2008年07月29日

盛夏に咲く花

テーマ:ブログ


連日の酷暑に人間ばかりか草や木もバテ気味のようで
庭の夏ツバキなどは葉やけを起こしてしまったし、
朝顔も日中はいくら水をやろうとも葉も茎もぐったりしてしまっている。
 
この炎天下でも元気なのはキョウチクトウくらいなもので、
暑さの中でも旺盛に花を咲かせるところに出会うのは
たとえ赤い花であっても、その凛とした姿にはさわやかさすら感じてしまうほどだ。



夾竹桃

こぼれ落ちたピンクのキョウチクトウ。
こんな花一輪だけでもどこかさわやかな空気を感じさせる
盛夏の代表花のひとつである。


 

 

 

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2008年07月27日

盛夏 夏祭り

テーマ:ブログ

                   蚊遣り

夏もピーク、この土日はあちこちで花火大会や夏祭りが催されている。
主催者は自治体や企業から、地元商店街や町内会まで様々だが、

浴衣姿や子供らの歓声に溢れかえるわくわく感はどこも変わらない。
 
そんな商店街を歩くと、陶器店が出店する露店でちょっと変わったデザインの蚊遣りが目を引いた。つまらないものがすぐ欲しくなるのは私のいつものことで、
買う気満々ですぐに手に取ってみたのだがしばらく買おうか買うまいか迷ったものの、この日は結局買わずにかえってきてしまった。
今は電気蚊取りが主役で、滅多に使うことのないうちの伝統的なデザインの
豚の蚊遣りの出番がますます減ってしまうのではないか、と思ったからなのであるけれど、あるいは暑さの疲れで余計な物を買い込む勢いと決断力が鈍っていたのかもしれない。

 

・・・それでもやっぱり買うべきだったかとも思うのは、、いや、きっぱりやめておこう。
あれこれ迷いを引きずるのはただ暑苦しさを高じるだけだ。 
 
今日も真夏日に加え湿度の高い、厳しい一日になる予報が流れている。
     

 

 

 

  

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2008年07月26日

盛夏 一瞬の夏

テーマ:ブログ


              koori2

日射しのきつい田舎道や、真昼の路地裏を眺めてぶらぶら歩くのもまた、

夏の散歩には格好の興趣を提供してくれる。


何でそんな炎天行軍のような真似をするのかと言われることもあるけれど、

空調の効いた屋内に閉じこもるよりも動いている方が体が楽なことだってある。

長時間の同じ姿勢が心身の変調をもたらしたりするように、

そもそも基本的に人間はじっとしているようにはできていない。


熱射にさらされる商店街の路地で、風鈴の音の先に目をやると、

白地に鮮やかな氷の文字が揺れていた。

ひたすら耐暑でこわばっていた体も思わず緩み、

熱風にさえ、涼味を感じる、夏の一瞬。




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2008年07月21日

暑中  湯浴み行水、夏の風呂

テーマ:散歩

初雪草


会社の帰り道に時折、あんこのたっぷり入った大判焼き(地方によっては今川焼きとか回転焼きと云う?)を売る露店が出る。この店の兄さんは体重100キロを超えると思われる体格に加えてかなりのいかつい風貌で、気安く一般人が話しかけるには難易度が高そうだが、ちょくちょく寄っては買ううちに、私とはいつの頃からかちょっとした世間話も交わす顔なじみだ。 
 
先日も、夏の仕事上がりに風呂を一浴びするのはいいもんだと話をしていたところ、ある銭湯に話がおよび、
「あそこの銭湯は恐いんだぜー」などと云う。
ごつい兄さんが怖がるのは何かと思うと、原因は他の客の爺さんたちなのだという。
「あそこのお湯はいつもすっごい熱いんだよ。だからオレが水入れてぬるくしようとしていたら、ある爺さんがよ、『こらっ、小僧! 何すんだ!!』って叱りつけてきてよ、オレびびっちまったんだけど、小僧って・・、おれとっくに30過ぎてんだぜえ」


あの兄さんを一喝して縮み上がらせる爺さんの迫力もどんなものだろうと興味のあるところだが、どうも年寄りは一般的に熱い風呂が好きなようである。
ある本で読んだところでは適温に感じられるお湯の温度と年齢には相関関係があるらしく、もちろん個人差や体調の差はあるものの、若いうちは40度から42度くらいが適温と思われても、およそ50代で43度、60で44度、65以降は45度でも平気と言うことになるらしい。45度以上なんて熱湯風呂のように思えるが、年齢とともに人体の温感センサーもまた変化してくるものなのだろう。
 
もっとも私が思うには風呂の適温は季節の気温とも関係があって、冬場は42度が適温でも盛夏は38度くらいでも十分なのではないだろうか。夏場はぬるめの風呂にゆっくりつかって、暑さに耐えて頑張った一日の疲れをとるのがいいように思うのだけれど、家族に家の(お節介な)全自動湯温調整の風呂の設定温度を変更することを提案したら、私以外みんな絶対反対であえなく却下されてしまった。 
うちの家族年齢構成は年寄りなどいない。なのに、夏場でも熱い風呂にはいらないと入った気がしないとは。
 
そこで今は風呂の温度を40度か41度にするかで折衝中であるのだけれど、多少の温度設定はどうあれ、夕時の一浴びの楽しさは変わらない。


夏場、私たちは昼日中暑さと冷房による体の負担に耐えて働いた後、夕時には風呂で汗を流してリフレッシュして、夜はまた別の人生を楽しむのだ。 





 

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2008年07月20日

暑中 本日静養中

テーマ:ブログ

冬瓜


まるで梅雨明けを待ちかまえていたようにミンミンゼミが一斉に鳴き始めました。
朝から厳しい暑さに見舞われて、大人はまず
暑さを避けることを先に考えてしまいますが、日本の夏のピークは短いので夏の美しさも大急ぎで味わう必要があります。
からりと晴れ上がった空気は大気圏を突き抜け成層圏の青みまで連なっていることを感じますし、強い日射しのコントラストが作り出す日陰の美しさもまた夏だけのものです。
 
夏と暑さを忌避し冷房の中に籠もるばかりでなく、夏の美しさとは上手に付き合うように心がけたいものです。
 


・・・私の夏の美点とは? それはずばり昼寝ですね。

 

 

 

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2008年07月18日

パートタイム廃墟のデジャ・ヴ

テーマ:散歩

週末廃墟
時折、人や車の流れがぱたりと失せた、日曜のオフィス街や物流基地、工場地帯といった週末だけの廃墟を散歩してみることがある。

なにも廃墟の魅力が語られることは今に始まったことでも珍しいことでもないが、人の気配の失せた現代の遺跡群が見せる表情は、文明消滅後の退廃した未来世界にも見えないこともない。ただそれだけでは空想としても極めてありふれて凡庸なものであり、仮にそんなテーマで何か書いたところで「陳腐」の一言であしらわれてしまうことだろう。
 
それでも週末のゴーストタウンに立つたびに、私は妙な既視感にとらわれることがある。 既視感などというものは記憶の不整合以上に現実的な根拠などあるわけもないのだろうが、ありもしない既視の元を探るうちに、既視感はいつの間にか反対に予見視であるような錯覚にまで広がってくる。
つまり、これから人間の失せた週末廃墟を出て、いつもの空間だと思って戻ったところがやはり人の気配のない現代の廃墟であるという想像である。日常に戻ったはずが、現代の廃墟という非日常世界はどこまでも広がっていて、いつの間にか非日常の中にかつての日常の世界を求めて彷徨うことになるのではないか。そんな錯覚を覚えるのである。
 
しかも錯覚の中では私は世界のたった一人の傍観者として、ただ人の消えた世界を眺めていく存在であるらしい。人のいない世界に日が昇り大地やビル群や海原を照らし、何事もなくまた夜が巡り来る静謐にしてひたすら平穏な世界。
 
もちろん人間は完全な孤独のうちには生きていけないから、こんな想像はもはや妄想に近い。だが、心の内奥に同じようなイメージを共有できる人は案外多いような気もする。それが私たちの生きる社会へ不安や焦燥の現れなのか、高度に複雑化しますます高速化する社会への反対願望なのかは正直わからない。
ただ、廃墟にあってひたすら静かで穏やかな世界と向き合うことができる気がするから、また静かに自分の内奥に向き合うことができるような気がするから、廃墟へ散歩に出かけるのかもしれない。


散歩の魅力が自己の発するはかない想念のうちにに一時身を浸すことだとすれば、臨時廃墟の探訪は、手軽な自己探訪の旅でもある。


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2008年07月14日

熱帯夜に遠い冬の記憶を語る

テーマ:CO2

連日蒸し暑い日が続いている。高温多湿の身体への負担は耐え難いものがあるが、ここはせめても記事くらい涼しいことを書いて、涼やかに暮らす一助としたいと思う。


(その1 氷湖の記憶)

幾日も冷たい晴天が続き、硬質な大気の底ではいつの間にか雪と氷が同化して
沼の氷が鏡のように磨き上げられていたある冬のこと。凍った沼を滑るように歩いて横切る途中、氷の薄い部分を踏み割って水に落ちた。
沈んでいく体、無音の世界。氷を透過する青い光が美しい。水の中から見る氷の厚さは一様でなく、薄いところから青い日が水の中にもぐりこんで濃藍の世界にパステル光の柱を立てるようだ。
 

(その2 雪中の柱)
ある雪深い晩、タクシーで帰ればいいものを、私は酔いで高ぶった気分に任せておよそ四キロの夜道を歩いて帰った。 体を締め付けるような寒さは内臓の収斂を引き起こしたのだろうか、それとも単に大食い大酒が過ぎたのであろうか。

道の途中でどうしようもなく一時の猶予もない自然の叫びに襲われて、それ以上歩みを進めることが困難な状況に陥ってしまった。一歩ごとに忍耐ポイントは失われ、世界の破滅まで許される歩数はおよそ50歩と判断されたとき、私は一切の迷いを捨て公共施設の敷地に飛び込んで、なんとか事なき(?)を得たのだった。後方の雪中には巨大な塩(?)の柱があった事は確かだが、このようなときには決して振り返ってはならないのだ。
ほら、確か有名な話にもあるではないか。ソドムの町が滅ぶとき、ただ一人ロトは妻を連れて町を脱出することを神に許されたが、見てはならないという戒めに逆らい町を振り返り見しロトの妻は糞の柱となりぬ。(創世記第19章) 

・・・このように冬の寒さは私たちに思いもかけない事態をもたらすことがある。私も今想像するだけでも身の毛がよだつ。それを思えば人は少しくらい暑いというだけで不平を言ってはいけないのかもしれない。

そんな眺めに一瞬我を忘れて見とれるが、すぐに水をけって上を目指し、幸いにも氷の裂け目から這い上がることができたが、死と隣り合わせの状況にいたことに思いが至ったのはだいぶ経ってからのことだ。
 
今も音のない光と水だけの氷下の世界の底に横たわる自分の光景が脳裏に浮かぶことがある。きっとそれは氷下の世界に魅入られて置いてきた自分の一部としての記憶なのかもしれない。

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2008年07月12日

おサルでアーメン

テーマ:CO2

彼は悩んでいた。。。
もっとも、彼の元には絶えずひっきりなしに人間の願いや許しを請うメッセージやら思念派が送られてきてはいるのだが、彼の役目はこの世界を外から眺めて人間の愚かさを哀れむことであり、そのほかに特に何をするというものでもない。これまで積極的に人間世界に関与してこなかった彼ではあるが、絶えず送りつけられる嘆きの山に、そろそろかわいそうな人間に憐憫を垂れてやろうかという気を起こしたのが彼の悩み始まりなのである。
  
とはいえ、人間の不幸の原因とその対処法はわかりきっていた。人間はその発達した精神活動により、環境を変え、産業文化を生み、余計なことを考えすぎ、それがまた結局のところ自らの生存環境を危うくしては悩みを増やしているのは明らかなのだから、この発達しすぎた精神活動をぜい弱にしてやれば、人間の外的・内的悩みはすべて消滅する。 
 
つまり精神活動が退行し、着の身着のまま、木の実を拾って世過ぎ身過ぎをする猿人並みに退化した人間には、きっと環境破壊も対人関係の悩みもなくなることだろう。その結果たまに他の動物に食われたり、病気で木の実拾いにいけなくなって餓死する人間がいても、
それはそれだけ、そいうものなのだ。
 
ただ、彼が悩んでいるのは、そんな新しい人間の活動様式の是非でなく、
彼自身のことであった。なぜなら彼を創り出し、存続させているのは彼を想像し崇める人間の精神活動に他ならないから、人間の精神活動の衰退は彼自身の存在基盤を脅かすことになるのだ。 そこで彼は野生回帰した人間が、彼のこと、すなわち「神」という概念を維持できるか、まずサル山の猿で試してみることにしたのだ。
 
実際のところ近年お猿の群れの中に意味不明な儀式を執り行うような行動が見られることが報告されているが、実はこれは神の手により猿キリスト猿ヨハネ猿モーゼが生まれつつあることの表れであったのである。 
精神退行した人類がなお神を崇める行為を維持できれば人間の想像の産物であるところの神もまた存在しうる。サルの祈りは人間を救う神の賭けとも実験ともいえる。
 
はたしてサルの祈りは、人類の未来をすくうことになるのだろうか。だが、それよりもおサルが神様を盾に争いや分断という不幸の種を作ったりしないようにだけは祈りたいものだ。人間みたいに。

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2008年07月04日

風に飛ばされた栞

テーマ:ブログ

 
このところ、梅雨後半に特有の気圧配置のせいか、

南の海側から風が吹く日が多い。

昨日も街路樹や建物のシルエットが暮れ色の中で刻々と貌を変えていく間を歩いていると、海からの風が流れ込んで、街中は淡い磯のような香りに包まれた。

私は重い湿り気を帯びた空気のなかを歩くのに胸苦しさを覚えたが、

この息苦しさの原因は空気にあるというよりも、

実は私のよみがえった過去の記憶にあった。

先日、読書を中断したまま何年もたって、また読み直そうとした本に何年も前のまま栞(しおり)がはさんであったのを見つけたのだけれど、どうしたわけか予期せず何年も前に栞をはさんだだときの事件や心のわだかまりまでよみがえって、すっかり私は困惑してしまったのだった。

栞が読書の再開地点を示すのみならず、止まっていた記憶まで再開するとは思ってもみなかった。その時やろうとした後悔、やらなかった後悔が私をさいなみ本を読み直すどころではなくなってしまっていたのだ。

それでも混乱した記憶を振り払うように街中を歩き回っていると好き勝手放題に吹き抜ける風が、私の記憶の亡霊を少し吹き払ってくれたような気がした。

栞のページから記憶と読書を再開するのも
栞をとり払ってまた新しくやり直すのも
また気になる部分に栞をはさんで先に進むのも、
今の私には様々な選択肢があるはずだ。
困難な事態への柔軟な対応も時間が醸成してくれるものなのだ。
   
実際人生には時間をかけないとわからないこともまた多い。
本にだけではなく、気になる人生の一ページにはさんでは
先に進んでみることに使う栞というのもまた、どうやらあるらしい。

   


軽い混乱はおさまって、出かけるときよりもほっとした気分で家に帰ったのだけれど、外出の間に窓から吹き込んだ南風が開いた本のページを散らして、
はさんであった栞は、もう本の外に飛ばされてしまっていたのだった。

  

  

  

 

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