海斗からのメールも電話も、返事は来ないまま三日が過ぎた。
気になって仕方がないのに、またあたしから連絡を入れるなんて癪で。
時間だけは勝手に通り過ぎていく。
なんで!?
大体最初だって、オトしてみろ、って言ったの海斗じゃん!
連絡しろ、って言ったのだって!
こんな風にあたしのことを巻き込んで、何で返事の一つもよこさないの!?
好きじゃなくたって……恋愛感情がなくたって、こんなの普通怒るよ!
それは、アイツの引きの手段?
こうやって『どうして?』って、気にさせるためなの?
それとも。
――本当にどうでもいいから?
「ヤダヤダ。怖い顔。
そんなに気にしてるなら、電話すればいいじゃん」
エレベーターの中の光る階数字をぼんやりと見つめていたあたしを、瑞穂は眉を上げて覗き込んだ。
そして、肩まで竦めて見せる。
「しない。
だって、あたしはちゃんと、メールしたし」
「でもさぁ、返事がこないなら電話したほうがいいんじゃない?
『もしもし~? 連絡ないから心配になっちゃったの。どうかしたの~?』って。
可愛く、さらっと」
耳に電話を持つような仕草をして、声色まで変えて演技する瑞穂。
「イヤ」
あたしは間髪なく答えた。
「強情ねぇ。
もしかしたらメール、届いてないのかもよ?
メアド間違えてるとかじゃないの?」
「ちゃんと確認したもん……」
あたしは瑞穂の方へと顔を向けると、それ以上何も言いたくなくなって、唇を引き結んだ。
あたしと目が合うと、瑞穂は分かっているように優しそうに微笑む。
だって、あたしだってそう思ったもん。
間違えたのかな? って。
だから何度も見直した。
四つに折ったあの紙の折り筋が擦れるくらい、何度も。
思い出してまたムカムカと胃が重たくなると、エレベーターは一階に到着して軽快な電子音を鳴らした。
「気にさせるための手段か、もしくはどーでもいいから連絡するの忘れてるか……だね」
瑞穂は前を向いて、先にホールに降り立ちながら言った。
あたしもその瑞穂の後姿に続く。
「……あたしもそう思う」
思わず、ふう、と息を漏らすと、瑞穂は足を止めてくるりと勢いよく振り向いた。
「もう一つ。
何か連絡出来ない理由があるのかもよ?」
「理由……?」
あたしの足も、そこで止まる。
「まぁ、ちゃんとメールが送られてるなら、そのうち返事も来るでしょ?
理由があるならその時話すでしょ?
何も言わないなら、その時はその時よ。
まー元気出しなって! ランチくらい奢ってあげるからさ。
ほら、先月近くにオープンしたイタリアンあるじゃん?
パスタランチ、美味しかった、って夏美が言ってたよ。そこ行ってみようよ」
瑞穂はニコニコしながら、あたしの肩をぽんぽんと軽い調子で叩いた。
あたしがこんな風にもやもやとしてるのなんて、男の扱いが上手い瑞穂にとっては大したことじゃないんだろうな……。
でも、まぁ、頼りになるよ、いつも。
楽しんでふざけているように見えても、結局は、あたしが落ち込んでると元気にしてくれるもんね。
「行く!」
あたし達は歩き出してエントランスホールを過ぎ、入り口の自動ドアを潜った。
すぐにじっとりした熱い空気に包みこまれ、灰色のアスファルトを照り返す眩しい夏の光が打ちつけてきた。
瑞穂の言っていたイタリアンレストランは、会社のビルから歩いて3分くらいの小さなビルの地下一階だった。
小さな、と言っても、ビル自体が新しく建てられたばかりで、つい最近まで工事していたのも知っている。
ああ、ここの店だったんだ、と思う。
白いタイル張りの外観がスタイリッシュで、一階は大きなガラスが印象的な明るいカフェになっている。OL受けしそうな感じの造りだ。
店内へは、ビルのホールに入らず、通りからの階段を下るようになっている。
二人分のヒールの音を響かせ、階段を下りた。
コンクリートの打ち放しの壁に落とされる間接照明が、落ち着いていて大人の雰囲気だ。
すぐ先の入り口のドアを開けると、暑さから一転して冷えた空気が流れ込み、瞬時に汗が引いてくれる。
ちょうど昼食時とあって、見渡した店内はやはり混み合った様子だった。
白いぱりっとしたシャツに黒のパンツ、ギャルソンエプロンのスタッフが、あたしたちに気が付いたようで、すぐにこちらに向かってくる。
「いらっしゃいませ。お二人様ですか?」
「はい」
「只今、10分程お待ち頂くと思うのですが……」
「10分……」
時間の限られた昼休みだと、10分待つだけでも結構ぎりぎりだったりする。
「どうする?」
反応のない瑞穂の方に首を捩りながら確認する。
だけど瑞穂は、そんなことは全く聞いていないような驚いた表情で、店内の向こう側をまっすぐ見ていた。
「どうかした?」
「ちょっと、菜奈、アレ」
瑞穂は店の向う側へと小さく指を差す。
……何?
あたしは、瑞穂のその指し示す方へと、視線を這わした。
昼時の、ざわざわと騒がしい店内。
いくつもあるテーブルは満席で。
そんな人で埋め尽くされた店内で、すぐに見つけられるほど一際目立つ人物――。
視界に入った途端、ドクンと心臓が音を立てた。
――海斗。
と、麻紀さん……。
小さな二人席に対面で座っている二人の間のテーブルには、席についたばかりだととれる水の入ったグラスが二つ。
その透明なグラスの上に、楽しそうに微笑んでいる、アイツの顔。
何で……。
何で、二人でいるの?
「ちょっと……待ってて……」
あたしは零したように瑞穂に言って、ふらふらとその席に近づいていった。
運良くか、二人の席の近くには、細い木で組まれたパーテーションが置いてある。
きっと、あたしがいるなんて気付かない。
店内は人の声でざわめいているのに、否応なしに、二人の声があたしの耳に入ってくる。
ううん。
聞こえるところまで近づいたのは、他でもない、あたし自身だ。
「コレ」
麻紀さんがテーブルの上に、バッグから取り出した携帯電話をすっと置いた。
――黒い携帯。
直感で、分かった。
それが海斗のモノだって。
それを証明するように、海斗は迷いなくその黒い携帯電話を受け取った。
白いテーブルに、重なった影が出来る。
「サンキュ。
多分、麻紀んちに忘れた気がしたんだ」
心臓が、嫌な音を立てた。
何、それ……。
麻紀んち、って、どういうこと……!?
掌に冷えた汗が滲み出た気がして、あたしはぎゅっとその手を握り締めた。
親指の付け根に、力の入った指先の爪がぎゅうぎゅう食い込む。
……イタイ。
「ごめんね、すぐに返せなくて。携帯ないと不便だったでしょ?
昨日まで九州に出張だったから」
「仕事用の携帯は別だから、どーにかなってた」
「そう。ならいいんだけど。
こうして一緒にご飯食べれるしね」
落ち着いたトーンで紡がれた声の語尾が少し上がって、長くてしなやかな指が、微笑んだ麻紀さんの顔の前で組まれた。
何で……?
どうなってるの……?
何で麻紀さんの部屋に、海斗の携帯があるの……!?
ぎゅっと胸が苦しくなった。
胸のどこかを誰かに一握りされたように、苦しく。
声なんて、出なかった。
かけられるはずも、なかった。
そんな気持ちに気が付いたように、あたしの肩に瑞穂の掌が柔らかく乗せられた。
瑞穂の言いたいことは分かってはいたけれど、あたしはすぐに振り向けなかった。
固まったように、ただココから見える二人の楽しそうな姿に、視線を捕らわれたままだった。
「行こ」
そう瑞穂の声が聞こえたかと思うと、肩の重みはなくなった。
その代わりに腕を引っ張られて、あたしは縺れる足で店を後にした。
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