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2017年06月29日

六月の偏屈と貧乏性

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夏至の時期というのが嫌いだ。
昼がむやみに長くて、いつまでもアクセル・オンで働け

といわれているような気がするのが気にくわない。

明るい外を歩いていると知り合いと会ったり、

知らない奴がいつまでも近所を徘徊しているのを

目にしたりするのもいい気分がしない。


しかし、日本は善くできたもので、

この時期は梅雨の時季でもあり、

雨や曇りで何とか私の精神のバランスがとれている。

雨は内と外とを柔らかに遮るベールとして、

外向けに活性化した精神を鎮めてくれ、

何より雨が降っていれば出歩く人間も少なく、

雲が垂れ込めているので日の長いのも

よくわからない。


そうその通り、

私も世の中に一定数存在する雨好きの人間嫌いなのである。
しとしと雨の日の散歩、

雨音を聴きながら窓辺で読書、

ただぼーっと雨を眺めていてもいい。

水気をたっぷりはらんだ六月の緑はいきいきと美しい。

なんて穏やかな天水の恵み。

でも雨の日にやりたいことはとても多いので

なかなかのんびりとはいかないのが

困ったところなのだけれど。

 

 

 

 

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2016年09月30日

雨ばかりの9月も今日で終わり

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9月の終わりごろへ来てまた8月並みの暑さ復活。

また非常に蒸し暑い日が続いた。

一方今年はどこの店も秋冬物の出足が早く、私もつい急かされるように中綿入りベストを買ってしまった。まだ9月だというのに。

まあ、これを着こんで暮らす暖かな近未来を想像するのは楽しい。もっとも、冬が終わってみたら結局着なかったなんてこともありがちなのだけれど。

 

そんな蒸し暑いうえに霧雨のまとわりつく朝、仕事で大阪へ移動した。半袖の軽装で済むのはありがたいが、天気のせいか少し頭痛がするのは困った。だが翌朝の大阪の朝はすっきりと晴れてようやく秋らしい気温湿度で、見上げると銀杏の実もだいぶふくらんで黄色くなってきていた。

ただ午後は曇ってまた蒸し暑さが戻り汗だくで駅に移動し東京へ戻ることになった。

 

そんな9月も今日で終わり。今年は雨ばかりの9月だった。

明日から10月に入ると、こんどは転がるように年の瀬に向かって日が過ぎていくのだ。

 

 

 

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2016年08月13日

夏を下る

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夏の夕日

今年もすでに8月の中盤。この夏は梅雨明けが遅かったせいか、本当に耐え難いような暑さのピークも短く、夏もすでに下り坂に入ってきたような気がします。
 
もっともこれは東日本の感想であって、西日本の方はもっと早くから、そして今もって充分に暑く、まだまだ夏まっただ中という感じなのでしょうが。
 
とはいえ、暑さの峠を越したようだとは言っても、まだまだ日のあるうちは暑くて、日に焼かれる街の中はソドムかゴモラかという辱暑のなかにあります。まあこんなことも夏の風情の一部なのかもしれません。おかげで夕方からの冷えた酒がうまいわけですから。
 
ああ、これが焼かれるほどのやっかいな業というわけではありますまいが。
 
     業深き都市の灼かれる夏陽かな

   


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2015年11月03日

私は何も考えなくはない

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先日、新聞に「魂が風化する三分間」というコラムを見かけました。
どういうことかというと、たとえばカップラーメンはうまいが、
これを食う時にはどこか後ろめたい気持ちが伴うもので、
この何とも言えない、やましいような気分を魂の風化と呼ぶのだとか。

なるほどなあ、そう言われてみると、私などは魂の風化に
さらされる機会のなんと多いことか。
 
たとえば、PCやテレビの前でボーッと過ごすだけの私などは
自分で番組の意味を見いだすことばかりか
自分の欲求を見極めることすら忘れてしまっているような虚無感を
覚えることが確かにあります。
 
テレビの前で、あるいはPCの前でネットサーフィンして過ごすのは
安い快楽でもあるけれど、後ろめたくもあります。
 
ただ何かに身をゆだねていればこんなに楽なことはありません。
ネット通販のサイトなどは、大して疲れないウィンドウショッピングで
また、クリックさえすれば現実の商品を手元にまで届けてくれます。
そればかりか、私の好みや商品の購入傾向をしっかり学習して
次から次へと私の興味を引くような商品の提案までしてくれますから
用もないのにネット通販サイトを眺めることが
暇つぶしや娯楽になってしまっている人も多いらしいですね。
(私にもそのケがないとはいえません)
 
テレビやパソコンから流れてくる山のような情報に身をゆだね、
情報への反射的な行動で笑ったり怒ったり
何かを考えたような気分になったり、
実はそれって誰かの考えだったり欲望だったりを
自分の感情や判断であると勘違いしているだけだったり
しているだけのこともあるかもしれません。
  
モノも情報もあふれかえっているのに本当は何が欲しいのか
何がしたいのか分かっていないのかもしれません。
いつの間にかテレビやネット情報への反射的行動や衝動に
突き動かされるだけが、人間の存在のほとんどになってしまって
いるのかもしれません。 

こうなるとまさに個人個人は機械に使われるアホと化している
というか、知の担い手が個人から機械や市場の機構に
移ってしまっているわけで、こういうのを
身をもって知る「象徴的貧困」というのでしょうかね。
 
AmazonやituneStoreといった至れり尽くせりの
プラットフォームのサービスは
パソコンやスマホを通して流れ込んできます。
大画面テレビやパソコンに囲まれた生活は一見豊かですが
それは欲望刺激装置として、思考乗っ取り装置として
私たちを限りない貧しさに引きずり込んでいるのでは
ないでしょうか。 
その先に用意された私たちの未来は
本当にに豊かな世界なんでしょうか。

ちょっと暗澹たる気分になってしまいましたが、
象徴的貧困なんて言葉を使ったのでなんだか今日は
ちょっと真人間に戻るというか、
風化に逆らってタマシイを取り戻したような気分に
なりました。
 
この気分のまま今日は酒飲んで寝てしまおう。
 
 
 
 
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2015年09月27日

いつまでたってものんびりするのが下手な私

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海岸のベンチ

秋のまとまった連休も今日で終わり。

あれもやろうこれもやろうと思っていたのに

私はいったい何をして暮らしていたのだろう。

あふれかえる秋の行楽情報に急き立てられ、

新商品のチェックにうつつを抜かし、

タダのサービスにまんまと乗せられて

せわしなさの中に永久に満たされることのない

欠乏感をかき立てられ続ける情報と
市場経済社会にもてあそばれる愚者の休日を

地でいった日々だったかも。


分かっていることではあるのだけれど

多すぎるモノと情報は心の自由を奪う

幸せは簡素な暮らし。


広い世界に自由に心を遊ばせることに充実を見いだそう、

なんてもう自分でこのブログでも何年も言っているのに

いつまでたってもバカは直らない。

自由で豊かなシンプルライフは到達する状態でなくて

日々向き合い解決されるべき課題なのだな。

 



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2014年08月11日

夏と雨と読書スタイル

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夏の雨
 
8月の上旬のあたりはいわば夏の頂にあたる。
立秋とは夏もその頂点に達して秋へと向かう道程が見晴らせる頃、
と云うわけだ。
だから立秋に至ったからと言って暑さは急には治まらないが、
盆休みを過ぎたら後はだらだらと晩夏への下り坂である。

この時期、今年はちょうど台風がやってきた。
わが家の辺りでも久しぶりに雨が降り、乾いた土に湿り気が戻るとともに、
心にもまた潤いが戻って・・・と云うほどの感性は持ち合わせていないが、
まあ庭の水やりをしなくて済んでよかった、と云う程度でも
干天の慈雨には違いない。
 
ジンルイというモノは晴れて気圧が上がると自然にそわそわとして
外に出かけて活動せずにはいられなくなるようで、
私も(よせばいいのに)遮二無二出かけては疲れて帰ってくる
傾向がある。
これは太古食うや食わずで狩猟採集に明け暮れ露命をつないでいた頃の
記憶がしっかりと継承されているためであろう。
まあ私の場合は先祖代々ビンボー症の血が騒ぐだけなのかもしれないが。

一方雨降り低気圧の下では、危険ばかりで狩りも山菜採りも実入りが少なく、
人は家でじっとしてカロリー消費を抑える行動となった、のかもしれないが、
私は雨降りは家でゴロゴロ食ってばかり、完全にカロリー過多の
ダメ人間をやっている。

おきまりのコースは朝の野球観戦(大リーグなので、時差の関係で
野球は朝食後に見るものなのだ)に飽きると、横になって読書。
寝転がって読むくらいのモノだからたいしたものは読まない。
それに、寝転がってから、実はあれが読みたかった、これがよかったと
必ず思うのだけれど、寝そべってしまってからわざわざ起きて雨の中を
本屋に行く気にもなれず、大して気も乗らない本を眺めるだけ
となることが多い。

それでも昨日は突如、中里介山の「大菩薩峠」でも読んでみようかと
思い立った。
あまりに長いのでこれまで何十年も避けていたのだけれど、
ネットの青空文庫で只で読めるという云うことに気づいたので
無料に弱い私は、ついに寝たまま思い立ったのである。

「大菩薩峠」は わざわざ説明するまでもないが、維新前夜を舞台とし
すご腕の剣士、机竜之介を主人公とする長編小説である。
大衆小説の先駆けとも言われ、ドロドロの上にあまりにも長大で
最後は未完のまま作者が亡くなっているというシロモノ。

読み始めてみるとこれがまた、スゴイ。何がまたすごいって、
主人公、机竜之介のワケの分からんハチャメチャぶりというか、
次々現れるキャラの立った登場人物とどこに転がっていくのか分からない
ストリー展開。あっけにとられた私は読書を中断するタイミングをつかめず
ズルズルと大菩薩峠を読み続けているのである。

でもなあ、ノートPCで読んでいるのだけれど、
こうも長いと(全41巻もある)さすがに疲れる。
電子書籍リーダーのキンドルなんぞも持ってはいるが、これは
外出時の荷物に制限があるとき専用。
基本は大きな画面で読みたい。
そこで今は、寝ながらPC読書のために専用の机を買おうかと思案中である。

スーパーごろ寝デスク欲しい

ま、廃人養成デスクとも云われているようなのだけれど、フム。


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2013年09月17日

月夜の晩に

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$酒とホラの日々。-証城寺
しょうしょうしょうじょーじ、証城寺の庭は
いまはほとんど駐車場になってしまったのか
庭として残っている部分はうっそうとして
とても月明かりを楽しめるようなところではない。
 
木更津にある浄土真宗証城寺にはいまも狸塚があるが、
そこになにかの今風の意義を求めるならば
人間と動物の共生というところだろうか。
 
 
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2013年04月06日

大リーグ観戦補助グッズ

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$酒とホラの日々。-MLB公式試合球2013


時節は待ち焦がれた球春に至り、
開幕と同時に選手たちは
さっそくわくわくするプレー提供してくれている。

完全試合寸前のドラマ、
きわどいクロスプレー、
選手を悩ませるケガ、
誰もが監督になれる選手の起用と
戦術の選択の場面。
 
長い冬を過ごし飢えた野球ファンである私にとっては
大リーグのTV中継こそがその欲求を満たすえさの供給源である。
 
別にアメリカの野球産業の肩を持つわけではないけれど、
世界中から才能と意欲のある野球自慢が集まって
単純な腕比べをしているような図式が好きなのだ。

大相撲しかり、欧州のサッカートップリーグだってそうだ。

これから10月までは
テレビで試合を観戦し、気になる選手やチームの
多くのデータを毎日頭の中でアップデートしては
一喜一憂する長いシーズンとなる。

データなんて以前は勝敗の数と打率、防御率くらいなものだったが
最近はセイバーメトリクスが普及し様々な統計評価値が増えたので
場外野球ファンとしてはますます忙しく
も楽しみ方も増えた(気がする)。
もちろん、純粋に白熱した試合と選手のハッスルプレーこそが
真の楽しみを提供してくれることに変わりはないのだけれど。

今年はふと思い立って、今年は大リーグ公式試合球を買ってきた。 
実際に大リーグの試合に使われるボール現物である。
メジャーリーグオフィシャルボールということで
高いのか安いのかわからないがこれが2000円くらいで手に入る。

もっぱらTV観戦の私は、試合中にはこのボールを握り
選手のリアルな感覚を想像してより臨場感を持って
試合に没入したいと思うのであるけれど、
いつか興奮して家の中で球を投げたりして
器物損壊に至るような気が・・・・。

 
 
 
 
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2013年01月20日

寒さですべてがおっくうな毎日

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$酒とホラの日々。-寒
 
このところ朝夕など厳しい冷え混みの底を這うような、寒を実感する日々。私など暖房費をけちるうちに様々な活動すべてがおっくうになり、やろうとしていたことの一切が先送りとなってしまっているようだ。
 
堅い本も読まず、整理も後回しとなって、楽だがつまらない情報を眺め、いたずらに無為のうちに冬をやり過ごしかねない毎日だ。
 
いかんいかんと、こんな時には、我が身の行動を修正するような先賢の言葉を眺めてみることにしている。  たとえば、こんな。(道元の正法眼蔵から「行持」の一節)

しかあれば一日はおもかるべき。いたづらに百歳いけらんは、うらむべき日月なり。かなしむべき形骸なり。

善く生きようとする努力を怠り、むやみに飲食にふけったりテレビやネットのゴミ情報にだらだらとつきあって時間を過ごすようなことでは、形の上で生物的には生きているとはいっても、人間として生きているとはいえないというのである。
 
頭の痛い言葉だ。
寒いから、明日があるからと、何かと理由をつけ、とかく怠惰に流されがちな我が身に繰り返し唱えたい。
  
 

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2012年08月24日

旅と日常と、待つということ

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$酒とホラの日々。-休暇の山

先日ちょっとした旅行に出かけ、
列車やバス・船の乗り継ぎを繰り返す中で
否応なく「待つ」という時間に向き合うことが何度もあった。
不慣れな田舎で公共機関を使うにはすべてが切れ目なく進むわけではない。
到着待ち、出発待ち、移動待ち。
自分ではどうしようもなくただ待つだけの時間というのが
いたるところに出現する。待つことは旅の一部、まさに待つことこそ旅。
 
ふと気が付けば、普段の私たちは、通販の買い物にしても、
人との待ち合わせにしても、
ジャストインタイムで受け取り、また落ち合うことができるように
極力待つことを排除する仕掛けの中を暮らしているようだ。
昔は本屋でほんの取り寄せたら十日から二週間くらい待つのは普通だったし、
携帯のない時代は、慎重に待ち合わせの場所と時間を決めて
確実に落ち合えるように、一方の到着が遅れてもただひたすらじっと待った
ものだった。
 
旅ではそんな忘れていたただ待つだけの時間に向き合うことになって、
どこか不思議な感覚を思い出すことになった。

とはいえ、一見、待つことを
極力排除したかのような私たちの日常にしたって、
実のところ今という時間を消費して、忙しさを脱する時を待ち、
平日にあっては休日を待ち焦がれ、いつも日常の次の場面を
待っていることの繰り返しであるともいえる。
 
私たちはいったい何を待っているのだろうか。
 
旅で出会った待つという時間は、それは本当に
何でもない時間ではあったのだけれど、
どことなくいとおしい時間と空虚だった。
 
その何もない時間に向き合う満ち足りた無念無想は
ひょっとしたら、やがて私たちが帰す空無に似ているのかもしれない。
 

 
 
 
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