第35回 実録「カツ船長の19歳航海記―A Maiden Voyage
テーマ:「カツ船長」19歳航海記連載終了に当たり【2010年9月5 日(日)】
計10カ月の「船乗り」、その後の人生に影響大
21年前の本日、浅間君がヘリ操縦中に事故死
「彼の分も生きる」、世のため最後の始まりへ
P-057 (在りし日の浅間譲治君〈左〉と筆者。熊本城にて撮影)
8ヵ月と言う長い期間のブログ配信となりました。38日間という最初の短い航海でありましたが、「愛光丸」は無事、愛知県衣浦港に帰港しました。この間、多くの方々に読んで頂き本当に有難うございました。
その後、私は大学在学中に休みを利用して幾度か同様の形で船員として船に乗り込みました。従って在学中は、殆ど勉強しなかったようです…反省。
◎昭和46(1971年)1月6日~1月20日 「日和丸」15日間乗船 航路:苫小牧(乗船)-川崎-室蘭-川崎(下船)
◎昭和46(1971 年)7月30日~8月14日 「豊隆丸」16日間乗船
航路:宇品(乗船)-サン・フエルナンド(フィリピン) -川崎(下船)
◎昭和46(1971 年)12月8日~47(1972年)1月20日 「協天丸」44日間乗船
航路:宇野(乗船)-アバデーン(アメリカ)-塩釜(下船)
航路:高松(乗船)-ポートランド/メルボルン(オーストラリア)~大坂 (下船)
そして最後の大航海は社会へ出て1年後、世界一周と大西洋一往復でした。
◎昭和49(1974年)2月10日~49(1974年)7月11日 「第二・三井丸」152日間乗船
航路:名古屋(乗船)-ウェーパー(オーストラリア)-ポート・ベスメ(イタリア・サルジニア島)-ラス・パルマス(カナリア諸島)-補油-ジエノバ(イタリア)-ニューポート・ニュース/ノーフォーク(アメリカ)-クリストバル/バルボア(パナマ)パナマ運河通過-補油-加古川(下船)
合計で約10カ月の我が「船乗り」人生でありますが、バナナを腹いっぱい食べたくて真白いサンゴ礁やコバルトブルーの海、南十字星が見たくて、そして世界中の様々な国の人々や自然に逢いたくて航海を重ねました。
この経験は、その後の私の人生に大きく影響したように思います。おかげさまで精神的には常に前向きの人生を送ってこれました。
しかし、我が人生においてとても悔しくて、残念な思い出が一つだけあります。この航海記にも何度か登場していますが、小学校からの幼なじみの浅間譲治君がそれから20年後、39歳の若さで妻と幼い女の子2人を残し、ヘリコプターを操縦中に事故で亡くなってしまいました。今から21年前の今日、9月5日でした。合掌。
スポーツに学業にそして仕事に、私より全ての点で上を行くいい男でした。日本のためになれる男でした。その時私は、彼の分も生きて、彼のように少しでも世の中のためになれる男になりたいと思いました。
お蔭様であっちこっちにつまずき、ぶち当たりながらも皆様に支えられ何とか生きて今年60歳を迎える事が出来ました。少しほっとしていますが、本当はこれからが一番大切な時と思います。これからが最後の始まりです。どうぞ皆様、これからもよろしくお願い致します。皆様のご多幸を祈念して―「カツ船長」の19歳航海記―A Maiden Voyage―の航海記を終えます。
最後に、当ブログの配信に当たり、多大なご協力を頂きましたNPO法人 セフティマネジメント協会の大越恭治氏に心から感謝申し上げます、ありがとうございました。
―カツ船長こと出﨑 克
◎昭和47(1972年)11月30日~48(1973年)1月6日 「第一日本ハム丸」39日 間乗船

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