2013年02月05日

酒もホラも停止した日。

テーマ:

実は今、この私がしばらく酒を断つという
世にも不思議な事態に至っている。

正月にひいた風邪が抜けた後、
ずっと胃もたれがしていたので
ちょっと薬でももらおうと医者に行ったところ
一因として考えられた胃の中に棲息する悪玉を
退治する必要を告げられたのである。
 
悪玉とはいわゆるピロリ菌というやつで、
成人の7、8割は保菌者だというから
たいして珍しいものではない。
 
ただ、ここ数年、かのピロリと胃炎や潰瘍との関連が明確になって、
厚労省も医師会も「除菌を強く推奨する」
というトーンで一致している。
 
除菌自体は1週間毎朝毎晩指定の抗生剤を
飲み続けるだけなのであるが、
この除菌が成功してピロリが確かにいなくなったことを
確認する検査がその12週間後となる。
 
1度の投薬で除菌が成功する確率は7割ほどだそうだが
これはつまり3割は失敗するということである。
 
そこで医者が言うには、
「成功確率が気になるのなら、
3か月後の検査が終わるまでの間、
酒・たばこはきっぱりとあきらめること」
だという。 
 
私はたばこは吸わないから何でもないが、
酒は人生の友である。
だから12週間の断酒申し渡しには驚いたが、
健全な体あってのうまい酒と思い、
今はひたすら清らかな生活をしているのである。
 
それにしてもまあ、なんだ、
酒量はロシア人並みと言われた私が
何日も酒を断っているというのも
なんとも不思議な気がするが、
やってみると平気なのは当然ながら、
これが意外に悪くない。 
  
元来、アルコールの依存癖はなかったことを
確認証明できたのも結構なことではあるが、
これが断酒からものの1週間もすると、
天地開闢以来、はなから世の中に
酒の存在などなかったかのような生活である。
   
驚いたことに、先週など酒屋に寄るかわりに菓子店によって
ケーキなどを買ってきたのである。この私が。
 
酒を飲んだ後わけもわからずホラを吹いていたのが
素面の時間が増えて、学術書の類を並べて
調べ物をする時間ができたりもした。
役にも立たない勉強をして過ごすなんて
いったいどうしたことだろう。
 
しかも特にそれでもストレスは感じない。
これは新たな境地、
新たな冒険の始まりであるのかもしれない。

ことの始まりはともかく、
新しい生活の展望やわくわくする活動の種は
ちょっとしたきっかけとわが身の中にあるということだろうか。

いやまて、これでは酒もホラもない日々なんて、、、いったいどうしよう。
 
AD
いいね!した人  |  コメント(6)  |  リブログ(0)
2010年07月10日

トラだ、トラだ、お前はトラになるのだ

テーマ:


O氏は私の先輩筋に当たる人物で、大きな体躯と豪傑風の風貌にして酒豪である。
が、実の中身はいつもストレスと緊張癖に悩む小心者なのである。
図体の大きいのはともかく、うわべ豪傑風の振る舞いは自らの小心の裏返しなのだ。

そのO氏がその昔
あるとき、

同僚で親友のS氏の結婚式の司会をすることになったのだが、
ただでさえ司会なんて面倒で緊張を強いられる重責である上、
同僚S氏は旧家の跡継ぎで、招待客は地元の政財界のお歴々を含め

総勢500名にもなるという結婚式の大役だった。

 「司会? あ~、ありゃ仲人よりもハードだよな」
 「オレの友達も司会やって10キロも体重減ったよ」
などという周囲の話を聞くにつれ、O氏の緊張は日に日に高まった。
一ヶ月前には緊張のあまり全身はこわばり、半月前には顔は引きつって別人と化し、
ついに一週間前にはあたりに緊張の電界が発生し、

近づいた人には電気ショックのような緊張波が伝播するようになった。
 
そして結婚式前日、O氏は仲間内で飲んでいた。

すでに三日前から飲み通しであったのだが、少しでも緊張を和らげようと

気遣った仲間がはからってくれていたものだったのだ。
 

明るく和やかに飲んで、O氏は十八番の昔のアニメの主題歌などを放吟して絶好調、
のはずだったのだが、O氏の緊張回路は限界に達し、ついにショートを始めた。
O氏はやおら立ち上がると、大きなタンブラーなみなみと注いだウイスキーを見て
「誰だこんなところにコーラなんか置いたのは。こんなコーラ、俺が飲んでやる!」
O氏はコップのウィスキーを飲み干すと、店を飛び出してどこかへ行ってしまった。

みんな追いかけ手分けして探したが見つからず、さてどうしたものかと
話しているところに、警察から店に電話が来た。
電信柱に抱きついてタイガーマスクを歌っている男がいるが、

そちらに知り合いがいるのではないか?という。

それはO氏に間違いない、これは大変と皆が千鳥足で駆けつけてみたのだが、
時すでに遅し、もう放置できないと判断した警察によってO氏はトラ箱へ
収容されてしまった後だった。
 
警察署に出向き、身柄の払い下げを願ったが、O氏は大いびきをかいて
熟睡状態であるので、明日朝にでもまた来てほしいとすげない返事だった。
こうして、翌朝、午後の結婚式の主役にして親友である新郎のS氏自ら出頭し、
なんとかO氏の身柄を引き取って、式にはどうにかこうにか間に合ったのだった。
 
当日、O氏はいつもより顔色がだいぶ青いようだったが、何とか司会の大役を務め、
無事に新郎新婦の門出を祝うことが出来た。
 
もちろん、式の後二次会では、緊張から解き放たれたO氏が大酒をあおって
再びトラと化したことは言うまでもない。

そればかりか、あれから名何年も経つ今もって

時折結婚式の司会のことに話が及ぶことがあると、また緊張がよみがえるのか
大酒をあおらずにはいられなくなって、トラ人間に変身してしまうO氏である。
 
人間は過度の緊張やストレスに見舞われると、PTSD(心的外傷)を背負い込むことになるのはよく知られた話だが、何年も経った今もってO氏が

過去のトラウマによってトラに変身するのを見ていると、

変身伝説の狼男やバンパイヤもまた、O氏のトラ人間と同じ、

実はただの小心者の暴走であったのかも知れぬと思えてしまうのである。。。



   

AD
いいね!した人  |  コメント(4)  |  リブログ(0)
2010年07月07日

梅雨前線とビアガーデン

テーマ:

梅雨も後半、連日雲から垂れ込める水気の微粒子が大気中を満たし、町並みも街路樹もその輪郭をあいまいにして霞んだ風景の中にたたずんでいる。

  


そんなわが町の商店街の中に先日、ビアガーデンが開店した。とはいってもシャッター街になりかけた商店街の乾物屋の4階建てのビル屋上のそれはそれは小さなビアガーデンで、客寄せの助けにでもなればと、半ばやけっぱち、なかば商店会の店主たちの趣味で無理やり気味に開店したのである。

   


仕入れはすべて街中の商店会からだし、やってくる顔ぶれも近所の連中ばかりだ。とても儲けや商店街への新規顧客開拓にはつながらないと思われてはいるが、なにせビヤガーデンという季節限定商売だけに、秋口までやったら後はさっさと撤収すればよいだけのことだし、来年開店しないからといって誰も何も言いはしまい。ちょっと手の込んだ商店街イベントだと思えばいいのである。
 
ところがこのビアガーデン、意外なことにビールも料理も本格的にうまいと云うことが判明し、限られた仲間内でだが、ちょっとした話題になっている。もともとの動機の半分は商店主たちの趣味や道楽なわけだから、酒も食材もそれぞれの店とっておきの逸品が提供されることが多いし、厨房を任されているのも乾物屋のオヤジではあるが、元は料亭で板前をしていたところ兄の長男が家を出たため乾物屋に戻って店主となったという経歴であるから、すべてにおいて並みのビアガーデンとは一線を画すのである。

  

今日は南アフリカ特産のディープシークラブ(深海蟹)を肴に、市販定価なら一本2800円するという高級地ビールで盛り上がって帰ってきたところである。ディープシークラブは知る人ぞ知るグルメ御用達の逸品で、日本では常時食べられる店は二件しかないというものであるし、高級地ビールも酒飲みの間では幻のビールといわれる希少品だ。もちろん私を含めた客の面々も大満足だし、このハイレベルは日を追うごとにエスカレートしていく傾向にあって、ビアガーデンは小さいながら連日の盛況である。
 
一見にわかビアガーデン大成功であるのだが、問題はある。ひとつは趣味性と高級性があまりにエスカレートした結果、乾物屋のビアガーデンはまるで会員制秘密クラブの様相を呈して、新規の客には限りなく敷居が高くなってしまっていることである。

また、商店街と近くの住民の良くも悪くも気心が知れた仲間内がコア客となっているために、いつも話題は、商店街の活性化策から始まって、昔みんな同時に憧れたマドンナの話題を経由し、小中学校時代の喧嘩自慢に至って誰が強かったかとかを巡り口論となり、結局は子供じみた酔っ払いのつかみ合いのとっくみあいに及んで、テーブルをひっくり返したあたりで、やってきたおかみさんに怒鳴られて閉店となる、というようなのが定例スケジュールとなっているのである。 

  

この前は乾物屋のオヤジと八百屋のオヤジが酒瓶と包丁を持ち出していがみ合ったのを、私が乾物屋を羽交い絞めにして仲裁に入ったところ、乾物屋のおかみさんに亭主もろともバケツの雑巾水をぶっ掛けられた。
昨日は魚屋が近所の年寄りに、子供のときにわけもわからず怒られたことをなじって口論となり、大男の魚屋がやせた年寄りを屋上のフェンスの上から投げ落としそうになったのを呉服屋と花屋が何とか止めたはいいが、逆さにされた年寄りの失禁の始末までやってそれそれ被害を被った。
 
それでも、そんなことがあってもまた、翌日には乾物屋ビアガーデンは何事もなかったように開店しまた同じ面々が集まっては、屋上に無邪気な哄笑が響いている。喧嘩もみんな本当に仲がいいからというのか、酒でたまたま暴走したあふれる稚気の現われなのだ。

 
これでは秘密会員クラブでなくてもよその者は入っては来れまい。当初目的に掲げた商店街の活性化には役立っているとは言いがたいが、どこか沈滞気味だった「商店街の人たちの活性化」には一役買っているようではある。

 

これでいいのかって? 

まあ梅雨空のような気分を吹き払って、心を解き放ってくれる場というものは誰の人生にも必要なものなのだ。これに異を唱える者はいないことだろう。。。
 
 


 

AD
いいね!した人  |  コメント(8)  |  リブログ(0)
2010年04月18日

偽酒の楽しみと悲しみ__ ワレ、ノンアルコールワインノ調合ニ成功セリ

テーマ:

酒とホラの日々。-偽ワイン

酒飲みにとっては酒を飲まない日に何を飲むのかは、つねに悩ましい問題である。こういうと酒飲み仲間からは、真面目でないだの、考え方が軟弱だのと、あまり好意的には相手にされないのだが、酒飲みだからと言ってのべつ飲んでばかりいるわけにはいかないし、何より年とともにアルコールの分解能力は衰えるから、酒との距離感も進んで意識せざるを得なくなるものだ。 


もちろん、世の中には代用酒だのノンアルコールの酒という分野が確立し、様々な商品が提供されてきた。つまり同じような悩みを持つ酒飲みが、いろいろ工夫してきた歴史があるのだ。

たとえばジンジャーエールだって元はと言えば代用シャンパンだった。


ご存じの通りノンアルコールビールなどは繰り返し商品化され、最近ではだいぶ本物に近づいたような気もすると言うのは酒飲み仲間の大方の意見である。


また、ノンアルコール代用酒はビールばかりではなく、ワインなどでも有名なブランドがあって、本物のワインに混ざってコンテストで入賞を果たすものもあったりする。でもこれはミス美人コンテストに混ざって、おカマが健闘するような妙な気配が感じないわけでもない。それは単なる酒のみのひがみなのかもしれないが。 
 
だいたいノンアルコールワインなどというものは、ほとんどもう限りなくぶどうジュースであり、これを本物のワインだと思って飲むには、意図的に「ワインだワインだワインにそっくりだあ!」とか自己暗示を掛けないとやっておれんというようなものである。(それはなんのノンアルコール代用酒でもおなじだけれど)
 
ひょっとして高価なノンアルコールワインならもうちょっとましなのかもしれないが、ただのぶどうジュースに高価な金を払う気にはなれないから、これまでのところ私は知らぬし、これからも別に知りたくもない。 
 
と、思ったところで、ワインに酢を入れるということを思いついたのだが、どうやらこれは世界各地の酒飲みもすでに実践していることらしい。何をどう調合するか、何のぶどうジュースに何の酢・ビネガーを入れるかもまたそれぞれのやり方がある。

 

そこで私が実践したのが、濃いめのぶどうジュースにこれまた濃いバナナ黒酢を入れるという組み合わせなのであるけれど、これはいい。よく分からないが、のどにキューっとくるところや口当たりの重さなど、いかにもアルコール飲料っぽい気分が味わえる。
 
もちろん酔いはしないのだが、自己暗示なしで気分が一瞬盛り上がるから不思議なものだ。さらに気が向いたら研究を進めてみようか、とも思う。何だかバカらしいような気がしないでもないけれど、休肝日はただ酒を休む日というだけではもったいないものだ。





いいね!した人  |  コメント(8)  |  リブログ(0)
2009年03月18日

ルビーの指輪

テーマ:

またしばらくブログほったらかしているうちに、すっかり春になってしまって、

今日などは今にも桜が咲きそうな陽気だったな。


桜と言えば花見。新入生歓迎コンパ、新入社員歓迎パーティー・・・

また飲む機会が増える。

車の走行距離が増えれば交通事故が増えるのと同様、

酒の上のふらちな事故もまた増える季節である。

 

もちろん新入りでなくとも春のなまめかしい空気に煽られて、

気分が高揚し浮かれ酒にはまることもある。

事故を避けるためにも当たり前だが、酒の上の軽率な行動は

いかに慎まねばならないかということを、今日はちと話してみるとしよう。。。



私がまだごく若かりしころ、数人のグループで飲んではしごの途中、道端で露店を広げるで外人の兄ちゃんから、友達の中川クン(仮名)が千円の指輪を買ったことがあった。
 「わーこれ海賊の指輪みたい」
 「なんだかローリングストーンズのキースがこんなのやってたよな」
などといいつつ、夜店で買った髑髏の指輪をして飲みにいったのだが、この時点で中川クン(仮名)が悲劇に見舞われるとは誰も想像していなかった。
 
三次会で入った狭い居酒屋はうなぎの寝床のようなカウンター席が並び、その一番奥にドアがあってトイレになっていた。そのトイレから身の毛のよだつような悲鳴が上がったのである。
もっとも、悲鳴が上がってもしばらくは誰も席を立たずにほうっておいたのだが、しばらくするとトイレのドアが開き、中川クンが困った顔をして救急車を呼んでくれという。
 
さすがにみんな色めき立っていったいどうしたと聞いたのだが、中川クンは答えない。それでも救急車を呼ぶにも事情を話さねばならないからと重ねて問うと、しぶしぶ説明したのは次のようなことである。
 
したたかに酔っ払って、トイレに入った中川クンは、酔いに任せて勢いよく紙で尻を拭こうとしたらしい。そこで例の髑髏の指輪、これはフリーサイズのためスリットの入った指輪だったのだが、このスリットの部分が尻の、もっと正確には肛門の肉を挟みこんでしまっていたのだった。

 
乱暴に尻を拭いた弾みで、緩めの指輪が外れてそのままケツの穴の肉がリングの金属の隙間にがっちりとくわえ込まれてしまったのである。
 
それでもあまりの痛みとあきらめに中川クンは尻を出してみんなにその惨状見てもらったのだが、いったいどうやってはまったのか、髑髏の指輪はしっかりと中川クンの肉ひだをくわえ込み、引っ張れば中川クンに激痛をもたらす上、場所が場所だけに力任せの対応は困難な状況だった。


「どうする? 指輪を助けるか?肛門を助けるか?」


 
「取れなくなった指輪は消防署で切ってくれるらしいけど、柔らかい貴金属に限るらしいよ。こんな千円の、鉄だかなんだか素性の知れない金属は無理じゃない?」

 
「いっそ爪切りで肉を切ったら簡単に外れるんじゃないかな」

 
「いや、指輪に紐をつけて柱にでも結んで、中川クンに焼きごてでも当てて走らせるというのが正しいやり方だよ」
 
中川クンのケツを前にしてみんなが勝手な話をしていると、顔面蒼白の中川クンが尻の向こうから世にも恐ろしい視線を送ってっきた。
  
それを見たみんなはこれはいかんと、すぐに店主に頼んで救急車を呼んでもらったのだが、痛みがひどくなって歩行も不能となった中川クンは、尻を突き出したうつぶせの格好のまま担架に乗せられ、野次馬環視の中、夜の繁華街を運ばれていったのだった。 
 
サイレンを鳴らし去っていく救急車を見送った後、誰かがつぶやいた。
「リングの先の肛門は真っ赤だったねえ。なんだか大きなルビーの指輪みたいだったよ・・・」
 


教訓・・・酒が入ると気が大きくなり、行動がぞんざいになることがあるものだが、酒の上の事故はとても多い。飲んだときこそ行動は慎重に。

 

 

 

  

 

いいね!した人  |  コメント(10)  |  リブログ(0)
2008年06月21日

夏至の日のシーサイド・バー

テーマ:

朝から雨が降ったり止んだりのはっきりしない天気に、特に予定もないとなると、今日がどうしたということもなくなんとなく一日が過ぎていくような気がする。 そんな予感が朝からできあがってしまうことがある。

 

もやった空気と、予定のない宙ぶらりんな気分を打ち払うように、空の具合を見ながら、ふわふわとまとわりつく雨粒を縫うようにして自転車で海の近くに出かけてみた。

マリーナに係留されたヨットが並ぶ、誰もいない海岸には生ぬるい潮風が吹き抜けて、時折走る車の音が分解した何の音かわからない遠いざわめきが聞こえて来るだけだった。

まるでうち捨てられたレジャー施設の遺跡のようだが、私はこんなヒトケのない週末だけの現代の廃墟が決して嫌いではない。 

 

しばらく海沿いの道をぶらぶらと歩いてみると、白いペンキ塗りの板張り洋風の小さな建物に出くわした。きれいに手入れはされてはいるが建てられてからだいぶ経つのだろう。補修し塗り重ねられた跡が積み重ねてきた時代を感じる。

そこは昼は喫茶で夜はバーとなる店だった。 

 

客のいない店内に入り、ギニスを1パイント注文したが、1パイントで済むはずはなく、こんな時には車でこなかったことのありがたみを感じるものだ。窓から流れ込む適当にひんやりとして適当に湿って生ぬるい風に包まれて、軽い酔いに身を任せるのは、自転車で移動しているときの心地よさに似ている。

  

相変わらず曇って乳白色の空気に満たされたような外から、ゆっくりと目を店内に移すと、天井からは大きなガラスの球体がぶら下がって光を放っているのに気がついた。このなんともいえず変わったオブジェに見とれていると店主が言った。

「夏至ですからね。太陽に感謝しなくちゃ」 

オブジェは太陽の代わりというわけなのだろう。

ようやく私は今日が夏至の日、一年で一番昼の長い一日だったことに気がついたのだった。

 

なるほど、曇りで日の射さない夏至の日の過ごし方としてはこれも悪くない。

 

 

 

 


いいね!した人  |  コメント(4)  |  リブログ(0)
2008年04月17日

柳のある店で

テーマ:

ヤナギの新葉

私のお気に入りの中華料理店には、店の前の狭い地面に大きな柳の木が生えている。葉の落ちた冬の間はひっそりと目立たなかった木も今頃の時期になると急速に芽を吹いて、柔らかな葉をまとった枝が風になびくようになる。

それはまるで店前にあって客を招き入れるかのような姿態にも見えて、私などはこの誘いに負けてふらふらと寄り道してしまうということもないわけではない。
 
店自体も自家製の紹興酒と四川風の料理は日本人にも合うようによく工夫され、明るい店内ときれいな調度品は少し昔の上海近郊への小旅行気分も味わえて、気の合う仲間内ばかりかデートにも使える便利な店だ。 

 

二階の窓から眺める柳の向こうに枝葉を透かして街の通りが見下ろせる。行きかう人とネオンをふちどる緑の葉は春から初夏の控えめさがいい。 夏は緑一色しか見えず、冬は葉の散った枝がさびしすぎる。 育ちきらない初々しい新葉は、この先の重苦しい濃緑も落葉も知らず何の煩いもなくただ茂ることだけを考えているかのようだ。
 
新芽のゆれる柳を眺め、無条件に若さが愛されるのは人もまた同じか、と思わずつぶやいたところ、向かいに座っていたR嬢が言った。

若さなんてそれだけでは価値少なく、老境こそはわが憧れなり。
柳もまた葉の散りつつしだいに木枝があらわになる晩秋が好き。
 
うら若いR嬢から発せられたその言葉に思わず軽い動揺を感じた私は適当な返句が思いつかなかった。 ただ、R嬢もいま少し年が行って青年の部BやCに至れば、またその先老境とやらにいたれば、きっと感慨も変わってくるのではないかと考えるのは、単に青年の部Bのひがみなのだろう。

 

そう感じた私はR嬢への明確な反論はあきらめ、少々視点を変えて論調の合流する地点を探ってみた。
「巡る四季に応じてその時々に柳の葉が多様な表情を精一杯演じるように、
いかなる年代においてもその時期そのものを愛でるのは人の楽しみでもあり

義務なるべし。
そう思えば今日この時を楽しまないのは人生の怠惰なり。
君にあっては青年の部Aを楽しみ、私は青年の部Bの分を知って
これを喜ばん。」
 
柔らかな風にゆらゆらと揺れる青葉を眺め杯を傾ける春の晩は、
ゆるゆるとゆっくりと時間が過ぎていったのだった。

  

   

 

いいね!した人  |  コメント(4)  |  リブログ(0)
2008年04月13日

日曜の逆転劇

テーマ:

土曜の晩にレイトショーがはねた後、同伴したB女と都内のバーに寄ってきた。
映画は「ダージリン急行」とか言うインドが舞台のロードムービー。
エキゾチックな映像となかなかのキャストに期待は大きかったものの
主人公の男三人のヒステリックな行動が意味不明、ついて行けない、
これは脚本の失敗

 

ともかく腹も減ってはいたが、出来映えに納得の行かない映画に欲求不満が募り、
はけ口は酒と肴に向かってしまったようで、深夜の飲酒は
翌日のスタートに深い影響を残してしまったのだった。

 

起きたら昼。
むかつく胃。
何もしないで休みが過ぎていく焦り。
 
ああ、何も手につかない、降ったり止んだりのはっきりしない天気では
外出もおっくうだし、ぼんやりした頭では何かを読んだり書いたりする作業も
手につかない。

 

ああああ、昼飯食って新聞読んでぼけーっとバカテレビに引きずられていたら
たちまち夕方が迫る、でもいいんだいいんだ、何もしない一日も
贅沢な大人の休日の味わいというものよ、嘯いてみたものの、 
やっぱり自分へのふがいなさと損したような感覚は
私が根っからビンボー症と言うことなのでありましょう。ちぇ。
 
とか言っているうちに、さらに無為の時間は進んで
町内の公園に立つ役所の放送スピーカーから音楽が流れ出す。
 ♪と~おき~や~まに~日ぃ~は落~ちて~~
あれは17時の合図だ、よい子はうちに帰りましょう。

 

B女はいっこうに平気なようで悠然としているが、その様子に
文句の一くさりも言いたくなるところ、ぐっとこらえて何か前向きな
今日の挽回策はないかと考えてみる。
うう、でもどうするよ、オレ。
 
するとB女が言った。

今日の夕食はサケのパイ包み焼きとホタテのソテーでいい?
おお、いいねえ、それじゃ私は今日の酒は雪中貯蔵の吟醸酒を開けようか。

 

一転して不機嫌も焦燥も吹き飛ぶひどく単純な私。
ははは、散歩も運動も、読書も物書きもだめでも、私にはまだ酒があったのだ。
野球は9回まで、今日は24時まで有るんだ。これで本日のゲームも一打逆転なり。
 
楽しい食事で毎週の休日の最後を締めくくり、月曜からのお勤めを乗り切ろう。
  
 
ビール2

 

 






 

いいね!した人  |  コメント(6)  |  リブログ(0)
2007年03月08日

咲かない夜桜見物

テーマ:

桜の抹茶碗



皆様当サイトにおこしいただきありがとうございます。


たいへん申し訳ありませんが、この記事がアップされる頃、captain-jackは夜桜の鑑賞のため外をほっついていると思われますので本日の記事のアップは休業とさせていただきます。



もちろん、いわゆる花見用一般的な桜がもう咲いたとは聞きませんが、そこはそれ、春ともなれば桜にかこつけていろいろと出かけたくなる事情もあるというものです。



咲かぬ桜ではご紹介もできませんので、今夜は桜の抹茶碗の写真でもUPしておきますが


平生captain-jackはこいつに発泡リンゴ酒などをだばだばと注いでは飲んでおります。



夜桜見物に行くと言っては今日やらねばならないわけでもない、個人的に意義のあるわけでもない残業をしている同僚からは白い目で見られ、抹茶碗を酒碗に使ったと言うことに目くじらを立てるアホウに文句を言われてもそんなの、知ったことではありません。



私は私の人生を生きるために会社や道具をつかっているのであって、誰かのいうことを聞くために生きているのではありませんからね。。。




借問す 方に遊ぶ士よ、

いずくんぞ、塵囂の外を測らん。

願わくは言に軽風をふみ

高く挙りて吾が契を尋ねん。


                  (陶淵明)

(決まり切った世の習わしや決めごとのなかだけで暮らす連中に聞くが、


俗世の外の世界を見知る事などきっとで想像もできないのだろうな?


ああ、願わくはいまここに軽やかな風に乗って舞い上がり


自分の心のおもむくままに理想とする世界を尋ねてみたいものだ。)








いいね!した人  |  コメント(11)  |  リブログ(0)
2007年01月20日

武道修行と酒

テーマ:

今日は入手困難な酒をもらったのでさっそく飲むことにした。

ほかではどうなのか知らないが、東京のあたりでは常軌を逸したした人気で

酒呑みたちが文字通りよだれを垂らして追い求めている酒であるらしい。




飲み屋などでもこの銘柄を店に置くと客の反応が違うらしく

誇らしげに「入荷しました」と張り紙をしている店も一つや二つではない。





朝日鷹十四代


        (朝日鷹十四代 秘蔵古酒 だとさ)




酒にはちとうるさい私ではあるが、それ以上にへそ曲がりであるので、


山賊のように湯飲み茶碗にがばがばとついで呑んでいるとどうしたタイミングかB君がやってきた。



B君は柔道家にして空手も剣道もこなす後輩である。

ワカゾーだがこの酒のことも知っていて恐縮するB君に、私はがばがばと酒を注いでやった。

B君は好青年だが呑むと目つきが座って話がくどくなるのが玉に瑕なのだが、剣道以外は筋力的に難があってたいして強くもないので、うるさくなったら、懸垂のたかだか20回もできないようなヤツは認めん。とでも言っておけばいいのだ。

かしこまっていたB君だが、呑んだら今日もやっぱり絡んできた。



「captain-jack先輩は以前からいろいろ本を読んでおられましたが、武道には論理は不要か、あまり意味のないことではないですか?」



  ホーレきた、めんどくさい話は御免だが、一応相手をする・・・



「ではおまえの武道とはいったい何のためにあるのか」


 


「心身を鍛え、自分と家族と社会を守るためですが、

理論やお経だけでは強くなれません。というか邪魔にもなります」


  


「では聞くが、おまえがいくら鍛えようと、フィリピン製の粗悪拳銃一つ持った

チンピラにも勝てないだろうおまえの武道とはいったい何が強いのか」


 


「一対一の素手なら負けません」


 


「ただの試合ならいざ知らず、家族だの社会だのというのなら

素手で一対一などという条件は勝手な空想の産物ではないのか。

そんな無意味な条件付きの強さなら、おまえが武道で追いかけているのは虚構の

強さ
だということになる。」


 


「・・・」


 


「武道内の試合ならいざ知らず、武道の外に向かって武道の強さをはかるような

事は意味がない。世の中のあらゆる局面にも武道と同じく勝ちもあれば負けもあるが

世の中で武道の技が解決できることは極めて少ない、というかほとんど無い。

全部が勝ちで済むこともまたない。


 


だから武道がそんな外の世界とつながる意味を持つとしたら、

誰しも試合では常に勝つことだけを考えるものでありながら、

実は負けることをいかに受け入れるか、勝ちと負けの間の構造とは何かを

修練を通して体と心の両面で理解しようとすることが武道の意義だという事になる。


 


人はよく忘れがちなことだが、

人間は精神だけの存在でもなければ臓器の寄せ集めというわけでもなく

脳も筋肉も臓器も全部で統合された全一の存在である。勉強だけでも運動だけでも

また精神鍛錬だけでも人生の全的な理解は得られないものだ。


 


その全一な人間の要素を総動員する試みこそ武道的の核心だが、

それは人間を機械的な肉体パーツと考える近代スポーツにはなく、

怪しげな瞑想教室にもなく、学習塾にも図書館の奥にもない、トータルな

生の理解へのアプローチだ。


 


もしも勝った負けだで、動物的な衝動に突き動かされているだけでは、武道は

体操のための体操、エアロビだの板の間剣法と何ら変わりがない事になってしまう。。。」




だから、おまえにもあれこれ本を読む事を進めているのだ、と言おうと思ったら・・・

ああ!なんと、私の話の間にB君、酒をみんな飲んでしまっていたのでありました。


 


「あのね、今日は本はいいから、これから夜道走って酒買ってくるように。

あの酒屋まで5キロあるけどこれも武道の修行だから、うん。


こら寝るな!さっさと行かんかい!!!」


 






酒飲まれてしまったからって、怒ってなんかいません。ホント、ホントですとも(汗;;)








いいね!した人  |  コメント(10)  |  リブログ(0)

AD

ブログをはじめる

たくさんの芸能人・有名人が
書いているAmebaブログを
無料で簡単にはじめることができます。

公式トップブロガーへ応募

多くの方にご紹介したいブログを
執筆する方を「公式トップブロガー」
として認定しております。

芸能人・有名人ブログを開設

Amebaブログでは、芸能人・有名人ブログを
ご希望される著名人の方/事務所様を
随時募集しております。