2008年06月29日

雨にぬれても

テーマ:散歩

雨

6月も最後の日曜日。朝起きると本降りの強い雨が降っていた。
手紙をポストに投函するために外に出たのだが、電子メールの時代に手紙というレトロな通信手段を講じるために雨の日に傘を差してポストまで歩いていくのだ。こんな効率的でも合理的でもない行為がかえって日常に楽しみを濃くしてくれるような気がする。 
降りしきる雨粒の間断なく木立の葉を叩く音が爽快だ。

 

傘のうちから白い糸を引くような雨筋を眺めているうちに次第に気分が高揚し、手紙を出すだけの外出はいつの間にか公園や野原、木立を辿る雨降りの散歩に変わってしまったのも当然の成り行きだ。

 
木々の下をくぐり、水たまりを飛び越え、葉の上のカタツムリに挨拶して歩く雨の道は梅雨時にだけ許されたとびきりのアトラクションでもある。
 
赤いポスト









  


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2008年06月28日

イタリア人に生まれれば良かった!?...ユーモアと世界観

テーマ:本読み

ブログとはいえ、なるべくベタな話は書かないようにしてはいるのだけれど、今日はベタな本の紹介をさせていただくのをお許しいただきたい。
 
好きで読む本であり趣味の読書とはいえ、いつか読書も型にはまった義務の色を帯びて、自らに苦労と努力を勉め強いるものになってしまう事がある。いやでも努力することが必要な場面というものはあるものだが、機械的な義務と努力は自分を解放することにはならない。

 

私たちは生きるために日々避けがたい苦役を伴う日常を送っているが、自らの蒙を晴らし自由の扉を開けるべき読書までが苦役の色を帯びたらそれは独房1号室から2号室に移るだけの行為になってしまう。
 
読書も知的欲求を満たすことも大切だけれど、楽しいこと、理性だけでなく心を伸びやかに解放してくれるものが必要だ。私はそれはひとつはユーモアであると確信する。 


シャルル


さて、フランス人作家シャルル・エクスブライヤによるこの写真の本は、イタリア人のロメオ警部のユーモアミステリーである。
チューインガムとスパゲッティ、およびキャンティ(イタリアの地場もののワイン)とコカコーラもそれぞれ、アメリカとイタリアの象徴であり、世界に冠たる現代アメリカ的文化と古いヨーロッパ文化の対決と読めないこともない。
 
ロメオとジュリエットの舞台となったイタリアはヴェローナの街の警部である主人公のロメオ・タルキーニは、ずんぐりむっくり体型にカイゼルひげ、愛情豊かな大家族に囲まれて暮らす、過剰な感情表現と想像力の持ち主である。
 
厳格な合理主義と権力を信奉して疑わないアメリカの冷酷な社会に対する、正義感と愛情表現たっぷりのデフォルメされたイタリア人ロメオ・タルキーニの衝突から生まれるドタバタは文句なしに面白い。
 
ロメオ警部は金で正義もねじ曲げようとするボストンの名士に向かってこんなことを言う。
「わたしたちイタリア人はあなたがたアメリカ人と違って貧しい。わたしたちは貧乏になれている。だから金を持たないことはわたしたちにはなんでもない。わたしたちは他のものに意味を求める。愛に、友情に、自分が立派な男だと、あるいは立派な女だと言えることに・・・・あなたの目には子供じみて見えるかもしれないが、そのような喜びが私たちには、あなたが金で手に入れている贅沢や権利にも匹敵するのだ・・・・考えてもみなさい、私たちはあなたよりもゆたかだといえる・・・・。」
 
いかなる場面でもロメオ警部は一貫して愛の意味を説き、その結果厳格な一家にも人間味を取り戻し、卑劣な行為をたしなめ、虐げられた者の名誉を回復して、事件を解決していくこの過程は痛快だ。
そればかりか、日本人の私までアメリカ的単純な価値簡に引きずられて経済効率至上主義で人間味をなくしていく社会を恥じたくなってくる。

なんで私もまたイタリアに生まれなかったのか!?

 
ユーモアとは世界観の現われだと云ったのは確かミヒャエ・エンデだったろうか。
たしかエンデもまた、一時期イタリアに居を構えて仕事をしていた。

 

ともすると理想主義者は平凡な事実を軽んじることがあり、また一方で合理的な実務家は現象と実利しか見ないものだけれど、立派な道徳家で企業家がかげでインキンタムシと家庭の不倫騒動に悩むこともあるだろう。理想主義者か現実家でそのとらえかたは変わるだろうが、ユーモアはこの両方を受け入れる
  
人間は理性のあり方によって高尚な存在にもなると同時に極めて情けない存在でもあるが、この全部を包含して明るく受け入れることこそユーモアである。
 
ユーモアは世界観を広げて窮屈な生きづらい世界にとらわれた心をほんの少しゆるめて楽にしてくれる。



(残念ながら両書とも現在は廃刊となっているので、図書館か古書店で入手していただきたい)

 


 

 



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2008年06月26日

蚊除けの夏、日本の夏

テーマ:ブログ


気温が上がるとともに不意に蚊の襲撃に遭うことも増えてきた。
たかが蚊ではあるが、温暖化とともにこれまでは熱帯特有と思われていた
マラリアやデング熱などの伝染病を媒介する蚊の出現するリスクが
上がってきたとも言われているから、油断はならない。
  
なんでも、江戸時代には『蚊除け男』という職業があって、
夜釣りや夜間の外出をする旦那のそばに寄り添い
自らに蚊を引き寄せては旦那を虫刺されの煩いから守るというものだったそうだ。
  
自分に蚊を積極的に寄せ集めるところに蚊除け男の価値はあるわけだから、
蚊を追い払ったり叩いたりするのはご法度で、さらに「業界規定」でもって
蚊除け男はふんどしとほおかむりの手拭い以外着用不可とされていた。
どんな仕事でも相応の厳しさというものがあるのだ。
  
それはともかく先日最近話題のB型本のたわいもない話で宴会が盛り上がり、
うちのオフィスもなぜかB型が多いために血液型と職業適性の話になった。
さらに、B型はもっとも蚊に刺されやすいとあったから、
江戸の優秀な蚊除け男もB型だったのだろうか。
この本が江戸時代にあったら、B型人間にお勧めの職業は

蚊除け男ということになったのかもしれない。
  
なお、B型を含めたうちの家族の中で圧倒的に蚊に刺されまくるのは
A型の私である。かの本によればA型は最も蚊が寄らないはずなのに、

毎夏A型天然蚊除け男と化す私の周りで、 家族はいつも涼しい顔をしている。

 

 

 

 

 

 


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2008年06月23日

通勤テロリスト

テーマ:CO2

人混みや駅の構内でのトラブルがあとを絶たないらしい。
先日も会社の近所の駅の階段で駅員が突き飛ばされ、また
酔客が些細なことから口論の末ナイフを突きつけられて
怪我をする事件が起きた。

と思っていたらまた女が人に切りつけて逃げた。
 
都市は人が多すぎるうえに、人々はイラついて互いに不機嫌な
顔をしてすれ違う雑踏は誰にとっても不気味で不快な空間だ。

何を勘違いしてか刃物を持ち歩く者も中にはいるのだろう。
 
実は、先日私も出勤途上、社会的に許されざる凶器を携えて歩いてみた。
たしかに満員電車も雑踏もいつもとは眺めが違う。
 
態度の悪いワカゾーも横柄に人を押しのけて歩くオヤジもごみや虫の
ように見えてくる。
「いざとなったら、こいつがものを言うぜ。」
凶器を目にして態度を一変して慌てふためく連中を想像するだけでも
快感だ。

実は私のカバンにはその日の健康診断に提出する検便セットが二つ
収まっていたのだ。

「おまえら、気安く寄るんじゃねえ! おれはな、
ウンコ持ってるんだぞ!ウンコだぞ!」
 
私は凶器(ウンコ)の収まったカバンを持ち悠然と雑踏を睥睨した。 
「ふっ、オレって最強?」
 

もちろん、簡単に凶器を振り回すような愚をおかす私ではない。。。





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2008年06月21日

夏至の日のシーサイド・バー

テーマ:

朝から雨が降ったり止んだりのはっきりしない天気に、特に予定もないとなると、今日がどうしたということもなくなんとなく一日が過ぎていくような気がする。 そんな予感が朝からできあがってしまうことがある。

 

もやった空気と、予定のない宙ぶらりんな気分を打ち払うように、空の具合を見ながら、ふわふわとまとわりつく雨粒を縫うようにして自転車で海の近くに出かけてみた。

マリーナに係留されたヨットが並ぶ、誰もいない海岸には生ぬるい潮風が吹き抜けて、時折走る車の音が分解した何の音かわからない遠いざわめきが聞こえて来るだけだった。

まるでうち捨てられたレジャー施設の遺跡のようだが、私はこんなヒトケのない週末だけの現代の廃墟が決して嫌いではない。 

 

しばらく海沿いの道をぶらぶらと歩いてみると、白いペンキ塗りの板張り洋風の小さな建物に出くわした。きれいに手入れはされてはいるが建てられてからだいぶ経つのだろう。補修し塗り重ねられた跡が積み重ねてきた時代を感じる。

そこは昼は喫茶で夜はバーとなる店だった。 

 

客のいない店内に入り、ギニスを1パイント注文したが、1パイントで済むはずはなく、こんな時には車でこなかったことのありがたみを感じるものだ。窓から流れ込む適当にひんやりとして適当に湿って生ぬるい風に包まれて、軽い酔いに身を任せるのは、自転車で移動しているときの心地よさに似ている。

  

相変わらず曇って乳白色の空気に満たされたような外から、ゆっくりと目を店内に移すと、天井からは大きなガラスの球体がぶら下がって光を放っているのに気がついた。このなんともいえず変わったオブジェに見とれていると店主が言った。

「夏至ですからね。太陽に感謝しなくちゃ」 

オブジェは太陽の代わりというわけなのだろう。

ようやく私は今日が夏至の日、一年で一番昼の長い一日だったことに気がついたのだった。

 

なるほど、曇りで日の射さない夏至の日の過ごし方としてはこれも悪くない。

 

 

 

 


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2008年06月20日

フグダ総理の主導するサミットは成果を挙げられない

テーマ:CO2

昨日、官邸を出ようとしたフぐダ首相に突然走り寄り、
無礼な振る舞いをしたとされる男女が不法侵入と公務執行妨害で

身柄を拘束された。
 
実はこの二人とは未来人で、環境問題が主な議題となるこの夏のサミットを前に
首相に荒廃した未来からの忠告メッセージを伝えるために危険を冒して
タイムトラベルでやってきた者たちだったのだ。
 
未来においては中国発の大気汚染が全世界を覆い、

人類は喉鼻にダメージを負った結果、

呼吸器による声帯を振動させるコミュニケーションはできなくなって
しまっていた。このため人類はもっぱらの出口の方の振動、
すなわち放屁による会話を行うように進化を遂げていたのである。
 
人々が複雑な意思疎通を行うためには、放屁音をさまざまにコントロールすることが必要で、放屁に伴って股を開いたり閉じたり足を上げたり腰を回したりと、ちょうどラインダンスのような動作を伴うのが常であった。

つまり優美な踊りと放屁による会話が進化した人類のコミュニケーションの主役であるのだ。
 
未来人は大気汚染を過去の早い段階で最小限に留めるべく環境対策を提言するためにやってきた。そして首尾よく2008年にやってきた未来人たちはサミット議長国のフグダ首相に直訴を試みたのだが、彼らの必死の訴えはラインダンスしながら屁をこく下品なパフォーマンスだと思ったフぐダ首相にかえりみられる事はなく、
無礼な連中として袋叩きにあってしまったというのだ。
 
コミュニケーションの手段に問題があったかどうとか、異文化コミュニケーションの
困難性とかについてはここでは論じないが、
うわべの手段だけを見て、事の重大性を見抜けないフぐダ首相が主導するようなサミットに人類の未来が委ねられているとは、まさに憂慮すべきことである。


ラダンス  らだんす2 ふぐだ首相
直訴する未来人集団とフぐだ首相



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2008年06月19日

時を得て存する生も死も経歴する尽十方界の一色である

テーマ:散歩

もやまでは行かないが、体を取り巻く大気中に浮かぶ水の粒が見えるかと思うほど
たっぷりと湿気をはらんだ空気、6月なかば。

毎年繰り返す梅雨のただ中の光景。
こんな空気も天候も決して私は嫌いではない。

 

突き抜ける青空はなくとも、軽やかな風はなくとも、

たっぷりの水と気温を得た植物が旺盛な生育を見せ、

葉の上に下に、短い活動期を得た小動物たちが

生の営みを繰り広げるこの時期は
あふれ出る生命が地上を埋め尽くしているかのようだ。

 
ただ、人は時に盛んな生命の活動に目を奪われがちではあるけれど、
溢れる生命は溢れる死と同じところにある。

 

豪奢な花を咲かせる八重咲きの槿の花は一日で地に落ちて、

ちまちヌルヌルとした死骸に変わっては這い回るだんご虫たちの栄養と化す。
忙しくうごきまわる虫たちの踏む土は同じ虫たちの糞と死骸からなる。

旺盛な生命の洪水に見えた梅雨時の光景は生と死のモザイクだ。

こんな眺めを日常の肌身で知る私たちにとって生と死は対立して分け隔てられるものではないのは当然のことのように思えてくる。

 
形を変え循環する生命と、いつか繰り返される光景。

これを眺める私も同じわたしではないのだろうが、

その時々に得た感慨もまた同じように生と死の循環のうちにあって
巡り巡る世界全体のうちの一時の形態でもあるのだろう。

 
私の意識は全体世界の運動が生じた一時の歪みのようなものかも知れないが、
そんな私の意識は全体世界と境目無くつながって一部であるならば、

同時にその時世界の全部でもある。

 

湿ったの空気の中を泳いでは 意識が全世界と境目をなくして融けていく
梅雨時の散歩の快楽である。
 


あじさいの道

 

 

 


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2008年06月16日

まもなく終焉が到来します

テーマ:ブログ

初めて緊急地震速報のホンモノを見た。
例の岩手・宮城内陸地震の余震によるものなのだが、「まもなく大きな揺れが来ます」というメッセージに思わず緊張して身構えたね。


震源から遠いところでもこんな状態だったのだから、すでに被災された方や震源近くの人の今も続く緊張と不安はどれほどのものであろうか。

それにしても破滅の到来がたかだか10秒前に知らされたとして、
人はいったい何ができることだろう。
  「まもなく核ミサイルが到着します。東京上空での爆発まで後10秒。
  9、8、7、6・・・・」
カタストロフを前に絶望のうめき声を上げるのだろうか、あるいはあれもやっておくのだったこれもやっておくのだった、あんなこともあったこんなこともあったと
記憶が走馬灯のように駆け巡りカウントダウンが終わる・・・。

もっとも個人的なレベルなら人生の破断、終焉はいつやってきてもおかしくはないのは誰しも同じことだ。誰しも残りのわからないカウントダウンが続いている。
それにもかかわらず私たちは永遠に生きるかのように振る舞い何も考えずもっとも貴重な人生資源である時間を放蕩しては省みることがないだけのことだ。
 
どうせ、遠くない将来に必ず訪れる終焉までのひと時は笑って過ごしたい。
笑って過ごすと決めたらそのために行動しよう。

それは今このときしかないのではないか。


石榴の花

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2008年06月11日

古く懐かしい風景と、変わらぬ人の心

テーマ:本読み

時々、どこか懐かしい昔を舞台にした物語に惹かれ、安らぎにも似た感情を見つけようとして時代小説や古典を読むことがある。たとえばこんな本。


ロッティー 『ロッティー、家へ帰ろう』 テリー・ケイ / 新潮文庫


時代は、世の中も人もまだ純朴だったころの100年前のアメリカで、職業野球のマイナーチームを解雇されたベン・フェルプスと、天使のような美女ロッティーの二度の出会いと事件・秘密を中心に物語は展開していく。
  
ベン・フェルペスは野球選手の夢破れて故郷に戻り、華やかさとは無縁にひたすら地道に働く青年であり、仕事・友人・家族・世間が彼の人生の織り糸だ。
またロッティーは静かな薄幸の美女として描かれるのだが、彼女は代償を求めることなくひたすらただ静かに与えるだけの愛情の象徴でもある。そしてそんなロッティーに巡りあった人々は大きな感情の起伏が生じることになる。
 
この二人を軸に登場人物が出入りしてそれぞれの人生の物語が進行していくのだが、人生とは巡り来る感情のうねりによって彫り刻まれるらしい。わたしたちは喜びや精神の高揚を感じるときに人は生を実感するとともに、痛みや苦しみが人生の陰影を作り出すに避けられない要素である事を物語が描く時に、リアルさと共感を覚えるものだ。
   
そしてこの物語もまた空疎な善人の登場人物たちの楽しいだけの単線ストーリーではなく、苦も楽も迷いもある人生のあらゆる局面に、誠実に向き合う人々の物語である。そしてこの物語を美しい心温まる物語と感じることがあるならば、それは人生の波風を恐れず、愛するべき人を愛し、自身の本来の心素直に向き合ってひたむきに生きる人々を描いた物語だからだ。
 
時代ともに現代の世の中の仕組みは複雑なものになってきたが、一方できっと人の心とは昔と変わらず素朴なものなのだろう。だからこそ昔の物語にも人は同じように感動できるのだし、本書の作者が物語の舞台に古き良き時代のアメリカを選んだ理由もそこにあるのかもしれない。

現代の私たちが向き合う技術や情報は最新鋭でも、存外私たちの心とは昔ながらの旧式のものなのだ。その上、私たちは仕事に追われあふれる情報や変化する価値観に翻弄されてはそんな自分自身の心を扱うことにおろそかになっていることがある。


古典や古い風景の中に展開する物語に共感できることとは、その風景の中にある心と同じままに古い心が自分の中にもあることに気づき思い出すことでもある。


古い風景に思いをはせることは、私たちがみなそれぞれに古びて傷みやすい心を持っていることに気づくことでもある。

 

 

 

  

 




 




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2008年06月07日

梅雨の晴れ間

テーマ:散歩

いつの間にやら梅雨入りして迎えた今年の6月二度目の土曜日、梅雨の晴れ間の街中を歩いてみると、緑は新芽の頃の淡い色の頼りなさがようやく濃く落ち着いてきたようだ。
それでもまだ真夏ような日向と日陰の濃いコントラストをつくる濃緑までには至らず、草木がみずみずしさをたたえて伸びやかに葉を広げる今は植物の生育のハイライトなのかもしれない。
 
実はこの日はしばらく音信のなかった古い友人と3,4年ぶりに会ったのだけれど、音信がなかったのもそのはずで、ここ1
年くらいの間にガンが見つかって入退院を繰り返していたのだと聞いて驚いた。まだ若いうちのガンだから転移や再発の懸念もまたあるのかもしれないが、本人はあっけらかんと明るく、酒を飲んで冗談を飛ばすその姿にはまったく不安は感じられなかった。
 
「はっきりしたことは教えてくれないんだけど、たぶん大丈夫だと思うんだよね。」
自身の中で何か確信めいたものがあるような口ぶりに、いつか私もきっとこいつは大丈夫なのだろうという気分になった。
根拠はないのだけれど、自分の内なる声に従って自分で自分をコントロールしているように見えた友人は、ストレスのかけらも感じられなかったばかりか、一緒にいる私まで日頃のストレスを忘れて晴れやかにしてしまったからだ。
 
実際、いつも仕事や世間の軋轢に追い立てられて突き転ばされては汲々として、しわくちゃになった心を引きずって歩いている私たちは、自分の意志で自分の生活をコントロールしているとはいえない場面もまた多い。社会的な自分を生きるがために本来の自分を忘れてしまいかけていることのなんと多いことか。


社会にへつらわない自分的な自分。自分の実感に率直に生きて、自分の心の声に従って行動することは即ち自分の生を自分でコントロールすることに違いない。これができている友人はきっと自分の病気もコントロールすることができることだろう。

  


しばしの歓談の後、まだ明るい暮れ時の街中で次の再開を約束して別れた。
街中は相変わらず人も車も多過ぎたが、梅雨時の緑を抜けて吹き寄せる風は生気に満ちて心地良かった。

 

 

 

 

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