台湾では本日より、保護施設の動物たちの殺処分が法律で禁止されることになりました。
 
各所の猫ブログで話題になってますね。
 
そして再燃することになったのが、とある獣医師の自殺。
 
 
準備期間中だった昨年、働いていた施設で動物を安楽死させる仕事を負わされていた獣医師の簡稚澄(Chien Chih-cheng)さんが、安楽死用の薬を使って自殺した。動物好きだった簡さんは施設で動物を殺処分することに苦しんでいたという。動物愛護活動家から「処分屋」呼ばわりされていたとの報道もある。
 
簡稚澄さんはテレビに登場して、犬を買わないでほしい、身寄りのない保護犬の里親になってあげてほしい、そう訴えていました。
 
彼女はまた、過去2年間に700頭の犬を殺処分せねばならなかった、と自身の仕事の内実を打ち明けたそうなんですよ。
 
そうしたら。
 
 
今風に言うと、「炎上」しちゃったんですよ。
 
動物愛護活動家から報道関係から通りすがりの一般人から、リアルでもネットでも、執拗な嫌がらせを受けたそうです。
 
「女処刑人」だとか「美しき屠殺者」と批判され続けたこの辺りの話は、TelegraphBBCの取材で英語圏に紹介されました。
 
 
自身の仕事にも世論からの批判にも疲れ切ってしまったのか。
 
簡稚澄さんはそれまで動物の殺処分に使ってきた薬を自らに注射して、一週間後に亡くなりました。
 
彼女の死が今回の法案の早期成立を後押しすることにもなったそうです。
 
 
みなさんは、どう思われますか。
 
彼女は自分の仕事をこなしていただけで、問題があるのは獣医の仕事の現状なのか。
 
許容できない一線があるならそれを守ることこそが、人としてのあるべき姿なのか。
 

 
人間だって生きていかねばならない、という普通の現実を前提から始めるべきなのか。
 
外野は黙ってりゃいいのか。
 
すぐには回答の出ない、でも回答を出さねばならない、倫理的な問題です。
 
 
少なくともいまの獣医の仕事には、動物を治療することだけじゃなくて、動物を殺すことも含まれるわけです。
 
鳥インフルエンザや狂牛病で大量に殺処分が必要になったときにも、駆り出されるのは獣医さんですよね。
 
人間の医師には患者の殺処分は許されないけど、獣医にはそれが許されているわけです。
 
 
このことは、獣医さんに準の安楽死をお願いしたときにも悩みました。
 
お世話になった獣医さんに自分はなんてことを頼んでるんだ、って。
 
自分の代わりに殺してくれ、ですと?
 
 
同じ猫を殺すにしても、行政上の殺処分と、尊厳上の安楽死はもちろん違うけど。
 
動物を殺すのが好きだから獣医を目指す、なんて人は、おそらくいないでしょう?
 
獣医さんは動物を助けること(を自身の生活の糧に)したいから、この仕事を選ばれているはずです。
 
 
殺処分は獣医の主たる仕事ではありません。
 
でも獣医になるってことは、殺処分も自身の仕事のうちに含めることになる。
 
行政上の殺処分が禁止されることでジレンマが少しでも解決するのなら、それは歓迎したい。
 
 
もっとも、今後別の問題が浮上する可能性は十分あり得るでしょう。
 
殺処分できなくなったら、保健所はパンクしてしまうのではないか。
 
野に放つ人が余計増えてしまうのではないか、とか。

 
先日ご紹介した、エライザさんのトラさん。
 
残念ながら、昨日お亡くなりになられてしまいました。
 
お悔やみ申し上げます。
 
 
私たちは、どう生きるべきなのか。
 
人間が猫から教わることは、まだまだありそうです。