19.lie -1 | 隣の彼

隣の彼

あたしの隣の、あのひと。……高校生の恋愛模様。


「ハイ」


素気ない声で、白いカップに赤い文字のオレンジジュースが差し出された。

海斗は、続けざまにストローも無造作に置くと、テーブルを挟んであたしの向かいに回り込み、三日月の形をした木製のベンチに腰を下した。


「……ありがと」


あたしはちらっと顔を見ながら、今差し出されたストローを袋の中から取り出し、ジュースの蓋に差し込んだ。

菅野くんとの電話のあと、海斗との会話はオーダーの時だけで。
目の前にあるのは、厳しい表情。


怒ってる?
怒ってるよね?
だからこんな態度なんでしょ?

じゃあ何であんな風に言ったの?
全然、海斗の考えてること、分かんないよ……。
あたしはちゃんと、海斗の気持ちが聞きたいのに……。


「食べれば?」


冷たい言い方。
その声の主をまたちらっと見て、テーブルに視線を落とす。

テーブルのちょうど真ん中に置かれたトレーの上には、ハンバーガーが二つとポテトのLサイズ。

海斗は無表情のまま、すっと目の前のハンバーガーを一つ取って、がさがさと包みを開けた。
開けたと思ったらそれはすぐに大きな口に運ばれる。
ひと口が大きくて、変わらず豪快。

あたしは食べたい、なんて気は起きなかったけれど。
食べていないと、この重たい雰囲気に飲み込まれてしまう気がして、包みにそっと手を伸ばした。


「いただきます……」


一応の挨拶をして包みを開くと、海斗がじろっとあたしを見る。


「つーか、さ。オマエ、とんびに気を付けろよ」


……やっぱり冷たい言い方だ。
それに、言われるほど、あたし、トロくもないし。


「大丈夫だし」


答えた瞬間、目の前に風が巻き起こったのを感じると共に、黒くて大きな物が過ぎる。
あたしは「きゃっ」と、その小さな風圧に目を瞑った。

一瞬、何が起こったのか分からなかった。
だけど、あっと、思った時には、一口も手をつけていないハンバーガーが手の中から消えていた。


「う、そっ!?」


急いでその黒いモノを目で追ったけれど、時既に遅し。
目に映るのは、空の高みで小さくなったとんび。

その姿は「ご馳走様」とでも言っているかのようにも見えて。
大きく両羽を広げて楽しそうに翻る。

茫然として空を見上げたままでいると、クククっと、あの笑い声が聞こえた。


「わ、笑わないでよっ」


すぐにとんびから、あたしを笑う人物に視線を移すと、口元を手で覆って堪えたように笑っている。


だから、もう!
いつも笑い過ぎでしょ!


「だってさ……マジで……凄ぇ……ぶぶっ。
言った傍から……っ」

「海斗ってば!
普通そこで笑う?
大丈夫? とか言わない?」

「だって、マジで信じらんねー……」


あはははっ、と、とうとう堪え切れなくなったようで、海斗は大きな声を上げた。

海斗の笑い声が、あたしの胸を締めつけてくる。

だって。
やっぱりあたしのこと、女扱いじゃないんだ、って。

悔しくって、涙が出そうだった。

麻紀さんが、あたしは海斗にとってちょっと違う、って言ってたけれど。
それは、恋愛対象に見てくれてないからじゃないかと思う。
瑞穂やミカに対してはもっと優しかったし、こんな風に笑ったりしないと思う。

それにきっと、未知花さんにだって――。


目頭が熱くなってきて、喉まで込み上げてくるものを、奥歯を噛み締めながら飲み込んだ。


「何だよ。そんなに食べたかった?」


俯くあたしの上から、海斗の声が聞こえる。


……て。
食べたい、とかじゃ、ないし。
こーゆートコ、鈍感すぎだよ……。


「涙目」


そう言ってあたしの瞳を指さす海斗を、顔を上げて睨みつけた。


「違う、し」

「新しいの、買ってくる?」

「……いらないもん。
おなか空いてないし」


可愛くない。
あたしって、ホントに可愛くない。

だけど、どうにもならない気持ちがここにあって……。


そのまま黙っていると、海斗は小さな溜め息を吐いた。


――呆れちゃった?


自分の子供っぽさと不甲斐なさの両方に情けなくなって、視線をまた下に落とした。
なのに、優しい声が上から言った。


「ほら」

「え?」


目の前に差し出されたのは、ギザギザにちぎられたハンバーガー。


「半分、食えば?」


海斗はそう言うと、食べかけの片割れのハンバーガーをぱっくりと口に入れた。


意地悪、と思ってたのに。
こんなの、予想外っていうか……。

半分っていうのが、嬉しいっていうか……。


「あり、がと……」


あたしは目の前に差し出されたその半分のハンバーガーを、海斗の手の中から受け取った。
そして、そのまま口に運ぶ。

口を動かしたまま、上目遣いに見上げたその顔は、いつの間にか優しい顔になっていて。
しょうがねーな、って、見守るような温かい顔つきで。


ヤバい。
マジで涙出そう……。

意地悪だし、あたしのこと、からかってばっかだし。
どうでもいいような態度を取られたりもするけど。

だけど、こういうトコ、好き。

弱いなぁ、あたし……。
ほんのちょっと前まで、拗ねてたクセに。


一気に温かい気持ちが、身体に流れ込んでくる。


それに。
海斗の機嫌も直ったみたいで。
とんび様々かな、とか、思っちゃう。


「ねぇ、海斗」


あたしは正面の海斗の目を見つめた。


「ん?」

「菅野くんとは、ホントに話をするだけなの。
きちんと会って、話したいことがあるの」


きちんと、言っておこう。
変に意地張ったまま、こじれるのは嫌だし。
ただでさえ、あたしは不利なんだから……。


機嫌は直ったみたいだけれど、それでも何て返事が返ってくるのか、ドキドキしながらジュースを口に含んだ。

少し氷が溶けてほんのり薄くなったオレンジジュースが、カラカラに渇いた喉の奥を潤しながら冷たくしていく。


――別に気にしない、とか、また言われるのかな……。


そんな嫌なほうのドキドキで待つ。

数秒後に、海斗は答えた。


「うん」


ただ、一言。
それだけ。

怒っているような態度ではないけど、気にしているというような態度でもない、素っ気ない返事。

感情が、読み取れない……。



「あれ、海斗?」


後ろから男の人の声が急に入り込んだ。
振り返ると、サーフボードを持った男の人が二人立っていた。


「あー。原田さん、久保さん」


海斗が嬉しそうに声を上げ、二人は近づいてくる。


原田さん、って、さっき麻紀さんが言ってた人かな?
会ったら店に寄って、って言ってた。


「何だよ、オマエ、珍しく来てたんだ?」

「朝、店にも寄ったんすよ」


海斗が答えると、その二人と目が合い、あたしは軽く会釈した。


「こんにちは」

「菜奈、ウチのサーフチームの先輩なんだ。
原田さんと、久保さん。オレの二コ上」


海斗は手で二人を指して、説明してくれる。
こんにちは、と、お互いに挨拶を交わす。


「つか、海斗、彼女?」


原田さんがにやにやしながら言った。

どきっと、した。

だって。何て答えてくれるんだろう。
麻紀さんは、色んな女の子をここに連れてきた、って言ってたけど。
あたしのこと、ちゃんと彼女って、言ってくれるの?


「そうだよ。
つーか、原田さん、麻紀が店寄って、って言ってた」


何でもないように、さらりと海斗は答えた。


――『そうだよ』って……肯定、した……。


胸がきゅうっとする。
ホッとするよりも、そっち。


原田さんはボードを片手に持ったまま、テーブルに手をついた。


「あー、そうそう。俺、今日誕生日なんだよ。
彼女いなーい俺のために、麻紀がケーキ用意してくれるって言ってたからな。
海斗も来いよ。
えっと、菜奈ちゃん? 良かったら来てくれない?」


原田さんはそう言って、白い歯を見せながら満面の笑みをあたしに向けてきた。


「え……あたし、行ってもいいんですか?」

「来てくれる?
ヤローばっかで、女の子来てくれると嬉しいんだよねー」


にんまり笑う原田さんに、海斗は苦笑いをして目を細めると、

「しょーがねーな」

と、言って立ち上がった。






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