2007年04月07日

仙人の庭

テーマ:インナー・ランド

知り合いにFさんという老人がいるのだが、だいぶ前に連れ合いに先立たれ、都内に150坪の地所に建つ屋敷に一人で暮らしている。

都内で150坪は破格の広さといわねばならないが、Fさんの後はきっと5~6個には分割されて都内風の庭無し一戸建ての建売住宅として分譲されることになるのだろう。

それがいつのことかはまだ分からないが、今はまだFさんの自慢の(?)庭が広がっている。


何年か前にFさんは年齢とともに手間のかかる盆栽に見切りをつけ、今では植木のほとんどは地植えに移行した。

その移行期に私にも盆栽をいくつかくれたのだが、盆栽はただの鉢植えとは違う。手間もかかれば知識も技術も必要だから、普段から多忙で無精なうえにもともと庭木と鉢植えで精一杯だった私の手には追えず、もらった盆栽は二年くらいのうちにすべて消滅したか見る影もなく姿を変えてしまったのだった。


 「あーcaptain-jack君、君にやったあの、ほれ、○○の松と××の柏はどうしたかね」
 「はい、すべて朽ちてしまって、裏庭できのこが生えております」
 「ほー、私もずっと菌類の栽培にも手を出そうと思ったが、ついぞ手がまわらなんだ。
 珍しいのが生えたら今度見せておくれ」


こういう人であるから、親子以上の年齢差にもかかわらず気楽に付き合いができるのがFさんである。

 

大谷石の塀に囲まれたFさんのお宅は、家も庭も完全に純和風がベースで、以前はちょうど料亭や旅館の庭みたいであったが、盆栽卒業以来少々趣が変わってきた。ソテツの間にサボテンを植え、立ち並ぶブルーベリーやオリーブに小鳥が群がる様はでたらめな和洋折衷というよりは殿様の南蛮趣味のようなおおらかさがある。


  「老い先短い自分の庭だもの、誰かのお手本だの型だのを追いかけて きゅうきゅうとする時期はもう卒業したのさ」

 

庭園の型だの配置だのに頓着せず、のびのびと枝を伸ばす木々を眺めるFさんの表情には天真さと稚気が宿る。

庭造りはかくありたいものだ。


もちろん思うがままに作りたいのは庭だけではなく自分の人生においても、また同じだ。
  

  

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2007年04月04日

ヨガ教室へのお誘い

テーマ:ホラ


とうに流行のピークは過ぎてはいたが、ヨガを扱う会社の近所のジムが閉店していた。
個性的な店で繁盛していてもうすこし長続きするのかと思っていたけれど、
他のはやりもの同様ヨガもまた急速にもてはやされ、
そしてまたそれ以上のスピードで人々に飽きられてしまったのは、
いつもとおなじだったようだ。
  
その店が、他のヨガジムと異なっていたのは個人別スペースを提供していた点だ。
つまり「個室ヨガ」である。一畳半ほどのスペースにマットがあり壁に埋め込まれたテレビから
好みの指導ビデオが流れ、利用者は思い思いのポーズとメニューでヨガを行うことができた。
集団でへんちくりんなポーズを人前にさらすのを嫌う人は多いから、
このシステムは評判が良かったようだ。


さらにこの店では、部屋によってはスチームサウナを併用し、より効果の高い
ヨガのエクササイズが可能になる趣向もあった。「密閉個室ヨガ」である。
専門家によればスチームなどあってもヨガの効果は変わらないとのことだが、
じめじめした中でぬるぬるとヨガをヤル行為は「苦行」と「汗」の好きな人たちには
とてもありがたがられたようだ。


でも個室なものだから、ヘタレたポーズをとっても
暑いからといってみんな脱いでも平気であるのは大きなメリットだった。
実際裸になる人は多かったらしい。
つまり「密閉個室全裸ヨガ」である。


しかしながら集団はいやだといいつつも独りでは頑張りがきかないから、
ペアでより効果の高いエクササイズを行いたいという利用者ニーズもあって、
インターネット喫茶などと同様にカップル用の部屋も設けられていたのだが、
これはすなわち「密閉個室全裸同伴ヨガ」である。

さらにはペアでエクササイズしたくても相手の調達ができない場合だってあるわけだから
エクササイズパートナーの派遣も行うことになって、ここに至りジムは
「密閉個室全裸デリバリー同伴ヨガ」となって、店は大繁盛していた。


が、先日店は閉店・廃業してしまった。 


閉店当日は警察が来ていたという噂もあったが私は詳しいことは知らない。
 
日本人の健康法ブームネタの回転の速さについていくのは大変なことだから、
きっと四千年の歴史を誇るヨガもまたこの流れには逆らえなかったのだろう。
個性的な店だったのに閉店は残念なことだ。。。

  

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2007年04月01日

古代の闇夜と平成の桜

テーマ:インナー・ランド

家の近くに古いお寺があり、その参道には桜の並木が続いている。 この由緒ある古刹ではいつも参道や境内に参拝や散歩に行き交う人がたえないが、桜が咲けば一層賑やかさを増すことになる。




日を浴びて青空に映える桜のすばらしさには何も言うことがないけれど、私が好きなのは夜の眺めでもある。 賑やかな人通りも絶えて灯りもなく、風景もまた闇に色を失った広大な寺所は中空の粒塵の放つ微光によってぼんやりと照らされ、墨絵のように浮かび上がる。




そんな闇の中、色もなくかすかに光を帯びた桜は暗黒に漂う雲海のようで、その向こうに巨大な僧舎の屋根が浮かんでいるのを眺めるときには時間も季節も忘れてしまう。



この寺舎が建立されたのは鎌倉の昔のことだが、現代において日中は参拝客が絶えず土産店も立ち並ぶ観光寺であっても、人工の明かりもない夜には時代も時間もない古くからの姿を取り戻すのである。




無音・無明の夜の境内にあるとき、私たちは古く鎌倉の求僧と同じ空気を呼吸している。




 


こんな時空を超えた感慨に浸るときとき、私は唐代、王昌齢の詩「従軍行」を思い出すことがある。



秦時の名月  漢時の関

万里長征して 人未だ還らず

・・・


秦時の明月漢時の関(しんじのめいげつかんじのかん)とはなんと人を圧倒する表現であることか。




(月光は秦代とかわらず、漢の時代に築かれた砦を明るく照らしている


というような意味)

たったこれだけの文字で、壮大な時間の流れをひとつかみに言い表して膨大な歴史の感慨を人に含ませる。こういう表現は和歌や俳句には求めがたいのではないだろうか。

昔この詩に出会ったときはまさに私は一撃KOを食らったものである。


中国という文明の巨大さと、漢字という重厚な多層性をもった文字によって編み出される漢詩の表現にはただ恐れ入るばかりだ。



それはともかく、私は漢字文化の傍流に触れることができる幸運をかみしめるとともに、目先の出来事・情報に膠着して右往左往しているときにも、この従軍行にあるような社会的な時間支配や近視的な価値観を抜け出した視点を


決して忘れたくないものだと常々思う。


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