2014年01月16日(木)

直視すれば、すべては

テーマ:「まこっちゃ」の叫び

直視すれば、すべては
あまりに無意味で、
あまりにむなしい。


残るものなど何一つない世界で
決められた場所と時間を生き、
その中で僅かを選び、それを喜び、
いつか失い、それを嘆き、
何事も無かったかのように散り去る。


でも、だからこそ、
今を生きよう。
かけがえのない、二度と返らないこの時間を
一緒に過ごそう。共に歓ぼう。




しかし同時に、僕は知りたい。
どうしても納得したい。
この世界は、いったい何なのだろう!


きっと、途上の存在 である僕には答えは出せない。
それでも、「『知りたいわけじゃない』フリをする」ことは、できない。
たぶん答えは出ない、と思っているくせに、
絶対出ない、とは思っていない。
往生際の悪い僕。


愚かだって?
・・・そうさ、人間はバカだから ね。
というか、僕がバカなのか。
僕と一緒にされて怒る人もいるだろう。
ほとんどの人は、気にも留めないだろうけど。




こんな自分が人の親であることが、たまに可笑しくなってしまう。
そんな自分が人の親であり申し訳ないとも思う。
今、息子の目には、僕はどう映っているのだろう。
10年後、断片的にでも、息子は今日の僕を思い出したりするのだろうか。


それでも、逃げも隠れもできない。
僕は僕として、今も、刻一刻と進行中。
今を生きよう。
もう、そうするしかない。

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2013年09月29日(日)

アクシデントと命運

テーマ:「まこっちゃ」の叫び

オリジナルな考えを持っているつもりだろうか。
ユニークな人生を送っているつもりだろうか。


自分で選んできたつもりでも、
きっかけは、いつも外部から偶然に与えられてきた。
独自の価値観も、世界観も、
ルーツを辿ればすべて、あの日の出会いと経験から始まっている。




もし何も与えられなければ、そもそも何も選べない。
今までに与えられたものだけがすべてなら、これから先は何も選べないことになる。
そんな未来を望むだろうか?


これから自分の身の回りで起こることの多くは、きっと予測できない。
そうして新たな、不可逆の選択肢が与えられるのだ。
身に降りかかるアクシデントこそが、自分の命運を決めていく。


望むところだ。
これからどんなことが自分を待ち受けているのだろう・・・!

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2013年01月16日(水)

「でも」からの、もう一度

テーマ:「まこっちゃ」の叫び

でも、僕は諦めたくない。
納得したい。納得していきたい。


納得して、生きたい。


だから、不甲斐ない自分も全部ひっくるめて、
僕は進むしかない。
きっと通じる。
きっと開ける。


頭痛が何だ。吐き気が何だ。
僕は生きている。
思いを吐き出して歩いている。
なんて自由なんだ。
なんて素晴らしい世界だろう。




今日も世界は動いている。


だから僕も、大地を踏みしめる。
踏みとどまって、次に、踏み出すのだ。


よし、もう一度。

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2012年12月12日(水)

進めなくても進むしかない

テーマ:「まこっちゃ」の叫び

瞬間、瞬間を生きればいい。
予定と未来を思い浮かべながら、
しかし、その場ではその場に神経を集中するのだ。


人は、すべてに対して良い顔はできない。
結果への責任を引き受けながら、
「何に対して良い顔をするのか」を自分で決めていかなければいけない。


・・・もっとも、すべての責任を果たせるわけでもなければ、
たった一人の人間があらゆる責任を負えるものでもない。
たとえ意気込んだとしても、それは絵空事でしかない。
しかし、すべての責任が自分にあることを認識することならできる。
ここでいう「結果への責任を引き受ける」とは、そういう意味だ。




と、まずは言い切れるだけの強さが欲しい。
自信もなく、
皆様にご迷惑をかけ通しの今の僕には、述べる言葉がない。


でも、僕は現に生きている。
これ以上ご迷惑をおかけしないように、せめて今の状態で
踏みとどまらなければいけない。


そうしなければ僕が後悔する、
ということは、僕がわかっている。
進めなくても進むしかない。

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2012年03月09日(金)

一度きりの世界

テーマ:「まこっちゃ」の叫び

恥ずかしがってなど、いられない。
後悔してばかりも、いられない。


一度きりの人生だ。
・・・いや、そうではない。
一度きりの世界だ。
たぶん、僕が死んでも、他の人にとっての世界は続いていくのだろう。
けれども僕にとっては、一度きりの世界。
すべてが一度きり。


これからも、恥ずかしい思いをするでしょう。
これからも、後悔を重ねていくことでしょう。
それらを受け入れる必要もない、と思う。
・・・だって、それらは嫌なことだから。
嫌なことは嫌だから。


でも、覚悟を決めることはできるだろう。
一度きりの、限りある時間の中で、
どうしたいのか。
そこに焦点を当てていけば、今まで気にしていたことも気にならなくなってくる。
嫌なことは嫌だけれども、
嫌なことがあっても(それほど)気にしないでいられるようになる。
すべては一度きり、と思えばこそ。




<補足>

さて、それでも僕は、
上記のことを含めて延々と考えることを、たぶんやめません。
なぜなら、一度きりの世界だと思えばこそ、
どうしても僕は納得したいからです(この世界を)。
そもそも一個人の僕には納得しようもないことなのかもしれません。
もし、そうだとしたら、
「一個人の僕には納得しようもないことだ」ということを、やはり納得したいのです。
もしかすると、何かの経験や体験をきっかけに、
ふいに納得できてしまうかもしれませんし、「納得できなくてもいい」という心境になってしまうかもしれません。
その時は、その時。その時にならなければわかりません。
少なくとも今は、納得したい。
これが、僕の極めて個人的な切望です。

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2011年05月18日(水)

「いま、やれること」「いま、やろうと思えること」

テーマ:「まこっちゃ」の叫び

全部が全部、予定調和ではない。


先が見えなくても、
今後の予想や準備ができていなくても、
いま、やれることをやっていこう。
「いま、やれること」に制限を設けないでおこう。
つまり、
その瞬間に一番やりたいことを素直にやるのが大事。


自己中心的?
・・・いいじゃない。
全員が全員、真剣に自分の為を考え、自分の為になることを自力でしようとしていけば、
たぶん、世の中はもっと良くなると思う。
自分のことなのに、誰かにやってもらおうとする人が多すぎるから、
負担が一箇所に集中してしまい、全体もおかしくなるんだ。


僕は、自分が誰かの重荷になりたくない。
そういう人生は、僕自身が苦しい。
相手も自分も、お互いが存在することで喜び合っていける生き方がしたい。
“自己中心的に”、僕はそう思っている。


だから、僕は、僕のやりたいことをやる。
他人に言われたことであっても、それをやりたいと思えばやる。
おかしい、やりたくない、と思えば、
「どうしてそれをしなければいけないのか」を相手に確認するし、
確認したくもない相手だったら、そのまま無視する場合もある。
逆に、おかしいな、と思っても、
「この人に言われたのだからやろう」と思える時もある。
いずれにしても、
判断基準は、自分の気持ちがそこに向くか向かないかであり、
「いま、やろうと思えること」をし続けること、その一点がもっとも重要なのだ。


それと同時に、まずは、
自分がどのように生きたいのか、よく、自分の心に確かめなければいけない。
すべての判断は、そこにかかってくるのだから。

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2011年05月04日(水)

頭の中で衝突して、結局外に出ない

テーマ:「まこっちゃ」の叫び

叫んでしまった。
変に思われていないだろうか。
・・・隣近所があると、この辺がつらい。
思う存分、叫べる場所がない。
カラオケでも、大声で叫べば怪しまれるだろう。


避難所暮らしの人は、本当につらいだろう。
周囲の意識に晒され続けることは、精神を消耗する。




僕の頭の中の声を、全部外にぶん投げたい。
だいたい矛盾してるんだ。
自分が本当にどうすればいいのか、まったくわからない。
こんな、何のアドバイスにもならない対立ばかりする声なら、
出て行ってくれたほうがましだ。


耐えかねて、叫ぶ。
その次の瞬間、周囲の目が気になる。
こうして、僕の身体はいつも硬直している。




やっぱり書くしかない。


多少、変に思われても、
書いて、それを読んでくださった人に多少でも理解して頂いて、
僕という存在を、この世界に繋ぎ止めるしかない。
世界と僕を繋ぐ方法。


いつも文句ばかり言っているけど、
これでも僕は、かなりこの世界に感謝している。
だから繋がっていたいんだ。ちゃんと。

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2011年03月16日(水)

自分の基準

テーマ:「まこっちゃ」の叫び

今までの常識が通用しなくなっている。


これまで、肌に合わない基準に無理に従って、
窮屈な思いをしてきた人や、肩身の狭い思いをしてきた人は、
これからは、思い切って自分の基準で動いてみるといい。




・・・というより、自分の基準で動き始めるなら今だ。


既存の枠組みと多少違うことをしても、
今なら、それほど咎められることもない。
そんなに目立たないし、変に注目を浴びることもない。
何しろ、世界そのものが既存の枠組みからもう違ってしまっているのだから。


周囲とは違う基準で動くことをしてこなかった人や、
そういうことに慣れていない人でも、
今なら、それほど抵抗なく「自分の基準」で動けると思う。
周囲の人々も、今は、変な偏見は持たなくなっているだろう(それどころじゃない)から、
「自分の基準」を認めてくれる可能性も高い。


今は、“周囲と同じかどうか”よりも、“その思いが純粋であること”のほうが、強いはず。
だから、胸の中にあるその思いを軸にして動いてみよう。
今なら、きっと拍子抜けするほど受け入れられるんじゃないかと思う。




ちなみに、もともと自分の基準で動ける人は、
初めから周囲からの視線なんてあまり気にしてないから、
何もこんな非常事態を選ばなくても、いつでも自分の基準で動き始められる。


でも、人間の心は、そんなに単純じゃない。
特に未知のことや、経験したことがないことに向かって踏み出す一歩は、
途方もなく怖い。


既に経験している人が、
「たいしたことないのに」と笑い飛ばすのは、筋違いだと思う。


本当は、「自分の基準」で生きる、なんてのは当たり前のことで、
基本的には周囲からの視線なんて関係ないことなんだけど、
今は、既存の枠組みが成り立たなくなっていて、みな同じ一線の上に並んでいるから、
「もっと強くなってから」とか、
「もっと勉強してから」なんて言わずに、
今まで踏み出せずにきた人は、今、踏み出すといいと思う。




僕も、踏み出してみようと思う。


踏み出す、って言っても大それた活動を始めるとか、そういうことじゃない。
自分の考えと気持ちに従って動き、意見し、選択する。
それだけのこと。


けんかしたっていいじゃない。わがままでもいい。
人生に与えられた時間には、限りがある。
その間に、少しでもぶつかり合ったほうが、お互いのことをきっとよく理解できる。
そのほうが、一緒に生きていける。

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2010年09月22日(水)

偽る気持ち

テーマ:「まこっちゃ」の叫び

嫌なものは、嫌なんだろう?
「嫌じゃなかったこと」になんかするなよ。


本当は嫌だけど我慢してるんだろう?
我慢してるくせに、「我慢してないふり」なんかやめろよ。
自分がかわいそうじゃないか。


そんなに何でも現実を直視できるほど強くない、・・・って?
強くなくていいじゃないか。
耐えられなければ泣けばいいじゃないか。
生きるって、そういうことじゃないの?




なんなら直視しなくてもいいよ。
でも、「直視してない」ってことを忘れちゃいけない。


そのことまで忘れちゃうのは、自分を徹底的に裏切ることだ。
僕は、そう思う。

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2010年09月08日(水)

ゲシュタルト崩壊

テーマ:「まこっちゃ」の叫び

突然、あらゆることがわからなくなる時がある。
それまでわかっていたはずなのに、
見えるものや聞こえる音の「繋がり」や「意味」が、突然わからなくなる。
こういうのを、ゲシュタルト崩壊 と呼ぶらしい。


家の中では誰も見てないからまだ安心できるが、
これが街中で起きると非常に困る。
むしろ完全にわからなくなってしまえば困りすらしないのだろうが、
つらいことに、
「今、自分はオカシイ」ということは自覚できるし、
「怪しく思われたら良くないことになってしまう」という危機感もわく。
その程度の自覚は保たれてしまっているから、余計に苦しいのだ。


「僕」の取扱説明書が欲しい。

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