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2007年02月26日

ダイエットの前に

テーマ:物欲の果て

そうえいえば成人病検診で『脂肪肝の恐れ』というのを宣告されて以来全くやせていないのを思い出した。
 
腹は六つに割れているし、体脂肪は12パーから14パーの間だし、気合いが入らないためだろうか。外側がやせていないからなお危ないと言う説もあって、痩せようとしたのは確かだが、私は食欲が暴走して止まらないわけでもなく、なんで健全な食欲と健全な食生活とを抑える必要があるのか納得していないためかも知れない。

 

うまいモンをうまいと言って食って何が悪い。
それでも私はかわいそうなバナナ共和国(一次産品の輸出が主要産業の国のこと)からアンフェアな貿易で貴重な作物を二束三文で買ってきては食わずに残飯にするような事は決してしないのである。

 

人間が飢えて死ぬのに、ウシは霜降りになって肥え太っては手の込んだ料理もしくは粗雑なゲロマックハンバーガーにされた挙げ句に「あ、私ダイエットしてるから」とゴミ箱のエサにされる不思議な世界。

  

誰しも人生の営みの大きな部分を占める「食べる」という行為は個人的な楽しみとしてのみとらえられがちだが、
現代のこの世界においては食べることで社会的な矛盾に対峙する時間でもあるようだ。


 いかん、何で私が食うのを控えないかということだった。そっちの話はまた別途取り上げるつもりである。


単に食わなければやせるだろうが、食うことに真面目に向き合わない人間は、心がやせるのを自覚することが

できないのだろう。だから私は残さず食わずにはおられないのかな、だから私の脂肪肝は解消されないのは仕方がないのだな。(オイオイ)


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2007年02月23日

春の夢

テーマ:二月堂便り

自宅の木製の私の机は天板を厚いガラスで覆っている。だから窓に面して置かれた机には四季折々の、また晴雨朝夕の様々な外気の表情が映り込む。

 

でも私は机に向かって読書することはまれなうえ、PCも家庭内モバイルよろしく扱う場所はその日その気分によって様々なので、この机は、資料の閲覧やぼんやりと外を眺めるための場所というのが主な用途となっている。
  
もっとも窓の外の景色といっても、目の前には庭先の樹、隣家の屋根、そのずっと向こうにはどうと言うこともない木立と空が見渡せるだけなので、ほとんど私は「虚空」を眺めるというか、虚空に目を漂わせて意識を無為に遊ばせているのである。

 

 

今日も雨空の映り込む机に向かって資料を見ていると机の上を小さな影が横切った。ふと目を上げると、窓の外を羽虫が飛んでいて、ねずみ色一色の空を背景に窓ガラスの前を行きつ戻りつしているのだった。

 

今年は暖かい、二十四節季も雨水を過ぎたとはいっても、今日の雨は春の雨ではない、氷雨に近い。天気予報が明日からの寒の戻りを告げていたが、暖冬と気温上昇後の冷え込みは、早すぎた高めの気温に蠢動して出てきた虫や植物の芽を困惑させるに足る。 飛ぶのが早すぎた虫は、寒風に落下してしてしまうだろうし、芽吹いた木の芽は再びの寒さにさらされて傷み、場合によっては枯れこんでしまうことだろう。彼らにとってはつかの間の春の夢。

 

シューベルトの歌曲「冬の旅」の第十一番目は有名な「春の夢」だが、冬のさなか失意の旅路にあって、花咲き緑溢れる五月の幻影をみては再び凍える冬の現実に引き戻される、そのミュラーの詩の内容を虫も植物も幻影ならぬ現実として表すことになるのだろう。
 

 

いかに深みのない暖冬であったとしてもまた私がいかに感動の薄い人間であったとしても、今年も春を望む気持ちには変わりはなく、土中で、また樹木の内で冬を越したエネルギーが春一斉に外へあふれ出す賑やかさは本当に待ち遠しいものだ。

  

 下萌えて土中に楽(がく)のおこりたる  星野立子

  

  

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2007年02月22日

女の腹から生まれしすべての者に告ぐ

テーマ:ホラ

かつて女の腹から生まれしすべての者よ
私の話をよく聴くがいい
 
欲を追いかけいがみ合い
分け合うことを忘れ奪い合ったつけが
今払わされようとしている

竜巻台風豪雨・・、
繰り返す異常気象は世の断末魔の身悶えだ
この冬の暖かさは破滅をいざなう悪魔の吐息なのだ

女の腹から生まれたすべての者よ
汝らはみな遠からず
苦痛のうちににむごく悶えて死ぬだろう

だがもしも、悔い改めて救いを求め
私にすがるものがあるならば
私は今こそ一筋の道を示そう

『神聖護符』を手にしたものは
魂に救いがもたらせるであろう
・・・1枚3万円から扱っておる

『清浄化の秘儀』を受け入れたならば
死後天国の階段を見つけることができよう
・・・ご祈祷一回30万円である

『聖なる壷』を手にしたものは
終末までを安らかに過ごした上に天国へいざなわれるであろう
・・・一つ300万円である

さらに、我が救済寺院に身を投じ、全財産を寄進したならば
核にも耐える最新テクノロジー満載の箱舟の乗船切符を得て
この世の終わりをも乗り越えて
約束の地に達することができよう

さあ、何を考えることがあろうか、ただ信じるのだ。
・・・今だけ先着1000名限定である。

急げ!考えるな。


女の腹から生まれしすべての者よ
ともに素敵な終末を迎えよう。

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2007年02月18日

云ふまいと 思へど今年の 温暖化

テーマ:散歩
ミモザ

ミモザが咲いた。
例年3月に満開となるはずだが、今年はすでにもうこんなに咲いている。
実のところちょっと大きくなってもてあまし気味だが、春のこの黄色い花と優しげな葉を見ると、まあ仕方ないかと甘やかして放置栽培してしまうようだ。得なヤツだ。

でもこのミモザ、日本では銀葉アカシアとか房アカシアと言うが、幼苗のころは寒さに弱く、大きくなっても雪など降るとたちまち枝が折れてしまうので、このあたりではどうにかこうにか毎年なんとかもっているというところである。近所にも大木に育った家もあるが、よほど条件がいいのか、手間を掛けているのか、放任栽培主義のうちでは、毎年花を咲かせてくれるのは本当はありがたき不思議なのかもしれぬ。

それでも咲いたのはミモザだけではない、近所を歩くとクリスマスローズがすでに咲きそろっているところもあれば、ジンチョウゲが甘い香りを漂わせているところもあって、もう春が動き始めていることは疑いようがない。

でも花だけが咲いても受粉に関わる虫や小動物の生き物が足並みそろえて春の体勢に入っているとも思えず、この先、植物によっては実がつかないとか、生育が悪くなったりしていずれこの先生態バランスの変化が顕在化してくることになるのではないだろうか。自然にかかわらず社会の動きにしてもいつだって、変化の渦中にあるときはその先の結果は見えないものだ。そんな不安定さをはらんだ、不安な早い春の訪れである。

*****
温暖化の進行もそうだが、単純な延長線上には困惑した事態があることが分かっているのに誰も行動を変えないとしたら、それは未来に対する責任の放棄である。行動を変えられないのはみんな経済成長と金の獲得ということが最大にして唯一の幸福の獲得手段だからと考えているためであろうか。そんな単一価値観の中では、自分だけが行動を変えたら自分だけが損をすると言うことになってしまうのだから、誰も根本的に行動を変えることはできないのかも知れない。

たとえば、本当にたとえばだが、車のない生活スタイルを実践してみるとかやろうと思えばできることは多いはずなのだが、自分だけは大丈夫だろうと皆思っているのか、具体的な実践に至る人は多くない。
「ネバー・エンディング・ストーリー」や「モモ」の著者としても名高いミヒャエル・エンデも生前精力的に様々な現状改革と未来像を提案する活動をしていたことは有名だが、若い頃は貨幣経済を何とかすれば世の中は変わると考えていたのに、晩年は結局人間は破局に至らなければ何も変わらないと、弱音を吐いている。確かに事態は困難で手の施しようもないように見える。

ニュースの解説者は、大変だ大変だと言うだけで、頭は全く働いていない。

でもこのままではマズイと思う人は増えているのだから、あとはたったこれだけとは思わず、なにかまず行動することだけだ。何かを変えたいと思うのなら、まず自分が行動を変えねばならないのは何事も同じである。

現代のラジカルな論客、ノーム・チョムスキーは、こう言う。
「あなたが、何か問題だと思うのなら、その問題を扱う団体にボランティアで参加しなさい。どんなに微力だと思っても皆が声を上げ行動すれば、必ず世の中は変わる、変えられる」

たしかにそう信じたい。私も零細環境保護団体のボランティアをやっている。
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2007年02月17日

エイリアン vs 自称堅気の勤め人 第1R

テーマ:ホラ


なんだまたかと思われるだろうが、
勤めの暗い精神作用を少しでも癒すために内輪の週末夕食会として、
私たちはいつもの麻布の飯屋(レストラン)に行ったのだけれど、
今回はいつもとはほんの少し様相が違っていた。
 
ひとつは、最近暴力団幹部狙撃事件のあったところとそう遠くないために
ちょっと緊張を伴ったということ。
これは以前地下鉄サリン事件のあった日の晩、会社から帰るため電車に乗るのに
絶叫マシンに乗る前どころでない妙な緊張感を覚えたが、
久々にその感覚を思い出したものである。

そしてもう一つの違いは、この日現れたのが見知った人間だけではなく、
同僚の女性が連れてきたその大学の後輩で取引先会社にいるという
もうひとりのうら若い女性も一緒だったことである。
 
まるで若年層向けのファッション雑誌から抜け出したようなそのお姉さんを前にして、
およそ蛇蝎のごとく世の中の軽薄な流行りものを嫌うこと根深いA君が
少々当惑を感じていることがうかがえたが、それでも四人のささやかな食事会には
多少華やいだ雰囲気が漂ったといえないこともないような気もした。
 
ところがこの女、やはりA君にとってはほとんどポコペン星のエイリアン、ゲバ子だったのだ。
 
簡単な自己紹介のあと、
「金曜なのにゲバ子さんは、こんな席に来るより、
彼氏とでも出かけたほうが良かったんじゃないの?」と典型的なオジサントークを
かましたところ、ゲバ子さんからはこんな答が返ってきた。
 
「それが、彼氏とはケンカ中なんです。カレったら、一緒に本を買ったとき、
あ、そこはブックカバーの色を選べる本屋だったんですけど、
私がブックカバーは水色がすきなのに、カレは緑色が落ち着いていいって言うんで
大げんかになっちゃったんですよー。」

 

「え?ははは、そんだけ?」

 

「付き合ってる彼氏には私と同じようにいいものはいいって言ってもらいたいし、
同じように感動したりしてほしいじゃありませんか」

 

たちまちA君の毛が逆立ち始めた。
「彼氏ったって、感じ方は人それぞれなんじゃないの?」

「彼氏だからこそ私の感じ方やセンスを尊重するっていうか、
普通、趣味に違うこと言うなんてありえないですよね?」

(たかがブックカバー色の好みの違いは人格否定になるんだろうか?
「私と同じでない者は存在を許さない」ってこと?
実はゲバ子さんはファシストだったのですね!)

それでもなんとか和気あいあい、食事と会話を進めるうち突然ゲバ子さんが言った。
「Aさん、言葉遣い”びみょう”ですよね。」

若くない読者のために一言付け加えると、こうした場合の「微妙」とは
相手を非難・排撃する言葉になる。
要するにパー子はA君に「そんな言葉遣いすんじゃない!ウゼエんだよ」
言っているのだ。

「こういうところではお水のことチェイサーって言いません?
普通みんなみんなそう言いますよ~」

「・・・」
A君、思わず振り返ってウエイトレスにコップを振りながら
「おう、ねいちゃん、水くれや、みず二つ~」と怒鳴りたくなったと、
後に術解していたが、
そこはウエイトレスが「はい、水 リャンガー!」と答えてくれるような店でもないので
これはやめて、A君はちょっとだけ反論を試みた。
 
「チェイサーってのはそもそもは強い酒飲んだ直後に食道や胃を守るために
追っかけて飲む水のことだろうから、強い酒を飲んでいない私の場合は
そんな言い方をする必要はない」

「えっとーじゃあ、お冷やくださいっていうのは?」

「お冷やというのは江戸時代の女房言葉だから、れっきとした成人男子の
使うような言葉でないんだよ。男がお冷やくださいなんていうのは
オカマくらいなもんだよ」
--A君もちょっとムキになってしまったかもしれない。

「へへーなんだかおもしろいにょろ~。
Aさんって、なんだか異星人みたいですね。」

  

「・・・・・!!」

 

ゲバ子さんが席をはずしたときにA君が言った。

 

「いつの間にか私はパラレルワールドの亜空間に迷い込んでしまったみたいだ。
だれか私を地球に連れて帰ってください。」


・・・この後の第2ラウンドのことは、

長くなったので、気が向いたらいずれ書くとしよう。。。。

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2007年02月12日

今日からボクもハナタレ君

テーマ:散歩
妙に早く春めいてきたと思ったら、妙に早く花粉症が発症した、本格的に。 今年は花粉の飛散が少ないというので油断した。 目がかゆい、体がだるい、何より予告無く洟がタレる。。。

・・・春なのだ。

梅の花

庭でメジロを見ることが少なくなったかと思ったら、近くの梅林でほころんだ花が甘い香りをたっぷり漂わせていた。 メジロも蜜を吸いに梅林に通いだしたというわけなのだろう。春の眺めは心浮き立つものの雪も降らず、歴史的な暖冬のまま春を迎える事には不安も伴う。何年か後に振り返るとこの年が転換点だったともう手遅れだったのだと悔やむことがないように願わずにはおられない。

環境問題を取り上げられる機会が増えている今金と物を追いかけて世の中のクズ情報に流される、欲にかまけた生活を見直す事を何人の人が始めるだろうか。

いずれにせよ春は様々な新しい展開が始まる時期ではある。 なんとなく心機一転、新しい希望に向けた一歩を踏み出してみようかなという気分になるのは、単純に子供の頃からの進学進級の習慣かのためかも知れないが、見上げる空のすがすがしさがこの気分をさらに励ましてくれるようだ。


梅林


無理矢理こじつけてのようだが、何かを変えたいと変化を願う気持ちがあるのなら、まず自分が変わらねばならないのだからねえ。。。

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2007年02月10日

captain-jackの優雅で退屈な日常

テーマ:インナー・ランド
さて、今日は何を書こうか、と思ったところで、事件は何もなくたいていは家とつらい職場の往復ばかりを耐える毎日にたいした変化もないというか日々腹立たしいことばかりなのですが、ここは腹立たしいことや愚痴を書く場ではありません。 書くテーマが決まらないのはいつものことですが、ま、今日はだらだらと書いてみましょう。
 
連日退屈な(仕事も家事も忙しいが、精神的にしまりがないということ)私ではありますが、実は先日少々事件がありました。その事件とは、ありていに言ってしまえば眼病事件なのですが、目がゴロゴロするので目医者に行ったところ、医者の見立ては「結膜結石」だといいます。

 「え? 尻(ケツ)まくり欠席?」

 「ケツマクケッセキです!」

早い話がまぶたの内側に微細な脂肪瘤ができて眼球に障るのだとのこと。  

「取り除いておきましょう」

医者がそういうが早いか、私の頭は拷問機のような鋳物のタガに固定されてしまって虫ピンのような針を持った医者が私の顔に迫ってくるではありませんか。医者はワケもわからず文字通り目を白黒させる私を「ちゃんと上向いて!」と一喝するとたちまちまぶたをひっくり返して針でグサ!グサ!とまぶたの裏を突っつきまわしたのでありました。

目の玉の前を針の先端が行き来しては繰り返し迫ってくる様はまるでホラー映画に出演して化け物にいたぶられるような気分であったのですが、「目を針で刺し貫かれる」という野蛮な治療が我が身に行われることは予想もしておりませんでしたので、私は声も出せず、ショックで寝込んでしまったのでありました。
・・というのはウソですが、しばらく目の前の針の先端が頭から離れず、先端恐怖症になってしまいそうな気がしたものです。
 
つまり、しばらくは鉛筆をみても、編み棒の先を見ても、東京タワーを見上げても、尻のあたりがそわそわして背筋がムズムズし、脂汗がにじんで思わず目を押さえて顔を背けたくなってしまったのであります。   
こんな平衡を失った精神を癒すためにはどうしたらいいのでしょう?

皆さんはどうしていますか?といっても目を針でグサリとやられるなんてそんな体験をされる方はそんなにいないでしょうけどね。 世の中の平均的な人はどうだか知りませんが、こんなとき私の場合は考えるまでもなく、とにかく「食べることと寝ること」で我が身を癒せばいいのではあるまいか、という結論に至るのが常であります。  

というわけで、さっそくB女を伴い普通行かないところへ飯を食いに行ったワケなのですが、B女と一緒なのはこんな時、私がべたな居酒屋やフツーの店では機嫌が悪くなるのをよく知っている人間だからであります。

こうした精神のバランスの崩れかけたときのこのあたりの店の選択の加減と言うのはちょっと難しくて、気合いの入った店は駄目、おしゃれな店も駄目、よく知っている店も駄目、もちろん気の利かない芸のない店などは当然駄目、という具合なのですから自分で言うのもナンですが、大変微妙で慎重な選択が要求されるわけです。
 
そこで、今回行ったのは永井荷風が晩年足しげく昼飯に通っていて、亡くなる前日にもカツ丼を食っていったという、永井荷風ファンにはよく知られた料理屋となった次第です。
これはまた私の微妙な要求に沿った微妙な選択と言わざるを得ません。

もちろんかの店、大黒屋というどうと言うことのないただの定食屋というか料理屋なのですが、私もその存在は知っていて、ファンなら当然みんな行ったことがあるべきその店は荷風の作品をよく知る私にも気になる店です。 さらに荷風先生がよく食っていたカツ丼と日本酒のお燗とお新香、味噌汁をセットにした「荷風セット」なる定食があることまでは知っているけど私は行ったことがない、となるとこれは精神のバランスの改善のためにはまさに絶好の選択と言うことになるわけです。
ただの料理屋だけれどちょっとだけいわくつきの店で、私の俗っぽい陳腐な興味をそそるという絶妙の選択です。
 
そこで電車に乗ってわざわざ足を伸ばしやってきた大黒屋、荷風セット1230円はカツ丼と酒、お新香は量がたっぷりありましたが、確かにどうということもない定食ではあります。  

それでも荷風先生ゆかりの店で昼酒をあおって永井荷風のうんちくをひけらかして一人で悦にいっておりますと、なにやらカメラマンなどが機材を持ち込んで撮影が始まったではありませんか。

あれ、今日はお忍びできたのだがなあ。ははは、と軽口を叩いてすっかり精神のバランスを取り戻しつつあった私は、思わず取材に協力的な態度をとる余裕をもつにまで至ったのでありました。 でも帰りしな、何の取材かと聞けば東京の散歩のサライの達人だかなんだかむにゃむにゃいう雑誌
だそうでした。 ちと、がっかり。それでも

「なんだ、ジジイ専門雑誌であったか、私にはカンケーないや」と悪態をつくまでに、 いつもの私の精神状態にまで戻ったのですから、 この日の飯の選択は正しかったといわねばなりますまい。。。。
 
世の中には食うことをめんどくさがる人もいますが、食にこだわることはその食物の内容だけでなく、食べる事の周辺の所作を含めて、日々の生を充実させる営みそのものでありましょう。
 
(なんてくどいヤツなんだ、だから何もない日常の事をだらだら書くのは嫌だったんだよ)
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2007年02月08日

電車の中で美女に誘惑される話

テーマ:本読み

先日寺田寅彦の「電車の中で老子にあった話」 の記事を書いたので
ついでに老子道徳教について言えば、
寺田寅彦のいた時代とは違って、現代においてはありがたいことに
外国語訳に頼らずとも平易な現代語訳がいくつも出版されていて
気軽に「老子」のエッセンスに触れることができる。
 
なんでも20世紀の終わりには欧米で老子のタオ(道)ブームが起きていたらしく、
それが西洋舶来信仰の続く日本にも流行が飛び火した結果でもあるらしい。
私はタオブームの存在などは露ほども知らなかったのだが、
なんとなく近年になって再び老荘を拾い読んだりして
そんな過去のタオブームの遺跡にも触れたというわけである。

(以前読んでいたのは小難しい本ばかりだったが、このたびはくだけた本ばかりである。)
 

いくつか拾い読んでみたそんな本の中で、老子についていえば
平易な本の極めつけは加島祥造氏の「タオ 老子」(筑摩書房)だが、
これは現代語訳というよりも老子のエッセンスを踏まえた現代詩といって良い。
  
飛躍した意訳ゆえ、老子の解釈を個人の解釈に限定するものだとの批判もあるようだが、
各章の末尾には原文に近い返り点付きの漢文が付与されているので
あわせて読むのはまた面白いし、解釈限定云々の批判はまるで的外れである。
  
ただこうした本は、古くから凝り固まったままのかび臭い老子観を現代において
平易に復活させたことはすばらしいのだが、
21世紀の今としてはさらに突っ込んだ解釈があってもいいかもしれない。

なんとなく辛気臭いじいさんのイメージのある老子は
実のところその実在も疑われるほどの人間なのだから、 
たとえば老子の実像はセクシーな美女だったかもしれないと想像するのも勝手だ。
 
実際老子道徳教の中には極めてなまめかしい想像を呼ぶ記載もあるのだが、
81章5千文字余りの短い文章の中に様々な空想を働かせることができるのは
正当な読書の楽しみでもあるのだ。

 

・・なんだか今日は老子そのものの中身にはさっぱり触れないひどい記事だが、
世の中に老子本は玉石混淆、とにかく数だけはたくさん出回っているので、
わざわざこのブログでまで中身や解釈に触れることもないだろう。
それより誰か、色気のむんむんする艶めいた美女版の「老子」を書いてはくれまいか。
 
現代においてもなお人をひきつける魅力も保つ老子は
実はロージーというミニスカートの金髪美女だったりして、
電車の中で出合った時に平易な道徳教解説などしてくれたら、
俗世の名利など放り出してたちまち意気投合してしまう御仁も
きっといると思うのだけれど。。。


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2007年02月06日

デート with 女バンパイア

テーマ:ホラ
以前の同じ部署の同僚であるN嬢と外で会って食事をすることになったのだが、それはまあお互いずっと友達ではあるので不思議はないのだけれど、ちょっと困った。

N嬢は会社の学生向け就職求人パンフのグラビアモデルになっていたような女である種、一部の憧れの的のような存在なのだから、うれしくないこともないのだが、私にだっていろいろ事情はあるので美人と一緒ゆえに具合が悪いことだってあるのだ。

会うことになったのは赤坂の気取らないレストランである。

決しておしゃれなデートコースだからというわけではなくて、適当な店をテキトーに選んだこともあるけれど、ここは昔、別の某女友達とけんか別れした苦い思い出の場所でもあるので、けして浮かれないようにとの自戒をこめてのことでもあったのだ。

ところがそのN嬢、会うなり「すぐ死にたい」と言い出した仕事や会社、家族や身の回りのことなどすべて行き詰ったようでふさぎの虫が動き出したということらしい。

美人で、頭もよく性格もおっとりして、天から二物も三物も与えられて会社でだって、友人たちからだってそれは大切にされているN嬢だから、傍目には人生どっちを向いてもお召し列車に乗って生きていけるように見えるのに、そんなN嬢にしても生きる悩みを抱えているというのはなかなか人生とは面白いものだ。

どうせ死ぬ気などないのは分かっているので、いい加減にふんふんと話を聞いていると真面目に聞いていないとにらまれた。だが、そのにらんだ顔がこれがまた凄艶で美人と言うのは得なものだとまた一層感心したものである

とりあえず飲みかけたワインを干して、N嬢の料理を横取りして食ってから私は話してみた。

「君はすぐにも死にたいというが、あのテキトーな日記は半端のままでいいのかね。」

N嬢がぎょっとした様子が分かる。日記を書いているなんて知らないが、適当にカマをかけたのが当たったらしい。

「部屋の中にも机の中にもいつか片付けようとつ放っておいたまらないものが散乱しているし、読みかけの本だって、人には見られたくないレベルの低いつまんないものじゃないか。
それに恥ずかしいダイエット食品も半端に手をつけたまんまだし、フィットネスジムの会員証に書いてあるのコースも見られたくないものだろう?

君の死体を見たら、顔はきれいなのに、このわき腹の肉はすごいねーと話題になるかもしれない。毎年行くのいかないのと先延ばしにしてきた旅行だって、講演会だって、大学の公開講座だって、どれもみんな決着してないんだろう?なにか確たるところで納得できたものはなにかあるのかね?」

人生はなにごとかを為すためにあるものではないかもしれない。それでもたとえあるとき頓死する憂き目に会ったとしても、人生に一片の納得性を得てこの世とおさらばしたいものだがそれは死に際に至ってからでは手遅れだ。即ち如何に死に際を迎えるかというこということを考えることは、即ち如何に生きるかを考えるということでもある・・・

・・・さすがのN嬢も私の話のくどさに観念したらしくこの話はそこで沙汰止みになって、あとは歴史や文学の話で大いに盛り上がったのだけれど、つられて酒も料理も盛り上がって帰りのタクシー代もなくなりそうになった私は、
思わずN嬢を殺してやりたくなったのだった。

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2007年02月04日

冬晴れの空

テーマ:二月堂便り


暖冬の太平洋側では晴れが長続きせず、降雨降雪の機会が増える傾向があるというので、今年は思い切り東京の雪を楽しみにしていたのだけれど、今のところまったくの期待はずれの日が続いている。

大陸から海を渡って雪雲がやってくる日本海側とは降雪の仕組みが違う太平洋側では、南岸から低気圧が接近した時に気温さえ低ければ雪は降るというのだけれど、今年の暖冬は雨が結晶化して地上に到達することすら許さないほど高温が際立っているらしい。
 
それでも今年の冬はあっけらかんとした冬の快晴は少なく、晴れ空にのいつも雲が行きかうことが多い気がする。
いつもの年のようにひたすら乾いた晴れの続く奥行きのない扁平な冬の空ではなく、水色の中にも様々な表情を伴った今年の冬空はちょっと楽しい。

太平洋側のいつもは無表情な冬の空は雲もあって初めて空の色を眺めることが意味を帯びてくる。空の色はやはり空色でなければならないし、空色であることがうれしい。
 

穏やかな冬晴れの続く2月の午後には空色のカフェオレボウルでひと休み。


カフェオレボウル

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