今年はいつもより早めの17日に帰国、日本の四季の美しさを感じながら一年を振り返っています。

2014年は、シンガポールに来て5年目をむかえた節目の年でもありました。5年間を振り返ってみると、キャリアや人生における基礎を作る貴重な時間でした。

2010年 シンガポールに渡り
2011年 結婚し
2012年 en worldに転職し
2013年 シンガポール日本語補習校で教師を経験し

そして2014年も相変わらず大きな変化の年でした。
7月に第一子が生まれ
8月にシンガポールの責任者を拝命しました。

毎年が変化の年ではありますが、今年は何かいつもとは違った変化の一年でした。
一言でいうと、「誰かのために」を学んだ年でした。

子供の誕生と共に、子供の為に何かをする喜びを学びました。
生まれる前は親になれるかどうか多少の不安はありましたが、いざ生まれてみると
純粋に心から、その喜びを感じることができました。

日々、わが子の成長を感じ、喜びを噛締めています。

それと同時に、一国の事業の責任者という重責を拝命しました。自分の為にではなく、チームの為に全身全霊を掛ける仕事です。
これはまだまだ自分の志の道半ばではありますが、それでも2つの意味で大きな一歩でもありました。

一つは、小さな国ではあるものの多国籍の組織の中で世界初の日本人社長になったこと。日本を出た際にも、転職をした時にも、再三思い続けてきたのが、「日本人だから」という理由で得られる仕事や評価からの脱却でした。あくまでもその仕事のプロとして評価をされ、求められる存在になりたいと、そしてその中でリーダーシップを発揮していける存在になりたいとうことでした。その意味で今回の変化は、日本人である意味のまったくない職責故、長年の思いへの挑戦権を得た重要な一歩になったのです。

現在のアジア地域のリーダーシップチームはかなりの多国籍で構成され、シンガポール国内のチームのみならず、日本や韓国、シンガポールのサポートチームに支えられ、多国籍、多様性、クロスボーダーで働くことは、新しい考え方、価値観との出会いの連続で、それでもそれらの中で自分なりの主張を根拠を持ちリーダーシップを発揮していくことは究極の自己成長でもありました。

もう一つは、組織に変化をもたらし、成長できる基盤づくりをはじめるという大きなチャレンジをはじめたこと。順風満帆な組織を、磐石の態勢で引き継いだわけではないので、自ら考え、自らの意思で、組織を変化させることができる挑戦でもありました。幸いにして、1年ほど前から自分だったらこうするということを常に考えてきたので、やることに迷いはありませんでした。

ただ難しいのは考えていたことを実際に実行すること。人の心を動かし、組織のとして成長できる形を整えることでした。多少、眠ることもできずに考え込むこともありました。そんな中で支えになったのが、コーチングでした。着任と同時に、会社がエグゼクティブコーチをつけてくれて、且つコーチングの学校にも通わせてくれました。

定期的にコーチと課題を振りかえり整理することで、迷うことなく意思決定を進められ、また何よりも意思決定を下した後のすがすがしさを感じることができました。一方で自らもコーチとして成長するための通ったクラスは、16名のクラスメートがおり、皆が誰もが知る世界的企業のアジアのCEO、MDばかりでそこで培ったネットワークはこれまで得た中でもっとも大きなものでした。

ほとんどが10歳以上年上の方々ばかりのクラスでしたが、自分の同世代が3人だけいました。そして、そのうちの一人がクラスの中でもっとも大活躍し、クラスに大きな影響を与えていた事には強い刺激を受けました。英語への抵抗感はなくなったとはいえ、大人数の中で自ら意見を発し、議論の中心になっていくことへの壁はまだまだ高く悔しい思いの連続でもありました。


今年は、2013年末に亡くなったネルソンマンデラの本で始まり、リークアンユー、鄧小平の人生を振り返る3冊に出会いました。歴史を作った偉大なる人々の戦いの歴史、信念の強さそして夢の大きさは、ぶつかる壁に怯まず進む勇気をくれました。

終身刑からノーベル平和賞、大統領にまでなったネルソンマンデラの思いの強さと希望、大きく動く中国の歴史の中で3度の失脚を乗り越え現代中国の基礎を作った鄧小平、そして先の見えない時代を長期的な目線で読み解く洞察力を学ばせてくれるのがリークアンユーの1冊でした。


年末に日本人材マネジメント協会様よりお声がけを頂き、日本で講演をする機会をいただきました。その最後に、VUCAの時代という話をしました。元々は軍事用語ですが、昨今ビジネスの世界で広く使われ始めたこの言葉は、不安定で、不確実、曖昧で複雑な中で、ビジネスは進んでいき、意思決定を迫られる時代ということです。

そして、その中でもっとも大事なのは、自ら見て、聞いて、考え、感じ、意思決定をするという事だとお話しました。多くのビジネス書の中で読んだ、多国籍、多様性、クロスボーダー、はたまた親になるということに、自らが直面し、その中で起こる様々な心の変化を乗り越え、経験値にしていくことができた1年でした。


「誰かの為に」元年の2014年、まだまだ皆様に支えられて生き抜いてきましたが、2015年は、子供の成長と共に、自らも成長し、強く持続的で、成長を続けられる組織作りに挑戦し、少しでも誰かの為になれる一年にすべく頑張ります!!

そして次の5年間は、基礎の上の第一層を作り、基礎を磐石のものにすべく、変わらず全速力していきます。

皆さん、1年間ありがとうございました。
来年もよろしくお願いいたします。

Merry Christmas & Happy new year!!
2013年のテーマはシティズン5.0への挑戦の年であった。
日本という国を飛び出し丁度3年、転職をし日本人としての制約にとらわれないビジネス環境に自分をおくようになり2年がたつ2013年という年は自分にとって重要な一年であると位置づけていた。

シティズン5.0の概念との出会いはマークガーゾンの著書「Global citizen」に帰する。
巨大なドメスティックマーケットを持つ日本に生まれ育った自分にとって、社会に出るまでは
日本以外のマーケットの重要性を感じるに至ることはなかった。

大阪の小さな町を飛び出し、大学の国際学部で学ぶうちに世界に目が開けていた。
同時に世界はよりグローバル化をひた走り、自らの学びと社会の動きがシンクロしてきたことは
自分の人生にとって最も幸運な出来事の一つであったかもしれない。

グロバールという言葉はもはやそのものの意味さえよくわからないほど多様性を持ち始めている。
どの目線でその言葉をとらえるかは、あまりに人それぞれである。
昨年末に読んだ、「Global Citizen」の中で定義されている、シティズン1.0~5.0は、今の自分にとって
最もしっくり来る見解であったため、これを2013年の目標とした。

簡単に言うと、自分自身の忠誠を持つ1.0から、自己の利益と所属するグループの利益と均衡を図る2.0、自己とグループよりも国家の3.0、複数の文化に忠誠心を持つ4.0、そしてすべてを統合し地球と生きとし生けるものすべてに忠誠心を持つ5.0に分けられる。

大きな定義に聞こえるかもしれないが、これはありとあらゆる人類が意識次第によって所属を変えられる
定義である。例え、チベットの田舎の小さな町で生まれた少年であろうが、ニューヨークの中心で金融機関総裁の両親のもとで生まれた少女であろうが関係はない。

日本を飛び出したとき漠然と抱いていたグローバルマーケットへの挑戦は転職を機に大きく前進した。
シンガポールに来てからも日本企業、日本人を相手にしていた時代から、多国籍企業、多国籍人材との
ビジネス、更には多国籍人材の中で働くこと、そしてそのチームをマネジメントすること、クロスボーダーのファンクションの中で働くことを学んだのが2013年であった。

【顧客】
転職後、はじめてチームと訪問したのがオーストラリアの物流企業であった。カナダ人の社長を筆頭にフランス人、イギリス人、マレーシア人そして日本人の自分で訪問した。相手側は、オーストラリア人社長にアメリカ人オペレーション部長、シンガポール人営業部長、インド人経理部長だったことを覚えている。その1時間半にわたるミーティングの中で私が発言できたのはわずか2分であった。あの時のショックは今でも忘れられない。もちろんミーティング中ほとんどの人がカナダ人上司しか見ていなかった。

あれから2年、多国籍のチームをリードし顧客とのミーティングも自らがリードし、ほとんどのミーティングで相手は自分に注目してくれるようになった。これは理屈ではなく、経験によって身に付いた自信であり貴重な学びであったことは言うまでもない。

とあるアメリカの企業がアジアの事業拡大において、独占契約を結んでくれた。初めて出会ってから2年。自信が結果に結びつきつつあることがとても嬉しかった。

【市場】
いつも、カントリー、リージョナル、グローバルの話をしている。これはシンガポールにいる自分だからこそ感じられる世界の縮図の見方である。日本にいるときは巨大はドメスティック市場が故に世界に目を向けることなどほとんどなかった。外資系の顧客が中心だったため、オペレーショナルには常に世界に繋がっていたが、ビジネスの種は常に国内にあった。それが、市場が小さく、アジアのハブとなることにって重要性を増したシンガポールにいると、リージョナルというスケールの中で自分がビジネスをしていることを体感できた。

企業も人材も、カントリー、リージョナル、グローバルでセグメントし、それをどの区切りできるかも時代によってかわってきた。自分が社会でた頃は、日本はまだアジアの中心だった。世界は欧州、米国、アジアに分けられたが、アジアはAPJという区切りをしていた。つまりAsia Pacific + Japanだった。今はAPACであり、APJの区切りを持つ企業は本当に減ってしまった。もはやJapanというだけで優位性のある市場環境はなくなった。

そんな時代、安倍首相が昨日、「地球儀を俯瞰する外交」と言っていたがまさにこれである。

シンガポールで出会った人々はほとんどがリージョナル、若しくはグローバルの意思決定権を持つ人達である。この2年間でスウェーデン企業、アメリカ企業、日本企業、中東企業など様々な企業のアジア進出を人材面から支援できたのは貴重な経験であった。

数は少ないが、少しの日系企業とお仕事ができたことも貴重な経験であった。特に貴重な経験をさせてもらった2つの企業がある。老舗一部上場企業と、設立数年目の新興企業。歴史を違えど、アジア進出にあたり、M&Aでもなく、日本からの人材派遣でもなく、業界のトップリーダーのヘッドハンティングという方法で進出を果たした。当初は、そのような計画はなかったが、弊社の提案により結果が変わり、進出を果たし、急速に成長している。

両者の共通点は、柔軟性に他ならない。世界に挑戦するために、相手に日本化を求めるのではなく、自分たちが変わろうとしている。これこそが成功の秘訣であると思う。そういう企業から多くを学ばせてもらった。

【リーダーシップ】
もう一つの大きな経験は、多国籍チームのマネジメントと、多国籍オペレーションの中での経験である。まず、多国籍チームのマネジメントだが、現在、シンガポールオフィスには、ヨーロッパ系シンガポール人、中華系マレーシア人、カナダ人、インド系イギリス人、中華系イギリス人、インド系シンガポール人、フィリピン人、日本人が働いている。異なる大陸で異なるバックグラウンドをもち、異なるランチを食べる彼らの中で働くことは想像以上に難しかった。更に言うと、私が共に働く人の半分は日本と関わったことにない、日本人の知り合いなど一人もいない人であった。日本が好きとか日本語を勉強している等の外国人とはまったく違う。

この経験は、自分のキャパシティをとても広げてくれたと思う。理解のできないこと、何よりも腹が立つことのオンパレードである。しかし、それを体感し、少しでも違うものを”変”ではなく”違う”というして受け入れられるようになったのはよかったと思う。

弊社の人事チームは日本、トレーニングチームはシンガポール、採用チームは韓国、マーケティングチームはシンガポールにる。皆、APACの国々を担当している。こうすることのメリットはビジネスのスケーラビリティーと国境を越えたプロダクティビティの向上にあるが、それにはそれぞれのステークホルダーの高いコミュニケーション能力と調整能力、違いを理解する能力、空気を読む能力が求められる。自分の常識が相手に伝わらないことを理解し、心を開き、質問する能力が求められる。

とても身近に感じ、毎週のようにビデオカンファレンスで顔を合わせる香港の社長とは実は一度も会ったことがない。こんなテクノロジーとクロスボーダーのダイナミズムを感じられるのも今の世なのである。

【英語】
尽きることのない悩みである。留学経験もまともな英語の勉強経験もない自分にとって永遠のテーマである。伝わればいいという次元の問題ではない。明確に意見を伝え、合意を得る、相手の心に突き刺さるいいかができるか、表現、文法、すべてである。週に一回のAPACのリーダーミーティング、オーストラリア人CEOのチェアのもと、香港のアメリカ人、韓国の韓国人、シンガポールのシンガポール人、ベトナムのベトナム人、オーストラリアのオーストラリア人とのミーティングで、自分の伝えたいことを100%伝えられない苦しみにいつも苦しんでいた。

言葉のせいにするといつまでもプレゼンテーション能力があがらないと、プレゼンテーション研修にもいかせてもらった。言葉のせいにしないと思えるようになったのは、大きな進展かもしれない。

毎月のようにあるアメリカ商工会議所のパーティーにも臆せず出席できるになってきた。当初はビビッて交流どころではなかったことから考えると少しはましになった。

【学校】
週に一回、6年2組の担任として学校に行く。インターナショナルスクールやローカルスクールに通う子女たちに国語や社会を教える。自分の何百倍もグローバルな社会で行き、多言語を操る子供たちと向き合う。まさに入り組んだ世界観の中で生きる現代の国際人の縮図を小さな教室で体験できる貴重な経験であった。卒業まで残り3ヶ月、最後まで頑張ろうと思う。

同時に3つの中学校、高校の修学旅行、研修旅行等での講演の機会を頂いた。働く環境、自分の教える学校、生きている社会の多様性を話すたびに子供たちの目は驚きと好奇心に満ち溢れていた。彼らはもはや「ネイティブグローバル」である。シティズン5.0への挑戦は、今を生きる現代人に課せられた挑戦である。なぜならこれからうまれ来る子供たちはすでにグローバルシティズンだからである。

学校の仕事と、日本商工会議所の広報委員としての仕事が唯一といっていいほどの日本との関わりであった。月に一回の大手日系企業の皆様との広報委員会は貴重な経験であった。故に、日本をもっと好きになり、興味を持ち、よい所も悪いところも冷静にみつめることできるようになったと思う。


振り返ってみると、上述のようなことは多く本や出会いによって学んだことが多かった。ただ何よりもの学びはそれを体感し、苦しみ、解決策を考え、前に進んできたことである。そして、何よりも多くの人にそれを支えられたことである。

シティズン5.0、とても遠く感じるテーマであったと同時に、少しは前進できたかなと思うことのできる一年でもあった。年末に、リー・クアンユーの「The Grand Master's Insights on China, the United States and the World」を読んだ。Global Citizenを目標とした一年のよい締めくくりとなる一冊だった。先、50年、100年の世界観を俯瞰することは、今を生きるための大きな活力となる。

年初に立てた目標の達成率は70%位だろうか。素晴らしい年ではなかったが、よい年ではあった。個人目標は達成、チームは最後の四半期でやっと達成に持っていけた。優秀な人材の採用、解雇の選択、達成した月も、未達成の月もあった。
2014年もまだまだチャレンジングな年になるだろう。少しでも前進できるよう、つかの間の休息に入りたいと思う。

2013年、出会ったすべての人に感謝。
Merry Christmas!!
2012年、人生に重要なヒントを与えてくれた3つの本がある。

1冊目はGood to Great、Visionary Companyの第2巻である。
会社のバイブル本で、この本に書かれている言葉を
いつも会社で聞いていたし、よくこの本の言葉を使って仕事をしていた。

2冊目は、ノーベル平和賞のムハマド・ユヌス自伝である。
貧困なき世界を目指し、マイクロクレジットでグラミンBankを作った。
グラミンが世界に広がり、今も走り続けるユヌス氏、圧巻の自伝である。

3冊目は、デイルドーテンの仕事は楽しいかね?。
簡単に読めるけれど、肩肘張って生きている僕にとっては少し後ろを
振り返るきっかけをくれた本だったと思う。

この何とも関連性のない3冊のメッセージは、
どこか重要な部分でつながっている。
Good to Greatで「弾み車」を例に紹介されているテーマがある。
何事も始めるのは困難だし、大きな岩を一人で押しているようなものだと。
動いている気配もないし、動くかさえ自信がない。
それでも押し続ける、毎日毎日。

すると少しずつ少しずつ動き出す。
ゆっくりとゆっくりと。
どれ位の時間がかかるはわからない。
それでも押し続けると、気がつないうちに岩は転がり始め、勢いを増し、止らなくなり、
転がり続けていく。

ムハマド・ユヌスとグラミン銀行の歴史はまさに「弾み車」の証明である。
デイルドーテンの本には世界はそうして革新満ち溢れているし、毎日を変化の中で生きる事こそ大きな変化を生み出す源泉だと教えてくれた。


Good to Greatの中に「自由と規律」を示した章がある。
1社目のフィロソフィーであり、イギリスのパブリックスクールの生活の本からそれを学んだ入社時を思い出した。Good to Greatの中には、規律ある人材を採用することの重要性が書かれている。規律ある人材を採用すれば、組織は自由でよい。各々が自らを律することができるからだ。

会社ができてはじめの最も重要な仕事は採用である。その中でBossはいつもこの事を言っていた。100人以上は面接して、今やっと8名の組織になった。

グラミンの歴史の中にも同じようなことがあった。
彼らは新鮮な感覚を持つ若い人材を選別し、雇い、育つ仕組みを作った。


自伝の中にこんな一節がある。

「私達の成功に秘密はない。しかし確実なのは。行員たちの勤勉さと献身が、成功への最も重要な鍵を握っているという事だ。」

このこと自体はとても意味のあることだけれども、僕にとってもっと印象的だったのは、このムハマド・ユヌスがこういうことを書ける人であり、まさにGood to Greatで言うところの「Level-5リーダー」のよいお手本であるという事だ。

個人としての謙虚さと職業人としての意思の強さという矛盾した性格を併せ持っている。野心的ではあるが、それは何よりも組織に向けられており、個人には向いていない。


2011年末に転職して以来、2012年は怒涛の1年だった。
ブログを書く暇もなく、ついには、1件しか書かなかった。
年を締めくくるにあたって年初に立てた目標を少し振り返ってみたいと思う。

>①なにはともあれ、達成しつつづける事。
なんとか達成できた。未知の数字との戦いだったが、目線を変えて一からマーケットにアタックした。結果、1Qの190%以来、年間を通してみると120%程度の達成率であった。
新たな目標であったが、新たなマーケットでもあった。これまでのよりもシニアレベルのプレイスメントが多かったし、これまでで最大の案件、リージョンの社長案件も決めることができた。

>②人を採用しチーム作る事。
新しく2名を自分のチームに採用する事が出来た。その為に50名以上の面接をしたし、これほどBossに助けてもらったことはない。本当にいい人達を採用できた。ちなみに組織のダイバーシティーも進んでいる。男女は50:50、国籍は6カ国。

>③ビジネスの9割が英語になった今、甘えていられない。
>しばらく怠っていた英語の勉強を再会させて、必ずや国際人に一歩近づきたい。
ミーティング等の後に何度かとても嬉しい質問をされた事がある。「どこ出身ですか?」である。日本と答えて何度か驚かれた。少しはましになったかと思う。まだまだであるが。


総じて思う事は、こんなにも周りに支えられ、誰かに助けてもらった1年はなかったと思う。
それも素晴らしいBossに巡り合えたからである。

いつもPositiveでOptimisticで、チームを牽引していく。
強いリーダーシップの姿をここに見出した。

僕の一週間は、月曜日の朝8時15分、シェブロンハウスのスターバックスで始まる。
毎週、頼むものは同じ。
Paulはコーヒーに少しのスキムミルク。僕はカフェラテ。
早く着いたほうが席をとり、買っておく。

9時までの45分間、チームの状況、1週間の方向性、組織の課題などについて話しアドバイスをもらう。
そして金曜日の夕方になると、なんとなくMeetingルームに行ったり、お決まりのハリーズでビールを飲みながら未来の話をする。


彼のリーダーシップのもと組織はどんどん強くなっている。
Professionalな意識の本当に高いチームである。
一人一人が、自を持ち、且つ、組織に貢献する意識を持っている。
皆から学ぶことも多い。

本当に感謝している。



もう一つ振り返りたいのは、日本人としての殻を抜け出し、一人のビジネスマンとして生き残るというテーマだった。
これは自分が転職した大きな理由の一つである。
日本人、日本企業顧客という枠を超えてこの一年やってきた。

何人かの人に「日本人のヘッドハンターにははじめて会ったよ。」と言われた時、自らのチャレンジに対する意義を少し感じる事が出来た。

同時にどこの世界にでてもやっていけるという自信を少しだけ付けられたような気がするが、ここはまだまだという気持ちのほうが強い。

語学力だけではない、リーダーシップ、多様性を受け入れる感受性、を身につけていきたいと思う。学生時代に読んだ本に書いてあったグローバルリーダーのコンピテンシーの重要性が身にしみてわかる1年であった。

そして、日本人という世界を離れてのビジネスをした一年は、日本人の真面目さ、謙虚さ、サービス精神という国民性の素晴らしさに気がついた年でもあった。
日本人のアイデンティティを誇りに思う。
井の中にいると悪い部分が沢山見えてくるものだけれど、一度外に出るとよい部分がよくみえてくるものである。
当り前ではない、それもまた多様性の一つなのである。



最後に、公私ともに本当に素晴らしい人達に巡り合えた事を感謝したい。
国籍を超えて世界の舞台で活躍する日本人の方にも数名出会うことができて大きな刺激をもらった。

元ネスレ、スウォッチの社長を経験された旦那様、
奥様で日本人初アメリカンエクスプレス社海外法人社長をされている日本人ご夫妻Nさんには1年を通して本当にお世話になった。
よく飲みに行ったり、家に呼んでいただいたり、誕生日パーティーをしたり、クルーズに連れて行っていただいたりと世代を超えて、夫婦ともどもお世話になった。


天地明察の中の一説にこんな文章があると送ってきた友人がいる。
「光明とは、いわば種々に矛盾した心が、一つとなって発する輝きである。その輝きは身分の貴賤を問わず、老若男女を問わない。恐れや迷いを払い、真に求めるものを己自信に知らしめ、精神潔白となる。」
彼は、同世代でとても尊敬できる一人である。早くから世界で活躍し、今やグローバル企業のとある部門のアメリカ以外のすべてのリージョンに責任を持つまさに世界で活躍する日本人である。よい言葉を見つけるたびにこうして送ってきてくれるのだが、いつも楽しみにしている。


友人が増えた年ではなかったが、いつもの友人達と親交を深められた1年だった。


これから2週間、少し旅をして、ゆっくり休みながら、2013年の目標をしっかりと決めたいと思う。

2012年お世話になった皆様、ありがとうございました。
来年もよろしくお願いします!