2008年05月17日

じゃんばら屋の春

テーマ:散歩

衰退していく町というものは、あきらめに似たような静寂さとただひたすら時間の経過を耐えているような様相を見せる。うちの近くにも大資本のショッピングセンターに客を奪われ、衰弱死を待つような商店街があるのだが、ここでは季節の動きすら鈍く、春すらよけて通るような町並みを歩くのはそれだけで気が滅入るものだ。

 

ここ十年ほどの間にすっかり歯抜けになってしまったそんな商店街の一角にジャンバラ屋という古着屋がある。
錆びたシャッターのおりた店舗跡にはさまれて、店の外まで商品の古着やぼろがあふれ出した店の様子は異様な迫力があって、店を訪れる客もまた一風変わった風体の客が多い。アメカジが主体の商品は店主が直接海外で買い付けてくるので、品質は一定しないものの、国内だけで回っている店とは品揃えが一味違うのだそうだ。

 

店主というのは五十台半ばと思われる男だが、いつも70年ごろの映画から抜け出してきたような姿をしている。天頂の薄くなった長髪にバンダナを巻き、ベルボトムのジーンズに花柄のような派手なシャツというのがお決まりの格好だ。きっと30年以上そんな格好をしているのだろう。
  
この店主がどうしたことかこのほど結婚する運びになったらしい。 相手はこれまたどうしたことか30くらいの美人で、店主に上を行くアメリカかぶれじみた格好をしている。
  
彼女の意向によって、近隣の店舗跡を買い取り、海外からの若い旅行客を受け入れる安い宿屋をやりたいという話を聞いた。ユースホステルのようなものなのだろうか。
  
資金やなにやら開設準備が整うまでしばらくは古着屋をやっていくようだが、気の早いことに派手なホテルの看板がもう掲げてられている。 準備や改装やら雑誌の取材やらのために頻繁に人が行き交うようになったこの通りにも華やいだ話題と眺めが戻ってきたようだが、それにしてもこれもまた衰退する商店街がグローバリズムという価値観の混交を乗り越えていくひとつの回答なのだろうか。
  
とにもかくにも古着屋にもこの商店街にも、たしかに遅い春が巡って来たようだ。 

  

 

 

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2008年05月11日

雨粒の向こうの景色を眺めに出かける

テーマ:二月堂便り

散歩が物思いに身をゆだね自己の内面と出会う機会なのだとしたら、雨の日にこそが本当に散歩らしい散歩ができるのかもしれない。

雨は自分と外の世界との緩やかなベールとなり、外界からの干渉がやわらいで、あるものすべてが内向きになるようだからだ。そう思って眺める雨の向こうの景色は確かにまるで別の世界で進行する出来事のようにも見えてくる。

  

このところ雨の日が多く、好むと好まざるとに関わらず傘をさして歩くことが多いのだが、今日も水の粒が空中をふわふわと舞っているような雨の中を散歩に出かけた。行き交う人も車も少なく、住宅地や畑地、寺社や公園の新緑をまとった木立から木立をつたって歩くのは、手軽でささやかな森林浴でもある。目と鼻で吸い込む緑の空気は気分を軽く前向きなものに変えてくれる力があるようだ。

  

ただ、降り出した雨はいつか上がり、しばし夢うつつの境を遊歩した時もいつかは終わって現実に引き戻されるように、散歩が終わる前に雨が上がってしまったときの直後の空気が私は苦手だ。これは雨が乾くようにひりひりとした現実に戻るのをせかされるような気分になるためかもしれない。

  

実は今日も散歩の途中でいつの間にか雨は上がってしまい、しぶしぶ雨傘をたたんで帰ってきたのだが、途中またパラパラと降りかかるものがあった。見回すとそれは雨の後に吹き出した風に乗って舞うアカシアの花が道を明るく染めていたのだった。


花降る道


今日は苦手とする散歩の途中に雨の止む事態に遭遇はしたのだけれど、こんな花降る道を歩く雨のお話のエピローグがあるのなら雨上がりの道もまた、悪くはない。


 

 

 

 

  

 



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2008年05月10日

占い嫌い

テーマ:CO2

  『金運・恋愛運とも好調な一日ですが、ついうっかりの一言に気をつけましょう。思わぬ敵を作ることがあります。ラッキーカラーは錦色。』

毎日乗る電車には全てのドアの上にカラー画面がついていて、四六時中列車の運行情報やTVコマーシャルを流している。満員で本や新聞も広げられないときや手持ち無沙汰なときには、ろくな情報はないとわかっていつつも目が行ってしまうものだ。
 
そんな画面の情報に天気予報などと並んでよく見かける占いなどは、クズ情報の極めつけではあるが、いつまでたってもなくならないところを見ると、よほどみんな占いがすきなのだろう。電車の中というのは、画面の情報だけでなくつり革広告や、窓から見える広告塔、自分や隣の人の本や雑誌、ラジオやオーディオプレイヤーなどなど、ほとんどが無益な情報が溢れては流れ去っていくようなところではあるが、その中でもまた無益の上に役立たずの「今日の占い」などというのは、まるでゴミ情報のどぶ川に浮かんだフンカス泡のようなものである。
 
占いのご宣託の文字が並んでいる間だけ人は小さく一喜一憂し、文字が流れ去れば記憶も印象も次の情報やもっと現実的な思考にまぎれて消え去ってしまう。これはまさに情報のあぶくである。
 
  『今日のあなたは思いもかけないラッキーが続いて、仕事でも恋愛でも一目おかれることになるでしょう。ラッキーアイテムは電気あんま。』
 
A君は、毎日当たり外れの統計をとって、どうせ有意な結果は出ないだろうけれど、情報を流している鉄道会社の広報室にでも送りつけてやればいいともいう。
「そうすればさ、しょうもない情報がなくなって、有益な情報が載るようになるかもしれないし、そうでなくとも、誰も気にも留めないと思っていたごみ情報の発信者が、思わぬ反応を得て手ごたえとやりがいを得るかも知れない。」

   

送りつける評価とは、たとえばこんなふうになるのだろうか。

「・・・貴社の毎日掲示する本日の占いを三ヶ月間毎日読んだ上、助言は全て実践してその結果を採点してみました。その結果占いの的中率は16%で、わざわざ覚えておいて行動に役立てるに値しないという判定になりました。

はっきり言って良識と社会的責任のある貴社が無益な上に人を惑わせ有害にも
なりかねない情報を垂れ流す意図がまったく理解できません。

直ちに無益な占いの掲示をとりやめ、公器としての立場と責任を自覚した行動をとるよう強く希望いたします。」・・・

  

さて、くだんの会社からは返事はあるだろうか。
まあ、占いなんてその場限りの気晴らしか、あるいは馬鹿と貧乏人をたぶらかして
金を巻き上げる手段だからねえ。。。
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2008年05月07日

今を生きることの奇跡

テーマ:インナー・ランド

人は金や物には自分の取り分を声高に主張するものだが、時間については無頓着なことが多い。金のことならたとえどんなに小額でも小銭ひとつ落とせば血相を変えるのに、ことが時間となると、無限に所有するかのごとく惜しげもなく垂れ流し、放蕩して平気である。

 

時間を‘つぶす’ためにパチンコやテレビにかまけては日常的なだるさに身をゆだねる。。。
将来に期待できることも確かでないのに、だらだらと付き合いで残業して疲れ果てては、無気力に過ごす。。。 
それでも明日のことなどわからないとうそぶく人間にも、ただひとつだけ確実な未来の真実がある。それははいずれ死が訪れるということだけだ。

  

徒然草の例を引くと、こんな言葉がある。

 

  「若きにもよらず、強きにもよらず、おもひがけぬは死期なり、

  今日まで逃れ来にけるはありがたき不思議なり」

 

これは年寄りの兼好法師らしく、視点が現在から過去を眺めやる形での警句であるが、同じようなことの、別の言い方に出会った。

 

  「明日が来るというのは奇跡。それを知るだけで日常は幸せ」

 

命ある時間の希少性、を現在から未来への視点において語るこの言葉もすばらしい。ほんのすこしだけの未来を、あとすこしだけの明日をと、望んでもかなわず24歳という若さで癌のため亡くなった女性(余命一ヶ月の花嫁としてTBSの特別番組にもなって今日も編集版を何度目かの再放送していたのでご存じの方も多いことだろう)の言葉である。

  

視座は違ってもどちらも今日いまここに命あることの貴重なこととを伝える点は同じだ。


人生においては無限の時間を望めない。 私たちにできる最善のことは、明確な意識に基づいて今ここを生きることだ。過去に引きずられて今日を失うことではない。明日に期待して今日を放棄することでもない。



 

 

 

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2008年05月05日

田園生活

テーマ:散歩

なにやらこの連休の後半は毎日雨が降る。たしか連休前の気象予報はほぼ毎日良いお天気に恵まれてお出かけ日和が続く・・・とか何とか言っていたような気がするのだけれど、結果は大ハズレ。こんな事なら、天気予報は今後いっそのこと、気象漫談とかお天気占いとかいうバラエティーのネタ番組と言うことにしたらよかろう。

 

少なくとも自称気象予報士とかうエラソーにして中身無さげな連中が「予報が変わりました」とか「統計的にGWは雨が降りやすい」とか言う前に、「予報が外れて申し訳ありません」と詫びの一言を言っても良さそうなものである。 

ただ、連休に雨が降るのは分かっていたことで、レジャー産業とか連休の人出を当て込んだ広告主に配慮した晴れ予報だったという可能性もあるのだろうが。 

  

もっとも、私は昔運動で痛めた肩の古傷の傷みで雨を予見していたうえに、特に天候に左右される予定もなかったので何ら実害はないのであるが。

 

元来が人混みの嫌いな私ではあるので、特に今日などは神気たなびく南山の麓、人跡希な樹叢に分け入り、蝸牛の庵に座した・・・つもりで、ベランダにテントをはって読書をしていた。



こうした行動を秘密基地かと軽薄な判断をする輩もいて驚いたが、それはそう判ずる当人の頭の程度を物語るのであろう。前にも書いたが私の場合はインスタント遁世、俗界の脱出である。



またある人はコレを田園への憧れかと問うたのだが、なるほど、それは一理有るのかもしれない。

 

世間一般に、田舎暮らしへの憧れというものは今に始まったことでないが、近頃も個人の田舎暮らしをサポートする本や雑誌、NPOなどをよく目にする。

だが、田舎暮らしとは大方にとってあくまでも憧れの域を出ないし、めったに実現することはないが、たまに成功例を目にする程度のものだからこそ、本や雑誌の商売があるのだともいえるだろう。

ときどき田舎暮らしこそが暮らしの正解のすべてのような発言を目にするが、そこにウソ臭さはぬぐえないとみんな感じているはずだ。田舎暮らしに憧れる者はそこそこ多いが、無条件に田舎暮らしを賛美する者は極めて少ないことがそれを証明している。

田舎の風習だの人付き合いだの言う以前に、だいたい経済的にも文化的にも田舎が近代社会を支えることはできないし、近代の人口と暮らしを引き受ける力はまったくない。だから、田舎から都市部への人口の移動は止まらないことをみんな知っているのだ。
 
とはいえ、田舎暮らしに都会にない大きな魅力があることも動かせない事実だ。そこで経済的にも文化的にも近代の様式を捨てられない私たちが現実的に考えるべきは田舎への転居の方法ではなくて、日常の暮らしの中に田舎暮らしの要素と都会で暮らす要素の混交とバランスを考え出すことである。

 

今後は私も普段の日常生活のなかに田舎暮らし要素を取り入れてみようかとも考えたりはするのだが・・・。




(注:この場合の田舎暮らしとは、単純に地方の暮らしということではありませんので

念のため。人里離れた山奥とか離島とか昔風とかいう、まあそんな・・・)








 


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2008年05月01日

人生は幻花に似たり

テーマ:散歩
連休は世間のどたばたを離れてゆっくり過ごすことが目標の私ではあるけれど、ゆっくりするプランというものまたたくさんあるもので、あれもやろう、これもやりたいと思っては、ゆっくりするプランに次々に追われて結局慌しい休日を過ごすことになってしまったりすることがある。
ゆっくり過ごすというのもまた技術や才能が要求されるものなのかもしれない。


 処世は大いなる夢の如し

 何すれぞその生を労するや  (by 李白)


誰よりもゆっくりするとか悠然と過ごすとかいうことに憧れては詩句の引用などをする私ではあるのに、ゆっくりするのが下手だねと指摘を受けることもあったりする。
 
これはつまり、普段仕事や世間の雑音に溺れる毎日を過ごしているので、オフの時間くらいは俗塵のしがらみを洗い落として悠々と自由に心を遊ばせることに憧れるのは当然であるのだが、一方で、いざそのオフの間に至っても、雑音に過剰適応したわが身は雑音に対処するのと同じリズムで自由な時空に向かおうとするから
あくせくした調子を脱することができないということなのだろう。

 

オンとオフの切替とは仕事を遊びに切り替えるような、実行する事柄を変えるだけのことではない。外の事柄を処理していくだけなら仕事が仕事でない事柄に代わっただけで、仕事を処理していたのが、遊びを処理しているだけに代わっただけに過ぎない。
 
オンが社会的な自分として外の事柄を始末する時間であるのならば
オフは個人的な自分として内の事柄に対応する時間であらねばならないものだ。
 
自分を忙しさに追い込んで空っぽの自分から目をそむけているのもまたひとつの楽な生き方ではあるけれど、それではいつまでたっても社会に便利に使われる社会的部品であるだけだろう。
 
レジャーやショッピング、本や遊びの情報は溢れていて、絶えず私たちの中に流れ込んでは意識の内に雑音の渦を作っているけれど、この流入を一度断ってみるのもまたいい。
 
外から流れ込む水で濁った自分というコップを、一度流入を止めて空にしてみれば、きっと素のままの自分の新たな今が満ちてくる。  
時には怖がらずに何もしないことを楽しんでみよう。 
自分という景色を眺めに出か
けてみよう。 
 

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