2011年09月17日(土)

脂汗

テーマ:実感

我に返った時が、非常につらい。
存在の重みが耐え難い。
為す術なく過ぎていく時間が恐ろしい。
現状認識ができない。


今、言われていることがわからない。
周囲だけが進んでいく。
自分は取り残されていく。
必死で整理しようとするけれども、自分はバラバラで、
世界からは、次から次へと新たな「働きかけ」が襲ってくる。
僕は、それを受け取るだけがやっとで、
何の反応もできずにいる。
そのことが余計、僕を焦らせる。そして脂汗。




・・・やっとの思いで(心の中で詫びながら)、自分だけの空間を確保し、
こうして文字にして吐き出している。
そうすることで頭の中がいくらか整理され、多少なりとも落ち着くことを、
今の僕は知っている。
中学の頃の僕に比べれば、それを知っている分、今の僕は楽だと思う。




存在の重み、って言ったけど、
別にカッコつけて言ってるわけじゃない。
他にうまい表現が見つからないだけだ。
例えば、
僕自身を、僕がどうしていいのかわからない感じ、
・・・と言えば伝わるだろうか。
たぶん、こう言っても、
「何が、どんなふうに、どうわからないのか」
が伝わらないんじゃないかと思う。


僕自身、自分に起きていることをよくわかっていないんだろう。
・・・いや、わかってる。
わかってるけど、自分の中にあるいくつかの思いが、
あまりにも矛盾しすぎていて、どうしても両立できなくて、
でもどれも捨てられなくて、
結果、処理できなくなってフリーズしてる。そういう状態。


コンピュータが羨ましい。
フリーズしても、奴は“平気”なのだ。
何の憂いも曇りもなく、ただ淡々とフリーズできる。
「フリーズしている自分に、気が咎める」こともない。
ある意味、僕は完全にフリーズしていないのだろう。
完全にフリーズしていたら、自分がフリーズしていることすら認識できないはずだから。
僕の中に、フリーズしかかっている自分を見つめる眼差しがある。
そんな中途半端なフリーズ状態だからこそ、苦しい。




まあ、でも、こうして文章に吐き出して、
現に少しは落ち着いたわけだから、
(以前に比べれば)こうして対処できるようになった点は、喜ばしいことだと思う。
気を取り直して、もう一度やり直せばいい。


やり直せばいい、というか、もう、そうするしかない。
そうしなければ進んでいかない。
僕の人生を動かしていけない。

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2010年01月04日(月)

伝えること

テーマ:実感

実感を伝えることは、難しい。


当然のことだし、知っているつもりだったけど、
最近、特にそう思う。




もともと、実感を伝えようとすることのほうがワガママなのかもしれない。
でも、
「人は所詮、わかり合えない」
なんて思いたくない。
思い込みでも、幻想でも、「わかり合えた」と思えた瞬間を心の支えにして生きている。
だからこそ生きていける。


そう思っているのは僕だけではないはず。
だから、僕も諦めず、
何度でも実感を伝えようとする。




これでも、少しは上達したと思う。

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2009年10月02日(金)

「ヒゲと顔面」、「樹と地面」

テーマ:実感

ヒゲを引っこ抜いたら、痛いのは顔面だ。ヒゲじゃない。
なら、樹を引っこ抜いたら、痛いのは地面だろうか。


どちらかというと、地面よりも樹のほうが痛がりそうだ。
地面と樹の場合は、樹のほうに生命を感じる。
ヒゲと顔面の場合は、どちらも元は生命の一部だったかもしれないが、切り離されれば顔面のほうが生命の主体だ。


しかし、ヒゲにも細胞がある。
細胞は生命とは呼べないのだろうか。
もし、“それ単体では生きられない”から生命と呼ばれないのであれば、
人間だって、単体では到底生きられないのだから生命と呼ばれてはならないはずだ。


地面は、生命とは呼べないのだろうか。
「ガイア理論」という、地球を大きな生命体と見るような考え方もあるらしい。
人体内にも無数の生命が蠢いているのだから、
さらに多くの生命が蠢いている地球全体は、人間以上に「生命的」だと言えなくもない。




・・・所詮、思いつきの話。
「生命」の定義については、あえて無視した。


でも、定義うんぬんする以前の自然な感覚として、
「ヒゲと顔面」の区別と、「樹と地面」の区別が、似て非なるものであることが、
とても不思議だったのだ。


こと「生命」のような存在については、
まず西洋科学的な定義ありきで捉えるのは、ひどく不自然な気がするし。

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2009年03月26日(木)

頼んでしてもらうこと、頼まれてすること

テーマ:実感

僕が何かを頼んで、その頼んだことをしてもらったのでは、
「僕がした」のと同じことだ。


例えば、
「何でもしてあげるから、何をして欲しいか教えてくれ」
と言うことは、
決して、「何かをしてあげよう」という意思の表れではなく、
単に、相手がしたいことのために労働力を提供することを約束しているだけなのだ。


あくまでも、主人公は相手。
自分は、その指示に従うだけ。
責任を持って自ら進んで何かをするのとは、根本的に、意味が違う。

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2008年08月28日(木)

理性が僕を押しとどめる

テーマ:実感

駅の階段を下りる足が重たい。
転げ落ちないように、体を支えつつ足を交互に下ろしていく。


下りながら、
「もう転がってしまおうか」
と思い描く。
きっと、周囲の人は驚くだろう。
僕は瞬時にして浮いた存在になる。


それに、まず痛い。
頭を階段の角に打ち付けた時の痛み。その事後処理だって、しなきゃならない。
・・・ああ、やっぱり、
ちゃんと踏ん張って最後まで下りたほうがいい。
そう思い直して、
僕は、いつも、転がらずに階段を下りきる。


「あとが大変だ」
そう、理性がささやく。そして常に僕を押しとどめる。
こんな理性、消し飛んでくれればいいと、何度も思った。
けれども、そう思っている自分を自覚し、
こうして文章に起こしている。


なんだろうね。これ。
この文章、読んでておもしろいですか?


ただ、不思議と、
書くことで、僕の心の中のモヤモヤが、
それなりの意味を与えられたように思えてきて、落ち着いてくる。
単に、「記事のネタになった」という自己満足かもしれないけど。


それでも、いいんだ。
僕は、こうやって今日も生きている。
まがりなりにも生きているんです。


そうやって自分を納得させているのも、やはり理性かもしれない。

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2008年08月18日(月)

僕の実感

テーマ:実感

結局、生きることが何なのか、さっぱりわからない。


必ずしも、生きる意味を知りたいわけじゃない。
意味を知ることよりも重要なことがあるし、
意味なんかわからなくても大切なことがあるだろう(愛することの意味なんて、実際ほとんどわからない)。
生きることが何なのか、わからなくても、
生きることを納得できれば、それでいい。
でも、心底からは、納得できてない。


別に、生きることが嫌なわけじゃない。
むしろ生きていたい。死ぬことが怖くてたまらない。
(→テーマ『生と死』




生きることを納得できない = 生きていたくない?


・・・いや、そうではない。
むしろ生きていたい。でも、それは死にたくないからだ。
自分の存在が消えてしまうことが怖い。
記憶も感覚もすべてなくなってしまうことが怖い。
それと、付け加えるなら、
自分を大切にしてくれる人を悲しませたくない(“付け加え”扱いでごめんなさい)。
だから生きていたい。
できることなら、もっと幸せになりたい。


でも、幸せになって生きて行き着いた先の、それが何なのか。
あるいは、そうして生きる過程が、いったい何だというのか。
さっぱりわからないけど、
このモヤモヤした気持ちを抑え切れず、何とかしようとして生きていくのだと思う。


結局、最後には死が待っている。
その事実は、どうにも変えようがないのに、
人類不変の結末を知りながらもなお、こうしてもがいている。
生きることを納得してから死のうが、
生きることを納得できずに死のうが、
死んだあとに記憶も感覚もすべて失うことに変わりはないけど、
それでも、生きることが何なのか、わかりたい。納得したい。




納得できないまま生きて、ただ死ぬにしては、
この世界には理不尽なことが多すぎる。
だから、ちゃんと納得したいんだ。
この世界と、この生を。


・・・これが、
(独り善がりで自己中心的かもしれない、)僕の実感です。

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2007年11月19日(月)

その日が来るまでは

テーマ:実感

受験戦争の真っ只中にいる子供に向かって、
「勉強だけが人生じゃないよ」
と言う人がいる。


愛する人のことで胸が張り裂けそうな青年に、
「異性はその人だけじゃないよ」
と言う人がいる。


言いたい気持ちは、わかる。
状況にもよるだろうが、大方において“正しい”意見だ。



・・・でも、それはまるで、
「生きるだけが道じゃないよ」
「星は地球だけじゃないよ」
と言うようなもの。


「生きるだけが道じゃないよ」
これは、理屈の上ではとても正しい。
生きることをやめる道を選ぶ人が、現にいるのだから。


「星は地球だけじゃないよ」
これも、理屈の上ではとても正しい。
宇宙人から見れば、
必死に地球にしがみついて生きている我々は、滑稽に映るかもしれない。


生きるために苦しんでいる人は、確かに生きることに執着し過ぎているのかもしれない。
地球のことで悩んでいる人は、確かに他の星が見えなくなっているのかもしれない。




だけど、それを指摘して、いったい何になるのだろう。


懸命に生きようとしている人に、
「生きるだけが道じゃないよ」と呼びかけて、いったい何になるのだろう。
地球で育ち、地球を愛している人に、
「星は地球だけじゃないよ」と諭して、いったい何になるのだろう。


もっとも、いつの日か、
生きるだけが道ではなかったと悟る日が来るかもしれない。
地球から出て、広大な宇宙に住まうような日が来るかもしれない。


でも、その日が来るまでは、
生きることがすべてであり、この地球が全世界なのだ。




その日が来るまでは、
勉強こそが人生であり、愛する人が世界の中心なのだ。
来るか来ないかわからないけれども、
その日が来るまでは。

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2007年09月17日(月)

世界と僕

テーマ:実感

例えば、
映画を観ている時のような気持ちで
目の前の世界を眺めてみよう。


例えば、
知らない星に来たようなつもりで
(あるいは自分が宇宙人になったつもりで)
そこに広がっている景色を観察してみよう。


日頃、見慣れているはずのものが、
どれも、特別で不思議なものに見えてくる。


こんなにも変化に富んでいて、
こんなにも儚くて、
こんなにも万感に満ち溢れた世界に
僕は生きているのだ。



そしていつか、僕は、この世界からいなくなる。

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2007年04月04日(水)

生きる喜び

テーマ:実感

生きる喜びは
考えてもわからない。


生きる喜びは
体で感じるものなんだ。


体を動かして生き続ければ、自然にわかることなんだ。




生きる喜びに
根拠も理屈もないんだよ。
あるのは、この躍動する存在感だけさ。

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2007年01月04日(木)

失敗

テーマ:実感

失敗したくない。


「失敗は成功のもと」
なんて言うけれど、
もし、その失敗が、成功への道の一部だと最初からわかっていたのなら、
それは、そもそも失敗とは呼ばれない。


失敗が失敗なのは、それが不本意なことだからだ。
不本意な結果を出してしまった本人にとっては、それが、紛れもなく失敗なんだ。
成功のもとなんかではなくて、「失敗」なんだ。


「その程度のことなら失敗のうちに入らない」
とか、
「そういう失敗も人生には必要だよ」
とか。
他人の目からは確かにそう映るのかもしれない。
でも、本人にとっては大失敗なんだ。
人生に必要だなんて思いようもない大失敗なんだ。




失敗を感じる気持ちは、痛みを感じる気持ちとよく似ている。


周りの人からは、本人の痛みはわからない。
例えば、道で転んだ時の痛みなら、ほとんど誰もが経験しているだろうけれども、
道にもいろいろな道があり、
転び方にも、皮膚の強さにも、そして痛みの種類にも、
いろいろある。
だから、いま目の前で転んだ人の痛みをそのまま知ることは(たぶん)できないんだ。


痛がっている人に向かって、
「それは痛くない」
と言うのは、おかしい。
痛いものは痛いんだよ。
嘘をついているのでない限りはね。




失敗を感じている本人にとって、
それは、肯定できるはずもない失敗そのものなんだ。

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