2013年12月26日(木)

情報と共通認識

テーマ:「情報」論

今は情報過多の時代だという。
ただし、この場合の情報は共通認識に限られる。
つまり、多くの人が同じ情報を共有しているか、
(今は共有していなくても)その気になればすぐに共有できる、ということだ。


共有した情報を元に話し合い、新たな共通認識をつくり、それを再び共有する。
こうして、雪だるま式に共通認識が膨れ上がっていく。
そういう時代だ。




そういう時代を生きている私たちは、
ともすると、「情報=共通認識」であるかのように錯覚しやすい。
情報に「伝達される」という特性がある以上、
情報の多くが共通認識化していくのは、ある程度やむを得ないことかもしれない。


しかし、共通認識であることは情報の必要条件ではない。
ひょっとすると十分条件ですらないかもしれない。
ある人にとっては情報でも、
別の人にとっては情報とならない場合がある。
情報は、認識する主体に依存するが、
認識する主体は少なくとも一つ以上存在すればよく、たくさん存在する必要はない。


先日、『失敗の意味』 という記事の中で、
「同じ『失敗』という言葉の中に、互いに独立した二義性がある」と述べた。
同じような二義性が、「情報」にもあるような気がする。
客観的・社会的な情報と、主観的・個人的な情報。
もちろん、世間で取り沙汰されているのは前者のほうだ。

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2011年09月15日(木)

ITによる情報操作に備えて

テーマ:「情報」論

コンピュータウィルス対策は、基本的に「いたちごっこ」だと聞く。
新しいウィルスが発見されるたびに、
ウィルス定義プログラムも更新されていく。


これは勘だけど、
今、新たに発見されているウィルスのほとんどは、
未熟なプログラマが作成したものなんじゃないだろうか。
あるいは、優秀なプログラマが
世間のウィルス対策のミスリードを誘うために“撒いた”ものかもしれない。


ひょっとすると、目先の「検出されたウィルス」に気を取られているうちに、
長期潜伏型のプログラム(例えば20年後に活動を開始するようなもの)が、
じわじわと、今も世界中に広がっているのかもしれない。


少し悪賢い者なら、そして経済力さえあれば、
ネット文化が社会に充分に根付くまで、
コンピュータウィルスを世界中に潜伏させるんじゃないだろうか。
そのうち、財力のある高齢者の多くがITインフラに頼るようになるだろう。
その頃を見計らってウィルスを浮上させ、情報収集などさせる。
・・・悪質なプログラマが、そんなウィルスプログラムを開発していてもおかしくない。


だとすれば、
ネット上での情報伝達においては、
悪質なプログラムに解析されても困らないように工夫しなければいけない、
ということになる。
例えば、
機械には到底わからない表現や、機械には真似できないような表現(文学的表現、隠喩など)
を使うようにする、など。
そんなことも、今から真剣に考えておかなければいけないのかもしれない。

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2011年03月11日(金)

ネットが意外に強い

テーマ:「情報」論

僕は、決してインターネット崇拝者でもIT崇拝者でもじゃない。
年賀状も手書きで出したい。


でも、大地震のあと電話が繋がらなくなって思ったことは、
「ネット回線は意外に強い」
ということ。




たまたまかもしれない。
電話利用者のほうがインターネット利用者よりも圧倒的に多い、というだけのことかもしれない。
それに、インターネット通信も、
東北地方のように停電している地域では駄目だろう。


でも、いま僕がいる場所では、
メールは通じた。
インターネットも、この通り問題なく使える。
ただ、電話だけは繋がらない。


ITは脆弱だ、と思っていた。
その脆弱さのために、特にこの半月間とても苦しめられた。
でも、今回はこのIT技術に救われている。
大切な人との連絡も取れている。




もっと、ネットの活かし方があるような気がした。


でもまずは現状確認と復帰だ。
幸い、僕の近辺ではたいした被害がないけれども、
大変な目に遭われた方がたくさんいることだろう。
まずは皆さんの状況を確認し、復帰して、落ち着いてからだ。




とりあえず、僕は無事です。

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2007年12月02日(日)

情報の価値と伝達

テーマ:「情報」論

情報の価値って何だろう。
情報の伝達って何だろう。
そもそも、情報って何だろう。


言葉の定義を言葉だけで(例えば辞書を次々と調べていくように)追っていくと、
結局、堂々巡りに陥ってしまう。
だから、厳密な定義を追いかけるのはやめて、
ここでは直感的な理解に頼ることにしよう。


すると、次のようになる。
情報の価値とは、
例えば「役に立つ」「知りたい」と感じられる度合い、
すなわち、意味が感じられる度合いのこと。
情報の伝達とは、
伝える者が伝えようとする内容と、受け取る者が受け取った内容が一致していること。




感じ方は、人によって違う。
だから、情報の価値基準も、おそらく人によって違うのだろう。


僕の場合、

世界中の人に読まれている名著よりも、
一人のために書かれた手紙のほうが、
それを読んだ人にとっては価値が大きいのではないかと思う。
(良い価値か、悪い価値かは別として。)

大衆に向けて語られる饒舌な講演よりも、
身近な人が自分に話してくれる雑談のほうが、
自分にとっては価値が大きく感じられる。




でも、今や情報もお金で買う時代。
お金を払って読む本や、
お金を払って聴く講演のほうに、
より大きな価値を見出す人も少なくない。


価値の見出せない情報をわざわざ受け取ろうとする人は、まずいない。
・・・つまり、情報の伝達という面では、
(より身を入れて読んでもらえる)出版物や、
(より身を入れて聴いてもらえる)講演会といった手段のほうが、
有効である可能性が高いのだ。




情報の価値を重視するか。
それとも、情報の伝達を重視するか。
どちらか一方だけに偏ってもいけないし、
かといって、両立させることも難しい。


情報を発信する際、
そもそも伝わらなければ意味がない、と思う。
でも、伝えることばかりに気を取られていると、
肝心の情報が薄っぺらくなりやすい。


結局、情報に関する姿勢は、
情報の価値を重視するか、情報の伝達を重視するかによって、
大きく変わってくるような気がする。

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