Cafe Name came Ono ー陽が登ると陽が沈むの2つしか時間のないカフェー

今日もナマケモノがのほほんとした時間のなかで、Cafeでくつろいでいます。

ナマケモノの時間は24時間ではありません。
陽が登ると陽が沈むの2つです。

このゆったりした2つの時間のなかで、コーヒー飲みながらお昼寝など…。


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昨年10月に名古屋の息子のところへ行った際に、近くの公園脇が駐車禁止でないので車をそこに停めて置いたら【放置車両】として窓にベッタリとステッカーを貼られた。


ここは駐車禁止でないのに放置車両とはどういうこっちゃ?



ま、なにか連絡くるまで放っておこう。



11月になり、愛知県警察本部交通部交通指導課放置駐車対策センターから違反金の振込用紙が送付されてきた。
これを受け取ってから60日以内であれば異議申立てができる旨が書かれていたので、


「私の認識ではあの場所は駐車禁止区域ではないはずだが、なぜ放置駐車になっているのか?もし正当な理由があれば違反金は支払うが、その際の現認写真を提示し、その理由を説明してくれ」と異議申立書を送付した。



すると後日件のところから電話番号を記載しなかったにもかかわらず、携帯電話に電話がかかってきた。
このことも非常に気味の悪い気がするんだけど。



担当者は「写真はあります。でもね、あの場所は駐車禁止区域ではないものの路肩から75センチ以上開けずに駐車していたんだろうと思います。だから放置車両として違反金の請求が行ったんです。わかっていただけましたか?写真はありますけど、私を信じてください。」と言うのだ。



一旦渋々了解したものの、つい忙しくて振り込みをせずに年を越してしまったら、また再度放置違反金納付命令書なるものが届いたわけである。
だから、再度「一旦は了解したが、やはり一度きちんと写真において納得したいから写真を送付してくれ。返信は書面にてお願いしたい。」との異議申立書を送付したら、その後何度もまた携帯に電話が入っていたようだが返信は書面で!ときつく書いておいたので一切電話には出ず、すべて着信拒否してやった。



それからしばらくして、オレが提出した異議申立書は正式な書式でないからという「補正命令(命令ってかなり上から目線だよなぁ)にかかる回答書」を提出しろ!という書類が送られてきた。



どういうことかというと
1)異議申立人の年齢および押印がない
2)異議申立てに係る処分があったことを知った年月日がない
3)異議申立ての趣旨及び理由の記載がない
4)処分庁の教示の有無及びその内容の記載がない



なんだか最初はどういうことがよくわからなかったが、要はこれを提出すると処分を取り消しますというなんとも「貴様、何様だ!」ってなくらいの上から目線のものだったわけだ。



「いやいや、実際には写真がなくて違反を証明できません。申し訳ございませんが、今回の処分は取り消しますので、お手数ですが別紙の書類を提出していただけませんか?」って書いてくるならともかく、記載例を書いた紙を同封してきただけというのはやはりちょっと失礼ではないかとさえ思う。



私は違反を逃れようと思ったわけではなく、違反の事実を納得したうえで違反金を支払いたいと思っただけである。
ましてや警察組織全体を批判するつもりもないけれども、このような事態も起こりうることだけは知っておいていいのかもしれない。



おそらく上記の回答書を送付すると、音沙汰もなく、何事もなかったように処理されるのであろう。





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怒りの感情というのは非常に厄介である。
これが相手に対して怒りの感情を出そうが、密かに怒りの感情を持とうが、結局自分のなかでしか処理できないのが怒りである。


ややもするとそれがストレスとなり、心身に大きな影響を与えかねない。


だから怒りという感情をいかにコントロールするかで、自分の生活を平穏に保てる。


そもそも怒りというのはどこから生まれてくるのか?


それは自分の期待値よりも低い時にその感情は生まれる。
感情が生まれるというけれども、これだって脳の中になにかしらの脳内伝達物質が分泌されるか不足するかして怒るに違いない。


*子供にはちゃんと勉強してほしいのに、全く言うことを聞かない。
*ウチの旦那は毎晩帰りが遅く、相手にしてくれない。
*部下の仕事ぶりが気に食わない。(あるいは仕事ができすぎて気に食わない)
*車を運転していたら、突然横から人が飛び出してきた。
*彼女が待ち合わせの時間に遅れてきた。

こんな例を上げれば、日常生活にはいくらでもあるのではないだろうか?
いずれも自分の期待とは違う周囲の環境あるいは人の行動が怒りを感じさせてしまうのだ。


つまり現象そのものが感情をつくり出すのではなく、現象はきっかけでしかなく、自分の脳内で起こるなにかしらの化学反応であると考えるべきである。


そんなものに自分の行動を左右され、身体に大きな影響を与え、精神的にダメージを受けてしまうこと事態が全くもって馬鹿げている。


むしろ現象をきちんと見つめなおし、なぜ自分の期待値と違うのか?
それを考える必要がある。


イメージ的には自分目線で見ているいまの現象を、もう少し高みから眺めてみるのだ。
より全体的なイメージを掴むわけだ。
そこに怒りの感情は生まれない。


よく仏教的なお説教の中で「私が悪かったから、こうなった」という因~縁~果の関係性を説くような考え方は精神的に非常に苦痛である。
自虐的になってしまうではないか。


戦後の自虐史観が取り沙汰されるけれども、この(日本の)仏教的思考法がこうさせているような気がしてならない。


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