「声と言葉で世界を拓く」〜自分の響きを存分に奏でて生きたい人を応援するコーチ、中村公子の公式ブログ

声と言葉で自分を開く、世界を拓く〜自分の持って生まれた響きで世界と関わりたい人のためのコーチ、中村公子の日々の手帳


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江戸時代まで、「からだ」というのは「死体」のことでした。
では、生きている人の身体のことは何と言ったかというと


「身(み)」。


「この身ひとつでお供します!」
なんてセリフ、時代劇でありますね。
この場合の「身」というのは、身体のことだけを指すのではない。

「この人についていく」

という覚悟や思い。
そんなものも含まれている感じがしませんか?



かつて、わたしたちのご先祖様は
「からだ」と「こころ」を分けていませんでした。
分ける、という概念すらなかった。
それらは分けることのできない一つのもの、でした。




では
いつから分けるようになったのか?

「身体を鍛える」
「あとウエストを5センチ…」

の言い方のように
からだを「モノ」として切り離し、
減らしたり増やしたり、とってつけたり削ったりできるような…
そんな「対象として」見るようになったのでしょう?






わたしにもよくわからないんですが
一つ思い出す話が。



幕末♪
近代的な軍備の薩摩・長州に対して、
遅れた幕府側、というイメージがありますが
どうしてどうして。
幕府も実は、着々と近代化を進めていました。


「幕府歩兵隊」。


フランスの教えを受けて作った軍隊で、新式のシャスポー銃を備え
日本でもっとも進んだ軍隊のひとつでした。


で、
この歩兵隊、
フランス軍事顧問団のもと
「体操」を取り入れた。

整列して歩く。
それまでの「なんば歩き」から、
集団で、手足を交互に出す歩き方へ。
そして、身体能力を高めるための各種体操。
(はじめは、まったくなじめなくて
しっちゃかめっちゃかだったらしいです)



それまで日本には、
武道でも、演劇でも…およそ、身体活動において
「準備運動、体操」や「発声練習」といったものは
存在していなかったわけで。
(居合の先生と、それからお能出身の演劇の先生にきいた話)


とにかく
「二頭筋をもっと…」とか「腹筋を…」というこの
「バラバラに考える」感覚。
整列する、という「身体の、モノ化」。
これらは西洋文明とともに(そして戦のために)
日本に入ってきた、と。

そして、学校体育へまんべんなく広がり、はや150年。
今に至る。






さて。


世の中の事象を切り分け、
細分化し探求することで発展してきた科学や医学。

それらの恩恵を、感謝と共に十分に受けとりつつ
わたしたちは今、



「ひとつであること(全体性)」



について
再度とらえなおすときに来ている氣がします。





他の人との、コミュニケーション。
自分自身とのコミュニケーション。
自分の人生を愛して、
自分の本質を存分に世に表現するということ。

そのことと、自分自身のからだとのつながりは欠かせません。



からだはわたしたちの深い無意識とつながっています。
そこには、思考だけではたどりつけない
「真の答え」が眠っている。






全体性。
こころとからだ、すべてを含めた深いところでの一致感。
しっくり感。

そういったものが、
これからはわたしたちを「真の自分の生き方」へと
導いていくことでしょう。






☆彡  ☆彡  ☆彡

意識の奥にある広大な無意識の海に漂うわたしたちのリソース(資源)。
そこへ至る道しるべは
「頭(=知識・思考)」
ではなく
「身体の感覚(=感情)」

わたしたちは、自分が思うよりずっと身体(感覚・感情)に左右されています。
頭で「最高の方法だ、やろう」と思っても、身体(無意識)が納得しないとき、
なかなか実行できません。
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新年明けましておめでとうございます。

2018年もみなさまにとりまして素晴らしい年となりますように。

 

 

*    *    *     

 

 


とある本を読んでから、

毎年年末に「来年の自分を象徴する漢字」を一文字、決めることにしています。
今年はさらにたくさんの人と共鳴できたらいいなと思っていたので、


「結」


という字かなあ〜となんとなく思いつつ、
実際決めたのは元旦。
いざ、決める段になってどん!と浮かんできたのは


「遊」


でした。「へえ〜、面白い」と意外に思ったんですが。

そしてまあ、

呼応するかのようにこの日は「遊べ!」のメッセージがやって来る。
(ふとひいた「日本の神様カード」やら、いつも読むメルマガやら)

 

 

 

で、
氣になって【遊】の字源を調べてみました。
そうして出てきたのが表題の意味。

 

ユウの古代文字は「先祖の靈を宿した旗ざおを持つ人の姿」。

 

 

 

・靈力の宿った旗を押し立て、その力に守られながら未知の世界へ出て「ゆく」

(「ゆく」がしんにょうの意味)。
  ⇩
・旗に宿る神さまが氣ままにあちこちゆく。
  ⇩
・「あそぶ」

と意味が変化したそうで。
そもそも「遊んで」いるのは神さまだったというわけです。
(以上、白川静博士による)

 

(白川静博士直筆の「遊」の甲骨文字。旗ざおを持つ人に見えますか?)

 

なんとも壮大な字だったのだなあと思いつつ、

昔、教員になりたての頃、大枚はたいて買った本が

白川静「字統」「字訓」をだったことを懐かしく思い出しています。

 

 

 

 

【遊は絶対の自由とゆたかな創造の世界である。
それは神の世界に他ならない。
この神の世界にかかわるとき、
人も共に遊ぶことができた】 (白川静 「遊字論」)

 

 

 

 

神の世界、というのは「無心」ということかなあ、と思ったりもします。

子どもが夢中になって遊んでいるときの、澄み切った瞳。

何かを発見した!とばかりに振り返る瞬間の表情。

それらは確かに、

神さまと通信しているんだろうなとしか思えない美しさだったりするのです。

 

一つ事に集中する職人さんや、

それからスポーツ選手も時にとても美しい。

 

 

 

人にとって幸せというのは、

この瞬間をよりたくさん味わうことではないかと思えます。

自分の本質とつながり「自由に」「ゆたかな創造」をする瞬間を、

人生でどれだけ味わえるか。

 

 

 

 

まあ、なんだか難しくなりましたが
とにかく美しく、カッコいい言葉です。

「遊」。

「絶対の自由」「ゆたかな創造」というところがもう。

 

 

 

 

 

ということで、今年は【遊】。
祖父母、おじおば、それから父。
そこに連なるたくさんのご先祖さま。
日本人という「氏族」の靈力の宿った旗。
その力に守られて…何をするのか、未定ですが、

存分に【遊】を楽しもうと思います。

 

 

そして、守られているのは皆同じ。
だただ無心に楽しむ。
集中する。
今の自分を100%、存分に生きる時、

人は大きなものと、ただただつながっているのではないか、と思えます。

 

 

 

 

今年も、

響きあう人たちと一緒に「遊」のたくさんの場面を過ごせたら幸せです。

 

 

 

 

◆☆◆「自分の人生を存分に生きる人のためのコーチングセッション」◆☆◆
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 今まさに、「目覚めの鐘の音を聞いている人」のためのセッションです。
 自分が発揮すべき特質を明確にしたい方。
 自分の人生の軸を明確にしたい方。
 自分の中に今ある方向性をさらに開花させ、前へ進む後押しが欲しい方。

 

 

◆☆◆「今日をスッキリ整理して、明日への風通しをよくするセッション」◆☆◆
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 新しい年のスタートアップに。
 毎日の生活の中のちょっとした「氣になること」「終わっていないこと」
 がわたしたちから奪っているエネルギーは案外大きいもの。
 それらを「見返し、整理し、手放す」ことで、たくさんのエネルギーが戻ってきます。



 

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大掃除。

今年は本を処分したいな、と思っていたんですが、なかなか選べず、

「ブックオフに持っていく本を入れる袋」
に入った本はほんのわずか。


「ああ~、(全然スッキリしない!)」


と嘆いていたんですが。



詰まった本棚を見ているうちに、この忙しい中
無性に模様替えまでしたくなり。

移動させるには中身を全部出さなくてはいけないので、
部屋の床を本だらけにして、
棚をあっちへ、こっちへ。






風の通る窓の横。
一番氣持ちのいい場所にすっくと本棚を置き、
ピカピカに磨き上げ。
さあ、この最高のしつらえに、どの本を並べようか。


そう思ってくるりと部屋中を見まわしたときに、
一番初めに手に取った本は、
自分でも意外な本でした。



「あ、それ!?」



…身体(無意識)って正直です。




それからは、心の向くまま氣の向くまま。
今自分が、そこにいてほしい!と思う本を選んで、
丁寧に並べていきました。

これは装丁が大好きだから特等席のここ。
これは一番身近に置きたいから手の届くここ。
一冊ずつ、拾い上げ、埃を払い、表紙をきゅっと拭いて。



それはまるで、土の中から宝石を掘り出すような。
自分にとって本当に大切な宝を見つけるような、
そんな時間でした。
とにかく、なんと幸せな時間だったこと!








コーチングの中に
「スペースを空ける」
というスキルがあります。

物でも「やること」でも
とにかく、
たくさん持ちすぎている!山積み!息が詰まる!
というときに、クライアントさんにこう言います。




「まずは、あなたの机の上にあるものを、
いったん全部、なくしてみませんか?」




わたしの好きなイメージは
「ガガガガ…」と、ブルドーザーのように
机の上にあるあれやこれやを、とにかく全部、
いったん下に落とすイメージ。
(落とした床の状態を考えるのが怖くて…
という方にはこのイメージはおススメしません)


そうしてできたまっさらな空白を「見て」、
深呼吸して、存分に味わったら、
こう続きます。




「一番大切だと思うものから順に、
ゆっくりと、一つずつ、机の上に戻していきましょう」




…これをすると、自分にとって、本当に大切なもの、がよく見えます。

惰性でもなく。
しないといけないから、でもなく。
「今の自分」にとって最も心惹かれるもの、
エネルギーを注ぎたいものは何か、が
よくわかります。
自分が本当に欲するものが。






わたしの本。
後生大事にとっておいたけれど。
本棚の一番いいところを占領していたけれど。


氣づくと今の自分にはもう「旬」ではなくなっていたもの。
そぐわなくなっているもの…
などがぽつねん、と(しかも結構な量が!)
残されていました。



そして本棚はピカピカ!
発しているエネルギーが違う。







自分の机の上には、
一番大切なものから並べよう。


あなたの空白には、
あなたにとって一番大切なものから入れよう。



わたしたちの時間は。
エネルギーは。
本当に大切なことに使うためにある。
自分を生きるためにあるのだから。






さあ、新しい年がやってきます!





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先日、クライアントさんからお聞きした話です。

東北のボランティアに行った際

現場でとある会社の社長さんにと一緒になった。

 

一緒に泥を掻きだしながらいろんな話をした。

そのうち、社長さんの会社のこともいろいろわかってきた。

 

 

「ポンプをつくる会社の社長さんだったんですよ。もうすごくパワフルで…」

「へえ~、ポンプですか」

「でね、その社長さんの会社がすごいんです。研修旅行、ドバイなんです」

「ドバイ~!?(つい大声)」

 

 

(こんな感じですか?ドバイ)

 

 

何て剛毅な、と一瞬盛り上がりましたが(笑)

その旅はなんと0泊3日。

ドバイに、自社の作ったポンプを見に行く弾丸ツアーなのだそう。

 

自社で作った一番立派なポンプをみんなで見に行く。

ああ、なるほど

…なんとなんと素敵な社員旅行なんでしょう。

 

 

 

 

ポンプが立派に仕事をして、

それが、遠い遠い地で、そこの人々の生活に役立っているところをその目で見る。

今、自分が組み立てるこの一つの部品。

今、自分が磨くこの一つのねじ。

今、自分が書くこの一枚の書類。

それらが、どんなふうに世の中と関わり、人々を潤しているかを知る。

 

 

 

 

「『その先』を知る」

「『その先』が見える」

それは、

何かを為すときに、とても大切なことな氣がします。

 

 

 

人というのは、

そういう生き物です。感情があります。心があります。

思いの力によって、

同じ条件下でもまったく違う結果を出すことが出来るのが人間です。

 

人を動かすのは(燃え立たせるのは)理屈ではなく、最終的には感情です。

身体で感じる、強い感情を伴った感覚です。

                                                                

 

 

 

 

私たち自身の日々の生活に、

そして、大切な誰かを導く場面で

さまざまに応用できる可能性があるのではないでしょうか。

 

「完成した世界を見せる」

「世界との関係性を見せる」

「自分のなした仕事の先につながる人々のリアルな表情を見せる」

 

 

 

 

もうすぐ今年も終わります。

私自身、

そして来年、みなさんから、それぞれ流れ出てゆくその豊かな波は

誰とつながり、

どんな人たちの喜ぶ顔と、感動とつながっているのでしょう。

 

 

 

もうしっかりと見えていますか?

 

 

 

 

 

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昨日は冬至。

陰極まって陽となる。太陽の晦日。
 
あ!そうだった!と思い立ち
午後の予定を全部キャンセルして温泉に走り
柚子湯を思いっきり堪能した帰りの夕方。
 
 
空を見上げると、
もう、その美しさ、雲の繊細さが半端ないのです。
さすが冬至!とつぶやきながら
これは!といつも通り一枚、と
iPadを取り出したのですが
なんと...と、撮れない!
 
断腸の思いで
(大げさではありません。
本当にこんな氣持ち)
諦めたのですが
 
空ったら!
刻々と美しさを増してくるじゃあないですか!
 
 
 
瞬間
「そうだ!わたしはひとりじゃない!(カッコいい氣付き)」
 
 
で、facebookに大急ぎでアップ。
「どなたかお手すきの方。
今の空の写真を撮ってアップしてください!西の方。
写真が撮れなくて!
美しすぎる✨✨✨」
 
 
 
以下
みなさんからのお写真。
 
 
 
わたしの住む場所から少し離れた場所の方。
「駅からのそらです」。
 
{88F56A65-DE1D-479D-B85C-F165E97592AC}
 
{5ED043C2-9185-498A-A21D-C27A520116D6}
 
やっぱり雲が繊細です。
 
 
 
 
続いて。
{C98C2B53-F41A-47EC-9439-5395554290EE}
「わたしもきれい、と思ったら西でした」。とのこと。
 
 
 
そして。
{794117F1-CDC3-41B9-B6F0-FBFBBAA79678}
UFOが!と違うネタでもコメントが来た一枚。
 
 
 
そして。
{C4A3D985-5EC3-4C39-AD3B-23CD9DF1FA6C}
「こんなんでいかがでしょう」by久しぶりの知人。
 
 
 
 
 
そして最後に今朝。
 
「おはようございます!う〜ん、間に合わなかったです(^^;;
ここ2〜3日綺麗な夕日が見られていましたね!」
 
 
間に合わなくても
なんと嬉しいこと。
 
 
 
 
 
「僕たちは同じ空を見ている」
同じ空で繋がっている。
 
 
 
と、
そんなカッコいい詩のような瞬間を
身体で感じた時間でした。
 
今日からまた新しいサイクルが始まります。
どうぞみなさんも
よいスタートをお切りください。
 
 
 
呼応してくださった方々、
一緒に楽しんでくださった方
本当にありがとうございました。
 
 


追伸
ついに、佐賀の知人から
こんな写真まで!

「空から見た夕焼け」
(佐賀は氣球で有名です)
{014F47B5-647F-4EEF-A821-292A22962748}

 
 
 
 
 
 
 
 
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今月25日は通っているダンススクールのクリスマス舞踏会があり、

本番を控えて、デモを踊る面々の雰囲氣がだんだん殺氣だって来ています。

(というのは言い過ぎですが^ - ^。

一年のうちで、明らかに独特の雰囲氣を醸し出すこの時期

これはこれで好きなんですが)

 

来年は久しぶりに出ようかな、

と思ったりしているところです。

 

 

 

 

デモンストレーション。

つまり、大勢のお客さんの前で踊る、魅せる、ということなんですが、

デモに出ることの効用はすごくて、

 

①身体が絶対に絞れる(笑)

②表現力のきわに挑める。自分の枠を超える体験が出来る

③②に至るまでの創造のプロセスを自分の心身でガチに楽しめる。

(これがまた楽しい。まさに広大な冒険の旅!)

 

 

 

もうだいぶ前ですが

デモの場で、半秒もない動きを、1分かけて動いているような感覚になった、

3分の曲がとてつもなく長かった、いう話を

たまにセミナーでしたりするのですが、

今日はもう一つ、そんな話を。

 

デモで踊った一人の女性。

その時70代だったと思います。

その方が、翌日教室で、皆に一生懸命訴えているのです。

 

「踊っているときにもう一人の自分がいた!」

 

と。

種目はワルツ。

パートナーと組んでスピンをする、その自分たちの姿を外から見ていた、

踊っているんだけど見えていた、と。

 

 

「それってゾーンですよっ!」

 

 

と、ついその話に食いついてしまいましたが。

言葉は覚えていないんですが、

静かで、安らかな瞬間であった、と。

そんな感覚を一生懸命おっしゃっていたように思います。

 

この方。

もちろんプロでもなく。

ダンスもきっと、ある程度高年になってからお始めになったのでしょう。

 

 

 

この方の「踊ること」への純粋な喜び。

そして、いかに熱心に練習に打ち込んだか。

「うまくやりたい」

そんな思いも吹っ飛んで、ただただ「無」がやってくるくらいに。

 

そんないろいろを想像して

つい、「むぎゅ」とその方を抱きしめたくなるような氣持ちになったの思い出します。

 

 

 

 

人は身体を持っていますが、

この、身体というものを通して、自分のもっとも強い存在のありかとつながる。

日々、夾雑物にかまけ、なかなかアクセスしない、出来ない「そこ」へ!

そんな魂の震えるような感動を味わうために…

そのために身体という入り口があるのだな、と思います。

そして、それこそがコミュニケーションの真髄。

 

 

 

来年は

さらにこの辺りもさらに大いに仕事に取り入れていこう、と今ここまで書いて感じつつ。

(人に読んでもらう前提で書くと考えがまとまるので本当にありがたいことです)

 

 

 

 

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二人のクライアントさんからお聞きした話です。

 

 

 

お一人目。

お子さんを持つクライアントさん。

お子さん、まだ小さいんですが、

その方いはく

「どうにかなったのか」

というような泣き方をするようになった、と。

むずかる、とかそういうレベルではない、癇癪というか…そういう感じでしょうか。

 

 

で、いろいろネットで検索。

あまたある情報から思い当たったのは「白砂糖」。

ちょうどイベントごとが重なったのでしたか、

甘いお菓子をたくさん食べていた時期だったそうで。

で、

試しにお子さんの、お菓子を含む砂糖類の摂取をいっさいやめてみたそうなのです。

 

 

すると…

 

「1週間で、面白いくらいもとに戻りました」

 

とのことで。

なんと…!

 

クライアントさん、奥様とも相談の上

「うちでは、砂糖はやめました」

と、

すっぱり。

 

 

 

 

お二人目。

男性の管理職さん。

会社での部下の方たちとのコミュニケーション、がテーマの方なのですが。

 

ご本人いはく

「つい、イラっとしてしまう」と。

頭では

「話を聞かなければ」

と思うのだけど、

ついかっとなって聞くより先に言葉をかぶせてしまう、と。

 

 

 

 

そして昨日。

「この2週間、だいぶ聞けるようになりました」

と嬉しい言葉が。

身体にセットした、聞くためのいくつかのアンカーも、

すっ…とスムーズに手が行き、

以前よりずっと発動させやすくなっています、と。

 

 

お話を聞くと、

・氣づくと一日に5本は飲んでいた糖分入りの缶コーヒー

・エネルギ―補給にと食べていた菓子類

・エネルギードリンク

をやめ、

ついでに、お昼ご飯を「がっつりとお米」から、

軽めにスープ、に変えてみたのだそう。

お昼過ぎに眠くなることもなくなり、

今は軽く会社周りをジョギングしていらっしゃるそうで。

 

 

 

 

「自分の性格がいけないのだ…と思っていましたが

生活の方法を変えるだけで、こんなに変わるとは」

とその方。

 

 

 

 

 

 

「白砂糖は身体によくない」。

様々な本や、サイトで目にし、知っていたつもりでしたが、

こんなにも如実なお話を身近なお二人からお聞きし。

その驚きとともに書きました。

 

 

 

身体の状態が心に及ぼす影響は本当に大きい。

食生活、睡眠、運動、住環境…

日々、どんなものを目にし、どんな音を耳にし、何に触れ、何を身体に入れているか?

「自分自身を存分に生き、発揮する」幸せな人生のために、

「生活の土台」の部分を整えること、

まったくもっておろそかにはできません。

 

 

 

 

 

 

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「わがまま」

と思われるのが苦手だなあ、と

この数日であらためて氣づきました。

 

 

「わがままを言うな」。

 

 

と言われたとたんに、全身がキュっ…と固まって、体温が2度くらい下がってしまうような。

まるで

「この世にいるな(存在する価値なし!)」

 

と宣告でもされたかのような。

胃を、中からぎゅっと掴まれたような何とも言えない感覚をあらためて

思い出していました。

(わたしの場合、そんな感じで)

 

 

 

 

 

 

大人になった今、

この言葉をかけられることがあるかというと、100%ないんですが、

でも、他から言われない代わりに、自分で存分に自分自身に投げつけ、

自分の自由自在な感情と行動を十分に妨げているな(笑)、と。

そんなことを、あらためて考えていました。

 

 

 

 

 

ある年頃までは、

そんなふうに、つまり「我慢をしている」、ということすら

わかっていなかったわけですが、

(肩が凝りすぎて感覚が麻痺してしまった人が

『ぜんっぜん凝ってないですけど?』というのに似て)

 

我慢が多かった分、

今は「その感情を外に出し、昇華させる」時期なんでしょう。

それこそ、口に出すのも恥ずかしいような

「お子様と同じレベル」のことでも、「我慢」がききません。

我慢をしてしまうと、そのあとの「処理」が大変です。

もう、自分の中の「子ども」が、怒る怒る…!

大騒ぎします。

例えば、あのケーキを食べたかった、と

そんなレベルのことで。

 

 

ケーキそのもののあるなしでなく、

つまり

「自分の氣持ちを一番に大切にしてくれなかった!」

ということに自分の中の小さな自分が怒っているわけですが。

 

 

もちろん、大人なので、その大騒ぎを外に出すことはしません。

いろんな方法でもって、昇華させます。

 

 

 

 

 

 

一番いいのは、

 

「それ、欲しい!」

「わたしはこれが好き!」

「わたしが一番!」

「わたしにもちょうだい!」

 

この、簡単な感情を、即、言葉に出来ることなんですが。

即、手をいっぱいに伸ばせることなんですが。

これが、なかなかわたしにとっては至難の業で、

 

なので、

もうトレーニング、です。

練習。

練習。

 

 

 

 

 

 

 

そんな中で、

「わがまま」という言葉がいかに、自分の身体と心をフリーズさせるか、

ということをあらためて思いだし、確認したわけでした。

わがまま=人間失格の意

くらいに反応していたな、と。

 

 

 

 

 

 

 

で。

この言葉を自分の身体に

新しい感覚で「アンカリングしなおす」ことにしました。

(プログラミングしなおす、と言ってもいいでしょうか)

 

 

「わがままっ!」

と、続けて言ってしまうからいけないのです。

これは昔からの慣れ親しんだ使い方。

そして、声・語感・響き・呼吸・身体感覚と感情は連動しています。

なので、

 

 

「我が、儘」。

 

 

とゆっくりと、言ってみることにしました(笑)。

心の中でも同様です。

イントネーションも変えて。

 

 

 

 

「我が、儘」。

 

 

 

 

戦国武将のように、背筋を伸ばし、呼吸をととのえ、重心をハラに落として、

言います。

我が、の後では必ず深い呼吸を一つ。

 

 

 

「我が、儘…」。

(無心&空(くう)。獅子脅しの音、かっぽ~ん)

 

 

 

 

なかなかいい感覚。

 


 

 

「我が、儘(に行かん…)」

(青空にはたはたとはためく無数の幟ばた…)

 

 

 

 

 

「我が、儘(に生きん…)」

(青空に弧を描くトンビの『ピーロロ…』。

静かによこたわる櫻島。

きらきら光る波。

ああ、なんて空が高いんだ。

なんて風が爽やかなんだ)

 

 

 

 

 

 

深呼吸。

とても心地よい。

 

 

 

 

 

はい。

これを一日数回。

何か、重要な決断をする前にも。

自分の感情を後回しにして、

あせあせと「人に合わせよう」がつい発動してしまっているのに

氣づいたときにも。

 

 

あとは、

繰り返しあるのみ。

わたしの細胞ひとつに、この新しい感覚がしっかりと刻み込まれるまで。

 

 

 

 

 

 

 

「わがまま」=わたしのままに。

今日からこの言葉は、

わたしにとって、高らかな宣言の言葉です。

自分の人生を自由自在、思うが儘に生きるという祝福の音。

そして

この言葉とともに、いつも身体の中に沸き起こるのは、

 

平安。

自然。

安らぎ。

落ち着き。

確信。

そして

自分自身の深いところとつながる感覚。

 

 

 

 

 

 

と。

今回は「特定の言葉」にくっついた自分自身の「意味の解釈」

&身体の感覚を

「人生を後押しするもの」に書き換えてみましたが、

この「書き換え」はさまざまなものに使えます。

特定の場面。

記憶、などなど…。

 

 

人生が変わる、

というのは、

大きな体験もありつつ、

案外こういう小さな積み重ねでもあるんだろうな、

としみじみ思う今日この頃です。

 

 

 

 

 

 

 

°˖✧✧˖°°˖✧◝✧˖°°˖✧✧˖°°˖✧◝✧˖°

 

【ワークショップ】

 

●11月11日開催

「自分の人生を自由自在に生きるためのシンプルなアイテムを手に入れるワークショップ」

 

毎日、ご飯を食べるように繰り返せるシンプルな方法を身体に刻む、落とし込む、

がテーマです。

 

◎心と身体はしっかりとつながっている
  →身体感覚を制する者は感情も制する

◎「自分の箱の中」からいつでも出られる力
  →客観的な視点に切り替えられる方法を身体に刻み込む

◎感情はどうにもならない。感情はわいてくるものだ×
  →感情は自分で選べる。感情は変えられる○

◎自分の中の様々な自分
  →「チーム自分」の団結力が人生をスムーズに動かす

 

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●11月26日開催「聲を変えることは人生を変えること―聲のワークショップ*ミニ」

 

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【個人セッション】

 

●「そろそろ自分の聲と言葉で世界に向けて語りだそう
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レンコンが好きなもので

数日前の「ためしてガッテン」のレンコン特集、

録画して、前のめりでみました。

その中に、ミャンマーの「蓮の糸の織物」が出てきました。

 

ミャンマーでは、レンコンの栽培は盛んだが、レンコン自体は食べない。

葉っぱから糸を取って、織物にする。

その糸の、細く、繊細で、きれいなこと。

 

 

 

 

と。

その美しい糸のイメージもさめやらぬ昨日。

クライアントさんと話していたら、またもや糸の話が。

前記事のクライアントさんと同一の方です。難関突破で見事望む仕事に就いた方)

 

 

 

 

 

「どうしても、公子さんに言いたいことがあるんです。

はじめ、私の前に降りてきたのは

本当に細い糸でした。

いつ、プツン…と切れてもおかしくない。

『その糸はつかんでもムリ』とも言われ。

そんな中で、その糸をともかくつかんでみよう、と思えたのが不思議なくらいでした。

でも…」

 

 

 

 

それでもつかんでみよう、と

そこにこそ縁を感じますねえ…

と思いつつ。

でも?

 

 

 

 

「そのことについてセッションで話をして

そして、他にもたくさんの人に話をして…

そうするうちに、どんどん糸が太くなっていった氣がするんです」

 

 

 

話すことを通して、

自分の中に浮かぶ夾雑物をの正体を見、手放し。

さらに

自分のリソースを見つけ、糸の先にある未来をイメージし。

それははからずも、どんどん糸に自分の意識を=エネルギーを向けて、注ぎ込むこと

ということだった、ということなんでしょう。

もちろんプラスの。

 

そして、「なんであれ、エネルギーを向けたところのものが大きくなる」は自然の摂理。

 

 

 

 

 

 

ふと、美しい蓮の池のイメージが浮かびました。

そこから、キラキラ光る蓮の糸が地上へ向けて降りてゆく。

その糸に、クライアントさんが手を伸ばす。

そして、満面の笑みで糸を撚っていくんです。自分の手で。

それはそれは楽しそうに。

キラキラと光りながら、糸はどんどん太くなっていく。

もう、完全に綱引きの綱みたいになっている。

 

 

 

 

 

 

 

公子さんは、若い方々のセミナーもしてらっしゃるから、と。

とその方は言いました。

伝えてほしいのだ、と。

「あなたの前のその糸は、自分でいかようにも太くすることができる」

と。

「糸は切れる」

「その糸はつかんでもムリ」

というのは、本当にあなた自身の考えなのか?

ともおっしゃっていましたか。

 

 

 

 

 

 

 

 

お釈迦様が蓮の池から降ろしたのは蜘蛛の糸でしたが。

 

 

わたしたちは、

糸を選べる。

糸を太くする方法を知っている。

なんと自由自在な。

なんと幸せな時代に生まれたことだろう、

とそんな感想を抱きました。

 

 

 

 

 

 

◆―そろそろ自分の聲と言葉で世界に向けて語りだそう―

 

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クライアントさんが

難関突破。

希望の仕事に就職しました。

 

資格、経歴、知識ともに、自分よりあきらかにあるであろうというメンバーに囲まれ。

採用枠1名。見事に合格しました。

その試験&面接の様子を聞いてみると

 

 

 

「人っていうのは、自分を知りさえすれば、こんなにも自由自在に

全開でぶっとんでアクセルを踏みきれるものなのか‼」

 

 

 

と、(セッションしたわたしでさえ驚くほど)

自由自在、縦横無尽にやってきたようで(笑)。

・「その企画」の魅力を見せる方法

・自分のこれまでの経験に照らして、その仕事でできる工夫

について聞かれたそうなんですが。

 

 

事細かに聞きましたが、まあ、出る出る…。

これは試験官もワクワクしたろうなと。

 

なんというか、対試験官、という内容ではなく

対「その企画を好きなもの同士」

のやりとり、なのです。完全に。

 

面接、小論文ともに、この方の独壇場だったんじゃないのかな…

なんて想像することでした。

 

 

 

 

 

試験直後

詳細なレポとともに、メールがきました。

 

「私全開で行けば良い という公子さんの言葉を胸にいい状態で向かいました。

一通り終わって、出し切った満足感 でボンヤリしてました。

スタバでクールダウン。
ほーっ。

採用になれば今日か明日に電話連絡。
これで採用されなかったら求めている人材が違ったという事でスッキリします。

とても濃いこの数日でした」

 

 

 

試験会場という「舞台」で自身を存分に表現しきった

何とも言えない「今この瞬間を生きている感じ」

が伝わってき。

なんとすがすがしい風。

なんとさわやかな。

(そのスッキリ感(執着のなさ)に

これは行けるな…という感じがその時になんとなくしたのですが)

 

 

 

 

 

「ダメでもともとですし…」

と言っていたのは、受験を決めたとき。

年齢その他の条件を並べ、はなから不利ですが…と。

落ちた時の傷が少ないように、自分で無意識のうちに

言い聞かせてしまっている、とおっしゃっていました。

 

 

 

それがどうして変容を果たしたか。

それはひとえに「自分は何者かを思い出した」から、だと、そう感じるのです。

自分自身の人生。

やってきたこと。

好きなこと。

自分の怖さと対話すること、愛すること。

プラスもマイナスも、すべて含めて自分の人生をいとおしむこと。

 

 

 


 

真の自分とアクセスし

自分のこれまで、これからのすべてにOKを出した瞬間に

もはやこの方にとって

最終的に、「他者との比較」はこの方の中に

存在しなくなっていた、とそう思えます。

「あるのは感謝のみ」みたいな…?

 


 

 

 

 

 

今回あらためて実感したこと。

 

人は

「自分自身を余すところなく」生きられたら

結果はどうでもいいものなのです。

(多分)

 

 

問題なのは

「自分を生きられなかった」

「あれは自分ではなかった」

「自分を存分に表現できなかった」

 

その思いそのものなのだと。

その思いがずっと残ることなのだ、と。

 

 

 

そのエネルギーは重く

「そのモノが手に入らなかった」

こと自体よりも、ずっとずっと重く、

長く、静かに私たちの中に潜伏し続け、わたしたちを苦しめます。

いろんなものを私たちから奪います。

自信、自己信頼感、他者の幸せを応援する氣持ち

他にもたくさんのものを。

 

 

 

 

 

 

 

もういい、と思います。

もう十分。

そういうのはもう終わり。

一分一秒、自分を生きない時間があるとしたら

それは大いなる損失なのです。

あなた自身にとって。

あなたがもっとも大切にしたい人達にとって。

そして

この世界にとって。

 

 

 

 

 

 

 

自分の旅への旅立ちの鐘を聞いた人、そろそろ無視できないなあ…

という人のためのセッションです

―そろそろ自分の聲と言葉で世界に向けて語りだそう―

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