中小企業の活性化と若者を支援することで日本をよくしたいと考えています。

その想いから日々の疑問・怒り・生き方のヒントなどをブログに綴っています。


人の痛みに鈍感な人間が増え、日本の個人主義・合理主義が加速化しました。
競争社会の勝者が強者ではなく、弱き者を助けるのが真の強さであり優しさ
です。


真摯かつ誠実に生きている人が今後の日本社会をより賢く幸せに生きるヒント

見つけられる記事を綴っていきます。あなたの毎日に幸せが舞い込みますように。

NEW !
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元TBS局アナの雨宮塔子さん(45)が古巣であるTBSのニュース番組
「NEWS23」にレギュラーキャスターとして加入することになりました。


成城大学出身の彼女は、お世辞にも頭はよくなかったのですがスキーなど
スポーツ万能で、気立てはよく「チューボーですよ!」のイメージどおり。
1999年にTBSを退社後は絵画研究のためにフランスに渡りフランス人と
結婚。そこでの生活が派手であったり、ゴタゴタがあったためにイメージ
ダウンになりましたが、私の知っている彼女は非常に魅力的な女性です。



一方、彼女と生年月日が同じ元フジテレビ局アナの富永美樹さん(45)も
東京外語大学卒業の才女で英語はペラペラ。おっちょこちょいな面はある
もののテレビで見せているとおりのあっけらかんとした嫌味のない性格。
元シャ乱Qのメンバーまことさんと結婚退社。おしどり夫婦として仲良く
番組に出たりしていますが、アナウンサーというよりはタレント的要素が
色濃くなってきているかもしれません。



同じく元フジテレビ局アナの平松あゆみさん(45)も上智大卒の帰国子女。
入社5年で学生時代から付き合っていた男性と結婚退社。その後は京都に
移住。2008年からご主人の転勤で3年間パリに滞在し、寄寓にも雨宮さんが
住む区に移住したため交流を深めたそうです。

3人とも私が就職支援の仕事を始めたばかりのときに、1年ほど関わらせて
いただいただけなのですが、キャラ立ちしていてアナウンサーになるべく
してなったように感じます。その後にキー局のアナウンサーになられた方
たちも皆さん何かしらの光るものをお持ちで人事部の見る目は確かだな~
と感嘆すら覚えたほどです。


最近、視聴率の低迷が叫ばれて久しいフジテレビですが6月28日には、
入社7年目となる細貝沙羅元アナウンサー(29)が人事部に異動しました。
彼女もミス慶応の候補に選出され、『全日本国民的美少女コンテスト』の
本選に進出した逸材でした。しかし異動直前の地上波レギュラーはなく、
出演番組はBSやCSばかり。「アナウンス技術が著しく低くアドリブ力が
必要なフリートークが全くできなかった」と、フジテレビ幹部は指摘します。

対してフジテレビの社員は「細貝を潰したのは、フジテレビと幹部ですよ。
とにかく会社として人材育成のシステムが全く構築されていないのです。
視聴率が取れないため、頼るのは社員のアナウンサーではなくタレント。
予算がないときはアナウンサーを使うんだけど、加藤綾子など知名度の
ある女子アナばかり使う。加藤が辞めてからは山崎や永島優美ばかり。
その結果、
若手が育たない。こんなことを続けていったら、第2、第3の
細貝が出てきますよ
」と反論します。


このようなことが起きているのはフジテレビだけではなく、TBSを見ると


2014年9月 田中みな実アナ(29)が退社、フリーに転身したのを皮切りに
2015年6月 桝田絵里アナ(30)がプロ野球選手と結婚して退社しました。

2016年3月 佐藤渚アナ(28)がサッカー選手と入籍し、近々退社予定。
2016年3月 小林悠アナ(30)が体調面を理由に退社しました。
2016年4月 久保田智子アナ(39)が米国勤務の夫と同居で退社発表。
2015年5月 笹川有里アナ(25)がフェンシング選手と年内に結婚を発表。
2016年7月 林みなほアナ(26)が社内結婚で年内には退社の予定。

結婚退社ラッシュで冒頭に挙げた15年ほど前の状況に、よく似ています。

少し前にも記事にしましたが、本気でアナウンス業をやりたければNHK。
キー局のアナウンサーはタレントです。また永久就職の相手を見つける
には打ってつけの職業かもしれませんが。そこを、よく考えてくださいね。

最後に、狩野恵里さん、『
『モヤモヤさまぁ~ず2』卒業おめでとうございます。
今後のさらなるご活躍を楽しみにしております。そろそろ結婚なのかな~

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雑誌『プレジデント』の記事で、久々のヒットがありましたので、
ご紹介したいと思います。メンタルトレーナーの梯谷幸司さんが
書いた記事になります。緑は記事内容青は私のコメントです。


初めに病気と言葉の関係に気づいたのは、自身の体験からでした。
まだコーチングの勉強を始めた新人の頃、忙しさのあまり、過労から
マイコプラズマ肺炎になって入院しました。当時の上司がお見舞いに
来てくれたときの言葉は忘れられません。

開口一番、「君は何を言っていないんだい」と聞かれました。突然で
面食らいましたが「休みをください」と返しました。すると、上司は
「人は、口で言えばいいことを、体で表現する。次回からは体でなく
口でそれを言いなさい」とだけ言って帰っていきました。その後、
私のマイコプラズマ肺炎は医師の予測よりずっと早く治りました。



言葉を発することができない赤ちゃんが、泣き叫び手足をばたつかせ
全身を使って感情を表現するのと同じようなことだと思います。


これまでに、さまざまな悩みを抱える人々に会ってきましたが、彼らに
共通していることは「誰かに何か言っていないことがある」「許せない
人がいる」「受け身的な解釈をする」「原因を外に求める」などです。

こうした価値観や思いを持って生きていると、人は徐々に本当の自分の
気持ちを抑制して生きていくようになります。「本来自分が望んでいた
人生」からズレていくのです。どんなに社会で成功をしている人でも、
どんなに財を成している人でも、この点は共通しているようです。


      


誰かに言いたいことや伝えたいことがあれば、それを言葉にすればいい。
表現方法は工夫しなければいけませんが、自分の中に溜めこむことで、
結果的に体が異常をきたすことになります。


「自分の人生を生きる」ということは、誰かと競ったり、自慢するため
だったり、または誰かのために生きることではありません。
自分が心から喜びを感じることをやっているかどうかに尽きます。
家族のために仕事をし、我慢をしながら懸命に頑張ることが当たり前で、
必死にやっているというのが世間の大半でしょう。「本当にやりたい
ことだけできる人生なんて幻想だ」という人もいることでしょう。

しかし同じ「仕事をする」でも、生活の糧のために仕事をするのか、
何か大切な役割のための仕事なのかで動機が全く違ってきます。もし、
今の仕事に満足していなければ、その仕事を「人生」というもっと
大きな流れの中で、自分にとってどのような意味があるのかを俯瞰して
見てみるのです。これまでとは違ったものが見えてくるはずです。


誰かのために自分の人生を生きたり、誰かとともに自分の人生を生きる
ことがあってもいいと思います。ただし、それが本心からのものでなく
やってあげているという恩着せがましさがあると相手に伝わらない上に
自分の体調も崩します。また本当に自分のやりたかった仕事でなくても
その仕事をすることが自分にとって何かしらの意味を見いだせるもので
あれば十分なのです。



病気も同じことです。成し遂げたいことがあるから病気を治したいのか、
ただ病気を治したいから治療をするのかで、回復の程度もスピードも
異なります。

病気は、「自分が本来あるべき人生からズレているんだよ」と知らせて
くれるサインであって、敵や怖いものだと感じる必要はありません。
病気からヒントを得て考え方をシフトしてみることで、体調だけでなく、
人生にも変化が起きるかもしれません。


この部分に関しては、最後にまとめて私見を述べます。


認知症の患者さんは家族間での問題が多いようです。私は患者さんに
対して、繰り返しこう言います。「私の前では認知症は通用しませんよ。
一体何のために認知症になっているのですか?」と。しばらくすると、
「子どもに遺産を渡したくないから」だとか、「夫の面倒をみたくない
んだ」など、何らかの返事が返ってきます。逃げ出したいことがあると
認知症になって逃げ込むのがありがちな特徴のようです。


そうでしょうね。お年寄りの生きる知恵が生み出した病ですからね。


がんになる人も、「上司に不満がある」「夫が浮気をしている」
「姑とうまくいっていない」など、必ず何らかの理由が返ってきます。
しかし、なかなかそれが口に出せなかったために、病気という形で
体が表現をしているようです。


これもそうでしょうね。必ずしも不満ではないかもしれませんが、
家族や、その周辺に対して何かしらの心配事があるんでしょうね。



そして、これが最も重要です。不完了な感情がないかどうかの確認です。
不完了な感情というのは、未消化の感情とでもいいましょうか。
患者さんの多くに「絶対に許せない」という感情が見られます。
この「絶対に許せない」を「許す」に変える決意をすることが非常に
重要な一歩となります。許せないことが習慣になっていますし、中には
許さないことが生きるよるべになっている場合もあります。しかし、
病気と決別したいのであれば、ここで「許す」と決心できるかどうかが、
ひとつの鍵となります。


「許す」というよりも「受け入れる」ことが大事なのだと思います。
こだわりを持つことも必要でしょうが、変なこだわりがなくなれば、
人間は実に清々しい気持ちで毎日を送れるようになると考えます。


ある日、私のクライアントが「私、この病気でいることをやめることに
しました」と言ってきました。彼女は病気は自分で作るもので、自分で
やめることもできるのだということに気づいたようです。進行がんの
患者だったのですが、それから3カ月ほどでがんが縮小して、最終的に
がんが消え、主治医も驚いていたそうです。

別に彼女が特別というわけではありません。自分の人生は自分が
コントロールしているという感覚を持って、自分で病気をやめようと
決心することは、誰もができることなのです。


私は、この結論部分に激しく共感しました。病気になるのも、病気を
手放すのも、最終的には自分次第。もっと言うならば(事故は別)
何歳まで生きるかも自分自身で決めるものだと思うのです。


私の祖母は89歳と94歳まで生き、祖父に至っては100歳まで。
長生きの家系という一言で片づけてしまえば、それまでの話ですが、
私は必ずしも、それだけではないと思うのです。生きることに対して
貪欲だったのでしょう。

2014年の日本人の平均寿命は男性が80.50歳 、女性が86.83歳

これは平均ですから、70歳以上の方に限れば、もっと高齢になるまで
生きられることでしょう。そんなに長生きしたくないという方も中には
いらっしゃるでしょうが、どう考えても少数派でしょう。


「憎まれっ子世に憚る」と言いますが、憎まれ口を叩く方も長生きする。
私は、そんなふうに思っています。細かいことにこだわらず、言いたい
ことだけ言って、あとは知らんぷり。それこそが長生きの秘訣なのかも
しれませんね。
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という記事がありましたので、ご紹介します。かなり長い記事になりますが、
誰にでも起こり得る現実ではないかと思うのです。

現在、安倍首相は「1億総活躍社会」の実現に対する3本目の矢の目標
として、介護離職者を2020年代初頭までにゼロにすることを掲げています。
しかし、この記事を読めば、「何を寝ぼけたことを言っているんだ」と
言いたくなるでしょう。そんなことは100%絵空事に過ぎません。


介護保険制度における要介護者・要支援者と認定された人は約600万人。
そのうち、介護保険制度のサービスを受給した65歳以上の被保険者は、
約500万人となっており、2割の人は受給できていません。さらに5年で
約2割ずつ増えているため、特別養護老人ホームは常に50万人以上が
空きを待っている状態で、介護従事者も2020年代初頭に25万人不足する
と言われています。介護職員の平均月給も13170円増えて23万円を超えた
ものの、大卒初任給と、ほとんど変わらないような金額です。


この記事によると、45歳で年収1200万円を手にしていたサラリーマンが
親の介護のために退職金1200万円を受け取って退職。それから6年後の
51歳に年収500万円で再就職。しかし会社の人員整理にあって56歳で離職。
その後、年収200万円以下で生活し、3年後に母親が亡くなった際の葬儀
費用100万円をねん出するのがやっと。


しかし納骨は費用が足りないためできず、借家の家賃も払えなくなった
ために住居を失い、母親の遺骨とオス猫を抱えて公園で生活することに。
現在は路上生活を脱却し、生活保護で暮らし始め、就労自立へと戻って
いく努力をしているようですが、14年間で年収1200万円から路上生活者
への転落は、誰にでも起こりうることなのです。


自分だけは大丈夫。そう思っていることが、命取りになりますよ。
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「介護離職」と生活保護を経験した高野昭博さん(61歳)は「介護離職」をきっかけとして、生活困窮状態に陥り、住まいを失い、路上生活者となった。その後、生活保護を経験し、現在は生活困窮者に対する相談業務で生計を立てている。週6日の勤務の様子を語る高野さんからは、「働かないと生きられないから働いている」という悲壮さは全く感じられない。相談業務は時に苦労も多いものだが、苦労について話しながらも、高野さんは「動いてないと、おかしくなっちゃう」と楽しそうである。自身については「根っから楽天的なんです」という。


高野さんは、高校を卒業した後、流通大手に就職した。ステータスの象徴とされるその企業で、高野さんは販売に従事していたが、ほどなく企画など重要な職務を任されるようになった。高野さんの仕事ぶり・能力・実績は高く評価されており、昇進も順調だった。30歳で主任・33歳で係長・38歳で課長。その企業の平均的な大卒よりはやや遅い年齢ではあるが、高卒で入社した人が30代で課長になるということは、業種を問わず、大手企業では驚嘆されるべきことである。評価は報酬にも反映され、年収は最大で1200万円に達していた。しかし2000年、45歳のとき、高野さんは介護のための退職を余儀なくされることとなった。


「課長になって間もなかった38歳か39歳のとき、母親の介護が必要になってきたんです。もともと身体が弱くて、寝たり起きたりだったのですが、起きていられないことが増え、自分でできないことが増えてきた感じでした。でも、まだ認知症はなくて、頭はしっかりしていました」(高野さん)


 介護保険制度は、まだ存在していなかった。既に退職していた父親と高野さんが、母親の介護を担うことになった。会社は、最初のころは「大変だね」と理解を示していたものの、長時間残業が難しい高野さんに対する職場の目は、徐々に冷たいものへと変わっていった。冷ややかな視線や態度を示され、「あなたの代わりはいくらでもいる」と言われ、さらに職場に自分の席がない状況になったという。


 母親の介護が必要になる以前、高野さんの生活は、どのようなものだったのだろうか? 

 「管理職になると、8時より前に職場に入り、23時か24時に職場を出る生活でした。家に帰ったら、寝るだけでした」(高野さん)


 計算してみると、1年あたりの労働時間は、約4000時間になる。休日や勤務時間が定まっている場合の過労死危険ラインは年間2880時間、変則勤務の場合は年間2400時間だ。オフィスと販売現場の両方にいた高野さんは、変則勤務と見るべきだろう。


 「過労死、多かったですよ。食事中に倒れてそのまま死んだ同僚もいました。通勤の帰りがけ、ふらついていてホームから転落して電車に轢かれて死んだ人も、交通事故に遭って死んだ人も。もともと血圧が高かった人がストレスの高い仕事のために外出して、任務遂行直後に倒れて亡くなったこともあります」(高野さん)


 ドリンク剤の「24時間戦えますか」というCMソングが流行していた時期、まさに「24時間戦っている」に近い状況にある企業戦士たちが実在していたわけである。

 「精神的に追いつめられて、うつ状態になる人も多かったです。厳しい状況でした」(高野さん)


 高野さん自身は? 

 「ストレスが溜まっていたとき、追いつめられた気持ちになり、オフィスで書類をぶん投げたことはありました。でも、私は開き直るのが速いんです。楽天的な性格が幸いしたのかもしれません」(高野さん)


高野さんが39歳で母親の介護に直面した1994年は、バブル崩壊直後。新卒の就職が「氷河期」と呼ばれ始めた時期でもある。もちろん、既に正社員としてキャリアを積んでいた社員に対しても、バブル崩壊の影響は大きなものだった。高野さんの当時の勤務先の企業体力を活かせば、バブル期なら「これを機会に、社として介護支援を充実させて、優秀な人材を採用しやすく」という配慮ができたかもしれない。しかし、安定経営が困難になっていた時期には、文字通り「無い袖は振れない」だっただろう。


 それでも、ある程度は父親が母親の介護に当たれていた時期の高野さんは、自身も母親の介護を担いつつ、ギリギリの職業生活を、ギリギリの時間のやりくりとともに継続できていた。

 「でも、介護と仕事の両立は、がんで父親が入院してから難しくなりました」(高野さん)


 1999年5月、進行がんが発見された父親は東京の病院に入院し、8月に手術した。手術後も容体は良好でなく、同じ病院での療養生活が続いた。転院先が見つからなかったからである。

 高野さんの勤務中、埼玉県の住まいでは、認知症の症状の現れていた母親が、一人で時間を過ごしていた。


 「訪問販売に引っかかって、いろいろと高価なものを買ってしまい、クーリングオフもできず支払ったりしたこともあります。徘徊もありました。行方不明になって捜索願を出したこともあります。近所の方から『施設の方が良いのでは? 』というアドバイスもありましたが、母親が『ここから離れたくない』というので」(高野さん)

 借家ではあったが、約40年にわたって暮らし続けていた「我が家」であった。


 住まいにいる母親の介護、病院にいる父親への対応をしながらの職業生活に、高野さんが限界を感じていたころ、勤務先では早期退職者の募集が始まった。

 「人件費削減のため、1万人を超えていた社員を2000人減らすことになり、早期退職者の募集が始まったんです。退職金の上積みもあったので、退職することにしました」(高野さん)

 退職金は1200万円。

 「『減らさずに働いていたら、なんとかなるだろう』と思いました。楽観的過ぎました。『世の中甘くない』と後で気づきました」(高野さん)

退職の翌月、父親は他界した。間もなく、母親は脳梗塞で倒れ、寝たきりになった。

 「介護と両立できる仕事を探していました。でも、そうすると仕事の選択肢がないんです。なので、とりあえず、定時の仕事に入ることにしました」(高野さん)


 2000年2月、高野さんはスポーツ店に再就職した。高野さんは、もともとスキーの指導員資格を持つスポーツマンで、スポーツの知識やスポーツ用品業界との人脈が豊富だった。流通大手に在職中は、スポーツ店の海外スキーツアーに同行したこともある。そういったことも評価されての再就職だった。年収は500万円。担当業務は、スキーウェアの仕入れだった。

 「年齢的には、そこそこか、ちょっと良いか、というところでしょう。社長が介護に理解を示し、私は早めに帰れるように配慮されていました。助かりました」

 「ほぼ定時の仕事でした。終わったら速攻で家に帰り、母親に食べさせて着替えさせて、でした。一番大変なのは入浴でしたね。自分は抵抗なかったですけど、母親は大いに抵抗あったようです」(高野さん)

 しかし5年後、不況に襲われた会社は、人員削減をせざるを得なくなった。

 「高年齢者から退職させられたわけですが、私は最後まで残してもらえました。前職の経験と蓄積があって、その会社でもずっと、スキーウェアの仕入れをしていたわけですが、若い人から見ると『なんであの人だけ残っているの』となるわけです。それで、辞めました」(高野さん)


 その後も高野さんは、とにもかくにも「働く」を手放さなかった。年齢とともに厳しくなる求職状況の中、アルバイトなど不安定な雇用や、200万円以下までの年収激減も厭わず、高野さんは「働きながらの介護」を続けた。

 「働くことは、ずっと続けていました。動いてないと、おかしくなっちゃうんです」(高野さん)

 2008年、母親が86歳で亡くなった時、高野さんの経済状況は「どん底」(高野さん談)。約100万円の質素な葬式は辛うじて営めたが、納骨は費用が足りないためできなかった。

 借家の家賃も払えなくなったことから住居を喪失した高野さんは、母親の遺骨と、母親とともに愛した茶トラのオス猫を抱いて、公園で生活する路上生活者となった。
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先日の参院選であった嘘みたいな本当の話です。

投票所に着くなり、しまぷうさんはポケットに手を入れました。
そして30秒ほどポケットの中をまさぐり「ない、ない、ない」
とやっていると、係の人が近寄ってきて不審者扱いされました。

係員「ちょっと、どうされましたか?」

しま「ないんです。確か、こっちのポケットに・・・」

係員「何をお探しですか?」

しま「私の大事なパワータンクがないんです」


係員「???」

そりゃ、そういう反応になりますよね。いきなりパワータンクと
言われても、何のことだか普通の人はわかりませんよね。

係員「そのパワータンクとやらいうのは・・・」

しま「はい、太さのバリエーションは0.5mm、0.7mm、
1.0mmとありまして、他ですと0.38mmから0.5mm
0.7mm、1.0mm、1.2mm、1.6mmまであります」


係員「??????」

係員の頭の中のクェスチョンマークが、さらに増えていきます。


係員「少しお待ちください」

そう言われ、3分ぐらい待っていると警備員がやってきます。

警備員「どうされましたか?」

しま「私の大事なパワータンクがないんです」

警備員「はぁ?それはポリタンクのことでしょうか?」


しま「違いますよ。パワータンクですよ、三菱の・・・」

警備員「どこに、おとめになられたのでしょうか?」


しま「どこに?このポケットに中にですよ!」

警備員「ポケットの中ですか?」

しま「ですから小学校のときの担任の先生が教えてくれたんです」

警備員「何をでしょうか?」

しま「1.0mmが一番使いやすいよってことです」

警備員「すみません、何をおっしゃっているかわかりません」


しま「人が説明しているのに、わからないって失礼な!」

警備員「少々、お待ちいただけますでしょうか?」

また待たされるのかよ~と思いながら、さらに5分ほど待ちます。

すると警備員が1人の初老の男性を連れてやってきます。

男性「何かお困りのようですね?」

しま「はい。私の大事なパワータンクを落としてしまったようで」

男性「もしかして、お探しのものは、これかね?」


しま「そ、そうです。どうしておわかりになったのですか?」

男性「30年前、まだ私が小学校の教員をしていたときの話じゃが
生徒が今日あった出来事や昨日の事などをノートに書いて提出し、
私が、それに対して赤いボールペンでコメントを書いとったんじゃ」

警備員「昔は先生をされていらっしゃったのですね」

男性「そうなんじゃよ。そのときに毎日ノートを提出してくる熱心な
子がいてね。今でも毎年、年賀状のやりとりをしているんじゃが」

しま「先生、お久しぶりです、しまぷうです」

男性「ほぅ~、君がしまぷうくんかね。また随分と肥えたね~」

しま「お恥ずかしながら、縦に伸びずに、横ばかりに伸びてしまい」

男性「元気でがんばっておられますか?」

しま「はい、なんとか、そこそこ、元気にしております」

警備員「お知り合いということは、あとはお任せしても・・・」

男性「ああ、よかろう。しまぷうくん、このあと時間はあるかね?」

しま「もちろんです。今日は仕事も休みですから大丈夫です」

ということで、先生しまぷうさんは30年ぶりの再会を果たし、
その後は喫茶店へと場所を移し、積もる話に花を咲かせました。


夕方、家に帰ってくると妹が

妹「お兄ちゃん、選挙行った?」と話しかけてきました。

そこで投票箱の前まで足を運んだものも、投票をせずに
帰ってきてしまったことに気づきました。おっちょこちょいの
しまぷうさんは、投票所に2度足を運ぶことになりました。


ちなみに徳島遠征中の姉は明日、剣山に登るそうです。
ということで、しまぷうさんにも登ってもらいましょうかね~

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昨日に続き、マスコミ関連のことを少々真面目に語らせていただきます。

「なぜテレビ局はダメになったのか? 変わる視聴率競争」という記事を、
JMR生活総合研究所主任研究員の菅野守さんが執筆していました。

大事な部分だけをピックアップしますと、

デジタル機器の高度化、映像配信サービスの台頭で、放送時間に合わせて
視聴者が番組を見にくるといった行動が、ナンセンスな時代になった。

まずは、これが一番大きいです。私もスポーツだけはリアルタイムで
見ますが、それ以外の番組は録画しておいて、見たいと思ったものだけ
後で見ます。少し見て、つまらないと感じたものは、すぐに消去します。


つまりテレビ番組一覧表が無意味なものになり、今日はどうしても見たい
テレビ番組があるから、何時までに帰宅しようというのがなくなりました。

次に、

テレビ局は開業以来、広告主の探索業務を広告代理店に事実上丸投げし、
広告代理店による各局のCM枠の「枠買い」が慣行として定着した。

現在、視聴率はかつての価値を失い、番組はどのテレビ局も画一化。
このまま同質的なコンテンツで視聴率競争を続けていけば、決定的な
勝者と多数の弱者に分かれるだろう。

現代におけるキーワードである画一化と二極化。熾烈な視聴率競争を
行っていた時代は、少しでも他局より面白いコンテンツを提供しようと
躍起になっていました。しかし視聴率が、あまり意味を持たなくなり、
単に枠を埋めるためだけに番組を制作するようになりました。




そんな時代でも優良コンテンツの提供にこだわっている局もあります。
彼らだけが勝者として生き残っていく時代になるのです。

そして、

多数の弱者には、集客力がなく、二束三文の価値しかなくなった番組枠
CM枠だけが残されるが、それらは広告代理店にも見捨てられることになる。
そうした番組枠、CM枠がどんどん増えていけば、業界から脱落していく
テレビ局も出てくる。

広告代理店(電通)にメリットをもたらさないテレビ局は見捨てられます。
「テレビ局は開業以来、広告主の探索業務を広告代理店に事実上丸投げし」
とあるように自ら広告主の探索業務を行ってこなかったテレビ局の営業は
電通とスポンサーの接待をするだけの存在であり、仕事を取ってきたり、
金額面の交渉はできません。自ずと広告が入らなくなってきてしまいます。



最後には、

しかし生き残ったテレビ局の独占力が再び高まることはない。なぜなら、
インターネットによって新たに開かれたコンテンツ配信や広告配信の
空間は、無限大にまで広がってしまったからだ。

一旦は勝者となったテレビ局も淘汰されていき、すべてのテレビ番組が
有料配信の時代になります。WOWWOWやCS放送と同じで、富裕層は
有料でも見ますが、テレビ=無料が当たり前の一般市民はテレビ番組を
見なくなります。無料で好きなだけ情報を得られるインターネットが、
唯一の情報収集ツールとなります。

菅野さんは、

テレビ局は、黙っていても、誰か(=広告代理店)が客(=広告主)を
わざわざ連れて来てくれる時代は終わった。これまでの寡占構造や広告
代理店依存の経営体質からいち早く脱却することが、求められている。

とテレビ局側の視点で締めくくっていますが、一般市民は、より高度な
情報リテラシー力を身に付けないと、インターネット上に散乱している
嘘・偽りの情報に攪乱され、正しい判断力を奪われることになります。



思考力が乏しく、判断力に欠ける主観的・一元的思考の感情人間が、
豊富な情報量・知識量を持ち、客観的な判断を得意とする人工知能に
支配される時代が、すぐそこまでやってきているような気がします。
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大阪朝日放送(ABCテレビ)の喜多ゆかりアナウンサー(35)が
妊娠したことを7月1日、自身が司会を務める「おはよう朝日です」で
報告ていました。出産予定は12月とのこと。おめでとうございます。


彼女が、私の主催する就職塾を訪れたのは15年前。実に面白い子で、
芸人としてもやっていけるんじゃないかと思ったほどの逸材でした。
学生時代にM-1グランプリに出場し3回戦まで進出。大学生としては
初の3回戦進出者ではないかと思います。


その経歴を引っさげ、翌春に大阪朝日放送にアナウンサーとして内定。
その年も、M-1グランプリ2度目の3回戦進出を果たしました。
おそらく日本初の芸人よりも面白いアナウンサーではないでしょうか。

2010年2月には『bijin-tokei×ABC』でモデルデビュー。9月には
溝端淳平の主演映画『君が踊る、夏』で女優デビュー。2011年3月
に4歳年下の同局社員と結婚し、順風満帆な人生を歩んでおられます。


アナウンサーが誰しも彼女のように器用だとは限りませんが、今の時代
原稿を上手に読めれば務まるという職業ではなくなったことは確かです。


同じく卒業生で『モヤモヤさまーず2』などで活躍中のテレビ東京社員
狩野恵里アナウンサー(29)もキャラ立ちしていて、アナウンサー
というよりも、いじられてこそ自分の持ち味を発揮するタイプです。




一方、地味ではありながらも息の長い活躍をしたければ断然NHKです。
たとえば2016年3月より「あさイチ」レギュラーリポーターとして復帰した
古野晶子アナウンサー(36)はNHK入局後、長野→東京→甲府を経て
再び東京へ戻ってきました。



2012年1月から2013年10月まで2年弱の産休を取ったのち、
アナウンサーとして復帰し、ようやく念願叶ってご主人のいらっしゃる
東京に戻ってくることができました。

このように転勤はあるものの自分のペースで仕事を続けていけるのは
NHKの魅力でしょうね。民放地方局ですと30歳前後で退社を勧められ
その後はフリーとしてやっていくか主婦になるしかありませんからね。


一時期に比べるとアナウンサー志望者が減った感じもしますが、未だに
人気職業であることは変わりません。何百倍もの高倍率をくぐり抜け、
見事にアナウンサーになるも、15年後に第一線で活躍しつづけている
方は、ほんの一握りです。

20代のうちだけチヤホヤされれば十分というのであれば話は別ですが
長期に亘って続けたいのでしたら、どういう方向・路線で行くのかなど
予め考えておいた方がよさそうな気がします。
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倉本聰先生による最高傑作ドラマ『北の国から』が7月20日からBSフジで
一挙放送されます。7月20日(水)は18時から。翌21日からは平日17時~
19時の放送となります。


上智大学文学部新聞学科の碓井広義教授が、1981年の放送から35年が
経ち改めて、この国民的ドラマの意味を考えてみたいとして、次のような
記事を書いていらっしゃいました。

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『北の国から』の主演俳優は田中邦衛である。60年代から70年代にかけて
田中は、加山雄三の映画『若大将』シリーズや『仁義なき戦い』シリーズ
での脇役という印象が強い。ドラマの主役といえば、スターだったり二枚目
だったりすることが当たり前の時代に、いきなりの「主演・田中邦衛」。
これには、多くの視聴者が戸惑ったはずだ。

そして肝心の物語も尋常ではなかった。東京で暮らしていた黒板五郎
(田中邦衛)が、浮気が発覚した妻(いしだあゆみ)と別れ、子供たち
(吉岡秀隆、中嶋朋子)を連れて、故郷の北海道に移住するという話だ。


住もうとする家は、実家だったとはいえ、ぼろぼろの廃屋のようなもので、
水道も電気もガスもない。第1話で、小学生の純(吉岡)が五郎に、
「電気がなかったら暮らせませんよッ」と訴える。

さらに、「夜になったらどうするの!」と続ける純。この時の五郎の
答えは、純だけでなく、私を含む視聴者も驚かせた。五郎いわく、
「夜になったら眠るンです」。

実はこの台詞こそ、その後20年にわたって続くことになる
『北の国から』の脚本家・倉本聰の“闘争宣言”だったのだ。

夜になったら眠る。一見、当たり前のことだ。しかし、80年代初頭の日本
では、いや東京という名の都会では、夜になっても活動していることが
普通になりつつあった。“眠らない街”の出現だ。

“社会の合わせ鏡”としてのドラマ

80年代初頭。やがて「バブル崩壊」と呼ばれるエンディングなど想像する
こともなく、世の人びとは右肩上がりの経済成長を信じ、好景気に浮かれ
始めていた。

仕事も忙しかったが、繁華街は深夜まで煌々と明るく、飲み、食べ、歌い、
遊ぶ人たちであふれていた。日本とは逆に不景気に喘いでいたアメリカの
新聞には、「日本よ、アメリカを占領してくれ!」という、悲鳴とも皮肉
ともとれる記事まで掲載された。

そんな時代に、都会から地方に移り住み、しかも自給自足のような生活を
始める一家が登場したのだ。これは一体何なのか。

そう訝(いぶか)しんだ視聴者も、回数が進むにつれ、徐々に倉本が描く
世界から目が離せなくなる。そこに、当時の日本人に対する、怒りにも
似た鋭い批評と警告、そして明確なメッセージがあったからだ。

倉本自身の言葉を借りよう。放送が続いていた82年1月、地元の
「北海道新聞」に寄せた文章である。


「都会は無駄で溢れ、
その無駄で食う人々の数が増え、
全ては金で買え、
人は己のなすべき事まで他人に金を払い、
そして依頼する。

他愛ない知識と情報が横溢し、
それらを最も多く知る人間が偉い人間だと評価され、
人みなそこへ憧れ向かい、
その裏で人類が営々と貯えてきた生きるための知恵、
創る能力は知らず知らず退化している。

それが果たして文明なのだろうか。
『北の国から』はここから発想した」


80年代は、現在へとつながる様々な問題が噴出し始めた時代でもあった。
世界一の長寿国となったことで到来した「高齢化社会」。地方から人が
流出する現象が止まらない「過疎化社会」。何でも金(カネ)に換算
しようとする「経済優先社会」。ウオークマンの流行に象徴される
「個人化社会」等々。

それだけではない。「家族」という共同体の最小単位にも変化が起きて
いた。この頃から「単身赴任」が当たり前になり、父親が「粗大ごみ」
などと呼ばれたりもした。また「家庭内離婚」や「家庭内暴力」といった
言葉も広く使われるようになる。

『北の国から』はこうした時代を背景に、視聴者が無意識の中で感じて
いた「家族」の危機と再生への願いを、苦味も伴う物語として具現化して
いたのだ。それはまさに“社会の合わせ鏡”としてのドラマだった。

82年3月末に全24回の放送を終えた後も、スペシャル形式で2002年まで
続くことになる『北の国から』。その20年の過程には、大人になっていく
純や蛍の学びや仕事、恋愛と結婚、そして離婚までもが描かれた。

フィクションであるはずの登場人物たちが、演じる役者と共にリアルな
成長を見せたのだ。また視聴者側も、彼らの姿を見つめながら同じ時代を
生き一緒に年齢を重ねていった。やはり空前絶後のドラマだったのである。

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倉本先生のお言葉こそが、私の生き方の原点です。

「都会は無駄で溢れ、
その無駄で食う人々の数が増え、
全ては金で買え、
人は己のなすべき事まで他人に金を払い、
そして依頼する。

他愛ない知識と情報が横溢し、
それらを最も多く知る人間が偉い人間だと評価され、
人みなそこへ憧れ向かい、
その裏で人類が営々と貯えてきた生きるための知恵、
創る能力は知らず知らず退化している。

それが果たして文明なのだろうか。
『北の国から』はここから発想した」


金・知識・情報を多く持っている人が偉い人ではありません。

真剣に毎日を生きている人が、本当に尊敬される人なのです。


人生は暇つぶしではなく、他人から「あなたのような人になりたい」

と思ってもらえるような生き方をすることこそ、本当の幸せです。
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皆さま、大変お待たせいたしました(待っていないって笑)

7月18日のしまぷうさんをダイジェストでお知らせします。

前日の7月17日は休日当番のため仕事だったのですが、
午前中のトラブル以外は暇でしたのでそっと抜け出して
床屋に行き小綺麗にします。と言っても限界はありますが。



7月18日の朝は朝食を食べませんでした。というよりも、
胸がいっぱいで食事が喉を通らなかったと言ったほうが
正しいかもしれません。

約束の時間は正午でしたが、遅れてはいけないと思い、
11時には着いて、先方様の家の周りを5往復しました。

5分前に家のチャイムを鳴らすと、反応がありません。
もしや騙された…と不安になりつつ、「こんにちは~」と
大きな声で挨拶します。すると中から「は~い」と返事があり
エプロン姿の彼女が出てきます。

しま「チャイムを押したけど反応がないので、いないかのと」

女性「料理に夢中になっていて気づかなかったんだと思います」

しまぷうさんは胸を撫で下ろすと、彼女に続いて家の中へと
入っていきます。ここからは未体験ゾーンへの初潜入です。

ちなみに女性と書くのもおかしいので、ゆかりと表記します。

写真:カブトムシゆかり

部屋に入っていくとリビングダイニングへと案内されます。
しまぷうさんの部屋とは違い、きれいに片付いています。

ゆかり「散らかっていて恥ずかしいわ」


しま「トンデモナイ!すごく綺麗好きなんですね」

そりゃ、しまぷうさんと比べたら、すべての女性が綺麗好きに
なってしまいます。


テーブルの上には食べきれないぐらいの料理が並んでいます。


ゆかり「よく食べる方かな~と思いまして」

しま「はい、食べることは大好きです」

ゆかり「よかったわ。お好きなだけ、どうぞ」

しま「ありがとうございます。いただきます」

そんな会話を交わしながら、彼女と向き合って座ります。
食べることに夢中で何も喋らないしまぷうさんを、
やさしい眼差しで見つめています。なんだか照れくさいです。

ゆかり「美味しいですか?」

しま「とっても美味しいです」

ゆかり「よかったわ、そう言ってもらえて」

そんな他愛もない会話が、しばらく続きます。


もう、かなりお腹も膨れてきたな~と思っていたところ、

ゆかり「お休みの日は、何をされていらっしゃるのですか?」

しま「修善寺の畑で野菜を育てたり、家庭菜園をしたり…」


ゆかり「修善寺に畑を持っていらっやるんですか?」

しま「いえ、親戚の土地を借りているだけなんですが…」

ゆかり「どんな、お野菜を作っていらっしゃるんですか?」

しま「さつまいも、なす、きゅうり、トマト、はやとううり、枝豆、」

ゆかり「一度、見てみたいな~」

という流れから、次は修善寺に行くことになりました。


しま「7月31日の日曜日に狩野川の花火大会があります」


ゆかり「もう花火大会の時期なんですね」

しま「その日に修善寺に行き、帰りに花火大会を見に行く」

ゆかり「わぁ、嬉しい。すごく楽しみだわ」

なんと、しまぷうさんは自分から勇気を出して提案したのです。

ということで、次は7月31日に会うことが決まりました。


このような感じで7月18日は無事終了いたしました。

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21世紀になり、人間のモラルが限りなく低下しはじめていると感じます。
2016年、マスコミは芸能人の不倫を執拗なまでに取り上げ、便乗した
ドラマなども目白押し。一般人に不倫を勧めているかとも感じられます。


先日も「予約の取れない店」が3年で閉店に追い込まれる理由」という
記事を取り上げたbar bossaの林伸次店長が「ワイングラスのむこう側」
という自身のブログで、「男性が『あなたとセックスがしたい』って
女性に言い続けると、いつかはできる」という話、聞いたことありますか?
という何とも下品極まりない内容の記事を書いていらっしゃいました。

記事内容は、たくさんの女性に「好意を抱いていてたまに食事とか行く
男性に、『したい』って懇願されたら、どう思いますか?」というバカな
質問をしてみました。その結果「うーん、しちゃうんだろうなあ」とか
「一度、したことあるんですよ」という方が意外に多かったです。また
「したら好きになっちゃうんです。そういうものです」とも言われました。

かなり省きましたが、林さんの店に来る女性客は、そのレベルの人たち
ってことですよね。さらに彼女たちを目当てに来店する男性客で賑わう
店でもある。その証拠に、他の関連記事を見ましても、

彼女が今日はOKなのかどうかを知る方法

バーで使える高度なテクニック

女性を口説く値下げテクニック

​憧れと「キモいおじさん」の分岐点

​LINEやメールで告白する男たち

のようなタイトルばかりで、どう考えても楽しく食事をする店ではない
と思ってしまいます。数多存在する飲食店の中には、このような店があり
そこで差別化をはかる方法もあるのでしょうが、浮気や不倫を増殖させ、
それでお金儲けをするのって、人間としてどうなんだろうと思います。




こんなふうに書くと、お店に対する誹謗記事と勘違いされそうですが、
決してそういうことではなく、彼氏が恋人を連れてきてプロポーズする、
あるいは友達から恋人に進化するための演出をする店ならいいのです。
しかし記事のタイトルや内容からして、どう考えてもそう思えません。



ここから先は、私の偏見も含んだ内容です。

人が人を好きでいられる期間は1年半であるとか3年だとか4年半だとか、
様々な説があります。いずれにせよ5年も経てば恋愛感情は薄れます。
そこで他の人に目移りするのではなく、今度はその人に対し深い愛情を
持って接する期間に移るということだと考えます。


何事も黎明期、成長期、成熟期、衰退期とありますが、恋愛期間とは
黎明期および成長期のようなものです。そこから成熟期に移行した時、
今までのようなトキメキやドキドキはなくなりますが、その分、安心が
生まれます。一方、浮気や不倫をすれば不安的な状態になり、新たな
ドキドキを感じることができます。それって勘違いだと思うんですよね。




カナダの心理学者、ダットンとアロンによって1974年に発表された
「生理・認知説の吊り橋実験」によって実証された「吊り橋効果」と
いうものがあります。2人で怖い体験を共有すると距離がグッと縮まる
というもので、自分のことを恋愛対象として意識させるきっかけとして
効果的なのです。浮気や不倫って、それです。よって冷めたらおしまい。

このようなものをおススメする店やテレビ番組ってナンセンスですよね。


一方、衰退期を迎えた2人は、お互いに不安定な状態を支え合って生きる。
これまた素晴らしい愛の形で、夫唱婦随、偕老同穴という四字熟語が
存在するぐらいです。ヤマナさんご夫妻は、この典型例ですね(失礼か)


2000年代初頭に韓流ドラマ『冬のソナタ』に代表される純愛ブームが
ありました。また、そのような時代が巡ってくることを期待しています。


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