2009-02-11 17:39:43

もう一つの南京

テーマ:シナ事変~南京大虐殺

朝鮮歴史館



「もうひとつの南京事件」(日本人遭難者の記録)田中秀雄著
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 最後にある解題と解説によれば、
 以下引用
 この本は、昭和二年八月に刊行された『南京漢口事件真相 揚子江流域邦人遭難実記』容をそのまま翻刻したものである。
 読んでいただければお分かりのように、『南京漢口事件真相』は昭和二年の三月から四月にかけて、中国の南京、漢口を中心とした揚子江流域各地で起きた、中国軍兵及び中国民間人による日本人襲撃事件の実相を証言や公文書を用いて臨場感鮮やかに再現したものである。普通これを「南京事件」と呼んでいる。
解題と解説の引用終わり。
 この時には日本人だけでなく、欧米の現地居留民も同じく残虐な被害を被っています。(例として本書にある南京須藤医院長須藤理助氏の講演内容に、「フランス学校男教師二名が殺害された上、その一名は陰毛を焼かれ、かつ右大腿部を切断された」とあります)これにつきましては以前に掲載しました、ラルフ・タウンゼント著の「暗黒大陸中国の真実」 の「本当にあった1926年の南京虐殺」もご参照下さい。

本文より一部引用してみます。
引用開始
 ・・・略・・・三月二十三日には城内は一層の混乱に陥り、総司令以下支那官憲の全部は逃亡し、城の内外にあった軍隊も、午後から夜にかけて下関浦口方面に潰走し、銃砲のとどろき、兵馬の波は満街を埋め、難を避けて逃げまどう市民の叫喚も混じりて、凄愴の気は全城を包んだ。
 南京在留の邦人側においては、連合軍敗北の際における掠奪暴行を予想し、二十二日城内にある邦人婦女子だけを領事館に避難せしめたが、混乱いよいよ甚だしきに及び、市中に散在していた人々も続々避難し来り、二十三日午後八時頃までには、下関方面の在住者と市内の二十三名を除く外全部の引揚げを了し、領事官舎十五名、本館三十八名、警察官舎二十名、書記生室十九名、署長官舎十名という振当てでそれぞれ収容した。・・・略・・・
 邦人一同は、二十四日の黎明を迎えて救われたような思いに充たされた。不思議にも連合軍の退却は思いの外に平穏に過ぎた。・・・略・・・
 無心の子供は嬉々として床を出でた。婦女子たちはかいがいしく朝餉の支度に取掛かった。やがて六時過ぎとも思ぼしき頃、はるか遠くに嚠喨たるラッパの声が聞え、間もなく晴天白日旗を先頭にした一隊が、領事館前の鼓楼近くを前進するのが見えた。・・・略・・・
 館内の一同は、かねがね革命軍の規律正しいことを聞かされていたので、むしろ歓迎の目を以って領事館のベランダから眺めていたが、門口の土嚢の取除かれると前後して、いつの間に入り込んだか二三名の支那人がうろうろしていて、何かの合図でもしているようすですこぶる気味悪く感じられたが、或いはこれが言う所の革命軍特有の便衣隊なるものであったかもしれない。・・・略・・・
 それから半時間も経たと思う頃、約一個中隊の歩兵が将校指揮の下に正門から闖入し来り、折柄歩哨に立っていた西原丹等兵曹に向かってイキナリ銃剣を突きつけ、外套越しに突きまくった上、散々に打ちのめした。急を聞いて駆けつけた数名の水兵もたちどころに包囲せられ、これまた銃剣を突きつけて時計や財布など残らずもぎ取られてしまった。・・・略・・・
 その時露台に身をかわした根本少佐は横腹に一撃を見舞われ飛び降りようと身構えた所を無残にも銃剣を以って臀部を突き刺され露台から突き落とされた。鮮血に染まって下の貯水タンクの上に落ちた少佐は人事不省に陥った。
 その時室内にいた人たちには、領事夫妻、根元少佐、木村署長の外に、板阪民会長、山本訓導、綾野茂氏らがあったが、続けざまに十数発を乱射し、一同を威嚇した暴兵らは、「金を出せ」「金庫をあけろ」「出さねば皆殺すぞ」と口々に罵りつつ各人を捉えて所持品を奪い取り、衣服を剥がし、はては領事夫人にまで及んだ。
・・・略・・・

 こうして各室を暴れ回った暴兵は、あとからあとからと新手が押し寄せ、来る者ごとに何物かを奪い何物かを毀していく。瞬く間に各館は階上階下とも、それこそ遺憾なく破壊され、その上に暴兵の後から紛れ込んだ付近の住民、老人といわず子供といわず、女房といわず娘といわず、苦力、破戸漢、乞食に至るまで、てんでに物を持ち去る。電球、電線、その他の装飾器具はもとより、炊事道具から風呂桶まで担ぎ出し、いよいよ取るものがなくなるとストーブの壁を剥がし、はては痰壷から便器まで持ち出した。
・・・略・・・
 取るものを取り尽くし毀すものを毀し尽くした後に来るべき場面は言わずとも明らかだ。銃剣に追い詰められ、所持品をかきさらわれた同胞を捉えては上着を脱がす。その後に来た暴兵はこれまた銃剣を突きつけてズボンを脱がす、その後のは帽子をさらって行く、靴を奪って行く、しまいにはシャツ、ズボン下、猿股までも脱がして持って行く
 さらに婦女子に加えた暴虐に至っては、まったく正視するに忍びなかったという。髪を解かせ帯を解かせ、肌着を脱がせ足袋を脱がせ、・・・略・・・
 終わりに臨んで特記すべきは、当日の革命軍士卒の掠奪暴行が、決して偶然的にまたは発作的に行われたものでなく、事前に十分に計画され準備されたことである。これには推定すべき多くの事実がある。
 前にもあるように、事変当日日本領事館の入口付近には朝早くから胡散臭い平服支那人が、三四人うろうろしていた。そして内と外かけて何かの合図でもしているようであった。・・・略・・・
 殊に当日の暴兵は二十元の懸賞付で募集された決死隊様の者で、その上に掠奪破壊すべき家々はとっくに共産党南京支部の手によって調べ上げられていたと称せられている。
 南京各所に散在せる日本人の家屋が、ほとんど一軒残らず、しかも極めて短時間の間に襲撃されたのを見ても、暴兵の背後に共産党一味があったことは主肯し得らるる。事実当日暴行の現場には幾多の平服支那人が混じっていた。
 領事館の正門から一番に雪崩込んだのはもちろん革命軍の暴兵であったが、中には平常服に毛皮の帽子をかぶった男が呼子笛を吹き鳴らしつつ指揮しているものもあった。
 殊に掠奪品が後から後からと持ち出されると、門前には自動車、馬車、驢馬などが待ち受けていて山積みしては何処かへ運んで行く。その指揮者の中には二十七、八くらいの斬髪婦人もまじっていた。
 さらに欧米人に対して行われた暴虐もまったく同様の手段であった。英米領事館を始め、欧米人の住宅、店舗が遺憾なきまでに荒らされたのはもとより、各学校にある欧米人までが一々物色して危害を加えられた。
 中にも金陵大学副校長イー・ゼー・ウイリアム博士と、震旦大学の仏人教師二名は暴兵のため惨殺され、その中の一人は頭髪から髯、陰毛までも焼かれた上、大腿部を切断され街頭に遺棄されていた。この他に重傷を受けまたは衣服を剥がされたものは数うるにいとまないほどである。殊に婦人にして凌辱を受けたもの少なからずと言うが、これらの事実に徴しても、いかに計画的に行われたかが分かると思う。
引用終わり。

 中国兵は軍隊と言うよりも強盗の集団です当時日本は再三これら暴徒の取締りを要請しましたが、その都度裏切られ、在留邦人保護のために軍を出動していたことが分かります。中国や日本の反日、左翼が言う侵略のためなどとは真っ赤な嘘です。

大嘘の南京事件1

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引用開始
  ・・・・略・・・東京裁判から四半世紀あまりのちの昭和四十七年(1972)、日中国交回復の年に、本多勝一『中国の旅』が出版されたことである。これは朝日新聞記者の本多氏が前年に中国に行って取材し、「中国の旅」と題して同紙に連載した記事をまとめたもので、ベストセラーとなって大きな反響を呼んだ。・・・略・・・
 それから一年後の昭和四十八年(1973)に、大虐殺はあったのだと主張する人々によって英語版の『戦争とは何か、中国における日本軍の暴虐』が発掘され、大虐殺の根拠として提示される。
 この本は上海にいた英国の『マンチェスター・ガーディアン』紙中国特派員ハロルド・ティンパーリ記者が南京在住の欧米人(匿名)の原稿を編集して、昭和十三年(1938)七月にニューヨークやロンドンで出版したものであった。戦争の悲惨さを訴えるとした趣旨のもと、日中戦争、とりわけ南京の日本軍の暴行を取り上げたという構成になっていた。まさに第三者的立場の欧米人が、独自に出版した本と読者の目には映った。
  ・・・略・・・この『戦争とは何か』の評価が一躍高まったのは、その後になって匿名の執筆者がマイナー・ベイツ教授と宣教師のジョージ・フィッチ師であると判明したことからであった。・・・略・・・
 戦後出版された『曽虚白自伝』には、中央宣伝部がティンパーリ記者に「お金を使って頼んで、本を書いてもらい、それを印刷して出版」したという曽虚白(南京大学教授、のちに中央宣伝部国際宣伝処処長)の証言が記されている。
 さらに次のことも判明した。『戦争とは何か』に執筆し、東京裁判でも証言していたベイツ教授は、実は中華民国政府の「顧問」であった。もう一人の執筆者ジョージ・フィッチ師も、『チャイナ・マンスリー』一九四〇年一月号の『編集者ノート』によれば、彼の妻が蒋介石夫人の宋美齢と「親友」の間柄であった。彼らはいずれも国民党政府と何らかの関係にあり、『戦争とは何か』は第三者的立場の人たちが独自に出版した本ではなかった。
 ここでいよいよ、『戦争とは何か』は中央宣伝部の「宣伝本」ではなかったのかという疑惑が浮上してきたのである。・・・略・・・
 探し求めていた中央宣伝部の史料は、台北の国民党党史館に眠っていた。
・・・略・・・
 それは極秘文書中の「対敵課工作概況」のなかの「(一)対敵宣伝本の編集製作」の「1,単行本」によってついに判明した。

1,単行本
 本処(国際宣伝処)が編集印刷した対敵宣伝書籍は次の二種類である。
 A『外人目睹中之日軍暴行』
 この本は英国の名記者田伯烈が著した。内容は、敵軍が一九三七年十二月十三日に南京に侵入したあとの姦淫、放火、掠奪、要するに極悪非道の行為に触れ、軍紀の退廃および人間性の堕落した状況についても等しく詳細に記載している。
「田伯烈」は「ティンパーリ」の漢字表記であり、『外人目撃中の日軍暴行』は英語版『戦争とは何か』の漢訳版であった。ティンパーリ編『戦争とは何か』は、「本処(中央宣伝部国際宣伝処)が編集印刷した対敵宣伝書籍」とあるように、中央宣伝部が編集製作した二冊の宣伝本のうちの一つであった。・・・略・・・
 
 しかし「本処が編集印刷した」とは、ただ単に国際宣伝処が英語版を翻訳したということを意味するのではないか、そのような異論も考えられよう。そこで念のため付言しておくが、英語版の『戦争とは何か』も、漢訳版の『外人目撃中の日軍暴行』も、ともに一九三八年(昭和十三年)七月の出版であった。同時出版の事実と、先にも引用したように中央宣伝部がティンパーリ記者に「お金を使って頼んで、本を書いてもらい、それを印刷して出版した」という曽虚白処長の回想を考慮に入れると、その異論は成り立たないであろう。
 以上のことから、『戦争とは何か』は中央宣伝部の製作した「宣伝本」だったことが確認された
 長いあいだ南京大虐殺の根拠となっていた『戦争とは何か』とその巻末に収録された資料は、戦争プロパガンダの視点から見直さねばならなくなったのである。・・・略・・・

 新聞記者を使っての宣伝活動
 新聞は書籍や雑誌と比べて発行部数が多く、最も多くの人の目に触れるものだ。それを宣伝戦に使わない手はない。極秘文書は「各国新聞記者と連携して、彼らを使ってわが抗戦宣伝とする」と報告して、次のように記している。
 「われわれが発表した宣伝文書を外人記者が発信すれば、最も直接的な効果があるが、しかしそのためには彼らの信頼を得て初めてわれわれの利用できるところとなる。この工作は実に面倒で難しいが、決して疎かにしてはならない」・・・略・・
 このように中央宣伝部国際宣伝処は「面倒で難しいが、決して疎かにしてはならない」重点対策として、外国特派員への対応に細心の注意を払っていた。言うまでもなく、宣伝部の思惑に沿って、彼らに記事を書いてもらうためであった。『中央宣伝部国際宣伝処工作概要』は次のように記している。
 「外国人記者たちは、平素は当処(国際宣伝処)が誠心誠意宣伝指導にあたっていることから、そうとうに打ち解けた感情を持っている。そのほとんどはわが国に深い同情を寄せてくれているが、しかし新聞記者は何かを耳にすると必ずそれを記録するという気質を持っているので、噂まで取り上げて打電することにもなりかねない。含蓄をこめた表現で、検査者の注意を巧みに逃れることにも長けている。中国駐在記者が発信した電報を各国の新聞が載せれば、極東情勢に注目している国際人士はそれを重視するものであるから、厳格に綿密に検査する必要がある。妥当性に欠けるものは削除または差し止めにしたうえで、その理由を発信者に説明し、確実に了解を得られるようにして、その誤った観点を糺した」
 外国特派員は中央宣伝部の「厳格」かつ「綿密」な検査に協力させられていたということである。
引用終わり

 最近になって、加瀬英明氏が代表となって、南京事件が中国のプロパガンダであったことを世界に訴えるためのHP史実を世界に発信する会 が完成しアップされました。今後もこうして一歩ずつ中狂、日本の反日や左翼、日教組の嘘を日本国民と世界の人々に知らしめましょう。 

大嘘の南京事件2

 陥落が迫った南京では、一般民衆保護のため、在留外国人たちにより安全区を設定し、非武装地帯とすることで日本軍の攻撃から一般人を守ることとしましたが、外国人委員たちとの約束に反して、中国軍兵は武装の撤去どころか、武器を隠し持った兵自身が軍服を脱ぎ捨てて、安全区に紛れ込むという非常に危険な状態としてしまいました。そのため日本軍にはまず便衣兵(便衣は日常服の意)と市民の選別が重要な仕事となったのです。
またこちらの「極東国際軍事裁判」 のページもご覧下さい。

「南京事件」(国民党極秘文書から読み解く)東中野修道著より
 引用開始
 一九三七年(昭和十二年)十一月十二日、蒋介石は南京死守を決定したものの、十六日には南京放棄をひそかに決定し、全官庁の撤退を命じた。蒋介石はそれから南京に二十日間とどまったのち、ひそかに飛行機で逃亡した。それが南京陥落六日前の十二月七日であった。
 十一月十七日、南京放棄決定の翌日、非戦闘員のための安全地帯を作る目的で、南京にいた欧米人が国際委員会を結成した。・・・略・・・
 そのメンバーは時期によって多少の異同があるにせよ、アメリカ人六名、ドイツ人四名、イギリス人五名、デンマーク人一名であった。
 十一月二十二日、国際委員会の代表にジョン・ラーベ氏が推された。
・・・略・・・
 ラーベ委員長は日本に安全地帯を承認してもらうため、アメリカ大使館の無線を経由して上海の日本領事館に電報を打った。その内容をラーベ委員長の十一月二十二日の日記から引用する。
 「国際委員会は、次の点を国民政府に保証してもらうことを約束する。
 ①軍事交通局を含むあらゆる軍事施設を安全地帯から撤退させ、非武装地帯とし、ピストルを装備した民団警官のみを置く。また、その場合、
 ②すべての兵士及びあらゆる身分階級の仕官の立ち入りが禁止される
。国際委員会は、これらが遵守され、滞りなく遂行されるよう配慮する。
・・・略・・・」
 国際委員会は、すぐにも安全地帯から兵士や軍事施設を撤去するよう中国軍に要求し、国民政府側も軍事施設などの撤去を約束している。ところが、その約束が実行されないばかりか、逆に軍事施設が拡充されるという憂うべき事態が進行していった。「ラーベ日記」から引用してみよう。
 「十二月三日。防衛軍の責任者である唐が、軍関係者や軍事施設をすべて撤退させると約束した。それなのに、安全地帯の三ヶ所に新たな塹壕や高射砲台を配置する場が設けられている
 「十二月四日。・・・・兵士たちは引き揚げるどころか、新たな塹壕を掘り、軍関係の電話を引いている有様だ」・・・略・・・
 南京陥落直前の「ラーベ日記」を見てみよう。
 「十二月十一日、八時。・・・・いまだに武装した兵士たちが居すわっているのだから。いくら追い出そうとしても無駄だった。これでは、安全地帯は非武装だと日本軍に知らせたくともできないじゃないか」
 「十二月十二日。・・・・これでは安全地帯から軍隊を追い出すことなど、とうてい無理だ」
・・・略・・・
 この中国軍の非協力的態度を、すべての南京の欧米人が、ラーベ委員長と同じく気にしていたと思われるであろう。しかし、実はそうではなかった。
 国際委員会のメンバーだったジョージ・フィッチ師は、匿名で『戦争とは何か』に執筆した際、実際とは逆のことを書いていた。「唐将軍は首都防衛の任を帯び、安全地帯から軍隊と高射砲を一掃するという非常に困難な仕事に、概して非常によく協力してくれました。それで、十二日の日曜日に日本人が入城を開始する直前までは、称賛すべきほどの秩序が維持されていました」
 南京にいたダーディン記者も、十二月八日南京発の『ニューヨーク・タイムズ』に、「本日、高射砲一個中隊と多数の軍事機関が安全地帯から退去した。同地帯の非軍事化の約束を実行しょうという中国軍の意志を、一層はっきりと示すものであろう」と書いている。

 以上のことはラーベ委員長が同じ十二月八日に日記で怒りを表明しているのとは対照的だ。
 「われわれは全力を挙げて安全地帯を拡張しているが、何度も何度も中国軍がくちばしを入れてくる。未だに引き揚げないだけではない。それを急いでいるようにも見えないのだ。・・・・われわれは皆お互い絶望しかけている。中国軍の司令部にはほとほと手を焼く。せっかく掲げた安全地帯の旗をまたもや全部持って行かれてしまった。安全地帯は縮小されることになったと言うのだ。大砲や堡塁のために予備の場所が要るからだと言う。・・・・日本にかぎつけられたらおしまいだ。おかまいなしに爆撃するだろう。そうなったら安全地帯どころか場合によっては大変な危険地帯となってしまう。・・・・こんな汚い手を使われるとは
・・・略・・・
 当時の現行法はハーグ陸戦法規 で、それは「交戦者の資格」として次の四条を定めていた。
①部下の為に責任を負う者其の頭にあること
②遠方より認識し得べき固着の特殊標章を有すること
③公然兵器を携帯すること
④其の動作に付き戦争の法規慣例を遵守すること
 日本軍が南京に入ったとき、安全地帯にいた中国兵はハーグ陸戦法規の定める上の四条を守っていたであろうか。そして捕虜と認定されるための法的資格を有していたであろうか。
 ①の指揮官について言えば、南京では唐生智将軍が数人の将校とともに逃亡し、指揮官は不在であった。
 ②の「遠方より認識し得べき固着の特殊標章」について言えば、中国兵は軍服を脱ぎ捨てていた
 ③の「公然兵器を携帯すること」について言えば、陥落後、彼らは軍服を脱ぎ捨てて市民になりすましながら、武器を捨てる者もいれば武器を隠し持っている者もいた(日本軍が摘発した中国兵の隠匿兵器は「南京特務機関報告」によれば、一九三八年(昭和十三年)二月中に「トラック五十台分」に達していた)。・・・略・・・
 南京は陥落したが、中国軍は降伏して来なかった。私たちは戦争がまだ終わっていなかったことを頭に入れておかなければならない。・・・略・・・
 戦闘が続くなか降伏もせず、巨大な城壁に阻まれて脱出できない中国兵が勝手に軍服を脱いだところで、日本軍としてはそれを直ちに降伏と認めることはできなかった。・・・略・・・ 
 南京防衛軍司令官は日本軍の降伏勧告を拒否したうえ敵前逃亡し、中国軍の誰も日本軍との契約を結んでいなかったからである
引用終わり。

 このような状態に終止符を打つには、安全地帯に紛れ込んだ兵士たちを区別し、一般市民が戦闘にまきこまれないようにする必要があります。
 それが掃蕩戦での摘発であり、反抗する兵士については処刑するのが戦時においての自然の流れであります。また、本来、法規に準じた兵士の資格の無いもの(便衣兵)は捕虜にして保護する必要もなく、見つけ次第射殺されても当然でしたが、それでも日本軍はそれらの多くに捕虜の扱いをしたということです。

たかじんのそこまで言って委員会 2004年10月17日 南京事件の大嘘
http://takajintv.blog101.fc2.com/blog-entry-8.html#more

南京を占領したあと、道路を造ったり、施設を建造したりする時に人手がいるはずなのに、何故30万人もの中国人を殺さなければならないのか。
中国人は自分たちならこうするはずだと、中国人自身がやってきた事を日本人にも当てはめているにすぎない。
文化大革命で少なく見積もっても7000万人以上の中国人が虐殺されたと言われているが、20年くらい前までは、政治家も知識人も評論家も批判するどころか褒めそやしていたくらいだ。
拉致被害者がいるという話もつい最近まで、多くの著名人が否定していたが、結局、南京大虐殺
南京大虐殺が何が何でもあったといいう連中もいずれ、同じように否定されるだろう。

コメント

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1 ■国が国として機能していない時

どうやって在留邦人を守るのか?

民主党をはじめとする野党と公明党にはその対策がありません。

それは現在のソマリア海賊問題に対する党内の混乱をみればわかります。

なぜこんな政党が支持を集めるのか、私には理解できません

2 ■無題

  |┃           __
  |┃    スー    イ´   `ヽ
  |┃ 三      / /  ̄ ̄ ̄ \ ハァハァ…
  |┃       /_/     ∞    \_
  |┃      [__________] <警察に捕まりたかった
  |┃ 三     |   ///(__人__)/// |
  |┃   ハァ… \     ` ⌒´   ,/
  |┃        /ゝ     "`  ィ `ヽ.
  |┃ 三   /      毎       \
,⊆ニ´⌒ ̄ ̄"  y    日      r、  ヽ
゙⊂二、,ノ──-‐'´|  ゚  新   ゚   .| l"  |
  |┠ '       |     聞       l/'⌒ヾ
  |┃三        |             |ヾ___ソ
  |┃      /  \     /   l

3 ■無題

■[南京事件]東中野修道の敗訴確定
MSN産経ニュース 2009.2.5 「南京事件研究書で賠償確定」

 南京事件の研究書で事件の被害者とは別人と指摘され、名誉を傷つけられたとして、中国人の夏淑琴さんが、著者の東中野修道・亜細亜大学教授と出版元の展転社に損害賠償を求めた訴訟で、最高裁第1小法廷(涌井紀夫裁判長)は5日、教授と同社の上告を退ける決定をした。東中野教授と同社に計400万円の支払いを命じた1、2審判決が確定した。

4 ■>国が国として機能していない時

>それは現在のソマリア海賊問題に対する党内の混乱をみればわかります。

なぜこんな政党が支持を集めるのか、私には理解できません

マスコミに洗脳されているか、狂牛病にかかってしまっているのでしょうか。

5 ■>無題

変態新聞ですね。
わかります。

6 ■無題

>1審の「夏さんが別人だとは立証されていない」とする判断を支持した。
本人だと立証されたわけでもありませんね。
あの百人切り裁判も記事がねつ造だとわかっているにも関わらず、当時は信じるに足る状況だったとして、名誉毀損で訴えた側が敗訴していますね。
今回の裁判と中国が主張する南京大虐殺あったかどうかの話とは関係ありません。

どうしてそこまでして、中国のプロバガンダ、日本を精神的に隷属させて、日本人の全財産を取り上げようとする策略に加担しようとするのでしょうか。

あなたなりの正義なのか、安全な日本を非難してかっこいいつもりになっているのか、それとも日本にお世話になっているくせに反日思想に凝り固まって破壊しようとしているのかしりませんが、日本という国が無くなって、日本が中国の奴隷になったら日本人の人権なぞありませんよ。

南京のことを言うなら、中国共産党が日本の居留民に対する虐殺行為を訴えたらどうですか?
中国側の日本人大虐殺を同じ熱意で訴えなさいよ。それができないなら、日本から出て行って中国人の奴隷にでもなればいいよ。
あなたの安っぽい正義感のために、日本が滅ぼされたらたまったもんじゃないんだよ。

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