じたばた

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再びじたばたしていました。

 

ブログを書いている今この時点も、じたばたの一環だなと思いつつ。

 

こんなものを作ったり、

 

 

こんなことをしたり、

 

 

これを必要とする人がいるのではと作ってみたり、

 

 

こんなものを作って設置したり、

 

 

その他、ホームページに追記したり、掲示板に追記したり、先日は「封印の壺」を作り、自転車のブレーキゴムを替え、ブーンのタイヤ交換等もしていました。

 

 

囚われとかエゴとか、目の前に現象として色々出てきますが、それをそれと認識すればまた違った見え方になる訳で。

 

色んな所で教えてもらっているんだなというところです。

 

本当は全て解っていて知らないことにしている、ということ。

 

タイヤの出費を抑えたと思ったら、別の所で次々に出費が。

 

今はお金を動かす時期の模様です。

 

 

さて、明日はブーンのエアコンフィルターが到着します。

 

一時自作しようかとも思いましたが、空気関係はきちんと対応しておく必要があると思い直し、また、地元へお金を回すためにも天草ダイハツさんに頼みました。

某熱帯雨林系通販サイトで見てもあまり値段が変わらなかったというのもあったので。

 

 

なんか、こうして情報を発信していないと落ち着かないという所があるみたいです。

 

ネットワーク商売型願望実現法を回しているつもりはないのですが、そうならないように気をつけようとは思いつつ。

 

とりあえず、最近行ったことを記録がてら書いたので、脳の負荷が少し減ったような気がします。

 

先日からまるの日圭さんの本質につながる誘導瞑想を聞いているのでいろいろあるのはその効果かもしれないと思いつつ。

 

そういえば、雲黒斎さんが著書(『もっとあの世に聞いたこの世の仕組み』)の中で書かれていた「超訳『般若心経』」において書かれていましたが、

お釈迦様が伝えたこれを聞くと悟るという言葉は、言葉それ自体というよりもそこに乗っていた波動が重要な意味を持っていたのだそうです。

 

まるの日圭さんの誘導瞑想もそうした効果があるのかなと思いつつ。


最近は様々な人と直接会うだけでなく、色んな媒体等で誰かの波動を感じることも出来るので、良い時代になっていますね。
昔ユリゲラーがTVでスプーン曲げを行った所、それを見た子どもたちが次々にスプーンを曲げた事があったという話のように。

 

 

そんなことを考えつつ、ちょっと落ち着いてきたような気も。

 

とりあえず、「封印の壺」の水を朝夕取り替えて対応中です。

 

光が入ると闇が出るということなのかなとも思いつつ。

 

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タイヤ交換後、100kmほどを走行して慣らしも終わったと思っていた結果が先日の記事だったのですが、そこからまた変わりました。

 

空気圧を255kPaで設定して走っていても跳ねるし道路の細かい起伏で簡単にハンドルを取られていたので、ダメ元で空気を少し入れ替えてみました。

 

一端、サイドウオールの変形による負担が少ないと思われる程度の200kPaまで下げてから、クリオネクリップを先端付近に装着した空気入れで255kPaまで再度充填したところ、少し安定してきました。

 

次の日に再び同様に再充填したところ、更にいい感じに。

 

そして、仕上げにえひめAIを100倍に薄めてとあるクリップを装着した加圧式のスプレーでタイヤ全体にスプレーした所、260kPaまで充填してもなかなかいい感じの乗り心地と安定性になりました。

 

絶対的な高速性能は以前履いていたエナセーブには敵いませんが、今回のグッドイヤー GT-Hybrid ECO edition LTDも常識の範囲内の速度であればほぼ問題ない状態です。

当然ながら、4年ほど経過してトレッドとサイドウォールにヒビが入りまくっていた交換前のエナセーブよりもブレーキがよく効きます。

 

直進安定性もエナセーブほどではありませんが、山道など直線が少ない所であればむしろよく曲がってくれるのでこれはこれでいいかもしれないという所です。

 

 

タイヤの空気入れにクリオネクリップを装着していい感じになったというのは以前から聞いていましたが、これまでは減った空気を補充する程度だったのでそれほど顕著な違いを感じることはありませんでした。

 

今回は、空気を積極的に入れ替えることで明らかに挙動が変わってきたので、中の空気が変わればタイヤの特性も変わるということで。

 

タイヤ交換時のワックスは必要無いと判断したので施工せずにしてもらっていたのですが、

今日は空気を入れ替えただけで、タイヤの輝きまで変わってきたのが印象的でした。

 

タイヤが活性化して意識レベルが上がってきたのかと思いつつ。

 

ということで、クリオネクリップやとあるクリップ(クリオネクリップ自作版)でタイヤの中の空気を入れ替えるのも良いかもしれません。

 

今度はジャッキアップしてサイドウォールに負担がかからない状態である程度空気を抜いて再充填してみようかなと考えています。

 

なお、空気の補充は自転車用の空気入れで実施しているので、圧を下げ過ぎるとなかなかの運動量になってきます。

今回も1本当たり35〜40回ほどポンピングし、ちょっとした筋トレ状態でした。

 

 

その他、GT-Hybrid ECO edition LTDは店頭でたまたま発見しましたがネットで探してもほとんど情報が出てきません。

 

見つけたのはこれくらいです。

『グッドイヤー GT-Hybrid ECO edition の特徴』
http://www.clg-sv.com/gy_gt-hybrid.htm

 

レビューも購入したもの以外のサイズが多少あったくらい。

2つほど前の型でカタログ落ちしたものだということでしたが、17年の21週の製造品で比較的新しいものでした。

 

4本セット税抜き18000円位、トータルで税込み2万3千円ちょっとで交換できたので、結果的にどうなるかわからない輸入タイヤを購入するよりもよかったのかなと。

 

グリップ力が下がった分、車体への攻撃性も低下したということでそれも良しとしておきましょう。

強化サスとハイグリップタイヤは車体側へ伝わる力も相応に大きくなるようです。

以前、別の車でちょっと色々あったので、もうすぐ10万キロのブーンには力が少し逃げる位の方が丁度いいのではないかと。

 

 

今回の出来事は、完璧なものが手に入るのであればそれを手に入れなければならないとか、性能が高いほうが安心できるという思い込みを手放すための流れだったように思います。

 

まだ他にも、お金を動かすことで囚われの開放を促す動きが現れていますが、まあそれもそのうちなんとかなるでしょう。

 

タイヤの空気を入れ替える様に、自分の中の思考パターンもより良いものに入れ替えている今日この頃です。

 

 

そういえば、前回はタイヤに関連して妻の事を書いていましたが、妻にとっての空気とは、やはり私の思考(雰囲気)や行動ということになるのでしょうね。

 

それに関しても、「自分と自分に関わる全ての存在が最も良い状態になりますように」ということで。

 

 

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モーニングページを書いているとよく出てくる言葉、光とか輝きとか。

 

今日はこんな感じでした。

 

輝き

生命

振動

開放

再生

放出

 

そしてそれは「呪文」だったことに気付きました。

 

何でもないと思える、ただの言葉遊びの様な、これこそが呪文の原点

 

それぞれの思考と神経回路

修行とはその回路を一定の基準に沿って組み替えること

その結果、特定の呪文が大きな効果を発揮することになる
 

 

そして、続けて霊的会議

 

霊的会議はモーニングページと合わせてガイドさんと会う場所をイメージしながら書いています

 

いつもは光にあふれている場所なのですが、今日は珍しく黄昏時のイメージだったので、何故そうなのかを聞いてみると、

 

「世界の見え方が変わったからこそ発見できるものもある

 

懐中電灯の光は昼間には見つける事が出来ない

 

特定のところでは必要だったとしても」

 

その後見えてきたのが、

 

明るい世界なのに、目を閉じたまま「暗い」と言って歩きまわっている人達のイメージ

 

目を開けている人は、それをただ座って眺めている様にも見える

 

薄目を開けた人が、それぞれの方向へ目をつむった人を連れて行っている

 

光の方向にも、闇の方向にも

 

光の方向は高い場所に、闇の方向は低い場所にあるように見えるけれど、実はそれはトリックアートの様なただの絵だった

 

どちらも同じ平面の上

 

でもそれを、それぞれがそれぞれに解釈している

 

そしてそこは大きな球の上

 

どこまでも行けるが、今のその場所から一歩も動いていないとも言える

 

だからこそ、目を開けている人はただ座っている

 

存在自体が変化しないと、平面上ではなく、

その球の内側にも外側にも活けないと解っているから

 

外側は、石や植物、動物のイメージ

 

内側は、霊的世界のイメージ

 

外側の外側は宇宙のイメージ

 

そして外側の外側と内側の内側がつながり、重なっているイメージ

 

目を開けている人は、そこに居ながらにして外側と内側を感じ、存在している

 

 

 

他人の呪文を受け入れるため、自分をそれに合うように変えていたのがこれまでの世界

 

そもそも、その「修行」は必要なものなのか?

 

必要だと思うものがあれば受け入れ、必要が無くなったら手放せばいいだけ。

 

受け入れるあるいは手放すために、それが必要なのだと思い込んでいただけなのかもしれない

 

そうしなければならないのだと

 

 

ということで、

これまでも多くの人が同じことを伝えられてきていたなと思いつつ。

 

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