2010年10月22日

秋風に吹かれて旅に出るの巻

テーマ:秋探し

酒とホラの日々。-yaburann2

忙しさに心を亡くすと言うのは本当だろう。人間は、多忙を乗り切るために体はアドレナリンを分泌してある種の興奮状態をつくるのだが、ストレスと緊張状態をもって目前の課題をこなしていくのである。こんなことが続くと心身ともにバランスを失って不調に向かうような気がする。自らこれに気付かないと、人は本格的な不調や破綻のリスクも高まることだろう。


幸い私はこのたび、隔地へ秋の旅行の機会に恵まれ、

さっそく明日から移動開始となる。

今年はまだ気温も高く

秋とその先の季節の境目を捜しに行くようなわけにはいかないが、

もののあわれにも機微にも疎い日常を離れ、

秋の風情にひたり、少しでも風流な心を取り戻したいものだ。


  心なき身にこそあらめ 秋に立つ風に誘わる旅とあわれと

 

 

 

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2010年10月17日

道徳説話集より うんこ殺人事件

テーマ:CO2

先月のことだが、となり町で、変死体が見つかった。死因は後頭部を強打した事による脳内出血で、ホトケさんの状況から、朝の出勤途中に家から離れた月極駐車場に向かう途中のひとけのない草むらの一本道で、何者かに襲われたのでないかと見られた。ただ、金品を取られた様子はなかったので、怨恨やトラブルが疑われ近所や交友関係を含めた広範な聞き込みが行われたのだった。
 
ところが、ホトケの靴らうんこが見つかった事から、事件は急展開をみせた。詳しい検死と現場検証の結果から、どうやら当人は踏んづけたうんこで滑って転倒し、たまたま草原にあった石に頭部を強打してなくなったのではないかと言う線が浮かび上がったのだ。

 

当人は普段からトイレが近く、何度も大用のため職場の持ち場を離れることが多かった。外でも間に合わない場合はしかたなく野ぐそをすると言うことを何人もの人が聞いていた。

 
しかも、現場にあったうんこのDNA鑑定の結果は99パーセント以上の確率で本人がたしたものであることを示していたことから、事件の真相は決定的なものとなった。
 
つまり、事件の前の晩、大用をもよおした当人は車を止めた月極駐車場からから家までの移動が我慢できず、家までの経路上の草っぱらでことを済ませたそのまま始末もせずに立ち去ったのであろう。ところが次の朝、同じ経路を通って出勤しようとしたところ、誤って前の晩にひりだしたモノを踏んで運悪く転倒してしまったのである。 
つまり犯人は、本人のうんこであったのだ。

 
真相が明らかになると、事件はうんこ殺人事件として近隣の町内に知れ渡ることとなった。

 

こうしていかにやむを得ない事情があろうとも、ゴミやら犬猫人の汚物をきちんと始末せず放置することが、如何に人にたたる悪行かを、まざまざと世に知らしめることになったのである。
 
因果応報、ゴミやペットの糞の放置する人間にもいずれ相応の不幸と災厄が降りかかることだろうよ。
 
 


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2010年10月16日

キンモクセイと一年

テーマ:秋探し


酒とホラの日々。-キンモクセイ

ことしももうキンモクセイの花が散ってしまった。

小さな明るいオレンジの花が一斉に芳香を放つ季節が大好きだ。

キンモクセイの樹を見上げるたびにはいつも、

私は秋の花時を思い起こしては一年を過ごしている。


そんな待ち焦がれた花期もほんのいっときで、

あっという間に花は散って土に戻っていってしまう。

 

花の後にはまた淡々と変わらぬ日常を過ごし、かたわらで秋は確実に更けていく。

 


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2010年10月09日

見ろよあの空白い雲、さわやかな気候にさわやかな男

テーマ:CO2

酒とホラの日々。-kumosora


すがすがしい晴天に恵まれたある朝というのはなんとなく人を前向きにするものがある。そんな朝、気持ちよく目覚めたA君は、なんとなく今日はいいことがありそうだ、と幸福な予感に気分が高揚するのを覚えたものだった。

ところがいざ出勤のとき、A君は出勤途上に犬のウンコを踏んづけた。 どこかのバカ犬とバカ飼い主のマナーの悪さに腹を立てつつも、きっと運がついたということだとA君はポジティブシンキングで気を取り直し、出かけていったのだった。
 
通勤電車はいつものラッシュで超満員だったが、大男のA君も周囲に気を遣いひたすら肩をすぼめてつり革にしがみついていたが、満員電車が不快なのは皆お互い様で仕方ない。みなそれぞれ我慢して一時互いに気を遣うものだ。ところが途中、隣の女性が手荷物を取り落としそうになったのでA君はこれに手を副えて支えてあげたところ、その隙につり革は誰かに取られてなくなっていた。


「ああっ、僕のつり革が・・」と思ったが、満員電車でマナー論議をする者はあまりいない。A君、不機嫌顔の充満する車内をひたすら踏ん張って耐えた。

昼は仕事で取引先を回ったのだが、重要な顧客とのひざを詰めた打合せのとき、なにか臭うような気がしてふとみると客先の相手もクンクンと鼻を鳴らして怪訝な顔をしていた。どうやら朝に踏んづけたアレがまだ靴についていて気温の上昇とともに臭気を放ちだしたらしいと気がつくと、A君もはや気もそぞろとなり冷や汗をかくばかりで、ろくな結論も得られぬままほうほうの態で逃げるように帰ることとなった。
 
とにかくさんざんな一日の勤めを終え、とぼとぼと駅を出ると、路地裏に年寄りが倒れていた。心やさしいA君であるから、これは大変と、年寄りを抱え起して「どうしました?大丈夫ですか」と声をかけたところ、実はこれはただの飲んだくれの老紳士で、酔っ払って道端で寝ていただけなのであった。
人助けのつもりだったのに

「小僧、余計なことすんな、このクソバガたれが、うりゃあ」 とすごまれ、
服によだれまでたらされた。
 
なんだよ、ただの酔っ払いかと、再び帰途に着いて自宅近くの暗い夜道を歩いていたのだが、見ると前方を若い女性が、スーパーのレジ袋を下げて歩いていた。きっと勤め帰りに買い物して帰るところなんだろうと、特に何ということもなく、結果的に数歩後ろからついていくような格好でたまたま同じ方向に歩いていたところ、突然女性が振り向いてA君の方をにらみつけ、一転、猛ダッシュで走り去っていった。

 
A君も釣られて後ろを振り向いたのだが、だれもいやしない、するとあの女性はA君をストーカーかなんかと勝手に勘違いしたのだろうかとも思われた。

「ええっ、なんだよ・・・」 確証はないが、一方的に疑われたA君にしたら面白くはない。その上、家に着くと近所をパトカーが巡回しているのが見えた。

A君は首をすくめて家に駆け込んだのだった。

その晩、テレビで翌日の天気予報を見ると、明日もまたすがすがしい好転に恵まれるとあった。きっと晴れやかでいい気分で一日を過ごせることだろうか。・・・それでもちょっと天気予報に毒づきたい気分のA君ではあった。

「あのなあ、おれはなあ、青い空も白い雲もさわやかな風もみんな嫌いなんだよ、大っ嫌いだ、ふん」

 

いずれにせよ、着いていない日というものはあるし、天気・気候やささいな出来事がそのあとの巡り合わせや運勢にどう関係するのかなど、決して誰にもわかりはしないのである。

 

 

  


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2010年10月06日

時間軸 時間塔 東京タイムツリー

テーマ:インナー・ランド

酒とホラの日々。-時間塔

宇宙が始まって以来、膨張を続けていたこの世界に対して無限に供給を続けていると思われていた「時間」は、実は有限であることがわかり、将来的にはあるときストックが枯渇して時間が底をつく懸念が現実の問題として取りざたされるようになった。
広がりすぎた宇宙へ無制限に投じられてきた時間資源がついに尽きてしまえば世界は永遠の停止に陥ることになる。

石油資源の埋蔵量が底を尽く以前に、「時間」の残存ストック尽きて世界に行き渡らなくなる事態を重く見た日本政府は「時間資源」の供給と配分を厳格に管理するために、東京の中心に国内の時間流通コントロール装置である時間塔の建設を極秘のうちに進めていたのである。
この結果2012年春、東京に時間塔がついに完成し、日本の時間はこの当を中心に回ることとなったのだが、すると奇妙なことが起きた。

 
時間を政府のコントロールのもと小出しに配給したところ
塔に近い東京都内の時間の回転は速く、東京から離れて地方に行くほど時の回転は
ゆっくりとしたものになった。そればかりか、遠方では時間の退行すら起きていた。
時間の消費と配給のバランスによって、供給過剰では時間が速く進捗し、
消費が供給を上回ると時間の逆行が起きてしまったのだった。
 
この結果、都内は平成の今を疾走しているのに、長野や静岡のあたりでは高度成長期の昭和の風景が広がっていた。
名古屋や仙台に行くと軍靴の足音高く出征兵士が行進を行っており、
函館では戊辰戦争真っ只中で、下関には英国の軍艦が砲撃を行っていたし、
長崎ではキリシタンの一揆が起きていた。
 
このとき、私はたまたまとある山間の村にいたのだが、

このあたりの東京時間塔からの距離においては
時間の消費と供給のバランスによりどうやら、時が足踏みをしているようだった。


つまり時が足踏みをした世界では、ずっと変わらぬ今日があたりを支配している。
昨日と今日と明日は、常に同じ今日。人々は毎日の暮らしを過ごしながら、
永遠の今日にとどまり続ける。 
 
今日の暮らしと明日の暮らしが変わることはなく、日々の生活が淡々と毎日繰り返されていく。私の場合には朝起きて日を拝み、畑仕事と読書の後に夕餉を囲んで床につく日々の暮らしこそが、毎日のすべてであり信仰であり、人生そのものとなったのだった。。。





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2010年10月03日

そいつは繰り返し繰り返しやってくる

テーマ:本読み


酒とホラの日々。-48
『四十八歳の抵抗 改版』 石川達三・著 / 新潮文庫


古い小説である。


主人公の西村耕太郎は48歳、大手保険会社の次長で当時55歳定年まであと7年弱。いまさら立身出世の望みもないが、妻と成人した長女の3人暮らしで平凡だが幸せな人生である。本人もこれを否定はしないが、老いの初頭にふと立ち止まって眺めやるこれからの平凡な太平無事の下り坂の人生を受け入れるのにはまだ納得していないし、ちょっと冒険すれば若い愛人にも手がとどきそうなところに心が揺れ動いている。
 
ところがそこに娘の恋人発覚・妊娠という事件が絡み、自らの慾望の始末と若い男女へのけじめについて迫られるそれぞれの対応はこれからの後半生をいかに生きるのかという悩みともなっていくのだが・・・。

 


誰しも若いときは勢いや体力であるいは怠惰と先送りで何とかなってきた問題も、あるいはまた未成熟で発現には至らなかっただけの問題も、ある時期になるといよいよ後がない現実として鋭く解決や方針の転換を迫られることになる。

 
それは健康の問題もあれば、老いた親や子供の独立などの家族問題、会社や仕事の問題もあるだろうし、そこに残された時間への焦りや諦め、あるいは諦めのつかない慾求が絡み、もつれた難題として対応が迫られる。
これは誰にもやってくる。
 
こうした誰しも迎える悩み深い時期を中年の危機だのと言って、現代ではこの方面の研究はだいぶ進んでいるようだが、世間一般の認識はまだ十分とは言えないし、危機の内容は個人ごとに事情が複雑で、対応の仕方もさまざまだから扱いの非常に難しい問題である。

 

人によって中年の危機は40前にやってくることもあれば50過ぎでやってくることもあるだろう。中身も長年先送りした様々な問題がどうにもならなくなるようなものだからその解決も一朝一夕には行かないことが多いし、結局何年かかっても解決できずに中年の危機に潰されてしまう人もまた多いのが現実だ。最近では先ごろ亡くなったマイケル・ジャクソンのケースなども解決失敗例として語られることもある。
 
この小説が書かれたのは昭和30年から31年という昔のことだが、今も昔も人生の基本構造は変わらない。生まれてから死ぬまでのたかだか数十年の上に多くの苦衷ともどかしさ、多少のときめきと納得を盛りつけるだけだ。しかも人生の後半は前半の単純な延長ではなくて、人生の基本構造の峠で何を捨てて何をとるのか自ら納得して選び取っていくものだということも変らない。だから主人公西村耕太郎の心の辿るもどかしさは現代においても大いに共通するところがある。
 
それゆえこの小説は価値観も社会通念も異なる時代に描かれた軽妙なドラマの形を取ってはいるけれど、中年の危機を経験済か否かにかかわらず、今なお「大人の読者」にとって一読の価値があることだろう。

  

 


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