旧「多摩川支線」周辺の変化を読図で確認する★彡 | ゆるポタで心リセット“おれ野_お散歩日記”by_✡CAMMIYA…ちょいマニアックで開運

旧「多摩川支線」周辺の変化を読図で確認する★彡

街や公共交通の衰退を監視する....警「美」報 告 書 ☆彡   ▼CAMMIYA-立川日野⑤-1 街や公共交通の衰退を監視する....警「美」報 告 書 ☆彡   ▼CAMMIYA-立川日野⑤-2

大正13年の1/2.5万地形図『立川』を見ると、

最新(平成18年の1/2.5万地形図「立川」)のものには無い鉄道が、

立川駅の西側から多摩川の北に沿って載っていることがわかります。。。

地図中=赤丸囲み参照、、、

多摩川支線(多摩川原駅)

立川駅 - 日野駅間にあった多摩川信号場から分岐する貨物支線(多摩川支線)は、

多摩川から産出する砂利の輸送用に建設されたものであるが、

その経歴には複雑なものがある。

元は、1905年(明治38年)に

地元郷地村の個人が多摩川橋梁 - 福島村間に砂利鉄道を建設したもので、

1906年(明治39年)に甲武鉄道が買収、さらに同年10月に国有化されたものである。

その後、1916年(大正5年)3月3日に正式に砂利の運送を開始したことになっているが、

1930年(昭和5年)4月1日付で廃止され、

同日付で立川駅 - 多摩川原駅間が新線扱いで開業し、

貸切扱貨物の取り扱いを開始した。

この時点での営業キロは立川起点3.7kmで、

立川駅 - 多摩川信号場間1.7kmは本線と重複していたそうだ。。。。。

ちなみに、、、

多摩川原駅(たまがわらえき)は、かつて東京都北多摩郡昭和村福島

(現在の昭島市)にあった、鉄道省中央本線貨物支線(貨物駅)。

当駅では、1924年(大正13年)8月15日に開業した

拝島村までの多摩川砂利木材鉄道の専用線(2.8km。運行は鉄道省が受託)

が接続しており、

1945年(昭和20年)10月5日廃止まで存続した。

同線の廃止に伴って、当駅を含む多摩川支線は、

1946年(昭和21年)6月1日付けで休止(実質廃止)となった。

また、大正13年の地図を見ると、

現在のJR青梅線は、「青梅鉄道」と呼ばれていたことがわかります。

【青梅線の略沿革】

1894年明治27年)11月19日青梅鉄道 立川 - 青梅間(18.51km)が開業。

全線軌間762mm。(立川駅)、拝島駅、福生駅、羽村駅、小作駅、青梅駅新設

1908年(明治41年)2月18日:全線の軌間を762mmから1067mmに改軌

1923年(大正12年)4月25日:立川 - 二俣尾(ふたまたお)間電化(直流1200V)

1929年(昭和4年)5月4日青梅電気鉄道に社名変更

1930年(昭和5年):全線の電圧を1200Vから1500Vに昇圧

1944年(昭和19年)4月1日:青梅電気鉄道と、

                  その先の計画線であった奥多摩電気鉄道(未成)を国有化
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この道路の先(T字路交差する道路)に、かつては鉄道の貨物支線が走っていたらしい…

(東京都昭島市福島町/本ブログ管理者撮影 ■本ブログ内関連記事参照  )
街や公共交通の衰退を監視する....警「美」報 告 書 ☆彡   ▼CAMMIYA-立川日野⑥


かつての「多摩川支線」跡が、そのまんま堤防道路化されていることがわかります。。。
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日野自動車の工場と、中央自動車道。。。(パッと見てわかる大きな変化)

中央自動車道

1967年(昭和42年)12月15日 : 調布IC-八王子IC開通

1976年(昭和51年)5月18日 : 高井戸IC-調布IC開通

1982年(昭和57年)11月10日 : 勝沼IC-甲府昭和ICが開通し、全線開通

日野自動車株式会社 (本社東京都日野市日野台三丁目1番地の1)

主にトラックバスなどの商用車の生産を手がけ、トヨタブランドの小型乗用車や小型、普通トラックSUVなどの生産もおこなっている。また、トヨタが陸上自衛隊へ納入する73式中型トラックやトヨタ向けディーゼルエンジンの生産、あるいはハイブリッドシステムの共同開発も行っている。

主要株主 トヨタ自動車(株)・・・50.1%

1910年に創立された東京瓦斯電気工業株式会社(瓦斯電)が

今日の日野自動車の母体とされており、

1930年代、大型車両生産を強化しようとする国策により、東京瓦斯電気工業株式会社の自動車部と自動車工業株式会社および共同国産自動車株式会社とが合併し、ヂーゼル自動車工業(現・いすゞ自動車、設立当初は東京自動車工業株式会社)を設立した。そのほか、瓦斯電を母体とした会社にはトキコ小松ゼノア(現在は小松製作所がスウェーデンのハスクバーナに全株式を売却し「ハスクバーナ・ゼノア㈱」…(埼玉県川越市にある農林機器メーカー)などがある。

その後、戦時下の国策により、総合車両メーカーのヂーゼル自動車工業から特殊車両製造部門の日野製造所が分離独立ささせられることになり、日野自動車の元となる日野重工業を設立させ、九七式中戦車等軍需車両の製造を行わせた。

さらに、1937年 - 瓦斯電と自動車工業(石川島+ダット)が合併し東京自動車工業株式会社が誕生。東京自動車工業は1941年ヂーゼル自動車工業となる。(戦後はいすゞ自動車へ改称)

翌1942(昭和17)年に旧瓦斯電自動車部の人材が東京自動車工業から復帰して

日野製造所が分離独立し日野重工業が分社

このとき(1942年(昭和17年)5月1日)に独立した日野製作所=日野重工業を、
現在の日野自動車株式会社における会社創立日としている。

□外部リンク/日野自動車の公式HP

2001年トヨタ自動車が株式の過半数を取得し、ダイハツ工業に続き子会社化

なお、合理化のためにバス部門はすでにいすゞ自動車と経営統合しており、2004年10月に日野自動車・いすゞ自動車共同出資の新会社(ジェイ・バス)に移行、いすゞと共通の車両をジェイ・バスより供給される形態となっている(一部車種はいすゞが開発)。なお、ご案内の通り、いすゞはもとは日野の母体になった瓦斯電→ヂーゼル自動車工業系の会社でもあり、また現在はトヨタ自動車との提携関係にあるため日野との関係も深いらしい。。。

ちなみに、いすゞは2006年4月にGMとの資本関係を解消し、その後が注目されていたが、同年11月7日トヨタ自動車と資本・業務提携を行うことを発表。現在、トヨタ自動車はいすゞの発行株式の5.89%を取得(三菱商事9.22%、伊藤忠商事7.67%に告ぐ第3の株主)。
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日野自動車正門前(東京都日野市日野台/本ブログ管理者撮影)

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