ水はゴメンだ~っ! と身を引くが、ツクツクの運転手はわざわざそのバケツ親子の待ち構える歩道の方に、ツクツクを走り寄せていく。やめれ~っ! という我々の叫びは彼らには喜びの声にしか聞こえないらしい。ざっぱ~ん。派手な音を立てて、みごとにバケツの水は余すことなく、我々の全身に命中するのであった。



 バケツの水は大抵ただの透明な水なので、カオサン通りの粉混じりの白い水を浴びて、カバンから服から靴からに付いた、 “粉染み汚れ” がたっぷり濯ぎ落とされたのであったが、化粧も日焼け止めクリームも、みんな洗い流されてしまった。眉毛まで流し落とされたようだった。



 水掛祭り。確かに楽しい。しかし、ひっきりなしに水を掛けられまくると、いい加減、うんざりする。そんなずぶ濡れにされた記憶があるので、私はカオサン通りには近づきたくないのだった。しかし、夫君はカオサン通りをいたく気に入ったようであった。



 夫は今回こそカオサン通りに宿を取りたがったが、私はできれば、ゴメン蒙りたい。で、とりあえず、日本人が経営しているという街中の安めのゲストハウス (ホワイト・ロッジ) に泊まることに決めた。日本人経営と聞くと、ついつい心強い気がしてしまう。何かあったら助けてもらえる気がする。大きな勘違いなのだが、それでも、日本語が通じるということは、やはりなんと言っても、嬉しいものだ。で、とりあえず中央駅からバスに乗り込み、日本人経営の宿へ直行した。



 タイのバスは、日本のバスのように駅名がアナウンスされることはないが、降りるとき、直前にブザーを押せばバス停で止まってくれるので、大きな交差点や、目に付くランドマーク的建物に気をつけていれば、大体降りたい辺りでうまく降りられる。



 バスを降り、大通り沿いの路地を少し奥に入っていくと、その宿はあった。しかし、狭苦しいフロントに、日本人はいなかった。妙にハイテンションの小太りなタイ人おばちゃん (日本人経営者のタイ人妻と思われる。) が受付係であった。下働きの従業員だろう、人相の悪いタイ人女性たちが、フロントの前の2人掛けの小さなソファに4、5人屯している。我々が部屋の交渉している間、その女性たちは、どろんとした目で、我々を見るともなく見ている。どうも薄気味悪い。受付を済ませて我々が部屋に入ろうとするときも、廊下を塞いでいる山と積まれた誰かのバックパックを移動させようともしない。完全にだらけている。なかなか清潔そうではあるが、なんだか感じの悪い宿である。



 宿の部屋は1階の奥で、ランドリールームの前に位置しており、従業員の出入りもしげく、通路を通る欧米人客の声もうるさく響いてくる。そもそも1階の部屋が嫌いな夫 (1階の部屋・廊下側に窓のある部屋は危険! というのが彼の持論である。) は、うるさいということで、部屋を替えて貰うことにした。しかし、2階の部屋は今日は全部ふさがっていた。明日2階の部屋に変えてもらうことを約束して、とりあえず荷物を置くと、まずは私の眼鏡を作るべく街へ繰り出したのであった。



 バンコクには、サイアムスクエアという、渋谷と新宿を合わせたような一角がある。そこら辺は建ち並ぶビルが巨大過ぎて、どこからどこまでがどのビルだか私にはよく分からないのだが、マーブンクロンという複合ショッピングモールのような巨大ビルに行けば、お値段は相当張るが、必要なものは大抵手に入る。「東急」が入っているので、とにかく「東急」目指して行けば、マーブンクロンまで辿り着くのである。日本人御用達スーパーも入っているので、インスタント味噌汁だって手に入る。



 で、まずそのマーブンクロンで、眼鏡屋を物色する。眼鏡屋は数件あった。さりげなく、店員の接客態度など窺い、一番感じのよさそうな店を選んだ。



 割れてしまった眼鏡を渡し、同じ度数のレンズで眼鏡を作ってもらいたい旨伝えると、まず視力検査ということになった。片言の英語で、「見えますかぁ?」「見えない~。」「見えますか~?」「ぼやけるぞ~。」と検査は順調に進んだ。そして、やがて検査係は、私が「ぼやけるぞ~。」と言っていた度が、私が持ち込んだレンズと同じ度なのだと言い出した。そして、それよりくっきり見える度を出してきた。「おお。こっちのレンズの方が、よく見えますぞ~。」と嬉しくなって応じると、検査係は何か、奥歯に物が挟まったようなしゃべり方で、もごもご言い出した。何ですか?



 「▼X$○△……」 何やら専門用語が出てきて、意味が分からない。聞き取れない私に、検査係は今度は優しい言葉で説明してくれた。「▲▽#●……、because you get age……」 エイジ? 私がゲット エイジだから? ってぇことは、……何ですと? 年のせい? 思わず問い直す私に、検査係は「いえ~す。」と緩い笑顔で答えてくれた。ちょっと申し訳なさそうでもある。タイでも、女性の年のことに触れるのはタブーなのだろうか。とにかく、聞き取れなかった専門用語は、どうやら「老眼」という、『大学入試・デル単』には出てこない単語であったらしい。



 ふざけやがって。私のどこが老眼だって言うんだっ! 私は今まで一度だって「老眼」だなんて言われたことないんだぞっ! (当たり前である。初めて「老眼」だって言われるときは、誰だって、そうだ。) よく見える方のレンズが、「老眼用」だというのか? よろしい。ならば、要りません。いいえ。結構。私は「老眼」なんかじゃ、なーいんだからっ。以前のものと同じ度のレンズにしてちょーだいっ。適当なこと言って、人を騙そうとしていない? タイだから、視力検査の技術が遅れているんじゃないかしら? ぼやけたって、なんだって、今までと同じレンズにしてちょーだいっ。



 息巻く私の注文を、検査係はしかたなさそうに受けた。眼鏡は翌日出来上がるとのことであった。よきかな、よきかな。



 壊れた眼鏡は旅行保険で物品損失保険が効く。眼鏡作成に掛かった料金を請求するため、店員に、保険の書類の必要事項を記入してもらわなければならない。常に書類のコピーを持ち歩いている我々は抜かりなく、その書類を差し出したが、ボスが明日来るから、その時ボスがサインするということで、今日はそのまま引き上げることにした。



 「失礼しちゃうっ!」とぷりぷり眼鏡屋を後にしたのだったが、お茶でも飲んで落ち着いてくると、もしかして、本当に老眼になったのかもしれない? と不安になってきた。まだ(?)40歳になったばかりなんですけど? 「ド近眼は老眼にならない。」って聞いたことがあるんですけど? ……それにしたって、検査係が正確に検査した結果だ。「あの店で、検査係がでたらめを言うとも思えないね。ま、あなたが老眼になったとしても、おかしくはないよね。よく見えるレンズにしてもらった方が、よかったんじゃないの?」と、夫は澄まして、さらりとおっしゃる。それって、励ましてるの? 楽しんでるの? ずーん(心の落ち込む音)。おまけに昨日のコーヒー代は1杯15バーツ(約40円)だったのに、今日はいきなり1杯60バーツ(約170円)に跳ね上がった。ずーん。



               つづく

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2001年夫婦世界旅行のつづきです。タイのチェン・マイ駅から列車に乗って、首都バンコクまで、一気に南下します。なんといっても1等寝台列車です! 贅沢です。さぞや豪華なサービスが受けられるだろうと期待してしまいました。



part90.バンコク行き一等寝台列車!    



 今日はチェン・マイを出発する。いざバンコクへ! 列車は夕方6時発。レストランでお茶したり、インターネット屋でメールしたりして、のんびりしている間に出発の時刻が近づいた。鉄道のチェン・マイ駅は、タペー門からタペー通りをまっすぐ3kmほど東に行った所にある。旧市街にあるホテルから歩いていける距離ではあるが、炎天下、バックパックを抱えて歩く元気はない。ツクツクと交渉して、40バーツ(約110円)で手を打って、駅へ向かった。



 駅には特に改札口らしいものもない。広い敷地をそのまま奥に入って行くと、地上と同じ高さの駅のホームには既に列車が止まっているが、それがバンコク行きなのか、表示もない。 (我々はタイ文字が読めないから、気がつかないだけかもしれないが。) 列車の止まれるホームは2、3箇所あるようだったが、ホームに番号も付いていない。1日に6本しかないという列車数なのだから、今目の前に止まっている列車が我々の乗る列車には違いない。車両には数字も振られていない。(もしかしたらタイ数字で振られてあったのかもしれないが。) 



 長いホームだ。長ーい列車だ。一体何車両あるのやら。で、どこが我々の乗る車両やら、とんとわからぬ。ホームのそこかしこに立っている駅員だか、人足だかに尋ね尋ね、我々の指定席を探して行く。「もっと先だ」「もっと奥だ」と皆さんはるか彼方を指差される。「まだ先かぃっ?」 えっちらほっちら、バックパックを背中に揺さぶりつつ、いつ果てるともしれない長い列車を横目に、まだかまだかと、ホームの奥へ奥へと、進む。ポーターが現れるから大丈夫! と高を括っていたが、ポーターなどどこにもいない。バックパックが肩をじんじん圧迫して、腕もうまく動かなくなった頃、ようやく目指す車両に辿り着いた。



 駅の入り口からは最後尾にあたる車両から2つ目、つまり、列車の進行方向から2両目の、客席としては1両目の車両であった。結局、長ーーいホームの端から端まで、荷物を抱え、何百メートル歩いたのだろうか? とうとうポーターなど現れなかった。



 と言うのも、とある雑誌に、とある日本人が2等車に乗った時の話が載っており、それによると、バンコク行きの列車は、「荷物は係りの者が車内まで運んでくれて♪、車内では、お代わり自由の飲み物とクッキーをサービスされた(^^)。駅員の人は皆感じがよかった(^^)」ということだった。2等でそれなら、我々の予約した1等寝台ともなれば、いかなる極上のサービスが用意されているならん? と期待に期待していたのだ。しかし、とうとう荷物など、だーれも運んではくれなかったのであった。ま、そんなことも、あるさ。



 指定席は、横170cm弱(?)、縦は座席の奥行きを含めて150cmはありそうな、なかなか広々としたコンパートメントで、2人用の完全にプライベートな空間であった。小さいながら簡易洗面所も付いている。ベットになる座席がかなり大きい。ちんまい我々は、充分足を伸ばすことができる。



 指定席に入るや、オレンジジュースをお盆に並べて、ドアの所に待機していたメイドらしき女の人が、すかさずオレンジジュースを勧めてきた。おお、早速飲み物のサービスか。本当はコーヒーがいいけれど、取りあえずオレンジジュースしか持っていないようなので、今はオレンジジュースでも頂いておくか。タイミングのいいサービスじゃのぅ。と、悦に入ってジュースを受け取った。すると、その女の人はにっこり笑って、「あなたはぁ、後でぇ、払うことがぁ、できるぅ。私はぁ、後でぇ、受け取りにぃ、来るぅ。」てなことをタイ訛りの英語で告げて、そそと去って行った。ちょっと待て。「支払う」っちゅうことは、「有料」ということじゃないか。サービスではないのか。「ただ♪」ではないのか? 「お代わり自由(^0^)」ではないのか? 「クッキー(^^)」も付かんのか? 



 我が耳を疑い、夫と、「今の女の人、ペイとか言ったよね。」とおぼろげな英語リスニング力を補足し合っているうちに、はたしてジュース代を取り立てにさっきの女の人がやってきた。我々のコンパートメントの中に入ってきて、我々が座っている座席にドカリと音を立てて座り込んできた。なかなかの巨体で、我々の座席の半分をその巨漢女性が占めてしまう。普通、客席に従業員が座るか? まぁ、フレンドリーに接しているのかもしれない。(我々を脅しているのかもしれない。) こちらから要求したわけでもなく、差し出されたから、「ただ♪」だと思ったから、「もったいない」と貧乏根性を出したから……結局60バーツ(約170円)も要らぬ出費をしてしまった。



 今度からは、誰が何を持ってきても、まずフリーかどうか確認しなくちゃね、とふんどしの紐を締め直す「健気な(?)」夫婦なのであった。



 しばらくすると、白い制服を来た男性駅員が、小さなペットボトルのミネラルウオーターを持ってきた。きたぞ、きたぞ。押し売りドリンクか? 「フリー?」と疑わしげに上目遣いに尋ねる私に、その駅員は少々呆れ顔で、それでもにっこり、「イエス。フリー。」と請け負ってくれた。ミネラルウオーターは大きなペットボトルだって、チェン・マイではどこでも5バーツ(約14円)で買えた。小さなペットボトルなら、もっと安い。それぐらいただで当然でしょうと思う。チケット代に飛行機と同じくらいの料金を払っているのだから、ジュースだってサービスしてくれたって罰は当たるめぇ、と先ほどの迂闊な出費が国鉄への不満へと俄かに変わって行く。



 トイレは共同であった。そのうち、バスタオルまで配られた。風呂にでも入れというのか? と聞くと、またもや、にっこり微笑んで、「シャワー室もある。」と言う。列車にシャワー室? びっくりして、教えてもらった方向を探したが、「シャワー室」などというものはない。結局「シャワー室」とは、「トイレ」のことであった。タイの人もヴェトナムと同じく、「トイレで水シャワー」が常識のようだ。荷物の置き場にも困るのに、一体こちらの人々はどうやってトイレでシャワーを浴びているのか、あいかわらず謎である。



 定刻になると、列車は静かに走り始めた。まだ明るい車窓の風景は、我々が過ごした旧市街の街とは随分違って、これといって、特色のない郊外の風景であったが、ゴトンゴトンと街を滑り出していく感覚が嬉しい。流れ去っていく風景が、旅心を満たしていく。



 走り出してしばらくすると、タオルケットやら、シーツやらが配られ始めた。一遍に持ってきてくれればいいものを、一々配ってくるので、落ち着いて服も着替えられない。コンパートメントのドアをノックもせず開けてくるのだ。こりゃ、失礼しちゃうぞ! と、一々鍵をかける我々を向うはいぶかしんでさえいるようだ。一通り、寝具セットが揃った後に、また駅員が何かを運んできた。今度は何だと見ると、一辺15cmほどの立方体の小箱が2つ。にっこり笑って、大切そうに我々にそぉっとその小箱を一つ一つ手渡すと、駅員はそのまま何も言わず、去っていった。「横にしちゃ、だめだよ。」と言わんばかりに恭しく手渡してくれた小箱。……おおっ、そうか! お食事を持ってきたんだね! と思わず顔がほころぶ。「食事は付かない」と聞いていたけれど、あれはチケット売り場のおじさんの勘違いだったのだ。そうだよ。あんなに高いチケット代なんだもの(1人1,193バーツ。約3,320円!) 食事くらい付いているよね。くふふふ。シートにきちんと2人並んで、膝に置いた小箱をワクワクして開けた。しかし、その小箱の中には、列車の絵がプリントされたマグカップが一個入っているばかり。何じゃ、こりゃ? 旅の途中で、何で、こんなカサバル物をもらわにゃならんの? 突然の、予想だにしていなかったプレゼントに唖然としてしまった。そのマグカップ自体はなかなか使い勝手がよさそうで、確かにいい思い出の品と言えるだろう。鉄道マニアには垂涎の一品かもしれない? しかし、如何せん、旅の途中に、この重くかさばるマグカップをどう持って歩けと言うのだろうか。マグカップより飯よこせ!



 (余談だが、私はこのマグカップを、旅の間、もう意地になって運んだ。で、2005年の今でも愛用している。プリント柄はまったくはげもせず、鮮やかな当時の色を保っている。ひびも入らない。欠けもしない。頑丈な相棒として、毎日おいしいコーヒーをなみなみとたたえながら、私の手元にいてくれる。よきかな、よきかな。) 



 タイ国鉄の考えていることは分からん、と首を捻(ひね)っているうち、時刻も7時を回ると、早くも寝台を作りに係りの人がやってきた。ソファの背の部分を持ち上げ、鮮やかな手際で “上の寝台” を作り上げた。真っ白なシーツ、クリーニングがきっちりされた肌触りのよいタオルケット、清潔な枕カバー。寝台に関して、文句はない。下手なゲストハウスより、よほど清潔で心地よい。



 列車の人達は英語が全くと言っていいくらいわかっていないようなので、食堂車があるかないか、はっきりしなかったが、結局、あった。我々の後方の車両に2等寝台車が5、6両繋がれており、その2等寝台をすり抜けると、食堂車に辿りついた。窓はほどんと全部開け放たれ、虫が飛び回る狭い食堂車ではあった。メニューを読んだだけで、まずそうだとわかる。タイ独特の料理が載っていないのだ。欧米風の料理名が並んでいる。とにかく食べられそうなものとビールを注文してみる。予想通り、まずかった。どろどろした「マカロニ」という名の輪っか状キシ麺のようなものをつまみに、ビールで乾杯。薄暗い車内は、電車のエンジン音がけたたましく、振動も激しい。座っているだけで酔いが回ってしまいそうだ。列車の心地よい響きに耳を傾けながらの優雅な食事など夢のまた夢であった。しかしお陰で1等寝台車の1等たる所以を改めて実感した。1等寝台車は食堂車や2等寝台車に比べれば、列車の振動はないに等しいと言えるのだった。心地よい列車の響きが聞こえてくるばかりだ。一等寝台車の振動は、私にはトットローン、トットローン、ンガガガ、トットローンと聞こえたが、夫にはイヤヤーン、イヤヤーン、ドボボボボ、イヤヤーンと聞こえたようだ。とにかく軽やかなことに変わりはない。



 2等寝台車は、コンパートメントではなく、狭い通路を挟んで車両の左右に2段ベットが進行方向に向けて縦に並んでいた。カーテンで仕切るだけのプライベート空間で、大きな荷物はベットからはみ出し、カーテンでも覆い切れず、廊下に顔を出している。かなり無用心である。しかし、皆おしゃべりし合って結構楽しそうである。シーツなども清潔そうでベットもかなり大きくて快適そうだ。早くもカーテンを閉めている人、カーテンを開け放って横になっている人、ブリーフケースを小脇において、いかにもビジネスマンしているイスラム人、大声で仲間と喋り合う欧米人旅行者達、静かに荷繕いをしているタイ人。線路の音が直に足裏に伝わってくる、やけに揺れる薄暗い車両の中で、色々な人々がひそひそ、ざわざわしている様は、何とも楽しい。



 そのざわめきの狭い通路を何車両も通り越して、我らが1等寝台車に戻る。ドアを閉め、鍵を掛け、完全なプライベートルームと化したコンパートメントの中は、適度な冷房が利いて、やはり心地よさは1等である。何とも心地よいタオルケットの肌触りを楽しみながら、走り去るタイの風景を見やると、窓の外は全くの闇。一つの明かりも見えない。途中どこかの駅に止まっても、駅の明かりさえ見えなかった。



 我々の一つ前のコンパートメントに僧侶が乗り込んでいた。僧侶は乗り物はフリーパスだときいている。それなのに1等寝台車に乗るとは、いかがなものか。僧侶のしたい放題の有様と、2等寝台に狭苦しく並んでいた人々とを比べると、僧侶に対する疑問が湧いてくる。そのことから、宗教の話になって、深夜まで夫と話し込んでしまった。宗教は確かに人間の心の闇に光りを投げかけてはいる、という結論まで達した時、ようやくそれぞれのベットに戻って横になった。夜が明ければ、バンコクだ。

       

               つづく

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2001年夫婦世界旅行のつづきです。タイのチェン・マイもそろそろ切り上げます。今日は、ちょっと旅の愚痴を並べてみました。旅は楽しいこと、びっくりすること、一杯ありますが、その何倍もどうしようなくつまらないこと、苛立つことがあるのでした。



part89.タイの倦怠期 (愚痴のオンパレード)



 ラオスからタイに入って来た当初は、「意思疎通ができる!」「笑顔が通じる!」と大感激したものだった。しかし、チェン・コン、チェン・ライ、チェン・マイと、タイに2週間も滞在してくると、やはり日本と違う感覚、習慣が鼻についてくる。不満がぼちぼちと出てくるのであった。 (日本との違いこそが楽しいはずなのに、おかしなもんだ。)



 チェン・ライまで来たら、インターネット屋が存在していた。しかし、コンピューターがしょっちゅう故障した。何時間もかけて書いていたメールがパァになったりした。チェン・マイまで来たら、インターネット屋兼マッサージ屋も存在したが、30分、200バーツ(約550円)ほど取るくせに (タイでは、まぁ、当時としては、相場であったと思う。) 、たいして気持ちよくない。マッサージ師(大抵、若い女の子)の力がなくて、ほとんど摩(さす)ってもらっている感じなのだ。偏頭痛持ちの私は縋(すが)るようにマッサージ屋に通ったが、効果なし。



 日本でも昨今人気になってきているタイマッサージではあるが、私は気持ちいいと思ったことは、一度もない。いや、一度だけあった。昔行った、パタヤのメインストリート沿いにあるフットマッサージ屋だ。当時、1時間弱で400バーツ(約1200円)もしたから、かなり高額な、しかも激痛(げきいた)のマッサージではあったが、そこは施術後如実に足が軽くなり、体調もいきなりよくなった。しかしそれ以外、ろくな所はなかった。日本のマッサージの方が数倍気持ちが良い。タイマッサージはほとんどが「くすぐってる」感じである。「人の体に触んじゃねぇっ!」と叫びたくなる触られ心地。大体、タイ人なんて、体が凝ることがあるのだろうか?



 そもそも「肩が凝る」などという表現は日本語にしかない。日本以外の国にはその表現がないから、「肩凝り」という概念も、現象もないのだ、という話もある。それは言い過ぎじゃないかと私は思うが、それにしても、タイ人が「肩が凝った」などという仕草をしてみせている場面にはお目にかかったことはない。ヴェトナム人、ラオス人同様、タイ人も、肩が凝るなんてことがあるわけない! そんなタイ人が身につけているマッサージ技術って、一体……? と疑問に思うのは、私だけだろうか。

 

 驚くほど美味しいレストランは、何を食べてもどれも美味しいのだが、会計がいつもおかしい。明細は出ない。だいたいこんな感じ? と適当に合計金額を決めて、客の反応を窺いつつ勘定書を差し出してくるようなところがある。10~20バーツ(約30円~50円)ほど、安かったり高かったりする。(我々はメニューを決めた時点で価格をすぐにメモするので、チェックを頼むとき、金額は既に計算済みなのだ。ごまかしは利かないぞ! そろばんの国の人だもの♪)



 日本以外の国で水がサーヴィスで出てくることはまずないが、タイの場合、ちょっとお高めのレストランなら、あまりの辛さに必死に悶えながら踊り食いをしていると、見かねた店員が水を持ってきてくれることもある。お高めのレストランでなくても、日本人観光客などを当て込んだそこそこの店は、サーヴィスで出してくれるところも結構増えてきたようだ。しかし、だからといって、いつも出て来るとは限らない。出たり出なかったりする。で、あえて「水」を注文すると、ミネラルウォーターではなく水差しに入った「ただの水」を持ってきてくれるが、その水の料金を取ったり取らなかったりする。取ったにしては合計金額が安すぎたりする。



 アイスコーヒーを飲み終わったところで水を一杯注文すると、すぐに大きな水差しを抱えてやってくきてくれる。「お、水だ♪」と水を見つめる私の熱い視線に、ウエイターはにこりと笑顔で答えてくれる。でも、新しいコップが……ない。「あれ? コップは? 忘れてきたな?」と思っていると、空になって置いてあるアイスコーヒーのコップに、おもむろに水を注いでくれたりする。コップの底に少々残っていたコーヒーが水に薄まり、ほんのりコーヒー色に染まった水をありがたく頂くということになる。



 「レモンシェーク」を飲み終わった後で水を注文したときも、レモンシェークがかすかに残っているコップに、そのまま水を注いでくれた。ほんのりレモン味になった水をありがたく頂く。



 ミネラルウォーターやビールを頼むと、まだ中身の残っている瓶をテーブルには置かず、ちょっと離れた所にあるミニワゴンに置いていく。気が付けば (気が向けば?) 店員が水なりビールなりを注ぎ足してくれるのだが、そうそう気の利くわけもなく、こちらはテーブルに置いて行ってくれれば勝手にやるのに、と苛々しなければならない。



 食べ終わった皿を片す時も、ウエイトレスは、皿に残った汁を思いっきりテーブルにぶちまけてくれる。私の服にも派手に引っ掛かる。店員は、「あらら。」ってな感じで落ち着き払って、椅子やテーブルをすぐに拭いてくれるが、私の服に掛かった汁のことなどは気にも止めないのであった。しかし悪気があるわけではないのだ。皿を下げるとき、「今日はスパイシーでしたか?」などと、欧米人のレストランよろしく、料理の出来具合を話し掛けてきたりする。そしてそのことに気を取られるから、皿の汁をこぼしたりするんだ。



 カフェのコーヒーカップにしても、いつも飲みカスのような染みが付いていて、汚らしい。一杯15バーツ(約40円)と料金は安いが、カップくらい綺麗に洗ったらよかろう? やはりタイはまだまだラオスに近いようだ。



 食堂などでは、ラオス人よりはかなりきびきび動いているが、薬味を出すのを忘れたり、フォークを持ってこなかったりと、日本のように行き届いたサービスはない。細かいことに気が利かない分、小さいことを気にせず、大らかではあることよ。



 しかし、「大から」で済ましていられないこともある。今泊まっている宿も感じはいいのだが、2日ごとに取り替えてくれるという約束だったシーツは、とうとう替えてはくれなかった。3日目の晩、シーツが替えてないことに気づいた夫は、「信じられないっ。」とブツブツうるさい。4日目の晩ももちろんシーツは同じものだ。夫は「シーツ替えてないの? シーツ替えてないよね。やっぱり替えなかったんだ。信じられないな。ひどいな。信じられないな。」と口の中でブツブツ。確かに、言った以上、約束は守れと言いたい。 (もちろん、夫が今一度替えるように言ったが、約束を守るようにと念を押したが、暖簾に腕押しだった。) シーツが一日、二日、替えていないからといって、命に関わるわけでもないが、約束は守ってほしいものだ。 



 バスタオルも、最初は上等なタオルだった。2日目3日目と質が落ちてきて、4日目は、洗濯はされてあるものの、犬でも拭くのか? と思えるほどボロボロの薄汚い、一面に黒いカビの付いたタオルだった。よかったのは最初だけ。部屋は清潔だけれど、他のアメニティの質をこうまで落とすか? 日本では考えられない。



 チェン・マイは特に定年退職して移り住んでいる日本人が多いようだが、タイ北部の長閑さと、都会の便利さの両面を併せ持っているので、住みやすいのかもしれない。でも、今のところ、日本人をほとんど見かけない。我々も日本人に見えないらしいから、我々がチェン・マイ在住の日本人をタイ人と間違えて、見落としているのかもしれない。



 (道を歩いていると、現地のタイ人にタイ語で話しかけられることが増えた。どうやら道を尋ねてくるようなのだが、びっくり目を丸くする私の顔を見ると、すぐに向こうも間違いに気づいて、向こうも少しびっくりして、少し笑ってそそくさと去っていってしまう。)



 入国当初は、あんなに感動したタイなのに。あんなにほれぼれしたタイなのに。しばらくするとそのアラが目に付いてくる。不満が出てくる。これって、なんだか、恋愛結婚した夫婦の倦怠に似てないか? 私はタイに日本を求めているわけではないはずのに、判断基準はいつの間にか日本になってしまっていたのであった。



 そして、極めつけの私の愚痴。……タイは、連日猛暑である。なんでこんなに暑いんじゃっ!



追記:① 

 この晩、私は眼鏡を床に落として、レンズを割ってしまった。何も見えんじゃないかっ! なんで床に落としただけで眼鏡が割れるんじゃ! どうしてくれるんじゃっ、タイ? ......もう、ほとんどイチャモンである。



 明日はバンコクに移動だ。バンコクですぐに眼鏡を作ることにしよう。一体どんな眼鏡ができるやら? 



追記:②(タイマッサージ考) 



 タイマッサージは気持ちよくないと書いたが、その後、バンコクとプーケットでは、なかなか気持ちのよいタイマッサージに出会った。しかし、「タイマッサージ」とは、どういうものを言うのであろうか。体のツボを押さえるものでもないようだ。



 私が今まで経験したのは、大きく分けて2つのパターンがあった。猫じゃらしで肌を摩(さす)っているのか? と思われるほどくすぐったい “さわさわマッサージ” と、プロレスの技でもかけてくれてるの? と疑問に思うほど、人の腕や足を折ったり伸ばしたり捻ったりしてくれる “プロレスマッサージ” とであった。

 

 例外的に絶妙だったパタヤのフットマッサージは、今思えば、中国の足裏マッサージに酷似していたのであった。しかし、クリーム (「ニベア」が多い) を付けて足の裏をマッサージするフットマッサージが、タイならではのマッサージと言えるかもしれない?



              つづく

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2001年夫婦世界旅行のつづきです。タイのチェン・マイで、街中のお寺を散策しました。今日の見所はワット・プラ・シンでした。



part88.ワット・プラ・シンで瞑想中?



 今日は特に何の予定もない。朝起きると、全身がひどくだるかった。昨日の山歩きの後遺症のようだ。8km (ガイドブックに拠れば、12kmということになるが) ほどしか歩いていないのに。体がなまっていた証拠である。昨晩からの偏頭痛も治っていない。むしろ痛みはひどくなっていた。



 そこで、今日も “朝の1人散歩” は取り止めて、宿のカフェで1人軽く朝食をとり、頭痛薬を飲んだ。偏頭痛が始まると、頭痛薬など効かないのだが、気休めにはなる。頭はガンガンするものの、カフェで1人コーヒーを飲みながら、絵葉書を書いたり、日記をつけたりして、落ち着いたひと時を満喫。夫が起き出す頃を見計らって、部屋に戻った。



 さて、今日はどうしよう? 当てもなく、とりあえず二人で街へ繰り出す。とりあえず遅い朝食をとる。 (私は何度でも朝食を食べられるという特技があるのであった。) 夫も山歩きの疲れが足腰に来ているらしい。よって、今日は無理をせず、のんびり付近を散歩するだけの骨休めの一日に決めた。



 チェン・マイは旧市街と新市街に分かれている。新市街 (だったと思うが) の東側にはピン川という川が流れていた。その川はもはや護岸工事も済んでおり、これまで経巡ってきたヴェトナム、ラオス、そしてタイ北部のチェン・コン、チェン・ライに残っていた川岸の美しさはない。城壁に囲まれた旧市街は、その昔1296年にタイ北部を統一したランナータイ王国の首都だったそうで、1556年、ビルマ (現ミャンマー) に滅ぼされたのだそうだ。今は東西南北それぞれの門と城壁の一部が残っているだけだが、街中に寺が星の数ほど (やや大袈裟?) 建立されている。 



 旧市街の東の玄関口、タペー門から、東西にまっすぐ伸びているタペー通りを今日は西に向かって歩いてみた。タペー通りは寺銀座と言いたくなるくらい、大小の寺が林立している。目に付くものをふらふら覗いて歩いた。



 やがて、タペー通りの突き当たりに、それ見ろ! と言わんばかりに大きな寺が見えてきた。名にし追うワット・プラ・シンであった。 (と言っても、なんで有名なのか、全然分からないのだが。) 1300年代に建てられたらしい。つまりこのチェン・マイがランナータイ王朝の首都とされて、間もない頃(?)だろう。つまりチェン・マイの歴史と共にあるような寺なのかもしれない。1300年代と言えば、日本では南北朝時代か? 日本は血で血を洗うような戦いの日々、権謀術数渦巻く権力闘争の社会だったのではなかったろうか。その頃、タイのチェン・マイでは、こうして大きなお寺をどーんと建てて王朝の栄華を謳歌していたわけだ。



 しかし、建立は1300年代とは言うものの、近年になって建て直されたのだろう、境内の建物はどれもそれほど古びてはいなかった。白壁が目にも眩しい本堂に入ってみた。床には紅色の薄い絨毯(緋毛氈?)が敷き詰められており、毛玉のような小さなゴミがそこここにへばり付いている。ちょっと汚い。が、靴を脱いで、お邪魔する。



 こじんまりした体育館ほどの広さだ。天井が高い。三方の扉が開け放たれて、爽やかな風が堂内を吹き抜ける。絨毯は薄汚くても、なかなか居心地がよい。本堂の中から見ると、開け放たれた三方の扉の外の風景は、どれも昼の陽光に消され、扉はただ四角い白熱灯のようにさえ見える。堂内は静かな薄暗さで、本堂の中にいる自分の心持ちまで涼しく感じる。



 本堂の中央には金色に輝く仏像が鎮座していた。天井まで届きそうな大きな仏像である。



 本堂の隅の方で、絨毯の上に横座りして、近所の主婦らしい女性陣と数人の子供たちが一塊(ひとかたまり)になって、寛いでいた。子供は絨毯の上にごろごろと寝転がったりして、皆リラックスモードである。彼らの傍に、いかにも手作りといった感じの、金紙を貼り付けた大きな葉っぱや、熊手のようなものが一まとめにして置いてあった。法要か祭りでも終わったところなのだろうか。



 我々もとりあえず、紅色の絨毯の上に座ってみる。タイ人風に横座りすると結構疲れるので、ついつい正座になる。女性陣はいきなり入ってきた我々をいぶかしがるでもなく、座り込んだ我々をちらっと見て、再び自分たちの静かなお喋りを続ける。大笑いするでもなく、しかし、なんとも楽しそうに、女たちはお喋りをしていた。しかしその声が本堂に響き渡るのでもない。天井も高くて、いかにも声が反響しそうなのだが、女たちの声はほとんど聞こえてこない。なにか葉擦れのような密やかさなのだ。さすがにお寺の本堂の中だと心得て声を落としているのだろう。 “静かなお喋り” もいいもんだなぁと思っていると、10分もしないうちに女たちは子供を引き連れて、祭りの小道具らしきものをそれぞれ抱えて、静かに去っていってしまった。



 しんと静まり返った本堂を今一度見回すと、仏像 (坐像) の足元に、ぽつりと白い人影が! 白い装束を身に纏ったお坊様であった。いつからそこにいらしたの? 見ると横座りして、目を閉じて、手を座禅のように組んでいる。さきほどから瞑想なさっていたのか? タイのお坊様は大抵オレンジ色の袈裟を着ているのに、なぜかこのお坊様は、白装束だ。見たところ、特別偉そうな感じでもない。金ぴかの大きな仏像の前に、白いお坊様が小さく見える。お坊様はぴくりともしない。じーっと目を閉じている。深い瞑想に入っておられるのかもしれない。



 大したものだ、と思わず観察してしまう。女たちが去ってから20分ほどの間、私は正座、胡坐、横座り、立ち、膝の屈伸、正座を繰り返したが、白装束のお坊様は姿勢正しく横座りしたまま、とうとう微動だにしなかった。深い深-い瞑想に入っておられるに違いない。



 するとそこに幼い子供を連れた女の人が入ってきて、つつつとお坊様のところまで行くと、ついっと隣に座り、そっとお坊様の耳元に何かささやいた。すると、お坊様の頭がピクリと動いた。お、動いた! と思うと、お坊様は左手でさっと涎を拭い上げるようにして、頭を振り振り、目を擦(こす)り擦(こす)り、女の人に何やらモニャモニャ答えた。寝てたんかいっ!



 女の人はお坊様が寝ぼけ眼で2、3度頷くのを見届けると、優しげにお坊様に一礼して、すぐにそのまま、また子供を連れて、本堂を出て行ってしまった。白装束のお坊様は、懐から白い紙を取り出して目やにをふきふき拭き取ると、二の腕を前に突き出し、一伸ばし。次は腕を腰に当てて、横座りのまま、 “腰の捻り運動”  を右に左にしばらく繰り返した。ほほぉ。 “お坊様の瞑想” の裏側を見てしまったようで、ちょっと興ざめ。しかし、やはり、坊様稼業に柔軟体操は大切だね、と改めて納得。



 “柔軟体操” を見ていると、そのお坊様の柔らかい身のこなしや細い指先で、そのお坊様が女性だと分かった。尼様だったのだ。だから、白装束なのだろうか? 剃髪された頭は、賞味期限の迫った温泉饅頭 (粒アン入り) のようにちんまりしていて、ほっそりしたその姿は、60歳は過ぎているだろうと思われる。



 尼様は、ひとしきり “捻り運動” でリフレッシュすると、再び1人眠りに……、もとい、瞑想に入られたのであった。もう一度 “捻り体操” を見せていただきたいなぁと思ったが、それにはもう2、30分待たなくてはならないだろうから、そろそろ失礼することにした。



 “尼様の居眠り瞑想” 、 “尼様の捻り体操” という今日の収穫に満足しての帰り道、先日私1人で散歩したワット・チェディ・ルアンが近かったので再び寄ってみた。犬に噛まれて大慌てした寺だ。あの崩壊の美ともいうべき仏塔を夫も気に入ってくれたようだ。今日は昼下がりのためか、犬の姿は一匹も見当たらなかった。それならば安心して参詣できるかというと、そうでもない。とにかく暑いのだ。木陰に避難しても、照りつける陽射しの反射熱が襲ってくる。眩しくて目をまともに開けていられない。今日は “犬攻撃” がない代わりに、“東南アジアの昼下がりの太陽攻撃” だ。頭痛はいや増しに増し、ぐったりして帰途を急いだのであった。ワット・プラ・シンで尼様に見とれていないで、自分の頭の捻り体操でもしていれば頭痛も治ったかもしれない……。



           つづく

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