まっさん、絶好調!! | のんべんだらり

まっさん、絶好調!!

昨夜(?)のさださん、絶好調、いや違う、舌好調でしたね。


なんか楽しそうで、こっちまで楽しくて仕方なくて、よく笑ってました。夜中なのにね・・・


最近、あの番組でよく「視覚障害者」が取り上げられることが嬉しい私です。


昨日もそうでしたね。


そう、「何かお手伝いしましょうか?」って声をかけてもらうこと、すごくうれしいんですよ。


でもね、それは自分の障害を認め、消化したから言えることだと最近気付きました。


この私だって若かりし頃は(あってもしょうがない)プライドが邪魔して、「助けてください」が言えなかった。
それでいっぱいしんどい思いもあったけどね。


そんな経験をしてやっと辿り着いたことって結構「単純」で「当り前」のことなんですよね。

私の場合は「目が悪い」という感じが、いいのか悪いのか、ほとんどないため、自分から「主張」しないと解ってもらえません。だからこそ、こんなことを思うのですが・・・




最近は「ピッ」(パスモとかスイカともいう・・・笑)っていうのができたからすごく助かってるけど、駅でいつもと違う場所まで電車に乗るとき、「さて、いくらだろう?」と悩む私。
そんな時、駅員さんに「すみません、目が悪いので料金表が見えません。どこそこまではいくらですか?」と聞くのがいやな時期がありました。

またタッチパネルの券売機がいまいち解らず、私の真後ろにたくさんの列ができて、あせったことも多々。結局、取り消しを必死で探し、これまた駅員さんに「タッチパネルが見づらくて入場券が買えません。教えてください」といったことも(東京駅にアメリカでお世話になった方と待ち合わせした時の話です)。


こんな風に主張できるようになったことで私の世界は少しずつ広がって行きました。





昨日の番組を見ていて「そう、声をかけてもらうのはすごくうれしいんだ」と思いつつ、私は解らないから「助けて」というしかないんだなとまた実感したり。




けどね、気持ちはあってもどうしていいか解らない人もいるってことを知ると嬉しくなります。




だから思うのです。




サポートされる人がまず「素直」になる。そしてサポートする人も「どうしたらいいですか?」って素直に聞いてくださる。それでいいんだって。




まぁ、私も厚かましい「オバタリアン」世代になりましたから、私の場合は、「こうしてください」とか「見えへん」とかいいますので、その節は、時間と気持ちの湯祐があったら、どうか温かい手を差しのべてください。




話は長くなりますが(いつもですね)、私がハワイにひと月滞在していた時、必死で単眼鏡を使い信号を見ていたら、最初は「何してるんだろう、あの日本人」みたいに見られてた道路の向こう側にいた外人さんが私の状況を判断し、信号が代わったら大きな声で「Hey,you can go!!」と教えてくれました。「アメリカってすごい」って思いました。バスでもしかり。海外のバスは放送などありません。だから運転手さんに一言言います。「I have eye problem of vision. So, please tell me ○○ stop」と。するとちゃんと教えてくれます。運転手さんが忘れていたら、近所に座っていた人が教えてくれます。
海外はいいなぁーと思った瞬間でした。




そんな社会が日本にも来るといいなぁーって盲人用信号のさださんの話を聞いていて思い出し、思っていたのでした。




あぁ、また支離滅裂だぁー。・・・