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2006年09月30日

見たまえ、人間がゴミのようだ

テーマ:物欲の果て



表題の言葉は宮崎アニメの「天空の城 ラピュタ」のワン・シーンからもじったもの。

欲に駆られて右往左往したあげく、危機に瀕して慌てふためく人間たちを
見下して悪漢のムスカが口にする言葉だ。

もちろん誰しもモノやゴミのように扱われたくはないし、
人権だの命を大切にだの念仏のように散々聞かされて育った私たちには
憎むべき悪党のせりふだ。

しかし、とんでもない発言ではあるが、
宮崎アニメ悪役中、もっとも切れの良い
悪役に徹しきった、ある意味潔くもカッコイイせりふでもある。

なぜかとなど、わざわざ言ってはせっかくのこの名せりふが腐臭を放ってしまいそうだが、
ファッションや本、ドラマ、ニュース、時代の流れや流行を追っては動揺する人間たちが
人でなくゴミのように見えてしまうこと。
ムスカの発言に自分もまたゴミの側の一部かもしれないと感じも考えもしない人間たちのこと。。。

かつて「自己家畜化」という言葉があったが、使い捨てされ、用済み後排除される立場に
自らを仕立てることによって至るのは「自己ごみ化」なのかも知れない。

やはり、ムスカの発言はかっこいい。
ぜひ言うほうの側に回ってみたいものだ。
「見ろ、人がゴミのようだ」


人は誰もが、機会があったらこう言いたい衝動をきっと止められないだろう。


・・・さもなくば、人間が経済価値からでなく、「ただ人間だから」というだけで
尊重されねばならない理由を私たちは見つけなければならない



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2006年09月29日

壊れたモノ

テーマ:物欲の果て

碗

なんとなくお気に入りの陶器の碗である。

体育会系で理系で管理主義的日常のがさつな私にはまったく不似合いなモノでもある。 はっきり言って私には、年こいて茶道具ボケのクソジジイにでもならんと似合わないだろう。もちろん、一生その方面には向かわないと思われるが。

これはただ、残雪というネーミングと、釉薬のむこうにかすかに見える陶器の地が、淡雪の下に透けて見える地面のようにも見えて当然発作的物欲に駆り立てられて衝動買いとなった次第であるが、それはお気に入りのポイントの半分で、もう半分は別にある。


この器は原材料の土に鉄分を含むため、表面に点々と黒い斑がうかび、独特の風合いがあるが、そのためにもろく、鉄分が劣化を進めるのか、使い込んでいるうちにあるときぼろりと崩れるように割れてしまうことがある。 つまり代々使い続けるものにはなり難い。この「遠からず壊れる」点こそ私のお気に入りのポイントかもしれない。

もちろん、モノの使い捨ては論外だし、丈夫な長く使えるモノも大切だけれども、こうして使い込んだモノがあるとき壊れてしまって、人と物事の何事かを思い出させるというのも、物の果たす大事な役目である。

たとえば、子供の頃の大事なおもちゃが壊れてしまった時のこと、
大切にしていた本がもう大きくなったからと言って捨てられてしまった時のこと


なくした大切なものにはもう会えないと思ったときの衝撃と、それでもいやおうなく前に運ばれていくことの間で気持ちを整理するたびに私たちは少しだけ大きくなってきたものだ。

ところが大人になって、いつでも取替え置き換え可能な使い捨ての社会システムに組み入れられて、どこかに空しさと違和感を覚えながらも今日も明日も同じモノとして錯覚と妄信の日を私たちは過ごしてしまっているようだ。 


たしかにまだ遠いと勝手に思い込んでいる死や定年退職が区切りだと錯覚すれば、毎日は均質で使い捨てとなる。私たちはそんな日を生きていることがある。


どんなに大切に使っていてもこの茶碗はいずれ壊れる。それは今夜かもしれない、
明日の朝かもしれない・・・。

 

在るものは壊れる。モノも、そして人もまた。それは今夜かもしれない、

明日の朝かもしれない。

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2006年09月27日

溢れるダンディズムと「毛」の些細な関係

テーマ:ブログ


以前、嫁さんの電動眉毛シェーバーを鼻毛切りに使用して喧嘩となり、

自分専用の電動鼻毛バリカンを買うに至ったA君であるが(その一部始終はここをクリック )、

先日私もふと思い出して、その後の鼻毛バリカンの使い心地はいかなるものかと尋ねたところ、
なんともう使ってないのだと言う。

  「え?もう捨てた? なにか欠陥でもあったか。鼻毛もろとも肉までそり落としたとか」
  「いや、衛生上の問題だな」
  「衛生問題?」

やはりそうか、この東京で鼻毛フィルターを除去するなどということは、浮遊するありとあらゆる塵芥を
直接肺に吸い込むことになる暴挙だったのだろうか、と思いきや、
原因は同居する嫁さんの親なのだという。

  「かみさんの父親がさ、オレの鼻毛シェーバーを耳毛刈りに使ってたんだよ」

A君宅は簡便な二世帯住宅もどきで、洗面所や簡易キッチンが二階にも別にある。
それを父君はわざわざ二階のA君夫婦スペースにやってきて耳毛をカットしていたのだという。

  「ジイさんの耳垢菌にまみれたシェーバーをデリケートな鼻の穴に突っ込むなんて、

   おまえできるか?」

それこそお前が以前嫁さんの眉毛シェーバーにはたらいた狼藉と同じだろう、と思ったが
そこはそれ、普段から同居の気苦労の絶えないであろうA君の立場を思いやって
私は同情の姿勢を示してやったのだった。

なるほどー、言われて世の中の男性の耳毛に注目してみると、これは加齢現象なのか
年配男性にはいるわいるわ、直毛曲毛剛毛軟毛、白髪に赤毛の混じった三毛猫みたいなのもいる。

さらにまさか、と思って検索してみたら、男性の身だしなみ用品としての「耳毛カッター」
などというものがちゃんと存在していた。耳毛の是非にコメントする気は毛頭ないが、
鼻毛や耳毛にロマンやセクシュアリティを感じるという話は聞かないから、
手入れを必要とする層も世の中には少なからず存在するのだろう。

いやはや女性のオシャレならずとも男もダンディーへの道にも地道な努力が要求されるものだ。


耳毛カッター



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2006年09月25日

ルーム・シェア

テーマ:ブログ

やもり


一体どこから入ってくるのか?
わが家を堂々とのし歩くヤモリ一家。。。

頼んだわけでも頼まれたわけでもないが、わが家の居住者として認知されている。たぶん向こうも同じだろう。

意思疎通ができればぜひ山海の珍味などを供しておもてなしでもしたいところだが、勝手に現れては勝手にどこかにいってしまう、向こうも、こちらも、あまり干渉しない、きわめてあっさりした間柄。

人の意識と社会では家も土地も人間様が所有するものと言うことになっているが、そもそも人間様が土地も空間も独占しているわけではないので、庭にはトカゲもミミズもダンゴムシもいれば、毛虫や芋虫も出現し、たまにカエルもヘビもやってくる。家も庭も小さな地球であると思えば様々な同居人が日々生きる営みを繰り広げるのは当たり前のことなのだが。

営々と続いてきた土地の上を切り崩して、人間の一家がやっかいになるのも数十年のわずかの間。
虫も草も動物も、害虫・雑草・邪魔なものとして排斥して金属とコンクリートの人工空間に仕立ててカイテキだおしゃれだと言う人間はきっと精神もプラスチック製なのだろう。



(・・・このブログ書く直前に蚊が飛んでいるといって大騒ぎしていたのだが、まあ、それはそれとして。。。)




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2006年09月24日

大越冬宣言 パート2

テーマ:ブログ

【前編までのあらすじ】

ある晩のこと、訪ねてきた妙齢の美女が私を誘惑した。
もちろんのこと私はこれを断った。
「喝っ! 私は誓いを立てた修行の身ゆえ、めったなことはなならぬぞよ!」

しかし一度は誘惑をはねのけた私ではあったが、

  夜な夜なやってくる美女の魅力の前にあるとき
ついにあえなく過ちを犯してしまったのだった。

 

  すると次の晩から美女は仲間の友達の美女を伴って現れたのだが、

これがまたこの世のものとは思われない魅力に溢れた美女で、

一度禁を破った私にもはや抵抗する力などなかった。
  さらに美女は美女を伴って現れたため、

  私は夜な夜なおびただしい美女の群れと甘美な日々を過ごしたのだった。

  だがやがて、呪いにとらわれたことに気づいた私は、

  ひそかに東の山に住む聖人・ビョー・ケンシンの元を訪ねて
  呪いの正体が「脂肪肝の証」であることを突き止めることに成功し、

  ビール美女魔人軍団との苦難の戦いの日々に明け暮れるのであった。

そして今、二年目の決意も新たに私ことcaptain-jackの新たな戦いが始まる!

-----------------------------------


・・・7月に受診した「成人病検診」の結果が届いたのですが、

なんと驚いたことに今年も脂肪肝傾向に変化がないとあるではありませんか!


これはそろそろ本気出して対策を考えねばと思ったのですが、
なにせ、夏場に手に食事制限して夏バテなどしたらやっかいだし、
私の体脂肪はせいぜい12%台で外身は太ってないし、
食うのはストレス解消でもあるので、なんとなく
ズルズルと秋まで来てしまったのでありました。

だが、正義のヒーローcaptain-jackたる者が「内臓でぶ」ではいかんのだ。


黒酢
アミノ酸
カプサイシン
アルファリポ酸

キトサン
カルニチン・・・

ははは、これだけそろえばビール魔人も、その友達の焼肉魔人も、
ギョーザ魔人も、みんなひとひねりなのだ。

ダイエットなどわけもない。ははははは。



そして行く末を想像するに・・・・

  

   物語の結末は、、、

  

      行き着く先は、、、

     

        人類の未来は、、、

     

          ヒーローの明日は、、、

      




       ・・・サプリメントでぶ。

       

                                       やっぱりぃ?




        ダイエット~サプリ買い込み腹はじけ~

                 痩せ行く財布の効果悲しき~



あーあ、やっておられん!

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2006年09月23日

風かおる秋の夜の酒は

テーマ:

昨夜帰宅すると、門前にかすかに花の香りがした。
深夜のことでもあり、かすかな香りであったので、気のせいかも知れないと思い気にも留めずさっさと家に入ってしまったのだが、
今朝になってもしやと思い庭をみると、まだ九月だというのにもうキンモクセイの花がほころび始めていたのだった。


金木犀


ずいぶん早い開花である。去年のブログを見ると十月の初旬に開花していたようだから十日ほども早いことになる。 キンモクセイを植えている家や公園はとても多いので、天気さえ良ければたちまちあたりは樹の花の圧倒的な香りに包まれることになるだろう。


だがやがて、鈴なりに咲いた小さな花が際限がないと思えるほど地上にこぼれだして、オレンジ色の花模様のカーペットをしいたような豪奢な眺めが現れると、私はそわそわと落ち着かない気分に襲われる。

キンモクセイの花期は短い
オレンジ色の小さな花が秋の本番を知らせて回るように町中を駆けめぐっては、あっという間にどこかへ行ってしまう。
ようやくたどり着いたわくわくする秋が、味わう間もなくこぼれ落ちていくのを拾い集めようとしては果たせず、私はそわそわと浮き足立つことになるのだ。


秋色の多様さ、秋祭りのにぎやかさ、
秋の微光のやわらかさ、
かすかにけむるような
秋の空気はひたすら穏やかだ。

他の季節にもまして、秋は折々の名残を惜しむ衝動が大きく、

キンモクセイの花は秋の初めの転換点だ。
にぎやかな行事が終わって、空気が秋本来の落ち着きを取り戻すと、
秋はいよいよ深く静かに更けていく...。

 

金木犀4




本格的な秋の到来を告げる小さな花のお客をお迎えした
秋の晩には桂花酒で一杯。
キンモクセイの花を白ワインに漬け込んだ桂花酒は楊貴妃も
愛飲したと伝えられる華やいだ香りの酒だ。

これは甘いので食後酒が良い。



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2006年09月21日

夕時の影踏み

テーマ:二月堂便り

夕暮れ空


暑さも一進一退をしながら中秋へと向うこの時期、
まだまだ夏を引きずった気分で油断して出かけていると
たちまちあたりが暮れ色を帯びてくるその早さに驚くことがある。

こうした秋の夕暮れ時というのは、地面に長く伸びた影が
帰り道を長く遠く錯覚させる不思議な時間帯だ。

まだ着かない家を思い、急に歩きつかれてべそをかいた子供のころの
心細い記憶がそこここに見え隠れしている。
かつては誰もが知っていた当たり前のことだが、
実は秋の夕暮れには魔物が潜んでいるのだ。

夕暮れの魔物が子供を夕闇にひきとめ家に帰すまいと魔力を放つと、
子供たちには、疲れと心細さと闇に引き込まれる不安が
ひたひたと迫ってくる。

それでも夕暮れの魔法を打ち払う方法はちゃんとあって
子供たちならみんなそれを知っている。

今日も足を引きずりため息をつく大人の前を、
子供たちが影踏みをしながら歓声をあげて駆けていった。

*****

仕事や生活に追われ多忙や煩わしさを引きずって、ただ歩くのも
もどかしい私たち大人は
いつのまにか帰り道に影踏みや石蹴りをしなくなって
暗がりと不安に取り込まれていたのかもしれないとふと思った。

でも、無心に軽やかに駆けていく子供たちの姿を見ると、
人が大人の時代の役割として暗がりや煩憂と戦うのもまた
意味のあることかもしれないとも思えてくる。


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2006年09月19日

エリザベス! エリザベス!

テーマ:物欲の果て

植木鉢

ヨーロッパなどに行くと使い込んで古びた植木鉢が妙な高値で売られていることがある。

日本の明るくおしゃれなガーデニングブームの尻馬に乗った、

ホームセンターや街中のガーデンショップのディスプレイを見慣れた目には
重々しいというか、価値を見極めがたいというか、

場合によっては「うわっ、きったねー」というようなシロモノばかりである。

もちろん、使い込んで風格が出てきたものこそ価値があるとする鑑賞態度は

よく知っているが、日本のマンションのベランダ園芸や狭い戸建の軒先園芸などでは
受け入れ難い重厚さがある。


欧米のお金持ちの家ではよく、はじめから廃墟や遺跡のように古びて
みせかけてっ作った庭があるが、日本ではあまりお目にかからない。


もちろん、苔庭だの侘び寂びの伝統はあるし、古式ゆかしく伝統的な
家作りだってあるが、新築住宅がボロ屋や廃屋を模して作るなどとい
うことはない。


これは放っておいても日本の素材・風土気候ではたちまち自然に侵食されて
傷んで朽ちてしまうので、日本の遺跡というのは本当に無残な廃屋で実用無価値

だったりするわけなので、当然日本人は新しくてきれいなものを尊重するのに対し、
湿度も低く石が主体の欧米では、より長い年月でモノを見る態度ができている
面もあるのだろう。


自然豊かで住みよい日本の風土はすばらしいが、
世代を超えた長いスパンでの視野をもてない、常に目先の名利だけ追う

近眼的な発想に終始する国民性を作ってしまったともいえるかもしれない。


してみると、環境問題なんて言っても、持続性だの次世代への永続性なんて
口先だけで誰も本気で考えていないのだろう。

新製品至上、使い捨て万能が今もって幅を利かす日本での

牛歩のごとき環境問題取り組みの実情を見るにつけ、そう実感せざるを得ない。



(写真はわが庭の素焼きプランター「エリザベス」!

本当にこういう名前で園芸店で売られていた。

何年も使ったわけでないのに、どこかのエリザベス同様、風格というか

老化がというか、コテコテしてきた)


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2006年09月18日

雨降りの会話

テーマ:ブログ

ようやく残暑が去ったと思ったら、一転して肌寒いほどの秋の長雨の日々。
あれほど暑さに不平を言ったのに、一転して雨と低温に愚痴をこぼす人間とは
なんとも勝手なものだ。

あのね、あんたのような人間がいつも適温でぬくぬくしていたら、たちまちボケて
思いつくありとあらゆるモノに不平不満を言って当り散らすようになるのよ、きっと。
気候が思うようにならないくらいのほうが平和なのよ。


この国では疎まれがちな雨の日だが、私は雨の日の眺めも、雨の中を歩くのも好きだ。
身をすくめ傘にしがみつくようにして慎重に歩いていく人や
まとわりつく雨を気にして先を急ぐ人の足取りの眺めにはいとおしさすら感じる。

雨の日の散歩なんて、物好きねー。靴も服もびしょびしょに濡らして何が楽しいんだか。
おおいやだ。雨の日はね、ゆっくり家で静養して家の中を片付けなさいってことなんですよ。
雨の日は家にいるのが一番。


人を包むやわらかな雨のベールは、ゆるやかに他者や外界のノイズをさえぎり
人を内省的な気分へと誘うような気がする。日常の喧騒と忙しさに流される私であるけれど
忘れていた気がかりなことや目をそむけていた不安や悔恨の原因に自然に
冷静な目を向けるようになるのものも雨がきっかけになることが多いようだ。

雨なんか眺めてボーっとしているとね、あることないこと頭の中に湧き出してろくな事が
ないんだから。ぼけっとしてる間に動け、働け。

雨音に遮断された静謐な空間にひとりあるとき、過去からも現在からも忽然と
離れてあることを感じる。日夜私を責め立てる憂いも悩みもわずらいも、
私は高みから遠くの山々を眺めるようにただ静かに眺めることができる。

それでも、雨降りでもおなかはへるのよねー。ね、何かあったかいものでも食べにいかない?

人は煩いを離れて自己の立ち位置、来しかたを確認して、再びわずらいに満ちた世界に戻ろうとも
日々のなすべきことから目を背けてはならない。人は悩みわずらい、食べて寝て憂いと戦う
ことでしか日常は進まないのだから。

じゃ、早く行こうか。いつものレストランでいい?なら予約要らないか。
行くんだよね? あなたのわけのわからない話に合わせられるのなんか私だけだよ。

そんなことはないのだ!、と言おうと思ったが、空腹の前にはたいしたことではないのでそれはやめて、
私たちは食事に出かけることになったのだった。それにしても
寒いと言ってたくせに短いスカートをはいてくるのも矛盾しているし、いつものリストランテに
行くのだと思っていたら、なぜかチャンコ鍋の店にいたのも成り行きでよく分からない。

人生の断片としての日常というものは、こうして精妙な配剤が施されて凡人の解釈を許さないものだ。


まあ、それも悪くはない。 凡人の私としては。

                                 

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2006年09月17日

秋の月、秋の虫、秋の酒

テーマ:

夕方窓をあけてパソコンに向かっていると、耳が割れるほどの虫の声に包まれます。あたり一面草木のあるいたるところから虫の声だけがが響いてくるのですが、騒々しいはずの大音声なのに、虫の音だけの響く秋の静寂と感じるのですから、人間の感性とは面白いものです。


日本人だけなのでしょうか。日本人でも騒音と感じる人もいるのでしょうか。しばし手を止めて、心身、虫の音に揺られるにまかすのは一時秋の宵の贅沢というものでしょう。 虫の音に耳を傾けて一杯やるのも悪くありません。


さらに秋の風情といえば、月見でしょうか。
今年の中秋の名月は10月の6日だそうで、まだだいぶ先のことですが、秋の月を愛でるに、なにも中秋の名月を待つまでもありません。ことに酒飲みは遅い月や、月の翳った暗い夜空ですら酒の肴になります。


そんな秋の月に関して、私が感心しない有名な歌に
 月見れば千々にものこそ悲しけれわが身一人の秋にあらねど
というのがありますが、本当にこれは大江千里が詠んだのでしょうか、あまりに漫画チックなほどに安っぽく、いかにも風流ごっこの連中のウケを狙っただけのようなつまらない歌です。 たとえて言えば、低俗な恋愛小説でお決まりの重病や幽霊の登場のような。そんな安直さと仲間受け狙いのようなうわべだけ取り澄ました歌です。


やはりそんなことを思ったのは私だけではないらしく、江戸時代の狂歌にもこの歌を冷やかして
 月見てもさらに悲しくなかりけり 世界の人の月と思へば
などという元歌の半端な感傷ごっこをスケール大きくぶっ飛ばす名歌(?)がありますが、これはすばらしい、拍手喝さいを送りたいところです。 月を見上げる私は一人でも、世の中いたるところで同じように月を眺めるたくさんの人がいる。 立場や悩みはそれぞれ違っていても一時同じ感慨を抱く人々の心のありようは共通しているのだ、と深読みしたくなります。


それでもやはり私などは、こと月見というイベントに関しては李白の詩の態度が好ましく思えます。
  浩歌して名月を待たんとするに
 すでに曲尽きて情を忘れたり
  (飲めや歌えで月の出を待っていたのだけれど、
  月が出る頃には騒ぎつくして名月などどうでもよくなってしまったよ)


さすが李白、酒仙にして人類史最強の大詩人、何をやっても様になります。
こんな風に、豪快に構えてみたいところです。(注:これは春の月を待っていた歌)


そこで私もひとつ、、、

 月みれば千々に酒こそ飲みたけれ

       わが身ひとりの酒でよけれど

 

  (月見の酒も独り占め、意地汚くも酒が好き。)

 


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