憎しみは時としていろいろな形になって現れる。
私の一番の友人から個人的な話を聞いた。
彼は小さい頃に養子に出され、その後養子先の夫婦も離婚した。
彼はその後いろいろな苦労を重ねる。
全ての苦労は自分の運命だ、母親を憎んじゃいけないと思いながら孝行息子として生きようと思っていた。
しかし、潜在的には心の奥底で母親を憎んでいた。
どうしてもその気持ちを消化し受け入れる事が出来ず母親を遠ざけよう遠ざけようとする。
頭ではそんな親不孝な事を考えてはいけない、お前は最悪な息子だ、親不孝者と自虐的になっていた。
何故か?
顕在意識では母親を幸せにし恩返ししなければいけないと思う反面、
潜在的にもう厄介な母親とかかわり合いたくない、寝たきりになる母親の面倒は見たくない、もし母親がいなかったら俺の人生はもっと良くなり成功していたはずなのに!と彼の不成功の原因をいつも母親のせいにしていた。
徐々に強まる母親と離れたい、縁を切りたいと思う邪悪な心。
更に母親と性格が合わないような絶対一緒に暮らさないような女性をわざとに選んだりする。
周囲からは非難豪語のあらし。
彼は俺は間違ってないと何度も自分に言い聞かせ自分を正当化するのに躍起だった。
だからこそ仕事で成功し結果を出すことでそれまでの選択や決断が間違いなかったと証明するしかなかったのだ。
彼の奥底のおもいは
“俺に余計な苦労させて、そのうえ養わなければならないなんて最悪だ、何故そんなに俺は苦しい事を背負わなければならないんだろう、血がつながっていないのに。
もし、俺は養子に出されず生まれたところで育てられればこんな重荷になる母親を背負わなくて良かったのに、最悪だ!”と。
今まで育ての母親を憎み裁いていた彼。
そうすると彼の潜在的な根底にある心構えは憎しみと裁きであるとすると、必然的に愛を与える人ではなく愛を欲する人であり、愛されたい人、愛に餓える人、極端にいえば愛を奪う人になる。
愛と憎しみは同居出来ない。
彼の心は憎しみによって支配されてる。
愛で満たせない彼は、愛の渇望者になる。
心の不足感をどうしたら埋めることが出来るのか?
愛で心を満たすためにお金と時間を使う。
その事でしか愛情を表現出来ないし、愛を受けれないのでは?と思っていた。
見せかけでもいいから愛を手に入れようとする。
与える人ではなく与えられたい人。
与えない人と付き合うと常に心が満たされない。
不足感がつきまとう。
心は愛を求めても言葉は逆の事を言う。
相手との関係がこじれる。
そして別れる。
また新しい愛を求めて愛をくれる人を探す。
しかし、また同じ繰り返し、そんな彼が幸せになれるわけがない。
彼は人一倍幸せになりたい人。
どこかに罪悪感をもち哀愁漂い妙に明るいと思いきや妙に自信なさげ。
そんな彼に転換機が訪れた。
人生で最も大きな出来事である。
母親を赦したのだ。
彼の心の中からは全ての憎しみや裁きが全て溶け始め、愛が芽生え始めた。
長年、彼の人生の成功に一番ネックになっていた原因がようやくわかった。
それが母親への赦しだったのだ。
長年の彼の無形目標は愛情たっぷりの男になる。
彼の心は今、愛と勇気でみなぎっている。
彼の今後に大いに期待したい。
ありがとう私の親友に感謝します。