本日の酒は以前liu
さんにきいた「獺祭」(だっさい)でした。
ふむふむ、山口の酒なのですね。獺祭(だっさい)とは字のとおりカワウソの祭りのことなのでしょうけれど、たしか正岡子規の東京における居宅(借家)も「獺祭庵」と称していたような気がします。
獺は捕まえた魚をお供えのように積み上げる様が、お祭りのようなので、乱雑に書物を積み上げた、子規の書斎の様子からそう名づけたのではなかったでしょうか。
liuさんにこの酒の事を聞いてだいぶ時間が経ってしまいましたが、これも、酒が、本と同様、星の数ほど種類があるためでもあります。デパートの酒売り場を眺めて、いつも思うのですが、一生に読める本がいくらもないように、生涯に飲める酒もまたいくらもありませんね。
ただ、ネタの仕入れや資料調査としてなら、本も酒もかなりの数に出合えるでしょうが、数だけをこなすのが目的でなく、要は自分をいかに耕し、何を考えたかなので、数を嘆いても仕方ありませんけれど。
問題は数ではなくてひとつひとつの出会いの深さなのだというのは、
本も酒も、人の恋愛と同じということでしょうか。
2017-08-04
2017-07-25
2017-07-19
我が家の住人のトカゲ嬢です。なかなかの美人ですね。
トカゲと美人を結びつけるのも妙といえば妙ですけれど、トカゲのイメージの形成に江戸川乱歩の小説『黒蜥蜴』あたりが影響を及ぼしているのかもしれません。もっとも内容は全く覚えていないのでありますけれど。おそらく妖艶な美女が出てきて奇怪な事件が進展したのでありましょうか。
もっともトカゲのいる風景って、なんとものどかなものです。ぽかぽかと日が照ってコンクリートの上で昼寝をしていたり、ちょろちょろ移動していたり。悪役は似合いません。だいたい一般的にトカゲは人気キャラクターらしくて、子供向けの本のコーナーでもトカゲキャラの登場するトカゲの絵本や写真集をよく見かけます。そういえば私の子供のころも、トカゲは尻尾切って逃亡するという自割の一芸ゆえに、親しみと畏敬を持って接する特別な存在でしたね。
(人気のトカゲキャラクターの例 byアランジアロンゾ)
わが家の天井に張り付いたヤモリ。振り向いてカメラ目線をくれた。
なんともカワイイ。
家の中を当然のようにのし歩いていてどちらかというと歓迎されているやつ。
庭のトカゲやダンゴムシなどとともにわが家の住人として認知されている。
ヤモリに親しみを感じるのはなぜだろうと、じっと見つめ合っていると、住人として認知以前に、彼もわれもこの世界の同じ全体の一部というような気分になってくる。呼吸ひとつとっても、外の空気は息として取り込めばわたしたちの一部となり、吐き出せば外の物となって循環するように、私たちはこの世界を構成する全体の一部としてある。
物質的には共通の「物」であるとしたら、心や精神的なものがかけ声と看板だけのものになっている現代で、彼ら自然のものと我の差異を際だたせる物は、経済的活動をするかどうかというだけなのだろうかな。
こんなことを一瞬のうちに想起させるヤモリ君、なかなか哲学者じゃないか。
ヤモリでなかったら一緒に一杯やりたいところだ。
ふむ、親切にしておけば、あとで人間の女にでもなって訪ねてくるかも知れないな、と思ってみたけれどヤモリに親切って、いったい何をすれば・・・?などと思考がアホの側に傾いたら、ヤモリ君、スタコラどこかへ行ってしまっていたのでありました。
久々にCDを買って聞いていておりました。
前衛的で日本的な印象のトランペット演奏。
国内版は出ていないようで、アメリカ発売のCDで入手。
アルファベット表記された曲のタイトルの「Ungetsu」とか「hukotsu」に
・・ああ「雲月」か、「風骨」か、と漢字表記当てはめて想像し確認する作業が、
このCDの曲を聴いてその印象をとらえる作業と妙に似ています。
まさにこのCDはアルファベットで表記された漢語の如く、
トランペットで描かれた山水画のようです。
この演奏者、NHK時代劇の「秘太刀馬の骨」の音楽を担当していたので、私も興味を持ったのですが、なんとも予想を裏切る演奏スタイルに驚きました。
好き嫌いは分かれるでしょうが、このところ朝晩雑踏を眺めながら聞いております。
拙者やはり江戸時代なら武士であったであろうな。
たぶん30石取りくらいの下級武士。
ハローウィーンは日本ではあまり定着していない。
そもそも文化的背景がないのに、商業的魂胆だけが先行しているようで
ハローウィーンを流行らせようとするたくらみにはなにかイヤらしいものを感じる。
それでも、ここ数年わけもわからずジワジワと店頭のディスプレイや
飾り付けの用具が商品化されて並んでいるのを見かけるようになってきた。
なんでも商売の種にせねば済まない、市場主義の徹底と、
他に楽しいことも明るい見通しも増えない世の中だから、
この際便乗してしまおうという、空気のためである。
ではハローウィーンをもっと本格的に流行らせるためにはどうしたらよいか。
これまでの第一次商売ネタ先行は、ご存じの通り失敗している。
バレンタインの便乗告白のような、みんながノレル理屈がなかったためである。
もしやるのなら「クリスマス方式」だろうか。
キリストは夏生まれといわれているから、12月25日は何も元からキリ君の
誕生日だったわけではない。一説には冬至前後にローマのお祭り期間があったためと
されているので、明治頃のクリスマスの和訳は「洋冬至」である。
またサンタクロースも、歳末のどさくさに本地垂迹されて日本的宗教観のなかに
取り込まれて定着している。
これに習えば、ハローウィーンは死んだ人が戻ってくるのだから、
「西洋盆」とか「洋盂蘭盆」とかになるのかな。
となると期待は「死霊の盆踊り」(エド・ウッドの迷作映画)かな。
映画自体はハローウィーンとはあんまり関係ないけど、
ハローウィンには「西洋盆踊り」と銘打った「裸踊りをセット」にしたら、
こりゃあ盛り上がって定着するかも知れぬ。
私は日本のハローウィンなんてどうでもいいけど。
(注:蛇足ながら映画「死霊の盆踊り」とは、ジャングルで遭難した男女が
次々に現れる死霊(若い女)の裸踊りを見せられるシーンが二時間も続くだけ
という、評価の難しい作品)
先日たまたま子供向けの時事ニュース解説番組を見たのですが、
素朴な疑問を素朴に平易に解説しており、ただの子供向けと侮れないどころか
そこらのヘッポコ・ニュースバラエティ顔負けの内容でした。
たまたま「村上ファンドとは何か」というテーマをあつかっておりました。
解説者 「ファンドというのは基金のこと、何かを始める元になるお金のことですね。村上さんのやっている基金だから、村上ファンドと言われています。」
ゲスト 「はーい、質問。その基金になるお金は村上さんが持っているのですか?」
「いや、必要に応じて村上さんが、出資を募ります。村上さんは一度に一千億円以上のお金を集めることができると言われています。」
「え?村上さんのお金じゃないんですか? 他の人に出してもらう、
ということは、つまり借金と同じということですか。」
「えー! 一千億円以上の借金って、千昌夫さんと同じってことですかー?」
「こらこら、君たち静かにしなさい。ともかく集めた基金をもとに
お金を出してくれた人たちに、銀行の預金なんかよりずっとたくさんの
配当、つまり利息を払えるかどうかというのが、村上さんの腕の見せ所と
言うワケなのですね。
間接的には銀行や大きな会社も村上さんに出資しているんですよ。」
「えーっ!、ウチのお父さんなんか、銀行の金利なんハナクソみたいなものだって
文句いいながら、ボクにはお小遣いは無駄遣いしないで、ちゃんとこつこつ
貯金しなさいって、言ってるよー。」
「じゃ、こういうことですか? 貧乏なボクたちが貧乏を我慢して辛抱して、
貯金する、貯金したお金は村上さんの借金に使われる、村上さんはぱーっと
派手に使って、ひょっとしたら儲かるかも知れない、僕たちにはハナクソたいな
利息が払われる。。。」
「それって、なんか変、ヘーン、へーん!」 (大合唱)
「あー、わかったわかった、つまりこういうことです。
君たちビンボー人諸君の倹約と耐乏は、大きな借金をして投機的利益を狙う者の
為にこそなれ、貧乏人の利益にはならない、と、こういうことですね。」
このあと、放送されなかった、
「口惜しかったら、十万人にひとりの金持ちになるか、強盗で一発逆転を狙うか
しかない」
と言う発言があったというウワサですが、真偽のほどはわかりません。
(なお、この記事は貧乏人もハイリスクな投機的行動をせよと言っているのでは
ありませんので念のため)
インドには「雨上がりの香水」と言うものがあって、
これは乾いた地面に水を撒いた後に残る、あの香りを、
ビンに閉じ込めたもであるらしいですね。
熱した陶器の破片に水をかけて立ち上る、水蒸気の中を溶媒の油を
くぐらせて雨上がりの香りを得るということですが、残念ながら
私はまだ一度もお目にかかったことはありません。
一度嗅いでみたいと思うのですが。
普段視覚や聴覚に頼る私たちですがも、香りには素朴だけれど線の太い
記憶やイメージを一気に喚起する力があると思っておりますので、
「雨上がりの香水」のような、意外に思える香りをコントロールしているものには
どうしても惹かれてしまいます。
何かの見本市でのこと、あなたのイメージするお好みの香りを
調合しますという企画に出あったことがありましたが、
さすがに雨上がりの香水は、いくらなんでも奇抜すぎるだろうと思い
言い出せませんでした。
その代わり、夏だったので「冷凍みかんの香り」とリクエストしてみたのですが、
(それでも充分ヘンなやつか)
担当のお姉さん、それは難しいといいながらも、これをとても面白がって、
香りの記憶から広がるイメージに驚きながら
一気に昔の学校給食の話で盛り上がったことがありました。
言葉や映像ではない、香りによるイメージはとても強いのですけれど、
一面まるで子供の世界ような素朴な繊細さがあります。それはとても壊れやすい。
それゆえ、暴力的なほど香水をいいかげんにつけすぎた人に会ったりすると、
なにか投げやりですさんだものを感じてもしまうんですよね。
(・・・電車の臭水オヤジ、会社香水テロおばさん、なんとかしてほしい!)
朝、近所の公園を通る途中に、花梨の実を拾ってきました。
ついこの間、優しげなどことなく中国風の趣を感じさせる花をつけたと思ったカリンの木が、
もう実の収穫も最終期を迎えていることには、ただただ季節の変遷の速さを感じるばかり。
このように、朝の風景を愛でつつ、気がつくと草の上に昨夜の風雨で落ちた実がひとつ、
と云うのが正しい実の手に入れ方だと、ひそかに思っております。
こうして充分に季節のうつろいを堪能したのち、せっかくの秋の贈り物なので、
焼酎にでも漬け込んで花梨酒にするとしましょう。
秋の風情には、まったくもって無駄がない、はっはっは。
ここ何年も例年なら見むきもしない日本シリーズは、2,3年前なら想像もしなかった組み合わせゆえ、今年は別。これまでのいつもの型にはまったシリーズとは一味違う今年の日本シリーズですな。。
昨夜は濃霧の中の7回コールドロッテの圧勝。拙者はどちらのファンでもないのですけれど、心情的にはロッテに勝たせたいところ、昨夜は義理のある阪神ファンに囲まれての応援で、これがなかなか。。。
シリーズの試合自体がスリリングで盛り上がれば一番なんですけれどね。
会場の盛り上がりはともかく、なんか日本のスポーツ観戦に共通している特徴のような気がするのですが、ファンは試合よりも自分たちが騒ぎにきているような・・・あのノリ方は万人向けというわけにはいきません。それゆえ、みんなの野球観戦というより、会場に来るのはある種特定の人というような図式が出来上がっているような、、、ま、それも今の日本では寄りすがるものがないための、代替品なのかもしれませんが。国家も会社も世間すら、そこにいれば安心して同じアイデンティを共有するという場は、もうどこにもないための代償をもとめてのヤケクソの盛り上がりみたいに見えてしまうのは、うがちすぎかもしれませんが。。。
さて、朝の9時からは大リーグ。ワールドシリーズが開幕
実況は井口のいるホワイトソックス寄りで放送されるのでしょうか。でも、生きる伝説と化したロジャー・クレメンス擁して進出のアストロズも応援したいような。。。昨晩から今日の昼まではなにやら野球漬けであります。
巻貝の化石を二つに割って内側を見せたものですが、一部はメノウ化した結晶となっています。
なんでこんなものを持っているのか、といえば、例によっての衝動買いの成果(!)
であはあるのですけれど。
私は宝石にはまったく興味がありませんし、特定の石には特殊な能力が
あるというようなストーンパワーなどというものも関心がありません。
でも、時々無機物をぼーっと眺めることで、様々な想念が情報ノイズにまみれた
意識を掃除してくれるような感覚に浸ることができます。
生物としてあることのストレスを忘れるからなのか、それとも私たちの身体に微量含まれる
鉱物質がさわぐためなのか、わかりませんが、かつて生物として活動していた貝が、
悠久の時を経て化石となって今私の手にあると思っただけでも、
地球規模のスケールと百万年単位の時間で想像力が揺さぶられます。
こないだウチにやってきたA君に見せたら、殊勝にもしきりに感心しておりました。
「これはすごいねー、うん、すごい。」
「そうだろうそうだろう、うんうん。 で、なにがすごいと思うかね?」
「だって、二つに割らなかったら、こりゃどう見たってウンコの化石だよなあ。
よくウンコ割って中を見せようと思いついたもんだと思ってさ。」