こんにちは、奥原世詩絵です。

私の記事を購読頂いている方、偶然見かけて読んで頂いてる方、全ての関わりを持って下さってる方々へ、ご縁をありがとうございます。

「シュガーと導きのお月さま」、第3章まで進んだ所ですが久しぶりのブログの記事を今回、個人的なお話とさせて頂きたく思います。

このお話は、巷に溢れている「引き寄せの法則」だとか、スピリチュアルにまつわる話を私の解釈でストーリーに組み立て語らせて頂いています。


みなさんは自分の人生を、現在どう生きていますか??
長く生きてれば生きてるほど、時には楽しく、時には死んでしまいたいと思うほどの苦しみを抱くこともあったのでは無いかと思います。

私も、そうです。

例えば私の場合ですと、もうほとんど一年前になりますが私の人生において大きな出来事が私を襲いました。人間関係において複数のつまずきがあったのです。

なし崩しに、自分の生活において「依存」にも近いエネルギーを割いてたコミュニティで自分の居場所を失いました。
仲良しだと思っていた方々、最大限大切に扱ってた方々の態度が一変、私の言う事を信じてもらえず、また誤解を私から解くチャンスも与えられず、私はそのコミュニティから離れざるを得ませんでした。
気付いたら私は「怨み」や「悲しみ」、「不信」に心を支配され、そして一番大切で、人生の全てを捧げたいと感じていた方とも離れることになりました。

私の30年余の人生の中で、ここまで他人に嫌われた事は初めてでした。嫌ってきた相手には改めて謝罪のメールを誠意を込めて送った事もあります。残念ながら、メールを送った複数の相手は誰一人私の行為に対して返信はくれませんでした。少なくとも、自分の力では対処は不可能だったのです。

「もう嫌だ、こんな人生に何の意味があるのか。もう死んだも同然だ、死にたい。死にたい」

そんな気持ちのまま、しばらく生きる為の呼吸だけをして毎日をこなしていました。
私は夏が大好きです。各地で催されるお祭りや花火大会、一年間の中でここまで魂が踊る季節は無いと感じています。しかし、去年の夏は人生の中でも最低だと評価しても過言では無いくらい何に対しても能動的になれずに終わったと思います。それはそうですよね、心はほとんど死んでいたのですから。

脳の仕組みとして、有名な話にこういうものがあります。

「人間の脳は、目の前で起きてる事と頭の中で描いた空想を区別できない」

死んだように生きていた期間。ふとした時にこの言葉を思い出した私は、都内の用事で長時間電車に乗る必要があった時に電車の中で移動時間目一杯を「自分を嫌ってた人達と仲良く交流して、楽しい時間を過ごしている」イメージに費やしました。目を閉じて、過去に経験した悪い事を一切無視して、楽しかった事を反芻するようにそのイメージを掘り出してみたのです。
私の経験の範囲のみの話で言えば、その行動は大当たりでした。
イメージを自分のしたいだけ行い、目を開けて現実に戻った私の心は、晴れていたのです。
謝罪メールの返信をくれなかった相手に感じていた怒りさえ、消えました。「謝罪を受け入れてくれない、許してくれない相手を私が許そう」そう思えました。それが私ができる当時のベストのように感じたからです。

この話は、勘のいい方ならもうお気づきかもしれませんが第1章「ゆるしのおはなし。」の元となっています。
それから半年以上の間自分の人生、自分の内側を再度見つめ直す為に、依存していたSNSのログインはやめて精神世界にまつわる勉強をしました。
自分の人生を立て直せるのは自分だけ、自分の心を助けられるのは第一には自分しかいません。
「人に相談すれば助けてもらえる」
そう言いたい方もいるでしょう。でも、人に相談しアドバイスを聞いた所で「そのアドバイスを取り入れるかどうか」は自分の選択です。結局は、自分の納得できる答えを自分で見つけないと真の意味での助けにはつながりません。そして、つまりそれは人の意見に依存する限り「答え」にたどり着く事は難しい、という現実を意味します。
ですから私は自分を救う為の、何かを掴むまで外の世界の人との繋がりをほぼ絶って生活しました。自分を守る為でもありました。

なので、大変だったのは去年の4月。
私は地震の事で嘆いていた熊本出身の友人の心を救うお手伝いをしたくて熊本復興支援として「友情のルビー義援金」という活動の代表をしていました。
私の義援金に最低千円の協力をくださった方全員の似顔絵を描かせて頂き、その似顔絵をエールとして友人に贈り、集まったお金は全額寄付に当てるという活動です。
無名の絵描きの発案に、たくさんの方が協力して下さって嬉しかったのですが、心が死んだ状態でその絵を完成させる必要がありました。その時は、代表としての私の責任やプロの絵描きとしての信念を神様から試されてると思いやり遂げましたが、正直とても辛かったですね。笑

しかし、結果的にその間にたくさんの気付きを得られて、私は本当に「幸せな虚無」を生きていたな、とそう思うのです。

まだまだ、この記事では書ききれない様々な心を救う処方箋を自分なりに見つけ、現在でもそれを思い出し日常を生きています。

私と同じように、人生で辛い経験をした、または現在進行形で辛い状態である方も絶対いると思っています。私は、その方々の心を少しでも救えたらなと、「シュガーと導きのお月さま」を書いています。しかし、このお話は私から他のSNSで拡散はしないと思います。絵描きですし、自分で作ったものはいつもなら拡散しまくるのですがこのお話が必要な方には、その縁があります。拡散せずとも届くはずです。それで十分だと思っています。

ちなみに「つきみん」は、私の人生のメンターである方をモデルにしています。その方と出会えた事で、私の人生は本当に望んでいた生き方を気づくきっかけを得られました。そして、人生で出会った中で一番尊敬に値し、特別なエネルギーを身に纏った、世界一優しい心を持った方であります。現在はあまり話す機会も、接する機会も無くなってしまいましたが、いつもよりよい人生を生きて貰う様に祈らせて頂いてます。

その方の優しい心の側面だけでも、このお話を読んで下さってる方に伝える事が出来れば、とても嬉しいなと思います。

支離滅裂な記事になって申し訳ありませんが、最後に私が生きてる上でいつも心に置いている言葉をご紹介致します。

「今、ここに生きる」

「人生すべてうまくいっている」

「状況は問題ではない、在り方が問題だ」

「他人の振動数を上げる人で在れ。自分の振動数を下げない人で在れ」

全てはあなたの内側の話、良くも悪くもそれ以外にありません。それに気付くと、ふと心が軽くなるかもしれませんね。

長々とお話にお付き合い頂き、ありがとうございます。
今日も、世界人類の皆さんが平和で、笑顔で、幸せに1日を過ごせます様に。

奥原世詩絵でした。