言い表せない憤り | まだらねこの日常

まだらねこの日常

塀の上から黙って見てた…猫的観察 ブツブツ遠吠え

ハッピーねこちゃんさんのシェルターにいた保護猫チロリが逝った。
いつかはその日が…とわかっていたけれど、やはりショックと、続いてやり場のない怒りがこみ上げた。

ハッピーねこちゃんさんがSOSを受けチロリを保護 したのは活動管轄外の公園でのことだった。
看取りになるだろうと思いつつ、ハッピーねこちゃんさんは多大な医療費を負担し、チロリは生き延びた。
当時日本にいたまだらねこの所に、強制給餌をして欲しいということで短期間だけやってきたチロリ。
骨と皮。 こんなにやせた猫を見たのははじめて。 
「チロリ!」と声をかけると、顔をあげ、まっすぐに見つめてくる。
どんなにひどい目に遭わされたかわからないけれど、人間が大好きな優しい猫でした。
まだらねこがイギリスに戻るので、シェルターに行くことになり、秋にまた会おうね~とお別れした。
若くてきれいなお姉さん に抱っこされて、しあわせそうなチロリの写真をブログで拝見したのが最後。

看取ることがわかっていて保護するのがどんなに辛いものか、体験した人でなければわからないだろう。

心が沈んだ同じ日に、まったく正反対の立場の某地域猫ブログを拝見し、非常に複雑な思いを抱いた。
「住民から感謝されるボランティアと苦情を受けるボランティアの差は何か」。
明らかにブログ主さんはご自分は他のボランティアさんとは一線を画すと思われているようだ。
一方で派手な講演会活動や功績を自慢することをせず、年金を猫のために使っているボランティアさん。
っそりと死んでいく野良猫たちを黙って看取るボランティアさんも大勢いる。

「ボランティア活動」において感謝という対価を求めるのだろうか。
感謝されたくて活動しているのではないだろうが、「感謝された」「拍手喝采を浴びた」という記述も多く、
実に興味深い内容のブログなので楽しみに拝見しているが、考え方の違いを痛感することも多い。
最近はここまでの成果を実現したのが練馬区の功績、「公益活動派」の尽力によるものであるような表現や、
以前から地道に努力してきたボラさんを否定するような記述が増えてきたような印象を受けた。

本当に色々なボランティアさんがいて、様々な信条があるものだと思う。

地域猫活動の表舞台と裏舞台。しかし、どちらに立つかは各自の自由。
ハッピーねこちゃんも他の多くの地道に活動するボランティアさんも拍手喝采など求めてはいないだろう。
「ノラ猫の被害を減らすため」に、時間と私財を投じて活動している人は多くはないはずだ。

今日は非常にヘコみました。 

        おやすみ、チロリ

だめだ、涙が止まらない。 更年期だからね。