私は何度ネパールを訪れただろう。
最初に行ったのは25年前?
何もないけど、山だけが美しい国だと思った。
記憶があいまいだけど ポカラやゴルカには、電気がまだ来ていない家があり、
村の雑貨屋さんは夜はランプで営業していた。
カトマンズから2時間のナガラコットは村そのものに電気は来ていなかった。
その時、たまたま泊った宿の窓からは、
丸い大きな月が見え、月明かりに包まれて眠った記憶がある。
当時は、まだバブル期の東京から行った私には、それも贅沢に思え 田舎を楽しんだ。
当然、ネパールの抱える苦悩には目を止めることもしない若者?だった。
確か2度目のネパール旅行だったと思う。
友人の家を訪ねた時、外が騒がしくなったと思ったら
昼間から慌てて家族みんなが戸締りを始めた。
カトマンズの中では賑やかな商店が並ぶ通りだが隣近所もバタバタと扉を閉めた。
町からすっーと人が消えた。
友達のお父さんが「外は危険だから今日はここに泊りなさい」と言った。
外はまだ明るいのに・・・
荷押し車に乗せられた怪我人らしき人が運ばれて緊張感は増した。
夕方になっても電気はつかなかった。結局 一晩中 停電のままだった。
その時だっただろうかバンダとかマオと言う単語を初めて聞いたのは。
翌朝、ホテルに戻ると 外国人は早く国外に出た方がいいと言われた。
空港までタクシーが行ってくれない、
カナダ人がニューロードでマオにやられたなど
本当なのかデマなのか町中がヒステリック状態だった。
私の帰国は2日後の香港経由成田行き 慌ててもしょうがなかったし、
平和ボケしていたので大事に感じていなかった。
若者ではなく馬鹿者である。
私の中のマオイストは正直に言うといい印象がない。
平和を乱す人々の印象が強かった。
そして どうしてもヒマラヤを越えると存在している
大きな大きな国の思惑を感じずにはいられないからだ。
そして今日観たTVはアメリカのTV局制作の
「女性兵士の反乱・ネパール内戦マオイストの素顔」という番組だった。
貧しい山の民の娘がカーストや世間の不条理に絶えられず
国を変える為、マオイストに自ら志願し
立派な女性兵士なったドキュイメンタリーだった。
番組は 政権をマオイストが勝ち取り
村に帰った娘は英雄になりましたとさメデタシ・メデタシと、2009年で終わっていた。
なるほど アフリカに住むライオンとヌーを追う映像のようだ。
お腹を空かしてフラフラのライオン親子 もう5日間も食べてない、
そこにヌーの大群が~~~
ライオン!そら今だ!追って倒せ~みたいな気持ちになる。
ライオンのことを応援したくなる。
痩せたライオンの映像を先に見せられると
ライオンの目線でヌーを見てしまう。
しかしヌーは遠いサバンナを目指して何千キロと走ってきた!
殺されたヌーには子供もいた・・・
辛い命かけの旅の最後にライオンに食べられたヌーのお母ちゃん・・・
憎い憎い ライオン!
もうすぐ平和な草いっぱいの大地が待っていたのに~と
ライオンを残酷な奴だと思う。
2005年だったと思う
ゴルカで機関銃を持った兵士に車を止められ
パスポートを見せろと言われた。
真っ暗な夜道で私はタクシーに乗っていた。
兵士か警官か国軍か、結局分らなかったが
あぁ~ここで死ぬのかと思った。
革命には犠牲が付きものだろう。
いい話ばかりではないようだ。
だれかと昔、 話をしたことがある。
どこの目線で事を見るか。
ネパールと言う国が私にとって身近で友人たちも住んでいるから
このドキュメンタリーをライオンからもヌーからも観れたけれど
まったく縁のない国だと 女革命家カッコイイ~と感動して観ていただろう。
ドキュメントの後半マオイストの戦士の中には
無理やり連れて来られた女性が多いことを伝えていた。
番組製作者側もライオンとヌーがいた事を最後に伝えた。
馬鹿者は若者から中年になり おばさんと呼ばれる歳になった。
一年前に訪ねたネパールは物価が5倍になり
人々が清潔でお洒落になり 物が溢れていた。
バブルで土地を転がしお金持ちになった知人もいた。
しかし、人々の生活はお金がないと、まったく立ち行かなく
バブルが1年前から崩れてきていると言う人もいたが
普通の人々は今 商売を始めなきゃどうする!と活気ついていた。
皆が幸せになってくれればそれでいいい。
しかし私には国中で綱渡りしているようにみえてならなかった。
2012年
あのマオイストの女性は今は幸せになったのだろうか?
※マオイストとは ネパール共産党総一毛沢東主義派を指す
※バンダとは ストライキを指す
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