2007年09月29日

神様の飛び散ったウンコかす

テーマ:CO2

この星の権力者は常に愚か者を好む。それはすなわち賢い人を嫌うということでもある。権力者とは専制君主や独裁者、一国の運営に影響力を持つ政治家や官僚・金持ちのことだけではない。
会社で、スポーツクラブで、文化サークルで。小さな社会が出来上がればどこにでも人の話を聞くより自分の話を聞かせたい権力志向が現われる。
だから権力はその大小に関わらず、無条件で人の話をよく聞く、自分では何も考えない愚か者が大好きなのだ。


そしてだれしも長いものには巻かれたがるから、権力者の「教え」をありがたく頂いては、自立的に考えない愚か者としての同質性を確認しあうために宗教がある。私たちは教義を何の疑念なく押し頂いて信奉し、自分で何かを考えだしたりしません、というわけだ。


だから本質的に宗教は非知性と蒙昧の証である。と同時に宗教とは宗教団体の中にだけあるわけではなくて、私もお前もみんな一緒の馬鹿だという仲間意識を確認しあう社会のいたるところに存在する。

たとえば会社にしても業後の宴会はいかに同質の馬鹿かをさらけ出したものがかわいがられ利口ぶったやつは疎んじられる。まさにこれが会社の宗教的行動である。会社も宗教も言うことは同じだ。

「言われたとおりに生きろ。お前の考えなんて間違いだ」

だがなにも私は会社も宗教も否定しているわけではない。普通に考えれば宗教や会社を必要とする人にも、しない人にもそれぞれ客観的な基盤というものがあるものだ。だから宗教が必要な人も、不要な人もお互いの社会的基盤を理解しないでお互いを非難し合ったとしても、不毛なだけだ。 

だから互いに他者の基盤を理解することができないというのなら(ほとんどの場合そうだが)その場合、それぞれの信条ではなく、互いに自分の考えを他人に押しつけないことだけがこの世界で共通の崇高な事となる。言いたいのはそういうことだ。

ただ、この星で本当に信奉され、熱烈に求められる神は実は二つだけある。神のひとつはパンツの中にいて、もうひとつは主には財布の中などにいる。他のすべての宗教による神や聖人はこの二つの絶対神のパシリであり、二つの絶対神の目的を助けるために機能する。

 

この星にはそんな多数の宗教が乱立しているが なかでも特にたちの悪いのは一神教というやつで、他のグループの神を認めないため、人々がいがみ合って利潤機会を増やすことを助長し財布の中の絶対神の目的を強力に補佐することになっている。パシリの神々の行為はあるとき産軍複合体として高度化し、絶えず戦争を求めずにはおられない麻薬中毒者のような社会構造を生み出してしまった。

 

パンツの中の神のほうは以前に比べればだいぶ安っぽく手軽に入手できるようになったが、それでも狂おしくこれを求めずにはおられない人間の人生を激しく浪費させることに変わりはない。

これからこのブログ書くのは、主にそんな財布の中とパンツの中の神に振り回されて無駄の固まりを生きる人生の諸相についてとなることをお断りしておきたい。

  

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2007年09月27日

茜色に染まる夕暮れの町で

テーマ:CO2

 

今日は私の行動と遭遇した出来事について書くことだけはやめておこうと思う。
これは決定である。決定した以上ここで「終わり」としてしまってもよいのだが、
それでは文だけで出来上がるコミュニケーションが成り立たないから、
出来事の中身を書かず輪郭だけを書いてなぜ私が書けないのかをほのめかすに
とどめることにしよう。

  

  

昨日の16:10ごろ、私は都内に多数ある外資系の喫茶店でラテを
飲みながら本を読んでいた。ラテとはコーヒー牛乳のことである。

 
もちろん平日の業務時間中のことだから、これはサボタージュに該当する恐れも
あるかもしれない。だが、この日出かけた業者による商品紹介を兼ねたセミナーが
まったくのクズで、私は早々に切り上げて空いた時間を18:00からの
業界会合に備えて待機していたのだ。
会社より、仕事よりも大事な業界の会合というものも世の中にはあるものだ。

 

やがて店内には次第に濃くなる茜色の光が斜めに差し込むようになり
私は読んでいた本からふと顔を上げると、
全面ガラス張りの壁を隔てた外の騒ぎが目に飛び込んできた。
なんと下半身まるだし男が交差点の向こうから駆けてくるのである。

男はちょうど喫茶店の前で警察官に取り押さえられ

喫茶店のすぐ隣の交番に連れ込まれてしまったのだった。
  
私がそれからたっぷり1時間ほど時間をつぶして出て行ったときには騒ぎの
痕跡はすっかり失せていたが、近所の物見高い野次馬によって、しっかりと
情報は整理されていた。野次馬の情報収集力はあなどれない。

 
近所の店で聞いた夕暮れのフルチン男の真相はこうだ。

 

フルチン男は近くのスーパー銭湯に行っていたのだが、

直前に脱衣所で他の客とトラブルを起こしていた。

社会的なはぐれ者や愚か者にありがちなことだが、
肩がぶつかったのどうのというつまらないことだろう。

 
それでもトラブルを根に持った男は恐ろしい復讐を企てたのだった。
それは脱衣所の扇風機の前で屁をこくというもので、屁は扇風機に拡散されて
相手にも臭気を含んだガスを吸わせることになる、はずだった。

 

男は扇風機に尻を向け勇んで腹に力をこめたのだが、怒りがあまりに強かったために
力の加減を誤った。

 
このため飛び出したのは気体ではなく固体というか、液状化した部分も多かったらしい。
噴出した茶色のやつは勢いよく扇風機の羽にぶつかって次々に方向を変え、
脱衣室のありとあらゆるところに飛散した。床にも壁にも天井にもトラブル相手を含む
その場に居合わせた人間の胸にも顔にも・・・

 

茶色の散弾を浴びて呆然とする人間たちが何が起きたのか把握するより早く、
犯人の男は次に確実に見舞われる困難を避けるため脱兎のごとくその場を飛び出して、
目的地も何もなにも、ただただできる限り現場から遠いところに移動しようと、
街中を駆けてきたというわけなのだった。

だから男は決してワイセツ物陳列を目的にこのような行為に及んだのではないと
力説したらしい。あの場にいたら、相手のやくざ者にどんな危害を
加えられたかわからないから、これは緊急避難だったのだ、と。

この結果男はどうなったかって?

このときはまだわたしは勤務時間中であり、町中の野次馬のヨタ話に

付き合っていたはずがないではないか。 
・・・昨日の出来事は書かないという冒頭の「決定」に沿って私はここで筆を止めることにする。


 

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2007年09月25日

きれいな水・おいしい水

テーマ:ホラ

訪ねたオフィスの待合に、いつからかミネラルウォーターサーバーが置かれていた。
大きなボトルが逆さに据え付けられ、いつでも冷えた水またはお湯を飲むことができる。


ウォータサーバー

待合はほぼ満席で、並んで座っていたA君が言った。
「あれ、あのウォーターサーバーっていいよねー。
家庭用も出ているから、うちにも置いておこうかと思うんだ」

「そんなにいいかねー」

するとまた目の前で、誰かが水を紙コップに注いでいた。
水を出すたびにボコボコと空気が入っていく。

そこでわたしは聞いてみた・・・。

「滅菌用の塩素も入っていない動きもしない水が蓋を開けて
何日もあるわけだろう。水を出すたびにこの部屋の空気が
あのボトルに入っていくわけだ。

それはどんなものだろう。
取り込まれる空気には空気中の『あれやこれや』も一緒だ。


あれやこれやとは、
私の息・君の息、誰かのくしゃみと一緒に散らばったつばの飛沫、
あそこにいる加齢臭の漂うオヤジから立ちのぼる汗、
脂じみた足の臭いをはらんだ空気、
そこにほれ、いま通りかかった年寄りがをこいた・・・。

そんな『あれやこれや』が、ボコボコとボトルの中の水をくぐり、
水中に溶け込んでは熟成されたやつを君が飲む。

うまい、ミネラルウォーターは、うまい・・・。」

するとすぐ隣に座っていた女性が立ち上がり何か言いたげに
こちらを向いたのだが、直後に突然顔を背けて嘔吐し始めたのだった。
やはり、と言うか案の定、手にはかのミネラルウォータサーバに備え付けの紙コップが握られていた。
 
待合は騒然とし、周りの人間に介抱される女性を見送りつつ私は言った。
「見ろ、意外に早く危ないミネラルウォーターの影響が出たな」
「・・いやあ、あれはお前の話のせいじゃないかな」
「何を言う、それは彼女がミネラルウォーターを飲んでいたからこそだろう。
あの水さえ飲まなければ、あんな目にはあわなかったものを」
 

それでも何もわたしはミネラルウォーターサーバを否定しているわけではない。

こういうとA君は嫌な顔をしていたが、

清潔さに神経質で潔癖性の人間の鍛錬には、きっとアレはいいものだと評価している

くらいであるのだ。

  

   

 

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2007年09月24日

休暇の終わりにコーヒーを

テーマ:ブログ

 

三連休も終わってしまう。。。

酒でも飲んで正気(?)を保とうとも思ったのだが、昼酒はだるさをもたらす

負の効用も大きいので、 なんとなくコーヒーをいれてみた。

 

我が家でコーヒーを入れる手段は直火式のエスプレッソメーカーなのだが、

これは大きくて立派なコーヒーメーカーが壊れてしまった時に買ったものだ。

むやみに大きくて場所をとるうえに掃除も面倒なコーヒーメーカーを厄介払いし、

今度は場所もとらないコンパクトなモノにしようと、このコーヒーを淹れる

ヤカンのようなモノを買ったというわけだ。


エスプレッソメーカー

だから、コーヒーはなんでもこれで淹れる。我が家で出てくるコーヒーはすべて

エスプレッソスタイルとなる。

エスプレッソは濃くてからだに悪そうと思う人もいるようだが、どうやらそれは勘違いで、

雑味もなくすっきりした味わいのエスプレッソは高圧の水蒸気で短時間抽出するうえ、

豆も深煎りでカフェインが少ない。

 

また、エスプレッソはデミダスカップというおままごとのような小さなコップに飲むから

飲んだ気がしない、という人もいるが、

これは好み次第で、なんのカップに飲んだってかまわない。実際うちでは3人ぶんくらいを

普通のコーヒーカップで飲んでいる。

そもそも、デミタスカップとエスプレッソは最初からセットだったというわけではないのだ。

デミダスカップができたのは19世紀の初め、ナポレオンの大陸封鎖によりイギリス経由の

貿易物資がヨーロッパに流入しなくなって、コーヒー豆の供給もまた逼迫したため、

コーヒー屋苦肉の策としてコーヒー豆節約カップとして登場したものである。

一方のエスプレッソが生まれて一般に広がり始めたのは20世紀の初めのこと。

デミダスカップとエスプレッソコーヒーは100年も生まれが違う。

こう書くとコーヒーにうるさいようだが、

実は日常的にコーヒーも飲むようになったのは比較的最近のことだ。

元来が、頑固な紅茶党だったわたしがコーヒーを飲むようになったのは連れの影響が大きい。

 

それもごく若い間は自分のスタイルにこだわり、

コーヒーは飲まず紅茶を飲む事にこだわっていたのだが、年月を経るにつれ、

日々の生活への関心がより大切になって、こだわりなどどうでもいいことになり、

今ではたまにコーヒーを飲んでみるようになった。

・・・よくローストされた堅い豆粒の感覚、

ミルで粉砕されてパウダーの柔らかな茶色いやつ。。

吹き出す蒸気の音とともに広がる香りには

鎮静効果があるのだろうか。

とはいえ今もって、紅茶党の旗印をおろしたわけではないし、

コーヒーのうまさが何か分かっているとは言い難いのだが、

少々の手間と儀式めいた手順を踏んで注がれるコーヒーには

ちょっと時間の流れを転換する何かがあるようだ。

どうやらそれだけは認めないわけにはいかないようだ。

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2007年09月23日

愚か者の石

テーマ:ホラ

F嬢の日常は幸運に満ちている。 とF嬢は言う。
なるほど、かつてたまたま占いで見た黄色い財布を持ったところ宝くじの高額当選を果たして、若くして会社を辞めた。その結果今は宝くじの当選予想をやってこれを買いまわる「宝くじ生活者」でジリ貧にあえいでいる。傍からみればこれは転落だが、本人は認めない。
先月は別れ話の場に「幸運のナイフ」を買って出かけたところ、相手にナイフで刺されて怪我をしたが、これも凶器が「幸運のナイフ」だったために致命傷に至らず重症で済んだのだから幸運なのだと本人はいう。

また、F嬢の日常は忙しい。。
朝一番に見たクモの巣は丸めてへその窪みに入れないといつか死ぬ。カラスにつむじを見られると橋から落ちる。
西に黄色い四角の植木鉢を置いて西枕で寝ると儲かる。耳に小豆を入れて足の裏をたたくと腹を下さない。二十一日の月の晩に他人の墓石を削って飲むと賢くなる。その他いろいろ・・・・・・・・

 
卦軸、風水、星占い、幸運の壷、石ころ、マイナスイオン、F嬢はありとあらゆるものを信奉しており、行動の決定の第一のよりどころなのである。一旦あやふやな偶然で幸運がもたらされて、それが運勢だというのなら、その運勢があやふやな偶然をもってそれを取り返してしまうこともあるだろう。でもあやふやな偶然に動揺してしまうと、
一生あやふやなめぐり合わせや偶然に突き動かされては右往左往していなければならない

 

吉日を選んで悪事を働けば凶日となるし、凶日に善行を行えば吉日となる。吉凶を決めるのは人の行いであって、日や占いではない。誰しも人智と力を尽くして最後の結果は神仏に委ねることはあっても、日々大切なのは「自分で決める」ということなのは今も昔も変わらない単純な真実である。

 

確かに自分で決めるのは難しいし、決断にはエネルギーが必要だし、自分で決めたとあれば結果に対する責任は自分で引き受けねばならない。これは自分自身がしっかりしていないと困難が伴う。それでもあやふやな他者に自分を委ねず、自分のことを決められる自分でいることこそ、自分の人生をいきることだろうが、F嬢は今日も石ころを拝んで、幸運を願って宝くじを買いに行く。

 

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2007年09月20日

表現者たちの秋

テーマ:インナー・ランド

芸術について、先ごろ亡くなったアメリカの作家カート・ヴォネガットが
「芸術に関わることは魂を豊かにしてくれる」
と言うようなことを言っていたが、とてもいい話だ。

 

プロの芸術作品だけのことを言っているのではない。
芸術に関わるということは誰もが行う表現しようとすること。
自転車をこぎながら鼻歌を歌う、友達に散文詩をメールする、
広告紙の裏に絵を描く、寝室で踊る・・・。

 

芸術に関わることは日常の苦をほんの少し昇華してくれて、
世界に別の見方を与えてくれる。
それはとりもなおさず、心を豊かにすることであり、
心が豊かになることは人生が奥深く豊かなものになることだ。

大切なのは下手でもいいからただできるだけいいものにしようと努めること。
後ろ向きの野暮な皮肉で台無しにしないようにすること。
 
ところが、宗教を否定した20世紀を代表する覚者ジッドゥ・クリシュナムルティはことさら芸術など不要だというようなことを述べていた。
だがこれは、私たちが欲求や社会義務・宗教的しきたりに追い立てられ、目の前・すぐ隣にあるがままの美しさに気づかないことを指摘したものである。

 

芸術は一面で、ある種の人間の経済的欲求や自己顕示欲を満たすための手段であるかもしれないが、それは本当に一部の人間だけのことだ。投機の対象になった芸術や、群集的興奮だの流行に煽られた芸術は、バスルームの鼻歌やノートの切れ端の詩、小鳥のさえずりがもたらしてくれるような私たちにとっての芸術の効用をすでに失っている。

 

美術館に収蔵されていたり売り物になった芸術品だけが、高尚なのではない。 芸術は私たちのそばにあって、息苦しい世界の外にはまた別の世界が広がっていることを教えてくれる覗き穴を壁にあけるようなものだ。

 

  

下手くそな詩を書いて、好きな歌をがなって、早起きして朝日を眺めて、みっともないダンスを踊って、灰色の壁の穴に気がついたとき、穴の向こうから誰かが手を伸ばしているかもしれない。

 
それは大切な誰かさんかもしれない。

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