2015年2月1日「たったひとつの空の下に」 | カンボジア的スローライフ

カンボジア的スローライフ

スローダウンしてみると見えてくるものがある。ありふれた日常のささやかな出来事。人生って、そんなささやかな暮らしの一つ一つが集まったもの。だから、その一つ一つを大切に暮らすことができたらいい。マンゴーがたわわに実る国、カンボジアからの発信。

朝、中東からのショッキングなニュース。

このたったひとつの青い空の下で誰もが暮らしている。主義主張でなく、ただこの青い空はたったひとつであり、みんなでこれを分かち合い生きるしかない。

飛行機に乗ればどこにでも行かれる時代、そしてそこで見たことを誰でもインターネットにのせて発信できる時代、戦争や内戦でさえ、今朝のごはんの内容と同様にブログの記事になってしまう時代。なにかに麻痺していなかったかと感じたりする。

違う価値観に生きる人たちを、わかり合えるとひとつにくくるのでなく、わかり合えないからこそ、それぞれの価値観をそれぞれに尊重していくことが必要に思う。カンボジアに暮らして、私はそう思っている。

このたったひとつのこの空の下に生きる、共通してることはたったそれだけしかない。でもそのたったひとつの空を分かち合おうとおもえば、もう少し、もう少しだけ、この世の中は優しくなれないだろうか。

私はプロジェクトが完了し、月末でおおきな一区切りだったせいか、今日は新しい始まりの月曜日と勘違いして、銀行に行ったらお休みで、「?今日はなんの祝日だったかな」と思いつつ、市場でお買い物をしたらおつりに100リエルの新札!お坊さん?の顔?!。

今頃になって今日が日曜日だったことに気づき、我が身のぼけ加減を笑う。そうそう、もうコンポントムに戻らなくてもよくなった週末だったね。いつもなら、せっせとバスに乗って移動中。

1991年から1993年にかけてカンボジアにいた頃は、コンポントムに行くと行ったら一歩間違えばポルポト派に捕まって死に行くような場所だった。プノンペンにいた私も最悪は自分も生きて帰れないこともあるかも、と本気で思っていた時代だった。夜間外出禁止令もでていたし、覚悟の必要な時代だった。

2015年2月1日プノンペン、社会の問題は山積みだけど、でも平和になったものだと目の前に広がる風景をかみしめながら、このたったひとつの空の下に生きる。