約300年前の元禄15年12月14日。
ま、深夜なので実際は翌15日の午前4時頃だったと言われてます。
そう、ほんとは4時くらいにアップしたかったんだけど、またしてもアメブロのメンテナンス中でできませんでしたよ。
大石内蔵助(おおうちくらのすけ)率いる田舎侍、赤穂浪士47名は、彼らが仕えていた浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)の仇を討つために吉良上野介(きらこうづけのすけ)邸に押し入ります。
炭小屋だか、物陰に隠れているところを発見され、首を討ち取られます。

本所、今の両国の吉良邸から上野介の生首を掲げて浅野が眠る泉岳寺まで練り歩きます。
浅野の墓前で吉良の首を捧げてご焼香するんですね。
田町で仕事をしていたら彼らに遭遇しました。
真ん中辺に首を吊るした槍を持ってる方が居らっしゃいますね。
* * * * *
さて、そもそも何でそんな事件が起きたかっていうおさらい。
その約1年半前、赤穂藩主の浅野は皇室の使者を迎える準備に携わっていたんですね。
そのおりに要領がわからずにおろおろしていたら、高家職の吉良に「だっせーな、この田舎大名がw」と馬鹿にされて、「テメふざけんな~!!」と江戸城内の「松の廊下」で吉良に斬りかかったのです。
周りが止めに入ったため、吉良は背中と額に傷を作っただけで済みました。
実は浅野って精神的な病を煩っていて、発作的に斬りかかったという話もあります。
また、時代劇みたいに「おのれ~!」とか言ってカッコ良く太刀を振りかざしたんじゃなくて、「わーーーっ!」って奇声を発しながら、脇差の小刀で突き刺そうとしたとか。
この「松の廊下」跡も現在の皇居に石碑がありますね。
5代将軍の徳川綱吉が「城内で刀を抜くなんて許せない!」と怒って、その日に浅野に切腹を命じました。
ということで仇討ちをした訳ですが、参加した47人のうち武士の身分ではない足軽の寺坂さんだけは「ちょっと可哀想じゃね?」ってことで、彼以外の46人は自主して、幕府の切腹命令を受けます。
かなり乱暴な説明ですが、興味がある方はTSUTAYAで「忠臣蔵」のDVDでも借りましょう。
観たら詳しく教えてね。
* * * * *
さて、仕事が終わったのでせっかくだから泉岳寺まで散歩してみました。
途中に高輪大木戸跡があります。

大木戸は江戸の入口で関所みたいな門ですね。
この石垣が道の両端にあり、でーっかい木の扉の土台になってたんでしょう。

赤穂浪士が練り歩いた頃はもうちょっと手前の札の辻にあり、高輪のこの場所に移ったのは討ち入りの数年後みたいです。
さて、間もなく泉岳寺に着くと縁日の屋台がたくさん出ていました。
近所のイケイケ小中学生の社交場です。
屋台では大勢のサラリーマンが飲んでました。

帰りは白金高輪まで歩いたんですが、伊皿子の高松宮邸のあたりまで出る小道を初めて通りました。
木板張りの古い家々が立ち並び、道中には現役の井戸があったりと、すっごい風情のある町並みが残っています。
真っ暗だったんで写真撮れなかったんだけど、再開発される前にまた行ってみたいと思います。