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2010-01-19 10:35:08

第2回 実録「カツ船長の19歳航海記―A Maiden Voyage

テーマ:出港スグに船酔い。香港への道程余りに長し

【1970年2月22日(日)】


出港スグに船酔い、食事とれずあえなくダウン

8時潮ノ岬通過。香港への道程余りに長し…




カツ船長のブログ 写真-002 (筆者19歳時の写真。若さと希望に満ち溢れている)


カツ船長のブログ


写真-003 (最初の寄港地・香港を目指して航行する「愛光丸」)


昨日の朝7時、「愛光丸」は曇り空の横浜を出港したのだが、2時間、3時間と経つにつれ次第に頭が朦朧としてきて胃がむかつきはじめ、とうとうやってしまった。一度吐けばもういいだろうとは浅はかな考え。俄然、胃のむかつき野郎めが調子に乗り出し顔面蒼白に。ある時はデッキで、ある時は部屋の洗面台で、そしてまたある時はトイレの便器の中へと全身びっしょりの油汗をかき、ゲーゲーと船の中をふらつき廻ったのであった。



そんなこんなで食欲なんぞありっこない。朝はかろうじて食べる事ができたが、昼夜ともに料理を見る気にもなれず、とうとう我、任務を完了すべく前にベッドにダウンしてしまった。一眠りから目が覚める。確か夜の7時か8時頃と思ったが、サロンが気遣ってリンゴの皮を剥いてきてくれた。冷たいリンゴの何と美味しかったことか。



日本を離れる出港のセンチメンタルな思いなんぞに浸っている余裕は全く無かった。そして漸く正気を取り戻したのは、今日の午後3時過ぎ頃であったろうか。夕食では出港以来、初めてバクッと飯を食うことができたし、風呂にも入った。まだ少し頭はボーっとしているが、昨日に比べれば極楽である。そうなると小生、無性に腹が減ってきた。冷たいビールをキューッとやり、よく冷えたバナナかパイナップルをたらふく食いたいところだが、いかんせんここは海の上。今の小生には儚い夢物語でしかない。



明日は明日の風が吹くというが、このまま穏やかな海であってくれ―と祈るばかり。しかしまあ何と仕事の来る時間の早いことよ。目を醒ませば、すぐに仕事が始まる。そういえば今日は日曜日であったのか、全く日にちと曜日の感覚が無くなっている。早いところ香港に着いてくれ。そうすればバナナなんぞたらふく食ってやる。



今朝8時頃には潮ノ岬を通過しているとのチーフ・オフィサー(一等航海士)の話だったが、香港への航海は、長いといえば余りにも長い道程である。(pm09:17)






 remember 1970年代 ―①


「大阪万博」開催。米国に次ぐ経済大国のシンボル的イベントに



1970年を代表する出来事と言えば、大阪府吹田市の千里丘陵で開かれた「大阪万博(EXPO70)」だろう。1964年の東京オリンピック以来の国際イベントとなったが、3月からの半年間「人類の進歩と調和」をテーマに77カ国・4国際機関が参加。総入場者数は6400万人を超え、現在も万博史上最多を誇っている(ちなみに、今年5月開催の「上海万博」は7000万人の入場者数を見込んでいる)。




実に国民の6割に相当する入場者が会場を訪れ、特にアポロ11号が持ち帰った「月の石」を展示したアメリカ館は大変な混雑に。その他人気のパビリオンには数時間待ちの行列ができ異常な混雑ぶりから、万博のテーマをもじって『人類の辛抱と長蛇』と揶揄された。




敗戦からの復活を遂げた日本経済は、東京オリンピックや大阪万博などによる特需もあり、1968年には国民総生産(GNP)が資本主義国家のなかで第二位に躍進。世界的に見ても稀な経済成長を遂げた日本は「東洋の奇跡」とも称された。大阪万博の開催は、日本が高度経済成長に沸きアメリカに次ぐ経済大国となったシンボル的な意義を持つ熱狂的な出来事であった。















2010-01-13 09:44:18

第1回 実録「カツ船長の19歳航海記―A Maiden Voyage

テーマ:アラ還人生の原点ここにあり!

【1970年2月20日(金)】


   横浜港係留の「愛光丸」に司厨員として乗船

   相部屋で空腹感に…。お金なく買い物できず





カツ船長のブログ-関東海運局発行の「船員手帳」、昭和


写真-001 (関東海運局発行の「船員手帳」には、昭和45年2月20日横浜港とある。いよい

よ「カツ船長」の航海が始まる)



予定からいけば一路、香港へ向かって太平洋を突き進んでいるところなのだが、どっこい、船はまだ横浜の岸壁に係留されたままだ。少し遅れて、翌朝7時の出港となったのである。小生今朝10時過ぎに「愛光丸」に乗船し、すぐに仕事にとりかかったが、なんとなく落ち着かない一日であった。夕方の6時頃には全ての仕事を終えたが、やはり少々疲れた。



小生のねぐらは案の定、相部屋となった。三畳ぐらいの広さしかないのだが、二段ベッドに洗面台、テーブル、ロッカーが実に合理的に配置されている。船自体まだ新しいので、住みごごちは結構良さそうだ。この部屋の主の職名は小生と同じ司厨員。通称「サロン」と呼ばれ、兄貴分にあたる。仕事の内容は全くの未知の世界だけに、彼にはいろいろ教えてもらわなくてはならない。だからこれから1ヶ月余りの航海期間中、彼とはどんな事があってもうまくやっていかなければならない。幸い小生より年上であるみたいだし、まあ何とかやっていけそうだ。
















ところで、さきほどから空腹感が襲ってきている。これから始まる長い航海の準備として何か食べ物を買ってきたいところだが、なにしろお金が無い。明日からご飯をもりもり食うことにして、今夜はこのまま眠ることにしよう。


お客が5人ほど乗船したそうだ。それはいいのだが、どういうわけか全員が野郎とか聞いて意気消沈、ぐっと張り合いが無くなる。しかし学生らしいので、これから先話も合うだろう。まあ、ぼちぼちやっていくことにしよう。とにかく、絶対に船酔いしないようにしなければ。



その彼の名前をまだ聞いていないのだが、先ほど内地の最後の夜を楽しんでくると言って出かけてしまった。一人きりになった部屋で小さな四角いテーブルに向かい、この航海記を書いている。昨日までのあの未知への憧れと不安のざわめきは今は静まり、初仕事の後の快い充実感に浸りながら…。



2010-01-06 13:52:27

ブログ配信にあたり 実録「カツ船長の19歳航海記―A Maiden Voyage

テーマ:アラ還人生の原点ここにあり!

カツ船長のブログ-19歳の「カツ船長」。若さと希望に満ち溢れている
(19歳の「カツ船長」。若さと希望に満ち溢れている)




  ブログの配信にあたり




皆様明けましておめでとうございます。何はともあれ時は流れてまた新年です。今年、還暦を迎えようとする私ですが、これまでの人生において関わりのあった様々な方たちの訃報が気になっています。そして自分自身良くここまで無事に生きてこられたものだという驚きと幸福感、そしてそのことをご先祖様や数多の神様に素直に感謝せずにはおれない気持ちでいっぱいになります。



思えばはるか40年前の1970年、20歳を目前に控え私は世界に向けて船出しました。と言ってもそんな格好の良い話ではなく、ただ日本を飛び出したくて外の世界が知りたくて行動を起こしました。ブログのテーマであります本航海記は、当時、日々の記録を綴ったそのままを掲載するものですが、いま新ためて読み直してみますと稚拙で舌足らずな文章に恥ずかしい気持ちになります。しかし、将来への希望に満ち溢れていた当時の自分を見ることができ、また、自分なりにこだわって来た人生60年の原点がこの航海記に凝縮されているような気がします。



100年に一度といわれる世界同時不況に、いま世界が大きく変動しています。これまでにない厳しい経済状況に直面している日本ですが、これはいつの世でもそうした好不況の波は生じており、必ず乗り越えられるものです。ただ、特に日本の男子に元気がないように見えるのが心配です。この航海記を披露することで、わが国の若者やさらに同輩でありますアラ還世代の人生に少しでもエールを送ることになれれば望外の喜びです。



そして、今後の私の人生の「伴侶」としてこのブログを続けて行きたいと考えております。皆様からのご意見やご感想、あるいは質問などお寄せいただければ励みにもなります。今後とも何卒、お付き合いのほどよろしくお願い申し上げます。



頑張れ日本の若者! 頑張れアラ還世代!! そしてわが人生に乾杯!!!




―「カツ船長」こと 出﨑 克 Katsu Desaki



※ 基本的にブログの更新は毎週水曜日に行います。ホンコン・マニラ・

  サマリンダへ1ヶ月あまり続いた航海記を次週よりお届けいたします。















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