2008年08月30日

雨、明日は晴れますか

テーマ:散歩

雨3


夏の終わりには季節の入れ替わりを告げる長い雨が降る。

八月の下旬に入って、毎日雨雲の様子をうかがう今年はこれがいつもより顕著な気がする。


今朝も洗濯物を干している最中に雷が鳴り始め、やがて暗くなった空から大粒の雨が落ちてきて、もともと雨の多い日本では晴れ空の貴重なことがあらためて身にしみる毎日だ。
 
それでも私は雨が嫌いではないし雨降りの外出も好きなほうだ。
もっとも晴天の重宝されるこの国ではこうして雨が好きだと言ってしまうのには少々気の引けるところもあるのだが、世の中には思いのほか雨好きも多いものだ。


江戸時代には花見や月見と同じように『雨見』という行事催しだってあったらしいが、これも雨好きの観点からすればもっともなことだ。雨と言っても何でも良いわけではない。多すぎず、少なすぎず、荒ぶれず、まっすぐにまとまって長く降るような雨が良かったのだろう。

これはどうも良い雨が降りそうだとなると、雨好きの旦那衆たちが屋形船を仕立てて水の都の江戸市中の川を遊行し、静かに雨煙に沈む岸の樹影や町並みの情緒を楽しんでいたのである。

  

私が雨の中を散行するのだって規模も程度も違うけれども、雨をも積極的に楽しもうとする江戸の雨見の系譜に連なっていると言えないこともない。


この雨の国では空模様はいつも晴ればかりではないどころか、時期によってはむしろ希少で大切なものとなるから、雨を厭うばかりではとても前向きに暮らしてはいけないともいえるのかもしれない。


雨降り、曇り、時々晴れてはまた曇り、雨、雨、曇りのち晴れ。。。
空ばかりでなく人の世もまた晴ればかりではないのだ・・・。 

 

 

 

 



AD
いいね!した人  |  コメント(12)  |  リブログ(0)
2008年08月26日

夏とデートと遅歩行法

テーマ:散歩

               アイスティー


別に自慢でもないが私は歩くのが速い(速かった)。   今よりもごく若い頃などは一緒の女の子が私と並んで肘にぶらさがるようにして走っているのがなぜだか不思議でならなかった。

 

それがどうも体会系のりの私が歩くのが標準的な人よりかなり速くて、そのうえ女の子と一緒であるがために、約束の目的地に一刻も速くたどり着く期待にこたえるのが務めと勘違いしてさらに増速しているのに気がついたのはだいぶたってからのことだ。
「え?アイスクリームが食べたい?そりゃ、あそこだー!」
「なに?疲れた?、あそこが景色がいいからそこに行って座ろう!」
などと近くもないところにヒールはいて走り回らされた女性らには本当に申し訳ない。
 
だが事態を自覚し、この反省に従って減速の改善策を検討したのはもっと後のことだ。 これは女の子の誰も面と向かって苦情や改善の申し入れをしなかったことにもよる。
たぶんわたしの気を害すまいと気を使ってくれていたのかもしれないが、私だって女の子に気を使って張り切った結果なのだから、人間とはこうしてお互いよかれと思って気を使っては結果的にボタンの掛け違いのようなことが起きるものなのだろう。


まあとにかく、誰かと一緒でなくとも実際速く歩くことにはデメリットも多い。
(これに気がついたのもだいぶ後のことだ)
速歩の道々は周囲に必要最低限の注意しか回らず、何か良いものを見落としているような気にもなるし、何より夏場など競歩のように歩いていては熱を発して汗の量も当然多くなる。
そこで、ある時から意識してゆっくり歩くようにしているのだが、これがなかなかいい感じだ。


はた目には時にヨタって歩く変なやつと見られるかもしれないが、些細な景色でもいろいろなものを眺めて生じる印象の理由や源泉を考えて、湧き出た想像のカケラがどこかに転がって行くのを感じる余裕があるし、なにより夏場の移動にも大汗をかくこともちょっと少なくなった。


これはいい、今年も夏場のそぞろ歩きというのもなかなか趣があると思っていたのだけれど、どうしたわけか今年はまだ8月だというのにもう夏は急速に縮退して、まるで秋の長雨の季節に入ったような毎日になってしまった。夏場の発熱量を抑えた省エネ遅歩行も必要性が薄れてきただろう。


しかしながら、ゆっくり動くことのメリットを知った私はまた猛烈な速歩に戻ることはたぶんない。歩くことは目的地への単なる移動手段にしてしまってはもったいない。ゆっくり歩くことで外に内に出会えるものが多いことはなんと喜ばしいことか。

早く目的地へ到達することだけが移動することの意味ではない。いかに移動する途中の過程にこそたくさんの意味が詰まっている。

それは日常も(デートも)、人生もまた同じなのではないか。


AD
いいね!した人  |  コメント(8)  |  リブログ(0)
2008年08月24日

真夏大帝国の衰退

テーマ:ブログ

朝顔


日中の溽暑いまだ耐え難いものあるといへど、朝に一抹の涼風あり、夕べに連日の驟雨あり。これ季節がまさに入れ替わらんとすることを告げるものなり。

怨嗟を浴びるほどの強大さを誇った夏もまた次第に衰滅を兆したことに物苦しさにも似た感慨を覚えるは、諸行無常を解する日本人なればなり。 

日暮れなば夜毎に盛んになる虫の声に杯を傾けん。。。


 

 


AD
いいね!した人  |  コメント(4)  |  リブログ(0)
2008年08月18日

涼雨降り夏も終盤に至ってこの秋を展望す

テーマ:ブログ

葉っぱ


先週末に降った雨は、炎暑の日々に一服の涼味をもたらし、夏に耐えてがんばっていた体もなんとか一息つくことができた。まさに涼雨、恵みの雨である。
このまま涼しい秋に移行して欲しいとは誰もが願うところではあるけれど、夏は盛りを過ぎたとはいえまだしばらくは厳しい残暑に悩まされる日々が続くことだろう。

とはいえ、朝夕の同じ時刻でも一頃よりだいぶ影は長くなってきたし、草葉の露気もうっすらと秋の気配を蓄えている。セミは低いところで鳴くようになってきたし、夜に開け放った窓から聞こえる虫の声が大きくなってきた。
意識しなくとも些細な日常の出来事の中に季節の変遷を感じ、去っていく夏に物悲しさを覚えてはこの先の変化に動揺にも焦燥にも似た感慨を覚えることがある。

ひょっとしてこれは終わってしまう夏休みを惜しむ過去の記憶がしみこんでいるためなのか、あるいは何事にも変化を厭う人間の保守性なのかは良くわからない。もっとも、私の場合は何より暑い盛りには夏バテなどしまいと一生懸命食べて夏太りしてしまうのが常のところ、涼しくて過ごしやすいうえに一年の収穫に恵まれる秋はさらに食欲が増して、衣替えの頃にはズボンのホックの遠いことに嘆息することになる・・・、というようなことも原因のひとつかもしれない。
 
嘆いても仕方がない、スイカの季節ももうすぐ終わるけれど、秋にもまたうまいものがたくさんやってくるのだ。

こんなことなら夏痩せしておくんだったと思っても、すでに後の祭りは食い物の屋台が充実してメタボ街道まっしぐら、あわてて少々運動などしようとも食い倒れの線路は続くよどこまでも、秋の野を越え山越え谷越えて、天高く馬のごとく肥え太る秋はやっぱりデウスもヤハベも如来も唱和する声のこだまする、食えよ増やせよ血に満てよ、後は野となれ山となれとなるのであるかも。

いいではないか少々太ったって。 しあわせならば。




いいね!した人  |  コメント(10)  |  リブログ(0)
2008年08月16日

坂の上のいわし雲

テーマ:二月堂便り

イワシ雲

今期初めてのことだろうか、昨日の朝、坂を上る道の向こうにいわし雲を見た。
さらに同じ空にはほうきで掃いたような絹雲もあって、どうやら空の上では地上より一足早く秋の気配が着実に進行しているいるということらしい。
 
毎日毎晩のまとわりつくような暑さは相変わらずではあるけれど、季節は突然変わるわけではなくまさに、「夏の中に秋の通う」ことを実感する朝だ。
しかしながら、時に怨嗟の対象となるほどの盛んな炎暑の中にあっても、たとえかすかでも秋の気配を感じることには一抹の寂しさにも似た感慨を抱かずにはおられない。
 
いつか消えるせみの声、色あせていく夏草の葉、次第に伸びていく夕暮れの影、終わってしまう夏休み・・・
あんなに大きく強く圧倒的だった夏も、いつのまにか日差しの力は衰えて、熱い風も吹き寄せることはなくなり、ある日気がつくと澄んだ秋色の景色のなかに立っていることになるのだろう。
 
きっと人もまた同じで、目の前の仕事や義務を必死にかき分けては世の中の流れにおぼれまいと日々無我夢中で過ごすうちに、いつの間にか人生の景色もまた変わってしまっていることに私もいずれ気づく時がくるのだろうか。過去に流れ去ってしまった様々な出来事と、人生の秋の末を過ごすわが身を見て、何がしかの感慨ににひたることがくるのだろうか…。
 
もし日本人の基底に共通して流れる人生観めいたものがあるとしたらそれはきっと無常観であると思う。私たちは事物の永続性を信じず、盛衰を繰り返す世の中の流れの、ことに滅びの予兆のうちに美しさを感じ、はかなさのうちにもののあわれを見出す感受性をどこかにもっているようだ。
 
いま夏は静かにそのピークを降りてわが身のはかなさを思い起こさせそっと無常観で包み込む秋がもうすぐそこにやってきている。


 


いいね!した人  |  コメント(9)  |  リブログ(0)
2008年08月13日

撃墜王の誇り

テーマ:ブログ

数ある夏の風物詩的食べ物のなかから、その第一にはスイカを挙げたい。
水気を大量に抱えた食感もさることながら、そのデザインもまた
夏の象徴のようなものだ。 
  
その上水分ばかりか意外にビタミンやミネラルをふんだんに含み、
利尿作用からデトックスの効果も期待できるらしい。
  
そんな能書きはどうあれ、我が家は単純にスイカが好きなので、
夏じゅうここぞとばかりスイカをよく食べる。
とてもよく食うのでいったいひと夏にどれくらい食うのかふと疑問に思い、
今年は一個食べるごとにスイカのシールをカレンダーに貼っている。
  
このマークシールを見ると、昔映画で戦闘機乗りが敵機を撃墜するごとに
尾翼にマークをつけていたシーンを思い出すのだけれど、
その主人公も戦争への疑問に悩みながら、最後には機体もろとも
砲弾に引き裂かれて散ってしまったのだった。
そこへ行くと戦争も死人も出ないスイカの撃墜マークは
なにより平和でよい。圧倒的に良い。
  
**
   
毎年8月はスイカの最盛期であるとともに戦没者の慰霊の時期だが、
来たる15日にもきっとスイカのシールを貼って
平和の尊さとありがたさをかみしめたい。


すいかシール

いいね!した人  |  コメント(4)  |  リブログ(0)
2008年08月10日

彼は名士

テーマ:ブログ


カメムシ切手

カメムシって臭いの何のと疎まれがちな虫であると思っていたんですけれど

実は切手になるほど由緒正しい格式ある虫さんだったのですね

 

それにしてもアカスジキンカメムシって、なんかお金持ちそうな顔つきしてます。

見つけたらうちにお招きして、山海の珍味でもてなしてさしあげれば

ひょっとして御利益があるかもしれません。 

 

 


 

いいね!した人  |  コメント(14)  |  リブログ(0)
2008年08月08日

おしゃれな虫

テーマ:ブログ

イタリア虫

プランターのパセリの上にオレンジと黒の縞模様
なかなかしゃれたデザインじゃないか

ひょっとして君はイタリアの虫?



 

いいね!した人  |  コメント(10)  |  リブログ(0)
2008年08月07日

秋まだ遠い残暑のはじまり

テーマ:ブログ


秋桜


8月7日は 立秋。


厳しい暑さは相変わらずで、その上私は前記事をUPして以来しばらく休暇をとって高原に滞在してきたために、都市部の暑さはなおのこと堪えるものがあります。
とはいえ、ひさしぶりに朝の通勤電車から眺める光景には、そこここに季節の移ろいが見えてくるようです。
--河川敷で、朝露をたくわえた芝草を歩く人の影はだいぶ長くなったようですし、
野原や植え込みの草の実の色は確実に濃くなっています。
夏が頂点に達し、季節は次第に秋へと舵が切られ始めているのでしょう。

それにしても爽やかな秋を実感できるまで、まだいったいどれほどの
真夏日と熱帯夜を過ごさなければならないのか、
この先が思いやられます。
 
皆様もこまめな給水や休息に留意し、
健やかに残暑をのりきることができますように。

 

 

 

いいね!した人  |  コメント(4)  |  リブログ(0)
2008年08月01日

盛夏 一人ぼっちの夏休み

テーマ:散歩

夏空
木立を抜けると、乾いた土と葉菜の行列が交互に並ぶ畑がゆるい起伏を繰り返し連なって、そのただ中に一本道が伸びている。道の向こうには入道雲が湧き上がり、木立の蝉時雨を背に雲の付け根を目指して自転車で走っていくと、細い道に吹き寄せる風は赤土の埃をはらんで熱く乾いた日の匂いがする。太陽を頂く暑さの盛りに動く人影はなく、私は空と地の間に充満した夏の空気を独り占めすることとなるのだ。
 
時折、風とともに形にもならない懐かしい記憶の名残が私の中を吹き過ぎていくが、
あれは子供の頃の夏の空気の記憶だったと気がつくのはいつも通り過ぎてしまった後のことだ。
夏の天球の真ん中で私は自転車を止めて立ち止まり、懐かしさから吹き去ってしまった記憶を捕らえて今ここにある眺めに重ね合わせてみようとしてみることがある。こんな夏の記憶とは、なんら具体的な形も言葉も出来事も伴わない、幼い頃の夏の空気の記憶とでも言うべき漠然としたものでしかないのだけれど、どうしてそんな夏の記憶とはこんなにも懐かしくいとおしいのだろう。
  
子供の頃の夏休み。
学校から開放され、時々退屈という孤独に戸惑うこともあったりしたが、退屈をもてあましてあてもなく一人で野山に出かけてみるときなどは、実は全面的に一人きりの自分自身と自然に向き合う時間だった気もする。私たちはいつも会社や社会的都合に翻弄されてはつじつまを合わせて生きることに忙しいが、子供の頃であっても、学校や地域社会、友達や仲間内の付き合いの大変さというものは子供なりにまとわりついていたはずだ。


子供の頃であってもつかの間大変なことから開放された夏の退屈は、社会に突き動かされない一個で完結した本来の自己と向き合う原始体験だったのだ。大きな夏の空気のかたまりのただ中で、一人きりで出会う「まさに裸の自分」に気づくのは、実は途方もない体験だった。いつの間にか大人になって社会的な立場も役回りも複雑に変わってきたが、今も昔も本来の自分は一貫して変わらぬ素朴なものだということを思い出すからこそ、きっと一人きりの夏の空気はあんなにも懐かしくいとおしいのだろう。

  


いいね!した人  |  コメント(10)  |  リブログ(0)

AD

Ameba人気のブログ

Amebaトピックス

      ランキング

      • 総合
      • 新登場
      • 急上昇
      • トレンド

      ブログをはじめる

      たくさんの芸能人・有名人が
      書いているAmebaブログを
      無料で簡単にはじめることができます。

      公式トップブロガーへ応募

      多くの方にご紹介したいブログを
      執筆する方を「公式トップブロガー」
      として認定しております。

      芸能人・有名人ブログを開設

      Amebaブログでは、芸能人・有名人ブログを
      ご希望される著名人の方/事務所様を
      随時募集しております。