2008年03月28日

早期死亡奨励制度のお知らせ

テーマ:CO2

崩壊寸前の年金制度を抜本的に解決すべく、厚生労働省が極秘に進めていた新制度の策定作業が大詰めを迎えているようです。 実はわが党の仕事の関係で、来年度初めに広報される文書をしかるべき筋から入手しましたので、一部をここに公表したいと思います。


               記


政府の早期死亡奨励制度(通称生き生き余生)の開設に伴い、厚生労働省では4月1日より65歳以上69歳未満の方で希望者の募集を開始します。

健康審査の後一定の余命があると判定された方(およそ72歳以上まで生きながらえる確率が高い方)が本奨励制度の適応対象として認定され、適応者の方には一時金百万円に加え日額二万円の生活費が支給されます。

なお適応者の方が70歳の誕生日に到達しましたら、生き生き余生事業団の係りが「お迎え」に参りますので、速やかにSハウス(注)に入所いただきスムーズな手続きのうちに安楽に人生を終了していただけます。 
ご存知の通り現在は年金制度が崩壊して支給が滞っておりますので、生き生き余生制度に期待される方は多く、募集開始時には応募者が殺到することが予想されます。お早めに募集手続きを済ませられますよう今すぐのご検討をお願いいたします。
                              

                                     以上
 

                          平成  年 4月 1日
                          厚生労働省総務局
                          年金支給額調整課

     

(注)Sハウスとは苦痛なく人間機能を停止し人生を終止するための
   最先端の機器を備えた快適で清潔な施設です。



もちろん政府閣僚のお歴々が率先してエントリーするのは言うまでもありません。それならとっても安心ですね。。。

 

  

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2008年03月22日

今日もまた、総理がケツ断しないワケ

テーマ:CO2

赤坂のマンションにユリという名の妖しい美人がいるのだが、ユリは実業家の旦那を持つ他人の女である。だがユリは実はフクダとも当の旦那には内緒のいい仲でもあった。
 
その晩、オザワとけんか別れして夜遅くようやく仕事がはねたフクダは、ユリの寝込みに押しかけることにしたのだが、旦那は出張のはずだった。 これではまるで夜這いだがこれもまた一興と、夜這いという時代がかった言葉のインピさにジジイのフクダはひとりほくそ笑んだ。
  
段取りはうまくいった。布団にもぐりこむとびくりと体を硬くしたユリだったが、口をふさぎ、フクダであることを伝えるとすぐに力を抜いてまかせてきた。どうやら、ユリもこれをまっていたらしい。 やはりそうか、と含み笑いを浮かべつつフクダは着衣を解くと、その時だった。 ユリの旦那が帰ってきたのである。
 
あわてて立ち上がりまっぱでうろたえて右往左往するフクダの様子ははまるでじじいの裸踊りだ。
ユリは「そこから上へ」、とフクダにロフト式半開放型の天井裏へ隠れるように言うと服を押入れに押し込んだのだった。
 
フクダが仕方なくロフトの床にべたりと座っていた下ではユリが旦那を迎える華やいだ声が聞こえた。 一方の裸のままのフクダは、極度の緊張で持病の痔疾がうずくのをこらえていた。
 
不運だったのはユリの部屋の内装は木目もあらわなむくの天然木によるものだったことだ。このため天井つまりロフトの床には節目があり、中には節穴が貫通している部分もあったのだ。

 

フクダの下にもちょうど大きな節穴があり、悪化して飛び出してきたフクダの肛門は次第にこの穴から天井に垂れ出しはじめたのだった。フクダはもちろん異常に気づいたものの、はまった出痔を引き抜くには相当の痛みを伴う覚悟が必要なようで、どうにも身動きが取れないのだった。

 

もちろん下でも天井に出現した異変に気づいた。
「あれはなんだ?」ユリの旦那は天井の異物を指差した。
「あれは、、ナメクジです。時々家に入ってくるんです」

とっさにユリは答えたが、これを信じた旦那はその「ナメクジ」を始末しようと、手近にあったモップをとるとその柄を真下から思い切り突き立てたのだった。
 
モップの柄は「ナメクジ」を始末し、節穴を貫通し一部はその先まで進んだが、先が丸かったのははフクダにとって幸いだっただろう。

 
だが、
この日以来フクダは途切れない厄介な糞を自力で始末することができなくなってしまった。つまり糞(ふん)切りがつかなくなったのである

これがためにフクダはさまざまな場面で糞切りの悪い応対に終始し、政局の混迷を招いていることは実に憂うべきことである。



(・・・かくのような次第で、ソーリにケツ断力と指導力不足が指摘されるのにはそれなりのワケがあったのだ。私はアレは好かん 

 

 

 

 

 

  

 

 

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2008年03月20日

根性なしのためのワークライフバランスをとるという生き方

テーマ:本読み

春分の日の今日は雨。窓から外の木立を眺めると、無数に重なった裸の枝がほのかに春の色を帯びて、もやったように見えるのはだいぶ木の芽がふくらんできたせいだ。これからは気温も上がり一雨ごとに新芽が吹き出して、静かな冬のたたずまいを見せていた木立もあっという間に柔らかな葉をまとうようになるのだろう。 
春への変化は、心浮き立つ期待と焦燥にも似た居心地の悪さが同居するが、きっとこの時節の様々なイベントが、人に社会の変化への迎合圧力を連想させるためかもしれない。とにかく現代の変化は速くこの先の事は誰にも予想はつかないが、常に変化を強いられる中でどうにかこうにか自らが生き延びるすべを模索してじたばたとあたふたと、人が日々を過ごしてきたのは今に始まったことではない。
 
ただ、現代は先の見えない中で先に希望を持つ以前に、最低限の下支えも無くなるような不安が大きく、しかも出口を探すことは各人が個人的なリスクを負ってやるべき自己責任問題に帰されてしまっていることが、社会の閉塞感を大きくしている。さらに、世の中で働いて食っていかねばならない身としては、変化に順応しないといつか世の中から取り残され、気がつけば自分だけがババを引く事になるのではないかという恐怖があるから、人は人、世間は世間とばかりは言っていられない。
  
とはいえ、会社の単純な価値観の中で仕事に自己実現の意義を見いだせる人は希だし、仕事に人生のすべてを掛けて私生活を犠牲すれば会社が様々な面倒をみてくれるという時代はとっくに終わっている。結局、きわだった能力もなければ根性も覚悟もない凡下の輩としては、世の中につかず離れず、仕事は生活のための必要悪として労働対価に見合った分だけ働いて、個人的な生活と社会的な生活のバランスをとることに腐心することになるのだろうか。。。
 

そんなもやもやもあって、先週から「ワークライフバランス」という観点で、凝り固まった観念をチェックし、自分の蒙に気づくため主に若向けと思われると思われる本を読んでみた

 

『3年で辞めた若者はどこに行ったのか』  城 繁幸 / 筑摩新書
陳腐化した旧来の価値観にとらわれずに自分のとるべき道を示唆するケース紹介多数。会社、組織外活動、成功者ケースばかりでなく、非常に幅広い。

 

『スタディ・ハックス』(Study Hucks!)   小山 龍介 /東洋経済新聞社
社会人にとって日進月歩のIT時代にはIT時代の勉強法や道具がある。勉強という内向き作業の決まり切った型を見直すための参考として定期的にこんな本も見る必要がある。
 
『格差社会の世渡り』    中野 雅至 / ソフトバンク新書

労働力が企業に都合の良い商品となってしまった今となっては、企業組織は人生を託すところではなく、徹底的に利用すべきところである。

 

『日本を降りる若者たち』  下川 裕治 / 講談社現代新書
日本社会で生きづらく、海外に脱出してドヤ街のようなところで引きこもる、「外こもり」の若者たち。

 

『自分に適した仕事がないと思ったら読む本』  福澤 徹三 / 幻冬舎新書
職場で働くときはなりたい自分を演じること

  

『公務員クビ!論 』  中野 雅至 / 朝日新書
年功序列と終身保障が最後まで生き残る?お役所の組織体制が解体される過程は、今後日本社会が健全な労働市場を形成し働き手が企業と対等な権利を手にするための要となるかもしれない。

 

『人生を半分降りる』  中島 義道  / 新潮社OH!文庫
会社や世の中の多数派にあわせて生きることに違和感を感じる人に向けて書かれた、社会に着かず離れずしっかり自分の居場所を確保して生きるための人生の指南書。


・・・蒙は晴れないけれど、ちょっとは参考になったかも。

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2008年03月12日

暁の妖術武芸帖

テーマ:ブログ


このところ毎日猛烈にねむい。
でもたぶん睡眠時間はだいたい足りている。 眠けの原因とは花粉症の薬で、いつでもどこでも眠くなるのだけれど、特に体は眠け信号を出していないから、疲れて睡眠が足りなくて眠いというものとは異質な眠さである。だから乗り物で座って寝てしまうときなど、誘拐されて薬で眠らされて、敵スパイのアジトに運ばれていく俺はああスパイ映画のヒーローで、きっとそれはこんな感じなのだろうかとも思ってしまう。
 
その上もともとがロングスリーパー体質の私ではあるが、会社に入って以来何度も長期間にわたって
過労死体験ツアーに行っては、週に三日四日の徹夜当たり前の生活をしてきたので、すっかり睡眠摂取には意地汚くなってしまい、いつもちょっと暇があれば眠い、眠らなければと、がつがつと惰眠を貪りたい衝動に駆られるようになってしまっていて、睡魔の術中にはまらないようにするのはとても大変なのだ。
  
今日も別のオフィスに会議に出かけたのだけれど、広い部屋に大人数の会議で誰が誰やらわからない顔も多かった。ともかく資料を配って眠気でもうろうとしながらも声を張り上げ説明をしたのだが、周回状に並んだ向かいの席のあたりで、誰かむさい男がわあわあ何かしゃべっている。誰だこのやろう、人が話しているのに黙って聞けよ、とガンつけたところが向こうもこちらを睨み返してまだしゃべっている。 なんだあ?、と目をこすってよく見ると目つきの悪い男は鏡張りの壁に写った己の姿だった。
 
そこで帰りの電車では寝過ごさないように本を読んでいたのだが、向かいの席に座ったうら若い女性がやはり花粉症なのだろうか、マスクをかけてこくりこくりと居眠りをしているのが目に入った。こんなとき人は、ああ、あなたも花粉症と戦っているのですかと、同病相哀れむ一種淡い連帯意識のようなものを抱くものである。ところが、その女性、睡魔に完全に陥落してしまったらしくついには本格的に寝息を立てて眠り込んでしまった。しかも鼻も詰まっているらしく寝息はイビキとなって電車中に響きわたりはじめた。やれやれ、と見ているとイビキはさらに大きくなって何も知らずに眠りこける本人には気の毒なほどである。それにしても何でこんなに品のない大きなイビキなんだろう、向かいの席なのにやけに近くで音が響くなあ、ああうるさい!と思ったところで目が覚めた。あ、今のは俺のイビキだったのか。どこからが夢だったのだろうか。。。見ると、当の女性が嘲笑をうかべてこっちを見ていた。
  
春うらら、今日もヒーローcaptain-jackは花粉症と睡魔という妖術使いとの戦いに明け暮れている。                             

                                             続く

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2008年03月08日

ブログ

テーマ:ブログ

前回霊能力者に関する文章をアップしたところ、コメントの外に何通かメッセージやメールの類が舞い込んだのだけれど、これがニとおりあって、ひとつは宗教や占いを揶揄することを非難するもので、もう一方は私を危ないオカルト頭の同士と見なすかのようなものである。
もちろんどちらも違う。
私は私の思いつきや書きたいことを書きたいように書いているだけであって、特別何かに肩入れしたり深い関わりを持とうと思っているわけではないからである。
 
何回か私のブログを読んだことがあって普通の分別がある人は関係のないことだが、単発で読むには私のブログはテーマもバラバラで(それは意図してやっているのだけれど)、誤解を与えることがあるのかもしれない。真面目な非難も私はにやにや笑って読んでいるだけなのだけれど。
まあ政治ネタ、宗教ネタなど、ちょっと入り組んだレトリックを使って誤解を生んで、とんちんかんなメッセージをもらって読むのはブログの楽しみの一つでもある。

 


 
ところでこの週末は花粉の飛散のピークだと言うことで、今日は外出を控えた。家で一日ゆっくりと過ごしたのである。というか、花粉症のクスリは眠くなる上に、前夜の深酒が祟って午前中を棒に振って外出のタイミングを失したと云うのが正しいかもしれない。
 
まあ、たまには人はゆっくりと閑を楽しむ事がなければならないと云うこともある。忙しいときに充実しているような錯覚を得るのは誰にでもできるが、閑時においてこそ人の内面の充実具合が試されるものだ。 というわけで今日は家で閑を楽しむことにしたのであるけれど、何もしないで家にいれば何とはなしに食ってばかりいるもので、食べれば出るから、花粉症もピークなら多糞症もゼッコーチョーなこの週末である。

あ、いや、はなしが変な方に行った。

 

 

ともかく大量の花粉が舞っているとはいっても今日などは家でゴロゴロするにはあまりにもいい陽気で、窓から外の地面や木立を眺めて微妙に色合いが変わっているのを見ると、何か体の芯からうずうずと動き出したくなるものを感た。

  

自然の勘がだいぶ失せた人間ですらこうなのだから、虫や草、動物はなおのこと活動の準備態勢が本格化していることだろう。地表に萌えだした草の芽はわずかでも地下では草の実木の種、虫どもが今にも飛び出しそうなエネルギーの高まりを感じるこの時節である。明日は郊外に散歩に行くとするかな。(酒が無くなったので買いに行かねばならないのだ)
 
  下萌えて土中に楽のおこりたる (星野立子) 

 
 

 

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2008年03月05日

ある霊能力者の告白

テーマ:CO2


実は、私は運智精霊協会のセミナーにおいて鴨田聖雅の名前で、講演や霊能力を披露する活動をおこなっております。鴨田聖雅は霊能者としてもちょっとばかり名が知られており、自然の精霊と人間の霊魂の合一に関する本も出しておりますので、きっとご存知の方も多いことでしょう。

 
しかし意外に思われるかもしれませんが、鴨田聖雅の自然と精霊、癒しと自己発見についてのセミナーには私自身全く関心はありません。
セミナー主催団体に万物と対話する霊能力者として祭り上げられてはおりますが、霊能力の事実はないからです。ただただ、たちの悪い霊感商法に加担することが苦痛になってきたために、今日は霊能力セミナーの舞台裏をここで話してしまいたいと思うのです。

・・・そう、あれはセミナーがまだ零細オカルト団体で、会員(信者)獲得に躍起になっているときのこと、あるとき屋外セミナーを行ったときのことでした。いつものように私は、霊能力をもってすれば動物はもちろん木や岩、万物の精霊と会話ができるという話をしておりましたが、万物と会話する霊能力といっても、派手なマジックまがいのパフォーマンスができるわけではありませんので、聴衆の反応は鈍く、信者獲得の手ごたえを得るのはまだまだ先のように思われたのでございます。
 
ところが、途中休憩時間のこと、何とその奇跡が起きたのでありました。
 
そもそもは、何せ当日は屋外での伝道集会のことゆえお手洗いが不便なこともあって、便意を催した私は草陰で始末することにしたのです。ともかく尻を出し、出すものを出してほっとすると自分の携帯の着信音が鳴りました。ところがどこを探しても携帯がない。まさか、と思って振り返ると、おしりのポケットに入れていた携帯がきっとズボンを下ろしたときに落下したらしく、たった今排出してばかりで湯気を立てるブツの真っ只中に鎮座していたのでありました。うぅっと見ると、なんとブツはバイブレータの振動で液状化現象を起こしているらしく、私の携帯は大ブツの中へ中へと見る見る沈下していくのでありました。

 
そこで仕方なく私は傍らの枯れ枝を二本拾ってブツの中の携帯をつっついて操作することにしたのでありました。さらに具合の悪いことに電話の相手はサラ金の返済催促であったのです。どすの効いた声が、ウンコの中から響きます。
 「いつまで待てばいいんですか?」
 「もう少しです!もう少し待てばきっと道は開けるでありましょう!」

 「なら、いっそ天国にでも招待してあげましょうか!?」

 「いましばらく待たれよ、今はその時ではありませぬ!」
私も必死で答えますが霊能力者が商売ですから、応対ももって回った言い方になります。

しばらくそんなやり取りをして電話が終わると、私は大きなどよめきに包まれました。私は気がつかなかったのですが、いつの間にか草むらの周りには怒鳴り声を聞きつけたその日の聴衆が集まっていたのです。
「見たか?! ウンコがしゃべったぞ! 先生はウンコと会話していたぞ!」

 
こうして私は万物はおろかウンコの精霊とも対話することが可能な偉大な霊能力者として認知され、運智精霊協会のセミナーは多大な会員(信者)を擁するにいたったのでございます。
 
・・・かくして始まった私のウンコとも会話可能な霊能力者のキャリアとその奇跡とはこのようなものでございますが、純真な信者をだます苦痛は日増しに大きくなるばかりです。よってここに私の霊能力の成り立ちを告白し、せめてもの贖罪としたいと考えるものであります。

     

                                     ザンゲザンゲ。

 

 

 

 


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2008年03月01日

早春の野を歩く

テーマ:散歩


早春の野

春まだ浅いとは言うものの、二月の終盤ごろからは冬型の天候が弱まったことをはっきりと感じさせる日が周期的に現れるようになった。まさに三寒四温の時期。
 
日中春風を受けて、
町中から公園や野原を経て、並木道が次第に農地へとつながっていくあたりを歩いてみた。

 
地面を見れば頭をもたげ始めた野草の芽が点々と緑のサインをつけ始め、空を見上げれば、冬の間硬質に澄み切っていた空気の透明度がやわらいでぼんやりとかすんできた。さらに木々に目をやれば、膨らみ始めた木の芽が幾千もの小枝をほのかに色づけて、木立ちがかすかにもやったように見えだしている。こうしてあたりすべてに混じり始めた春の色は知らないうちに濃くなっていくのだろう。
 
毎日の変化はわずかでも、あるときふと気がつくとあたりの色が一変していつのまにか春があふれていることを感じることがあるものだが、季節の移ろいとともに自分自身も絶えず変化していることは忘れがちだ。忘れがちというよりは、あえて変化を強いられる自分に目を向けないようにしていることがある。

 
春の訪れは心浮き立つ一方で、いつも漠とした不安と隣りあわせだからだろうか。それは春には常に、進学や進級、就職や引越しなどに伴う別れと出会いという、変化への恐れがついて回るためかもしれない。
 
でも変化を恐れ、臆病が自分自身を単なる傍観者にとどめて、いやなことから全て逃げ出して、何もしないでいたらそのとき人は自由だといえるだろうか。

流されて生きるとしたらそれは世の中の奴隷になりかねない。
世の中は明確な行為を持たない私をまたいいように弄ぶことだろう。

自発的な意思を持たない無為な時は私を運命の奴隷にしかねない。
運命はなり行きに任せの私を無気力と怠惰の泥沼に運んでいくだろう。

人は自分の心の奥底から湧き上がる声を意識してなくてはならない。
心の声は明確な意思として現れ、明確な意思は自発的な行為となって
はじめて現実における力となる。それは君を自由へと運んでいく力だ。

そう、自由とは目先の利得にとらわれない自発的な行為のことなんだよ。


散歩のとりとめもない想念が、意識の中で明確な思考の体を見せ始めてきたところで、畠地の小道が途切れた。見渡すと霞のたなびく野原の向こうにひときわ目立つ花の木が立っているのが見えたのだが、それは未来への変化を恐れない自然たちの明確な意思表示のようだった。

 
春の花

 




 

 

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