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2016年12月25日

本読みの年末の告白

テーマ:本読み

 

今年手をつけた本は少なく、読み通した本となるとさらに少ないはずである。そもそも青年の部B(あえて中高年とはいわない)の進展と共に目が弱り、根気がなくなり、よけいな出費にけちけちするようになり、さらにいうならば本を置くスペースも惜しいという有様。その一方で新しい電子ガジェットには次々と手を出すのでとても本にまで時間と体力を通やしているひまはないのである。

 この一年に買った電子ガジェット・PCのたぐいは・・・いやその話はまた別途。

 

本はすいぶんと読んでいないような気もしたのだが、前回読んだ記録を見ると先月ボブディランの伝記やら重力波の話やらあれやこれやなにやら読んでいるようだから、そんなに全く読んでいないというわけでもない。ではなんで読んでいないような感覚があったのだろうかと考えてみると、おそらくは紙の本でなくて電子書籍で読むことが増えたせいではないかと思われた。確かに電子書籍はモニターの表面に現れるテキストをなぞっていくだけである一方、紙の本がまず本という物体を入手して、本の存在を肌身で感じ、ものとしての所有欲を満たし、手でページをめくって行きつ戻りつしては五感に訴えかけてくるものがたくさんある。

 そのためかどうか知らないが、電子書籍を読んだ後はあまり頭に残っていないような気もして、電子書籍リーダーを駆使して電子的なメモやしおりや傍線をつける作業もしているのだけれど、読んでしまえばすべて電子空間の向こうに霧と散ってお終いのような感じがする。

 そうなのだ、この感覚、ネットで様々な記事やニュースやまとめネタに触れてその場では情報欲が満たされたような気がしても、次のページに遷移するとすべて胡散霧消して何も残らないような、あの感覚とよく似ている。

 これはネット記事に慣れ親しみすぎた私の感覚が堕落してしまっているためなのか、それともネット記事も電子書籍も初戦はモニターの表面だけのことであってとても人間が深く読書体験をはぐくむような資質要件に欠けているということなのだろうか。

 ともかくこのところ私にとって読書ということについては量的にも質的にもだいぶ満足度が低下していることは確かなのである。

 

 そこで今読んでいる本の一つだが、井上ひさしの『道元の冒険』である。だいぶ古い作品のようで、既に紙媒体は新本の販売はされていないため、またしても電子書籍で読むことになったのだ。

 読み始めて気付くところはいろいろあったのだけれど、まずは道元と現代の犯罪者が夢の中で入れ替わるという仕掛けである。

 日本における禅の聖祖道元と、夢の中で入れ替わるのはあろうことか、現代の変質犯罪者である。個の聖と俗、高尚と卑俗が入り交じる設定はいかにも井上ひさしだなあと思わせるが、この夢入れ替わりのプロットは、今をときめく映画『君の名は』の重要な要素である。ああ、あの流行映画はこんなところからネタをパクっていたのかな。

 

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2012年12月22日

忙中閑あり、でめずらしく純文学を読んでみた「何もかも憂鬱な夜に」

テーマ:本読み
$酒とホラの日々。-何もかも憂鬱な夜に
『何もかも憂鬱な夜に』 中村文則 / 集英社文庫
  
このところは仕事がらみの本(資料)一辺倒だったが、息抜きに新聞の書籍紹介で見かけた本を読んでみた。

親に捨てられ施設で育った主人公は刑務官として働いている。社会や自己の矛盾が破たんした結果犯罪に至ったような様々な受刑者と向き合う毎日は、自分を含めた人間という得体のしれない存在のとりとめもなさや陥穽を目の当たりにする毎日だ。多少なりとも感受性のある人間ならば過敏にならざるを得ない。そんな主人公は、死刑判決に対し控訴しようとしない若い殺人犯を担当することになる・・・。
  
私はこの物語を、多かれ少なかれ誰もが若いころに経験する不安と焦燥に向き合った作品として読んだが、それはたぶん、私の若い頃に漠然と自己の毎日を包んでいた何とも言えない陰鬱な気分を多少なりとも思い出すことになったからだ。
漠然と包んではいたものの、若いころの様々な気分のうちもっとも支配的な気分だったかもしれない。 
  
このまま自分は、どうにも何ともならないのではないかという不安。今の自分でない何者かになってしまえばきっと楽になってうまくやっていけるのにという根拠も実現のあてもない願望のむなしさ。でも、今まで引きずってきた自分から自分でない何者かになってしまうことへのおびえ。そんなやり場のない今とこれから先への混沌とした不安に絡み取られて、ひりひりする痛みの中で過ごす毎日。
 
そんな不安と焦燥は若いころに通過するちょっとした疾病というだけではなく、年を経ても痛みに慣れはすれ完治することなく、今も時折そんな記憶が身を苛むことがあるようだ。たぶんそれは治ることはない。 
  
この小説は何もかも憂鬱な陰の部分を描いてはいるが一筋の光として芸術との出会も述べている。
確かに「世界にはすばらしいものがある」ことを知るのは憂鬱な壁の中の気分を一時楽にしてくれるものだし、芸術が「お前の狭い了見を広げてくれる」としたらそれは世界を囲む息苦しい壁を押し広げてくれることに他ならない。
 
また終盤近く、主人公は親しい女友達に対し二人で新しく自分たちだけの生活を少しずつ作っていこうと提案をしている。確かに他人のコピーでない、自分だけの生活こそはオリジナルなアートでもある。アートでなくとも、ささやかでも丁寧に自分なりの生活を紡いでいくことこそ憂鬱の壁の外へとつながっていく手堅く現実的な手段の糸口であることを示唆しているようにも読める。
もっともこれは幾多の憂鬱の壁を見てきたもう若くもない私のただの個人的な思い込みに過ぎないかもしれない。
  
だから憂鬱の向こうへの希望を読み取るかどうかは各人の受け取り方次第ではある。
ただ、この本は身近で果てのないような憂鬱に生きる息苦しさに圧倒される作品だが、本来それぞれに個人的な感覚であるあの憂鬱な気分を、小説という手段で表現することで、みんなで共有して客観的に眺めることを可能にしてくれた。これは作品の大きな魅力であり功績だ。
  
 
・・結局今に至るその後の私はひょとして強い何者かになったのかもしれないが、ちゃんとした解を出せるような何者にもなりはせずわが身を痛みに鈍く作り変えてきただけなのかもしれない。

ただ、何者にもならなかったかもしれないけれど、今も毎日酒飲んで大飯食ってちゃんと生きている。(爆)
 
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2012年10月19日

「変」は「恋」の代用品となるか

テーマ:本読み
 $酒とホラの日々。-姉の結婚
『姉の結婚』 西 炯子/小学館  

たまたま読む機会があったが人気マンガであるらしい。
主人公の中年女は失敗経験豊富でいまだ独身、しかも恋愛封印中。相手の男は中学の同級生いしてイケメンでエリートの大学勤務医だが家庭持ち。この男のストーカー的強引なアプローチで二人の関係が進展していく。
 
ただ、こうした不倫という現実を嫌う女は、男に金を要求することで経済的愛人関係を装い、自らのやましさの言い訳としている。不倫するよりも淫売の方がまだましという理屈だ。
 
それでも本当は男にどうしても心ひかれていくのに、過去の体験やプライド、やましさ、もう若くないわが身の立場にとらわれて、女は一途な恋愛からは目をそむけざるを得ない。嗚呼、そんな状況の中で揺れ動く彼女の行く末は・・・。

* 

かつて石川達三が彼の小説の中で言っていたが、中年の恋愛は単刀直入にまずヤルことだ。若いころのようなときめきと迷いの甘美なロマネスクに身をゆだねることだけでは中年恋愛ストーリーは成り立たない。その意味でこの漫画は中年恋愛ストーリーの基本を踏まえ、主人公の男女が逢引しては即ヤリまくることを中心に据えている。そのうえで、中年ゆえにこれまで背負い込んだ一筋縄ではいかない経験や傷、家庭や職場の面倒な人間模様を周囲に配して話にふくらみをを持たせている。
  
この通り恋愛とはいってもドロドロ不倫ものなのだが、絵柄も背景ももおしゃれに、生臭い場面にはギャグ的要素をちりばめ、不快感を感じさせずに読ませてくれるから娯楽作品としてのツボはしっかり押さえているのである。

これは昼メロ的恋愛物語の王道だ。勝手に感情移入して楽しむのもありだが、所詮は他人の不倫沙汰、しかもマンガ、それ以上のものではない。物語の「恋」にときめくというよりも、他人の「変」をおもしろがれば良いのだ。それ以上のものを期待して批評するのはお門違いだが、単純に大人の色恋物マンガとして楽しめる。
  
古典の昔から現代のテレビの昼メロ、女性週刊誌の下世話な三文記事に至るまで、我が国では不倫スキャンダルの娯楽文芸は盛んだが、昔はどこが面白いのかさっぱり分からなかった。だがこの年になってようやくその「変」の楽しみ方が分かってきたかもしれない。


 

 
 
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2011年09月27日

本に棲む虫、紙魚ってやつ、あれ潰しまくって、自分も蔵書の下敷きになって圧死した男は祟りだったか?

テーマ:本読み

昔の漫画をめくっていたら「レニングラードの椰子の実」ってのが出てきたのだけれど
ありゃありゃレニングラードっていう名称もなんだか懐かしいねえ、
確か今はサンクトペテルブルグで、いずれは、”ぷーちんランド”

改称されるのではなかったかな。


   酒とホラの日々。-kindle3


・・・などと戯言をいいつつめくっていたのはアメリカ製の電子ブックで、
中身は遠い昔に読んで黄色くなって眠っていた漫画を電子データ化したものである。
震災後、本の自主電子化を進捗中だ。細々と蔵書を業者に頼んで電子化(PDF)し、
PCや専用機(私の場合はAmazonキンドル)で読めるようにしているのである。

 
これはただ、狭い家に比べてむやみに本が多いので、地震で本に潰されて死ぬ前に
モノとしての本を減らそうと思ったのである。
電子化する対象となる本は基本、読了済みであまり読み返さず、

物体の本としてはあまり未練がなく
読み返すにしても飛び飛びにつまみ読みしないようなものに限っている。
だが、次々と本を出すうちに、読み終わった蔵書だけでなく

古書店で投売りされているような本も新たに買ってきて電子化して読むようになった。
 

ただ同然で買った本は傷みや汚れがひどいものもあるが、電子化してしまえばまったく
気にならないので、電子化の手間賃を払っても非常に安値で本が手に入るのである。


本を電子化してしまって良かったのは、

もちろんホコリのたまるモノが減って家の中にスペースができたこと。
本棚にスペースができるとまた新しい本を買って、本の新陳代謝が進むこと。
電子化した本にはOCRテキストがついているので、PCで全文検索が
可能になること(精度の問題はあるが)。

さらに死んだ後につまらない本を持っていたものだと
妙な評価を受けたり、本の始末で迷惑をかける心配がいくらか少なくなったこと。

 
もちろんデメリットもあって、機械と電気がないと読めないとか、

著作権だののこともあるので他者に気安く本を渡すことができなくなったとか、

さらには電子化された本をあれこれ読んでいて、
たまたま参照しようと思った本が紙の本として隣の部屋の本棚にあったりすると、
狭い家を移動するのでさえ、ものすごく面倒に感じることなどもある。

 
全体として、本の電子化はやむを得ない選択だと思うし、

今は自炊と称して自前で電子化している本も、

今後は初めから電子データで流通することが増えるのは不可逆的な流れだと思う。
もちろんそれでも、紙の本や雑誌はなくならないし、私も買い続けることだろうとも思う。

 
それにしても現在の電子書籍を巡る世の中の動きには非常に前時代的なモノを感じるが、勝手にやっておくれ、私は向こうで見てるから。
 

 

 

 

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2010年11月08日

ブログ友のaoriさんが編集した本が出たと言うので、見ました。で、買いました。

テーマ:本読み

酒とホラの日々。-楽年金

 

年金生活の便利帖 ひとりあたり月8万円で暮らしを楽しむ / 角川SSCムック



この日曜日の朝日新聞読書ページで、歌手の一青窈が、良い本は見た目に内容が現れると思うが自分はこれを信じる、というようなことを書いていた。私もまた経験的に本に限らず機械や道具についてもその機能性能はデザインに現れると漠然と思っているところがある。

そこでこの本(aoriさんの編集によるもの )であるが、書店で手に取ってすぐにこれはいい本だなと感じるものがあった。

 

このムック本をたとえるなら、凄みのある絶世の美女ではないかも知れないが、黄色い親しみやすい表紙が安心感をともなってそっと寄り添ってくれる器量良しの看護婦さんのような印象がある。

そして実際に中身は外見の印象を裏切らず、知っておくべきあれやこれやの情報が一冊にコンパクトにまとまって、とても読みやすく構成されているのである。この手の本は知りたい情報が、読みやすく、お手ごろ価格で提供されていると云う点で、すでに成功だろう。 

 

本書では限られたページ分量ながら、きっと誰しも抱える退職後の生活でのそれぞれの不安に対する情報がやさしく述べられているのである。 お金のこと、健康のこと、世の中との付き合いのこと、詐欺のことなど、一つ一つは控えめな情報量ながら的確にポイントは抑えられてある。

 

実は本書の内容は私にはまだ少々先のことかもしれないが、乱読家の私はここ数年様々な先賢の文書に触れては、社会的生活から個人的生活に移行する老後の暮らしと精神生活には期待することもあった。

もちろん老熟した精神生活だけでは暮らしは成り立たないから、精神生活と対をなす実務生活実践編ともいうべき本書には耳学問の間隙を埋めてくれる期待があったのである。 (そういえば、老境こそはわが憧れと言った女友達もいた。彼女は当時まだ20代だったはずだ。) 

 

実際のところ私が該当年齢に達する頃には日本国はまだあるのか、あるいは人類が生存しているのか、それより何より年金制度が果たして存続しているのかは非常に心もとないのではあるが、誰にも老後は確実にやってくる。

 

誰しも、物心の両面で老熟した先の境地のことは早くから考えておくべきだろう。そしてこの本は年齢に関らず現代の大人全般に、現実的な生活取組の豊かなヒントを与えてくれる。 

   


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2010年10月03日

そいつは繰り返し繰り返しやってくる

テーマ:本読み


酒とホラの日々。-48
『四十八歳の抵抗 改版』 石川達三・著 / 新潮文庫


古い小説である。


主人公の西村耕太郎は48歳、大手保険会社の次長で当時55歳定年まであと7年弱。いまさら立身出世の望みもないが、妻と成人した長女の3人暮らしで平凡だが幸せな人生である。本人もこれを否定はしないが、老いの初頭にふと立ち止まって眺めやるこれからの平凡な太平無事の下り坂の人生を受け入れるのにはまだ納得していないし、ちょっと冒険すれば若い愛人にも手がとどきそうなところに心が揺れ動いている。
 
ところがそこに娘の恋人発覚・妊娠という事件が絡み、自らの慾望の始末と若い男女へのけじめについて迫られるそれぞれの対応はこれからの後半生をいかに生きるのかという悩みともなっていくのだが・・・。

 


誰しも若いときは勢いや体力であるいは怠惰と先送りで何とかなってきた問題も、あるいはまた未成熟で発現には至らなかっただけの問題も、ある時期になるといよいよ後がない現実として鋭く解決や方針の転換を迫られることになる。

 
それは健康の問題もあれば、老いた親や子供の独立などの家族問題、会社や仕事の問題もあるだろうし、そこに残された時間への焦りや諦め、あるいは諦めのつかない慾求が絡み、もつれた難題として対応が迫られる。
これは誰にもやってくる。
 
こうした誰しも迎える悩み深い時期を中年の危機だのと言って、現代ではこの方面の研究はだいぶ進んでいるようだが、世間一般の認識はまだ十分とは言えないし、危機の内容は個人ごとに事情が複雑で、対応の仕方もさまざまだから扱いの非常に難しい問題である。

 

人によって中年の危機は40前にやってくることもあれば50過ぎでやってくることもあるだろう。中身も長年先送りした様々な問題がどうにもならなくなるようなものだからその解決も一朝一夕には行かないことが多いし、結局何年かかっても解決できずに中年の危機に潰されてしまう人もまた多いのが現実だ。最近では先ごろ亡くなったマイケル・ジャクソンのケースなども解決失敗例として語られることもある。
 
この小説が書かれたのは昭和30年から31年という昔のことだが、今も昔も人生の基本構造は変わらない。生まれてから死ぬまでのたかだか数十年の上に多くの苦衷ともどかしさ、多少のときめきと納得を盛りつけるだけだ。しかも人生の後半は前半の単純な延長ではなくて、人生の基本構造の峠で何を捨てて何をとるのか自ら納得して選び取っていくものだということも変らない。だから主人公西村耕太郎の心の辿るもどかしさは現代においても大いに共通するところがある。
 
それゆえこの小説は価値観も社会通念も異なる時代に描かれた軽妙なドラマの形を取ってはいるけれど、中年の危機を経験済か否かにかかわらず、今なお「大人の読者」にとって一読の価値があることだろう。

  

 


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2010年06月15日

おまえら、愚痴ってばかりで迷惑かけて、どうせ死ねないから生きているだけならもう少しまじめにやれ

テーマ:本読み

      酒とホラの日々。-死ねばいいのに   『死ねばいいのに』 京極夏彦 / 講談社


「なんて非道い本のタイトルだろう、
売れればどうでもいいのか、と思って手に取りましたが、
読めばはっとする各説話、
俗っぽい設定ながらも一々わが身に刺さる事例と会話の数々に、
目から鱗、もやも晴れ、痛みも忘れて、膿もとれました。
やはりこれを読んだ寝たきりのおじいさんは
起き上がって一人で歩けるようになりました。

 
生きづらい世の中ですが、生きづらいのは
私たちがわが身の不運を愚痴る前に、
自分の持っているもの、運や、周りとの関係のありがたさを
素直に受け止めることが出来なくなっているからかもしれません。」

・・・

そんな感想を持った人がいるかどうかは知らないが、それはさておいて、、、



物語では一人暮らしの若い女アサミが殺され、その女の「知り合い」だったケンヤが彼女の生前の「関係者」を訪ね歩く。 ケンヤはほとんど社会からの落ちこぼれで、このケンヤと事件の関係者たちの会話がストーリーを引っ張っていくのだが、この過程では死んだ被害者のことよりもよりも、その関係者たちの「生きづらさ」ばかりが露骨にあぶり出されていく。

誰にも相手にされない中間管理職、派遣切りにあった女、チンピラヤクザ、男運の悪さを呪う女。 関係者たちの苦衷はやや誇張されたもののどこにでもありそうな現代の生きづらさだが、誰しも抱える生きることの苦のカリカチュアとして、自分の境遇の断片を思い重ねる読者も少なくないことだろう。
 
軽く卑俗な文章の作りながら、プー太郎のケンヤの会話には、古代ギリシャ哲学のストア派の信条を連想させるようなドキリとするせりふが出てくる。
「厭なら辞めりゃいいじゃん。辞めたくねーなら変えりゃいいじゃん、変わらねーなら妥協しろよ。妥協したくねーなら、戦えよ。何もしたくねーなら引き籠もっていたっていいじゃん」
 
現代の不幸せの見本市のような展開と、愚痴と愚痴をなじるような会話の応酬には、露悪的な共感をなぞるような、同病相憐れむのに近い読後感を抱くかもしれない。その意味で、人の不遇と殺人とを巡る重苦しいストーリながら、不快感よりもむしろ、著者による今を生きる人への督励を感じる。
  


本書は携帯やiPAD向けの電子書籍化された本としての話題が先行したが、

本当に死にたい人以外には、まあお勧めである。



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2010年05月19日

江戸の粋をそぞろ歩き___今回の本の紹介は私の敬愛する大田南畝先生の恋愛模様だ

テーマ:本読み


昔から時折、繰り返しくりかえし江戸ブームなどというものがやってきては、

江戸時代を憧れの理想世界のように、ほとんど崇拝の気色すら見せて、

拝み倒すように賞賛してやまない人や本というものを見かけることがあるが、

私はこうした態度に与しない。
 
だって、江戸時代なんてトイレは水洗じゃないし、夜は暗いし、水道もない。
アイスクリームもなけりゃ、ビールもないうえ、

社会も不衛生で、乳幼児の7歳までの生存率はわずか25%などと聞くと、

江戸の礼賛などとんでもないということになってしまう。
 
でも、それでもなお、江戸の文化にはどうしようもなく惹かれるものがある
のも確かで、江戸の文物に触れると、私も江戸時代にタイムスリップして当時の人と社会に
浸りたいという衝動に駆られることもある。

 
そう、私も江戸の文化人の宴席に招かれ交流したい、江戸の町で暮らしたい...
たとえトイレがウォッシュレットでなくっても。

たとえ冷えた生ビールが飲めなくっても。。。

 

そんな私の江戸趣味をくすぐり、心から敬愛してやまない江戸の文化人に触れた気分にしてくれる本にめぐり合った。



             酒とホラの日々。-後より恋の責めくれば

       『あとより恋の責めくれば 
         御家人南畝先生』       竹田 真砂子 / 集英社



江戸の町、光と影の際を当代一流の粋人たちが闊歩する。

 
山東京伝、恋川春町、もとの木阿弥、朱楽菅江、そして主人公の四方赤良こと大田南畝。身分も出自にも関わりなく集い、歌会を催し、宴を張り、妓楼に遊んで、お目当ての遊女に差し合いがいるとみるや、すかさず店替え、あるいは素見騒き(そけんぞめき)と洒落込む身のこなしは野暮とは無縁だ。
 
素見騒き(そけんぞめき)とは、今風に言えばウィンドーショッピングのようなことであるが、特に江戸の色里などで遊女の並ぶ見せ張りをのぞくだけの冷やかし客や、その賑わいを眺めて楽しむ粋なそぞろ歩きのことも素見騒きと称した。

 
江戸中期の吉原などは大店が軒を連ねてきらびやかさを競い合い、不夜城のごとき仮想現実世界に、つかの間の疑恋という癒しを求める人々で大いに賑わいを見せたことは知っての通り。
 
もちろん廓に落ちた遊女にとっては、そこは苦界にほかならないわけだが、遊廓の疑似恋愛というアトラクションも、時には真実の恋に転化することがあった。
思いもかけず、そんな一途の恋に落ちてしまった武士の始末を描いたのが本作であり、その主人公は四方赤良・蜀山人として狂歌で有名な、あの大田南畝である。
 
言うまでもなく、大田南畝は天明期の江戸文化、ことに狂歌を初めとして洒落本や黄表紙、随筆、漢詩など文筆活動全般に才能を発揮した江戸のサブカルチャーを代表する天才文化人である。
私の憧れの大田南畝とまぶしいほどの有名登場人物たちの、華やかな交流ぶりの生き生きとした記述は、江戸文化に興味のあるものには一読の価値がある。
 
ただ、恋愛物語としてはどうか。純愛を貫いた南畝先生の秘めたる恋愛模様がテーマとはいえ、記述が淡泊に過ぎ、どこか物足りなさは否めない。
恋の相手である吉原から身請けした三保崎などは、薄幸の女性とはいえ控えめに過ぎてまるで消え入りそうなはかなげな書きぶりだ。

 
当然、現実の恋愛とはただ好きだ惚れたの一色でできているわけではないが、この物語の恋愛ははプラトニックなまでに淡泊に単色の記述が時折現れるだけで、主人公に感情移入して共感を得るような読後感にはとても至らないのは残念だ。
 
一般には向学心と好奇心のかたまりで、エネルギッシュな天才文人の印象のある南畝先生を、本作では仕事と家庭の切り盛りに汲々とするしがない下級武士として描き、その秘めた恋の顛末に目をつけたというのは、作者独自の大変面白い視点ではある。ただし恋愛自体の記述が、恋に対する少女願望のようになってしまっているのは、あるいはひょっとして作者の願望と弱さなのだろうか。
 


ともあれ、江戸の文化人たちの粋な振る舞いと交流模様には目を見張るものがあるし、天才文化人南畝先生を、悩み多い一人の弱い純朴な人間としてとらえた本作品は、現代のサラリーマンの悲哀にも通じるリアルな日常の手触りがある。


そんな感慨をもたらしてくれるこの作品は、まるで自分もまたタイムスリップして南畝先生やその取り巻きと江戸の町を素見騒きするような楽しさを与えてくれる。





(注:本のレビュー部分は他サイトより転用であるが、

  レビューの著作者承諾済、、って私のことだけど)










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2010年04月12日

井上ひさし氏の死を悼む

テーマ:本読み

酒とホラの日々。-井上ひさし氏
出っ歯だった
ド近眼だった
女にもてなかった。

アカだった
DVだった
女房に逃げられた。

ビンボーした
安娼婦買った
右翼にねらわれた。

田舎モンだった
タバコ吸いだった
肺がんになった。

それでも書いた文章は星の数
拍手喝采数知れず
すごすぎるぜ、井上ひさし。
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2009年09月13日

かっこ悪くったって毎日は続いていく

テーマ:本読み

私の好きな作品が映画化されるというので(公開は2010年の春)、以前に書いた書評を再掲しておきたい。


酒とホラの日々。-ソラニン

『ソラニン』 浅野いにお / 小学館  ヤングサンデーコミック


大学卒業後1年半、会社勤めの将来に展望がもてず身をすり減らすような毎日から逃げ出すようにOLを辞めてしまった芽衣子。その恋人でミュージシャン活動への未練が絶てず、なんとなくフリーターをしながら中途半端な毎日を過ごす種田。その種田が達観したようにつぶやくシーンがある。


「俺は・・・夢のためならどんな困難でも立ち向かうべきなんだと思っていた。でもこの頃は、俺はミュージシャンになりたいんじゃ無くって、バンドがやりたかっただけなんじゃん?ってさ。・・・」

好きなことを仕事にして生きていける人は幸運だろう。同時に企業論理の支配する現代においては、好きなことと食うための仕事の一致を見ることはまれでもあるだろう。多くの人間は経済的な動機からいやでも働かざるを得ないが、会社や仕事の与えるニンジンである経済的利得と出世栄達だけで自分の心にふたをすることには常に疑問があり、そこに「迷い」「苦」が生じる。

だが、好きなことと仕事をすることの不一致に誰もがどこかで折り合いをつけては生きていく。 それでも生きていくのは大変だ。

人生は思うようにならないうえに、いつまでも目的も定かでなければ、目的に向って突進する覚悟も無い自分にいつまでも苛立ちはなくならない。

そこであなたは、自分には何の能力も確たる意思もないと嘆息するだろうか。自分は誰にも認められず取るに足らない人間だったと卑下するのだろうか?


本書はそんな煮え切らない毎日と不条理なめぐり合わせの中をもがく平凡な若者たちの日常を、静かな、でも圧倒的な共感をもって描いた好著である。

自分という立場で、自分のおかれた環境という重荷を抱えて、自分自身という悩みを噛みしめて生きていくのは自分自身をおいて他になく、その生を日々完成することがそんなにつまらないことなのだろうか。自分を生きるというのはただそれだけで唯一無二の作品ではないのだろうか。

頑張ったバンドの売り込みもうまく行かず、種田は心境を吐露するが、これは逃避からではない。
「・・・みんながいて芽衣子がいて、きっとホントはそれだけでいんだ・・・」

 
決して切れも良くなければ格好良く決まった話でもないが、きっとその煮え切らなさゆえに不恰好に生きるすべての読み手の共感を得らることだろう。そして不恰好でもまた毎日は続いていくのだが、なんでもないつまらない、でもかけがえのない毎日を、日々かみしめることができたらその時きっと無意味に見えた世界はモノクロの景色がカラーに変わるように豁然と意味を帯びるのではないか、そんな感慨をもたらしてくれた良作だった。





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