『貞子』の母・御船千鶴子 | クトゥルー神話外伝・君のポケットに届いた手紙・神酒のブログ♪

『貞子』の母・御船千鶴子

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映画『リング』シリーズで有名な山村貞子。
その母親のモデルとなったのが御船千鶴子です。

千鶴子が歴史の表舞台に出てきたのは明治42年(1909年)のこと。
当時彼女は23歳で、進行性の難聴というハンデはありましたが、
陸軍中佐の河地可謙を夫に持つ婦人でした。

しかし彼女が22歳の頃、夫の財布から無くなったお金が姑の仏壇にあることを言い当て、
盗みの疑いをかけられた姑が自殺未遂を図ったことが影響し、
離婚を経て実家の熊本県宇土郡松合村(宇城市不知火町)に戻ります。
そしてその頃から『透見法』と呼ばれる透視のような能力を使うようになります。

実はこの時、千鶴子の義兄である清原猛雄が彼女に催眠術を施し、
彼女に『千里眼』があるという暗示をかけています。
これがどのような影響を及ぼしたかは判りませんが、
炭鉱を発見したり、遺失物を発見したり、また手かざしで病気やケガを治療する等、
常識では考えられない能力を発揮するようになりました。

折しも当時は催眠術がブームとなっていて、千鶴子にも注目が集まりました。
そして明治43年(1910年)9月15日。
それまで千鶴子の後見人として彼女の超能力を研究していた福来友吉と、
物理学の権威で東京帝国大学の元総長の山川健次郎の立ち会いのもと、
多数のジャーナリストを招き、帝大内で公開実験が行われます。

千鶴子は既に明治42年8月14日付の東京朝日新聞に、
「不思議なる透視法」という見出しで記事として扱われていて、
注目度は大変大きかったようです。

そして彼女は捺印を押した封筒の中にある名刺を透視するという実験に挑戦し、
見事その中身を言い当てました。
これは当時の研究者たちをかなり唸らせたということでしたが、
その後続いた『千里眼ブーム』にはインチキなものが多く、
また専門家には超能力に懐疑的な人物も多かったため、
そのメカニズムもはっきりしないまま、千鶴子も偽物のレッテルを貼られていったようです。
そして明治44年(1911年)1月19日に、
彼女はいたたまれなくなったらしく、自殺という道を歩んでしまうのでした。

しかし千鶴子の死後も千里眼ブームは続き、各地に自称超能力者が多く現れます。
特に有名なのが『長尾郁子』という人物で、
彼女は特に念写能力に長けていたということですが、
不倫というゴシップが後に有名になってしまい、
その真下の44年2月26日に病死してしまいました。

そして結局超能力はただのブームだけで終わってしまい、
そのまま下火になってしまったようですね。

当時は特にマスコミの間に『超能力=インチキ』という先入観があったようです。
冷静な判断ができる人が多ければ、
もしかしたら違う結末を迎えることができていたかも知れませんね。



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