2014年08月23日

サイクリングはブルースだ、 と彼は言った

テーマ:隠れ岩石生活
海が見える道


サイクリングはブルースだと言ったのは確か忌野清志郎だった。
うまい表現だ。

ブルースを聴かない人にはぴんとこないかもしれない。
音楽ジャンルの一つだと知っていても、たまに聞いたことがあっても
そもそもブルースとは何か、実はよく知らない人の方が多いことだろう、
たぶん。

ブルースという音楽については
作家のカート・ヴォネガットはこんなことを言っていた。
 アメリカにまだ奴隷制度のあったころ、
 使用者の白人とそのもとで使われる奴隷たちと
 目立つ死因に顕著な違いがあったというのだ。
 ご主人の白人の方が圧倒的に自殺で亡くなる率が高かったのである。
 
 一見不思議な話だ。
 お金持ちの白人と貧しい奴隷。
 優雅な支配階層と酷使される奴隷。
 自由と不自由。
 人間と人間の所有物。
 奴隷の悲嘆はいかばかりだったことか。

 ただ一つ、奴隷たちは生きる苦しみを
 ブルースに昇華するやり方を知っていたというのだ。
 もちろんブルースは困苦の根本的な解決には成り難い。
 ただひとつ、ブルースは一時死神の誘いを
 どこか隅っこに追いやってくれるらしい。

これはカート・ヴォネガットの著作「国のない男」にあった話だったと思う 
たいていの人は自殺まで考える局面に至ることはないだろうけれど
ちょっと覚えておいてもいい話だ。

忌野清志郎は音楽が仕事で生活そのものだったから
自転車という形で現れたブルースもあったのかもしれない。

これも覚えておくといい。ブルースは何も音楽という形をとってばかり
私たちの周りにあるわけではない。
 
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2013年10月28日

ルー・リードのいない世界

テーマ:隠れ岩石生活
$酒とホラの日々。-lor


ルー・リードの訃報に接したのは会社の会社の休憩時間だった。
「なんてこった、ルー・リードが死んじまったよ」
Twitterに即物的な感想を書き込み、私はまた仕事に戻った。

ルー・リードを初めて聞いたのは友人の紹介による「ベルリン」で、そのあと聞き込んだアルバムはライブ・イン・イタリー、ニューヨーク、ナイト・ウィズ・ルー・リード(ニューヨークのライブビデオ)ぐらいなもので、ベルベット・アンダーグラウンドも知らない私は決して熱心なファンだったわけではない。

それでも私のいい加減な岩石生活(ロックを中心とする音楽生活)の中で、彼はそれなりに重要な位置を占め、昨今は年齢とともにそんな感慨がますます大きくなっていったところだった。
もちろんこれは単なる一人の往年のロックスターの死。年寄りが一人順番にいなくなるべくしていなくなっただけ。ファンが泣き叫んで棺に花を投げるには、みんな年をとりすぎているし、そもそも彼はジム・モリソンではない。

確かなのはもう新作は出ないと云うこと、でも遠巻きに彼を眺めた不熱心なファンの生活は彼なき世界でもそんなには変わらないだろうと云うことだ。

彼は暴力やドラッグ、社会矛盾などタブー視されがちな世の中の断片を詩の中で取り上げて音楽とともに作品化して独自の世界観を提供してきた。これが大きな支持を受けてきたのは、作品の芸術性云々や社会の非主流へのまなざしと云うよりもむしろひょっとしたら、単にアウトロー的なものへのポーズとしてのあこがれと、彼の知的な佇まいが第一の理由かもしれないとも思う。

大多数の反抗する若者もいつしか社会のマジョリティーに組み込まれ、うんざりしながらも生活のためこの世に居場所を確保するため、納得性があるなしに関わらずストレスと不満を抱えて愛想笑いややけ酒やグチの充満する毎日を会社や世間の中でなんとか過ごしていることだってある。

露骨に不満をぶちまける奴はたちまち居場所を失うだろう。世間・会社のマジョリティーの同調圧力に刃向かうことは困難だ。その意味でひょっとしたら私たちの多くはマイノリティーのシンパか心情的マイノリティーである。

こう考えると、現代を生きる私たちがルー・リードとともに失ったものが見えてくる。

社会的のマジョリティーの中にひっそり生息している、心情マイノリティーや社会反抗派シンパの、深刻だが薄っぺらい欲求と音楽ニーズを満たしてくれるのは、いったい誰なのだろう。 
 




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2009年07月22日

ロマの音楽と義賊の楽団

テーマ:隠れ岩石生活

なんのはずみか、このところジプシー音楽にはまりこんでいる。

 
元来はロックとクラシックが中心の岩石的音楽生活を送っていたのだけど、聞くのもたいていは英語圏のバンド・楽隊に限られていた。

 
日本で非英語圏の音楽が一般的に広がりだしたのは’90年代以降のことらしいが、音楽マーケットの商品分類用語として作られた「ワールドミュージック」というカテゴリはCDショップなどのコーナーの名前に今でも残っている。 だがわたしは’90年代のブームには乗り遅れた。ひとつには過労死の不安が現実のものとして迫るほど忙しかったのである。
 
もう過去のこととなった過労死寸前あれやこれやはもうどうでもいいことで、ともかく今ごろなぜかマイブームとしてワールドミュージックがやってきたらしい。


酒とホラの日々。-タラフ・ドゥ・ハイドゥークス


特にお気に入りはこのジプシー楽団「ターラフ・ドゥ・ハイドゥークス」(写真)なのだが、日本語訳すれば「義賊の楽団」という意味らしい。東欧の職業音楽士を集めて20代から80代まで多様な年代のメンバーからなる20人規模の楽団の演奏は、スピード感・躍動感・エネルギーに溢れ、全曲を貫く野太い生命力で聞く者を圧倒する。
 
彼らの演奏には、高度に商業体系化された音楽マーケットの中で飼い慣らされた音楽が失ってしまった、したたかなエネルギーを感じずにはいられない。
 
ともかくあっという間に私は東欧の卑しい爺さんたちの楽団音楽にノックアウトされてしまったのだが、音楽を聴いた次には、無性に誰かとこの音楽・楽団のことを話したくて仕方なくなった。

 

ところが、一般的に広がったとはいえ、まだまだ日本ではマイナーで「ターラフ・ドゥ・ハイドゥークス」なんて知っている人には巡り会わない。そもそも「ターラフ・ドゥ・ハイドゥークス」はルーマニアの楽団であるが、ルーマニア自体、日本の日常とは疎遠なところで、これまでルーマニアが話題になったこともないところででいきなり音楽の話をするのも無理というものだ。
 
ハテこれはこれはどうしたことかと思案していると、先日A君がいいところがあったと話を持ってきたのだった。

 
なんでも、東京近郊にルーマニア人が多数いるところがあって、しかもみんな現地の演芸に通じているというではないか。

 
そいつは願ってもないこと、と(都心からごく近くであるが)電車を乗り継ぎ勇んで行き着いたのが『ルーマニアン・パブ』なるところだったのだ。
 
もっとも厳密にはロシアン・ルーマニアン東欧パブではあったが、これで思う存分ルーマニア・ロマ(ロマとはジプシーのこと)の音楽を語り合えると私は興奮したのである。


え?ちょっと怪しいって?なんの健全な民族舞踏ショーの社交場である。

 
さて、喜び勇んで乗り込んだルーマニアン・パブでの展開は、、、、長くなったので続きと顛末はいずれまたこんど。。。

 

 

 


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2008年10月08日

いかにして私は伝説のハード・ロックから21世紀のメゾ・ソプラノに転向したか

テーマ:隠れ岩石生活
kj

「あなた、まだいつも、昔のロックばっかり聴いているんでしょう。」

 

オフィス街に隣接するアートフォーラムの前を女友達と歩いて通り過ぎるとき、急に彼女が振り向いて、いたずらっぽい目で少し挑発するように言った。 私は電車で移動の時、携帯オーディオプレーヤーで音楽を聴いているが、よく難しそうな顔をしていることがあるらしい。彼女はそれを冷やかしているのだろうかと思った。

 

「そんなことはない。ベートーベンのピアノ協奏曲は1番に限る。」

 

「ふふ、それは合格。でもあとは?」

 

「ベートーベンのピアノソナタとバッハのプレリュードとフーガと
あとは・・、うーん。」
 
「あとは生まれる前のロックばっかりなんでしょう?。偏食よね。」

 

「それを言うなら、バッハもベートーベンもモーツァルトだって
生まれる前の人なんだから同じじゃないか。」
 
とは言ったものの、確かについつい選曲は片寄りがちだ。では今なら私はいったい何を聴いたらいい?ときくとCDショップに立ち寄って、あなたにはこれが合うと、彼女が勧めてくれたのがこのアルバムである。
確かに私は声楽曲を聴くことは少ないし、女声ものとなるとさらに聴く機会はない。しかもこのキャサリン・ジェンキンスメゾ・ソプラノという微妙な声域で、まず私が自分から手を出すことはなかったことだろう。

 

このアルバムは(ベスト盤だが)聞き覚えのある有名なクラシック曲からポピュラーまで選曲は幅広く、声楽曲の門外漢にもとても親しみやすい。彼女も実に絶妙なポイントを押さえたCDを勧めてくれたと言える。だだその日、家でアルバムジャケットを眺めていたら、この歌手の表情が彼女とよく似ていることに気がついた。キャサリン・ジェンキンスはイギリス人だし、日本人の彼女とはまるで顔立ちも違うと思うし、他の写真はそんな感じは受けないのだけれど、この写真では見れば見るほど表情の印象や面影が似ているような気がしてくる。そこにも彼女の意図があったのだろうか?。

 
今はすっかり声楽の楽しさ、メゾ・ソプラノの奥深さ、ついでに言うならキャサリン・ジェンキンスの魅力にすっかりはまってしまっているのだが、歌手と推薦者の両方が、ちょっと気になる音楽鑑賞の秋でもある。。。


 
     写真のアルバムは『フロム・ザ・ハート  キャサリン・ジェンキンス・ベスト』

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2007年11月04日

むかし昔に捧げるバラード

テーマ:隠れ岩石生活

カーティス・ロウのバラード

がきの時分にはよく、おいらは雄鶏が鳴くより前に起きだして
小遣い稼ぎにラムネのビンを集めては村の店屋で金に換え、
カーティス・ロウという爺さんの所にもっていったもんだった。
 
 カーティス・ロウってのは縮毛の白髪の黒人で、
 一杯引っ掛けてさえいればいつもご機嫌だった。
 飲めばいつも持ち出したドブロ・ギターをひざに乗せ、
 日がな一日そいつを弾いてくれたもんさ。
 
 「歌っておくれよ、カーティス、
 酒代くらいおいらが稼いでくるから、あんたはギターをチューニングしておきな。」
 みんなはカーティスを役立たずと言ってたけれど、どいつもみんな馬鹿だったのさ。
 だって、カーティスは世界一のブルース弾きだったんだから。
 

 カーティスは60くらいに見えた。オレはたぶん10歳だった。
 おれはママにむちでひっぱたかれても、それでもカーティスのところに出かけていった。
 手を鳴らし、足で調子をとってカーティスと一緒にいるのは最高だった。

 カーティスは一曲二曲やってくれるたびに、また一杯ひっかけた。 

 

 カーティスが死んだ日、葬式には誰も来なかった。
 年寄りの牧師が二言三言何か言うと、カーティスは土に埋められた。
 カーティスの一生は生きる痛みをブルースで歌うことだったけど、
 一生を終えたその日にこそ、本当はカーティスはブルースを歌うべきだったんだ。

   

 カーティス、あんたが今いてくれたらきっとすごい有名人だったろうになあ。 

 カーティスを役立たずと言っていたやつらはどいつもみんな馬鹿だったのさ。 
 だってカーティス、あんたは世界一のブルース弾きだったんだから。

  

この曲を歌ったレーナード・スキナードが飛行機事故で主要メンバーを失い

解散を余儀なくされてから30年が過ぎた。輸入CDを聞き取りながら訳してみたが

昔ほんの子供の時分に意味も分からず聞いていた英語の曲を

最近再入手したCDで聞いてみると、歌の印象とともに時代の空気がよみがえるとともに

歌詞を知って再発見することも多い。

私の物心ついた子供の頃には、もうすでにあまり町中には物乞いや路上をさすらう

独自の生活を送る人はいなくなっていて、社会はだいぶ均質化していたのだけれど、

その少し昔にはどこの町にも堅気の市民からはじきだされつつもその周辺で生きる名物人間が

いた話をよく聞いたことがあったものだ。

そんな彼らははみ出し者として蔑視される一面で、顔の見える個性豊かな一個の個人として語られ、

社会のあり得べき一員として確かに許容されていて、

一種の愛情を持って眺められる存在でもあったようだ。

 

かつての日本は猛スピードで経済的な豊かさが推し進められた市民社会ではあったけれど、

そんな社会からあぶれ出た、乞人やヒッピー、路上芸人たちでも

なんとか生きる隙間がまだ世の中にはあったのだろう。 

今では社会のあぶれ者は顔のないホームレスや闇の存在となり、

在るべきではない社会矛盾として個性も行動も忌避される

アンダーグラウンドの住人だけとなってしまった。

 

  

子供の時、かつていたという、名物乞食の男が最後はどうなったのか、怖々聞いてみたことがあった。

天皇行幸だか、都市再整備だか、何かの折、予防注射だからとだまされて薬殺されてしまったと

いうことである。

    

豊かで平和な社会にいることを本当に感謝しているけれど、

この豊かな社会はそんな時代をひた走ってきたのだろう。

 

 



針とスプーン
「カーティス・ロウのバラード」を収録したレーナード・スキナード二枚目のアルバム

セカンド・ヘルピング。

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2007年01月18日

10年ぶりの故郷の眺めは変わり果て

テーマ:隠れ岩石生活


このブログのテーマの一つにもあるくらいで自他共に認める岩石生活者でもあった私である。
ここ十年くらいは極めて忙しく(もちろんその前から忙しかったが)諸事情あって
岩石生活にはトンとご無沙汰だったのだけれど、
ちょっとしたきっかけでこのところ昔のライブ映像などに触れて
岩石的なるものを改めて眺めることになった。

 

すると分かったのが、かつてのロックスターたちの逝去者の多いこと、多いこと!
 

そりゃあ、私が子供の時分に憧れの大人だった彼らはすでにいい年になっているわけだし
あくまでステレオタイプイメージだが、ロックスターなどというものはろくでもない生活をしていて
長生きなどできないものかも知れないので、妙に納得もするのではあるけれど。

 

ジム・モリソンもジミヘンも・ジャニス・ジョプリンもみんな27で死んで伝説になっていたのだから
中年過ぎたロッカーがバタバタ死んでいくのもまあ仕方ないのだろうか。

 
反対にミック・ジャガーとかロバート・プラントとか、ロッド・スチュワートみたいな連中が
ジイさんになってぴんぴんしているほうなんだがか違和感がないわけでもない。

 

それでも中でショックだったのは、ニコレッタ・ラーソンが亡くなっていたこと。
それも1997年だから、私は10年も知らずに過ごしていたことになる。
岩石生活から離れていたとはいえよく思い出す大好きな女性ボーカリストだったのに。
10年ぶりに故郷に戻ってみたら、かつての憧れの女性は冷たい墓の下、、、という情景である。
まだ45歳、脳腫瘍だったそうである。
会いに来れなくてごめんよ。知らなかったんだよ。本当に忙しかったんだよ。(落涙)

 
いまさらだけれど、LONG DISTANCE LOVEを流して
はるか遠方よりご冥福をお祈りいたします。


* *


さて、今回の岩石生活を省みるきっかけというのは、うちの近所の国際的な
クラシックピアニスト(おっさんである)との会話だった。
ニューヨークと日本を行き来して生活しているのでめったに会うことも話すこともないのだけれど、
たまたま会ったときに家の玄関に飾ってあるアンディー・ウォーホルのシルクスクリーンから
話が岩石にそれたのである。

 

岩石生活者ならば「ああ」、と思われただろうが、アンディー・ウォーホルとロックといえば
彼のプロデュースした前衛ロックバンドのヴェルヴェット・アンダーグラウンドである。


ヴェルヴェット・アンダーグラウンドからそのメンバーだったルー・リード
ニューヨークで会ったことがあるとかいうピアニスト氏の話を経て、
そういえばWINDOWS95の起動音の作曲は同じくヴェルヴェットゆかりの

ブライアン・イーノだったという話をしたら、
なんと次期OSのWINDOWS Vistaの音声担当はロバート・フリップだと言うではないか!
21世紀の精神異常者 (21世紀の精神異常者)


ロバート・フリップ!?こりゃさすがに21世紀のパソコンOSだねえ。(?)


あのおっさんがねえ。。。生きていくというのは大変なことなのだ。
というコメントがこの場合当てはまるのかどうかよく分からない。
いまだにロック評論などという分野が存在するのなら、なんてコメントするのだろうか。


ま、WINDOWSはともかく久々の岩石的生活の香りは私のアイデンティティの一端を
つかの間フラッシュバックする思いではありました。。。


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2006年08月21日

私はラヴ・ソングは歌わない

テーマ:隠れ岩石生活


人は快楽と安逸に身を任せるうちにおいて
他人を慮れることは極めてまれである。

たいていの人間は苦しみや悲しみにおいて
初めて他人の心情を考え思いやりもするものだから
万人と感動を共有する芸術は、
悲しみや苦しみの産物であるともいえる。

悲しみや苦しみの共通の下地があればこそ、
芸術は万人の心を動かすことができる。
一見明るい喜びに満ちた表現も、その底流には
悲しみやつらさ切なさがあるからこそ私たちは同じ感動を抱く。


***


暗い晩に流れる、流行おくれのラブソングを
聞くともなしに聞いていると
弱さ、吹っ切れなさ、頼りなさが
過去の記憶とともに負債のように押し寄せて来た。



喜びの世界


『喜びの世界』 スリー・ドッグ・ナイト 

(Just an ) Old Fashoned Love Song 等を収録


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2006年07月14日

21世紀の成人異常者

テーマ:隠れ岩石生活


会社の定期健康診断の実施要領と検便セットが届いた。
袋には「成人病検診の御案内」とあるが、成人病という文言はすでに
生活習慣病に改められたのではなかったかな。

痴呆症だって認知症に、分裂症だって統合失調に変更されたし、
成人の日新七五三と変更検討中だというではないか。

すでに街中では「成人映画」などという表現はしないし、
『成人向け』に特化された趣のある『成人病検診の御案内』というのも
なにやら怪しい陰がさす。

成人向けだの成人病という表現を堂々と表記するという
病院のデリカシーのなさには憤りを覚える・・・と、思ったら
「成人」ってまだ禁止用語でも差別的表現でもなかったのだな、これが。 

検診で病院に向う電車の中、目的のブツが充填された

検便セットを抱えて立っているのも妙な気分だ。
ただ、態度悪く人を押しのけて歩くオヤジも今日は強気で押し返すことができる。
「何だお前!、人を押しのけてどういうつもりだ!
気安く近寄るんじゃない!、このバッグに何が入っているか知ってるのか? 
いいか、オレはウ○コ持ってるんだぞ!」

もっとも、人にぶつかって押しやることが平気なような人間は、

所詮どこに行ってもつまらない扱いしか受けていない程度の人間なのだろうから、

関わるだけでもそれこそつまらないので、ここは空想だけであるが。

21世紀の精神異常者


とにかく病院にたどり着くと、後は病院ガウン一枚で流れ作業に送られる
情けないオヤジの群れを目撃することになるのだが、これはこの世で一二を争うつまらない
光景かもしれない。
それがなぜか、考察する意欲も萎えるほどあまりにつまらない眺めなので
詳細は略すが、若さの話でもなければ単純な容貌容姿の話では決してない。

・・・人間も成人となるほどにまで生きたら、なあ。

それはちょっと難しいことかもしれないが。


****


  (写真はキング・クリムゾンの「21世紀の精神異常者」、本文とは

  深いつながりはありません。当時のことをリアルタイムでは知りませんが、

  私は後の第二次キング・クリムゾンのエイドリアン・ブリューが好きだった。)

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2005年10月28日

サムライのトランペット

テーマ:隠れ岩石生活

久々にCDを買って聞いていておりました。

風狂
『風狂』 / 近藤等則


前衛的で日本的な印象のトランペット演奏。
国内版は出ていないようで、アメリカ発売のCDで入手。
アルファベット表記された曲のタイトルの「Ungetsu」とか「hukotsu」に
・・ああ「雲月」か、「風骨」か、と漢字表記当てはめて想像し確認する作業が、
このCDの曲を聴いてその印象をとらえる作業と妙に似ています。
まさにこのCDはアルファベットで表記された漢語の如く、
トランペットで描かれた山水画のようです。


この演奏者、NHK時代劇の「秘太刀馬の骨」の音楽を担当していたので、私も興味を持ったのですが、なんとも予想を裏切る演奏スタイルに驚きました。

好き嫌いは分かれるでしょうが、このところ朝晩雑踏を眺めながら聞いております。


拙者やはり江戸時代なら武士であったであろうな。

たぶん30石取りくらいの下級武士。


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2005年08月23日

ロックフェスティバルとロック者の末路

テーマ:隠れ岩石生活

土曜の午後、京橋の画廊に出かけた折、F画廊の前で犬を抱いたO君に会った。
この暑いのに毛皮着た肉抱えて町中を歩くとは、ご苦労なことだと思っていると、
O君は私を見つけてニコニコ話し掛けてきた。

「こないだ日本最大のロック・フェスティバルに行ってきたんですけど、ひひ。
サザンも出たんですよ、よかったですよー、ふはは。」


(ドッグ・フェスティバル? サザンって何の犬だ?)
「ふーん、すると、たくさん人出もあって、大変だったろうね。
そこで、いろいろ芸をやるわけだ。」

「・・そうなんですよ、サザンも年なのによく動いてました。みんなアレを
見に来てるんですからねえ」


「はー、動物虐待にならんといいけど、サザンてそんなに人気犬なの?」


どうやらどこかでロックフェスティバルがあったらしいのだが、そこに
サザンオールスターズも出たということだったらしい。


今時ロックフェスティバルっていう時代がかったイベントがあるのも驚きだが
なんとサザンオールスターズって、ロックバンドに分類されてたのかぁ、
歌謡コミックバンドじゃなくて。


かつてのロックと言ったら、ひたすら現状否定を突き詰めた表現で、
否定の彼方に、今でない、ここでないどこかの共同幻想を抱かせるが故に
一定の支持をえていたものだったけれど、
いまやかくのごとく歌謡ショー以上の期待をするのは無粋と言うもの。


そりゃ、まあ、いまや現状を否定したところでその向うにあるのは単なる社会の
落ちこぼれと言う図式が見え見えで、世の中の選択肢は経済的な勝ち負けの
二つしかないと、みんなうすうす納得している中では、マジな現状否定表現のロック
なんて、居場所が無い。


今やロックは純粋な歌謡ショーとなって市場経済体制の市民権を得、
良い子とオヤジの娯楽となってしまっているから、
かつて期待された「反抗的」という役回りを演じることなどできようもない。


「反抗的なニーズ」は、より直接的な「犯罪」の方に行ってしまったのだ。


してみると、増加する、動機も良くわからない無軌道な犯罪って、
現状否認の追い詰められた今風の「表現」であるとも言えるかもしれない。
即ち、
不条理「犯罪」は実に反体制なアート表現であり、
今日的イデオロギーの問題
である。


これは既存のアートやイデオロギーにパワーがなくなったのか
困民がアートやイデオロギーに希望や気晴らしすら託せないほど
世の中煮詰まってきたのか・・・、
・・なんてこと、良い子でもオヤジでもないワシは知らん。



私の先輩F氏のアイドルは、イギ-・ポップスターリン(ソ連でなくてバンドの方)で、
かつて会社宴会の余興で、遠藤ミチロー(スターリンのリーダー)のリアルな物まねをして
途中制止されたことがあるらしいのだが、
今や当時以上にストレスも不満も大きくなったというのに、得意の出し物は、
「ミック・ジャガーの物まねをするデビッド・ボウイの物まねの物まね」(TT)
であり、これがウケているらしい。


・・・これが世の中に合わせた普通の大人の対応ってことなんだよね。(TT)(TT)



(補注:ミック・ジャガーの物まねの好きな芸人は多く、D・ボウイの他、
    ピーター・ウルフなんかが有名)

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