2012年08月12日(日)

同じ場面でも言うことが違う

テーマ:仕事

会社で、(たとえば同僚と)仕事の話をする時、
僕は、同じような場面であっても、
その時々によって、まったく違うことを言っている。
・・・ということを思い出した。
改めて考えてみると、これは不思議なことだ。
どういうことなのだろう?


僕の思考が一貫していないからなのだろうか。
それとも僕が、単なる気まぐれで喋っているからなのか。
・・・そういう面も、たぶんゼロではない。
完全に首尾一貫した思考なんて、まずあり得ないし、
発言の内容は、その時の気分にも影響されやすい。
でも、
僕は少なくとも、仕事の話をする時には真剣に話しているつもりだ。
いくら「気分によって物事の捉え方が変わる」といっても、
"同じような場面でまったく違うことを言う"ほど変わってしまうはずがないと思う。
つまり、どの発言も、
紛れもないこの僕自身の言葉であり、僕自身の考えなのだ。


そもそも、
僕の中にある考え方、アプローチは、一つだけとは限らない。
ある視点に立てば「Aである」と言えることが、
別の視点に立てば「Aではない」と言えるようになる場合もある。
(たとえば、会社の担当者の役割として言うことと、個人的な考えとは必ずしも一致しない。)
とはいえ、
複数の視点に"同時に立って"考えることは難しい。
まして複数の発言を"同時にする"ことは不可能だ(口は一つしかない)。
だからこそ、そのせいで僕は、
瞬間的にある特定の視点を選択してしまっていて、
自動的にその選択に沿って考え、発言してしまっている。
きっと、そういうことなのだろう。

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2012年02月14日(火)

準備しておく理由

テーマ:仕事

アドリブは、うまく行けば楽しいが、
慌てふためくのは苦しい。


前もって準備しておくのは、
「何もかも予定通りに進めるため」ではなく、
アドリブを楽しめるようにする、武器を増やすためだ。

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2011年10月17日(月)

行為の主体者

テーマ:仕事

「指示されてやったこと」は、基本的に、
「自分でやったこと」ではない。


電源スイッチを入れれば、パソコンは起動し、
電卓を叩けば、電卓は計算結果を表示する。
しかし、それはパソコンや電卓が「自分でやったこと」ではない。
操作する人間の指示を受けてやったことである。




これは何も、機械に限った話ではない。


仕事における、人間同士の指示・連絡の場合も同じで、
基本的には、
指示者=行為の主体者
でなければならない。
A氏がB氏に指示をし、その指示に従ってB氏が行為した時、
その行為の主体者はB氏ではなく、A氏でなければならない。
B氏の行為であることに違いはないが、B氏はあくまでも"被指示"者なのだから。


ちなみに、この記事は、僕(の脳)が書いている。
僕(の脳)が僕の手に指令を送り、
その指令に従って僕の手がキーボードを叩き、この記事を書いている。
この場合、この記事を書いているのは僕(の脳)であって、僕の手ではない。
(もちろん、"手で"書いているのだけれども、"手が主体的に"書いているわけではない。)
それと同じように、仕事の場でも、
指示者が"行為の主体"者でなければならないはずである。


もちろん、お互い人間同士だから、
A氏の指示を受けたB氏が、指示の内容を誤解したり、あるいは気を利かせたりして、
もともとのA氏の指示と違うことをB氏行為してしまう、ということも充分あり得るだろう。
しかし、それは基本的には「エラー」と見なされるべきことであり、
書き間違い、言い間違いなどと同様に扱わなければならないことなのである。




パソコンや電卓の場合、それ自身が"行為の主体"となることはまずあり得ない。
しかし人間の場合は、厄介なことに、
一人の人間が、ある件に関しては"指示"者であり、別の件に関しては"被指示"者でもある、
という状況がたびたび生じる。
複数の人間の間では、"指示"者と"行為の主体"者の役割分担が頻繁かつ煩雑に入れ替わる、
ということが日常的に起きてしまう。
こうした事情が、"被指示"者と"行為の主体"者の区別を混同しやすくしている、ということも事実である。


・・・とはいえ、個々に注意深く見れば、
(特に仕事の場においては、)誰が"行為の主体"者であるのかは、自ずと決まっているはずである。




ある時は"指示"者として行動し、次の瞬間には"被指示"者として行動している時がある。
ひどい場合には、
一つの会話の中で、その立場が頻繁に入れ替わることもある。


しかし、そこをなんとか捉え続け、見失わないことによって、
初めて、「報告」「連絡」「相談」の機能も成立する。
だから、仕事の場においては、
指示者=行為の主体者
である、ということを常にきちんと厳格にわきまえておく必要がある。と僕は思う。

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2011年10月09日(日)

僕は、現にサラリーマンだ。

テーマ:仕事

国家を維持し、運営していくために法律が必要なのは、わかる。
法治国家の中では、人々の多くが法人組織の下で働く道を選ぶことも、わかる。
僕は、現にサラリーマンだ。


しかし、「これですべて良し」とは思わない。
例えば(ほんの一例だが)、
猫も杓子も、過密ダイヤの通勤列車に朝夕2回乗り込んでクタクタになりながら職場に向かっている。
その光景は、一歩外から眺めれば異様だ。


「そう思うなら、なぜサラリーマンを続けているのだ。矛盾している。」
と言う人がいるかもしれない。
しかし、そのような人には、逆に問い返したい。
「生きることに疑問を感じている人に向かって、あなたは『死ね』と言うのか」と。




人間、誰もがバイタリティーに満ち満ちているわけではない。
ほとんどの人が、英雄でも仙人でもない、凡人だ。
それでも、まずは生きていかなければならない。
答えが出なくとも、迷いながらでも、
目の前に与えられている限られた選択肢の中から「とりあえず」選び、生きていかなければ
何も始まらないし、次に繋げていけない。


「とりあえず」の選択をしている状態なんて、みっともないかもしれない。
情けないことかもしれない。
しかし、考えてもいけないのだろうか。
発言することさえ許されないのだろうか。
「この生き方は間違っている」と思いながらも、その生き方を当面続けざるを得ない状況、
なんて、普通、山ほどあるのが当たり前ではないのだろうか。


経済的に豊かな国に生まれた者は、
そうでない国に生まれた者に対して、何も言う権利がないのだろうか。
・・・確かに、もともと余裕のある環境で育ってきた人が、
その環境の恩恵で得た知識や技能を武器に、無自覚のうちに"高み"から発言してしまう、
という例は決して少なくない。
そのような人が反感を買ってしまうのも、無理のない話だと思う。
しかしながら、そのような人に「そもそも発言権がない」わけではない。
言論の自由が、既成事実によって縛られてしまうようなことは、決してあってはならないはずだ。




僕がサラリーマンをしているのは、まずは自分と家族の生活のためだ。
今日や明日を生きられない状態のまま、理想だけをぶちあげても勝ち目はない。
だから、まずは生きていかなければならない。


もちろん、それだけではない。
仕事自体にもやりがいを感じているし、
自分に「果たすべき役割」がある、ということに生きがいも感じている。
つまり、僕は、
自分がサラリーマンでいる現状を、ごく自然な意味で、肯定している。


それはその通りなのだが、
一方で、「これですべて良し」とは思っていない。全然そう思わない。
もっと別の社会の在り方が実現すれば、
サラリーマン社会なんてなくなったほうが自然だ、と本気で思っている。
でも、今の僕はサラリーマンでいる。
・・・矛盾だらけかもしれないが、
一人の人間の生き方として、おかしいことでも何でもないと思う。




高校卒業の時の担任教師が、
「反社会的であれ。ただし、非社会的にはなるな。」
と言っていた。
僕が高校生だった当時は、
「先生がきわどいことを言っているな」と感じていたが、
今思えば、つくづく言い得て妙だと思う。


反社会的だからといって、非社会的にならなければいけないわけではない。
むしろ、社会的に生きながら、
しかし現状に甘んじることなく、(現状の社会に対しては)反社会的になるべきなのだ。

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2011年09月13日(火)

“上のせい”にするな

テーマ:仕事

何でもかんでも“上のせい”にするな。
もし、本当に上司のせいだったとしても、
その上司のせいにして逃げてはいけないんだ。


たとえ少しでも、自分が関わっている以上は、
基本的に、“自分のせい”だ。
“上のせい”ではない。




もちろん、自分の力ではどうにもならない時もある。
逆らい難い大きな力と流れの中で、
為す術なく「悪い方向」へと進むしかない場合がある。


そのような場合、自分は責任を免れるのか、
・・・と言えば、決してそうではない。
やはり、責任を問われるのだ。




そもそも、自分が生まれたのは“自分のせい”ではない。
だからと言って、
自分が何をしても罪を問われないわけではないし、
自分の人生に責任を持たなくて良いわけではない。
・・・このことに異を唱える人は、ほとんどいないはずだ。


ましてや、組織の場合は、
「自分が生まれたこと」に比べれば、まだ自分で選べる余地が残されている。
どこで働くか、
誰の指示に従うか、・・・など、
すべての選択が許されるわけではないものの、
ある程度の選択の幅と、判断する時間が与えられているのだ。
その中で、選んだのは他ならぬ自分である。


たとえ、無自覚的であったとしても、
自分が選択し、自分が関わった流れにおいて失敗が生じたなら、
その失敗の責任の一端は必ず自分にもある。
・・・確かに理不尽だ。
しかし、ここはそういう世界。




何でもかんでも“上のせい”にする人は、
「好きで生まれてきたのではない」と言って自分の人生に責任を負おうとしない人と、
本質的に変わらない。

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2011年07月10日(日)

社会人として

テーマ:仕事

本屋に行けば、ビジネス啓蒙書のコーナーがあり、
とても読み切れないほどさまざまな本が売られている。
新刊本も、次から次へと出版されているらしい。


これでは、「読み切れない」どころか、選ぶことすらできない。
しかも、著者によって主眼の置場が少しずつ違うらしい。


・・・結局、本屋で選ぶ場合、
本を選ぶ決め手となる“基準”は、
根本的に、選ぼうとしている人の心の中にある。
その基準に照らして、
なるべく近いタイトルの本を探すのだ。
無意識的にかもしれないが、
「こうあるべきだ」と感じているところがあるからこそ、
まず、そのようなコーナーを見に行くのだろうし、
その感じに近いタイトルの本を見つければ、手に取ってレジに運ぶのだろう。




あまり、啓蒙書を買い漁っても意味がない気がする。


「どういう考え方やスタンスが自分に合っているか」
ということが既に、人によってさまざまなのだ。
その意味では、
自分の考えやスタンスに“お墨付きを得る”ために、
自分に合った本を手に入れることにも一定の意義がある、と思う。
少なくとも、
やみくもに買い漁るよりましだ。




僕は、今の会社に入る前にアルバイトをしていたが、
そこを辞める時、
当時の上司から、餞別として二冊の本を頂いた。
二冊とも、ビジネス啓蒙書に分類されるような本だったが、
その中の一冊が、なかなか効いている。


たぶん、本屋で見かけても自分では買わなかったような本だ。
(ビジネス啓蒙書の類の本に、そもそもあまり興味がない。)
今思えば、「頂いた本」だったのが逆に良かったのだと思う。


というわけで、(唐突ですが)本の紹介。
「この本こそがおすすめ!」というわけではなく、
あくまでも僕個人にとって、いろいろな思い入れのある一冊。
『部下の哲学』(著:江口克彦)




この本を、線を引きながら何度も読み直した。
そのたびに「確かに」と思いながら。
でも、すぐに忘れてしまい、元の自分に戻ってしまっている。


決して読みにくい本ではない。長くもない。
それでも、「一冊を読み直す」となると、つい後回しになってしまう。
だから、自分なりに要点をまとめることにした。


たぶん、この本に書かれていることは、次の3項目に集約される。
熱意とやる気をベースに、
素直な心を持ち、
その上で、目標を立てながら進む。


当然のようだけど、これが絶対に外せない基本中の基本なのだと思う。
熱意とやる気だけでもいけないし、
素直な心を持っているだけでもいけない。
ただ目標を立てれば良いというものでもない。
全部、同時に。
それが社会人として大切なこと。

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2011年02月18日(金)

務めを果たすべき相手

テーマ:仕事

雇用契約を結んでいる相手は、会社だ。
だから、
自分の仕事の責任を果たす相手も、雇用主である会社だ。


その会社が、もし、
「お客様のため」
「社会貢献のため」
を目指しているのであれば、自分もそれを目指さなければならない。
もし、そういう会社でないのなら、
(雇用契約の範囲においては)自分もそれを目指す必要はない。
それでも目指したい場合は、
あくまでも“個人的に目指す”ことになる。
あるいは、
(可能であれば)会社そのものを変革していく、という方法もある。


「面接してくれた上司の期待に応えたい」
「自分を入社させてくれた上司の気持ちに報いたい」
と思うのが自然な感情だとしても、
その上司も、だいたいにおいて会社との間に雇用契約を結んでいる。
つまり、この場合、
会社に対して自分の務めを果たすことは、上司の気持ちに報いることと、ほぼ同義である。
・・・たとえ、それが上司の“その一時”の思いに沿っていなかったとしても。




上司も人間である。
一時の感情に流され、判断を誤ったり、間違えることも当然ある。


「上司から指示されたことだから」
といって、間違っていると薄々気づいていても指示された通りにすることが、
果たして上司の気持ちに報いることだろうか。


上司がよろめいた時、10のうち1つでも支えることができたなら、
それこそが会社にとってプラスであり、上司にとってもプラスであるはずだ。
・・・もっとも、中には、
支えたつもりが、自分の知識不足や経験不足が仇となって、かえってマイナスになる場合もあるかもしれない。
その時は、叱られたり、(内容がひどい場合には)懲戒処分を受けることも覚悟しなければならない。
会社に損害を及ぼした場合、結果責任を問われるのは当然のことだからだ。


しかし、そのような過ちを犯す可能性があるのは、上司も同じなのだ。
お互い人間同士なのだから、
役割の違いこそあれ、協力して生き抜く共同体として、
地に足をつけ、自分の足でしっかりと歩んでいきたい。




務めを果たすべき相手は、
必ずしも個人や、その個人の一時の思いではない。
その個人を含む共同体全体こそが、務めを果たすべき相手なのだと思う。

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2010年07月15日(木)

腹が立っても

テーマ:仕事

他人のせいだと思うからこそ、腹も立つ。


ほかでもない自分の人生なのだから、
「そういう人なのだ」
と見極められなかった自分にも、一定の責任があるはずだ。


結局、自分が未熟だったのだ、
ということに気づけば、そのことに学び、
「よし、もう一度」
と出直すしかない。

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2010年03月28日(日)

営業活動の強化と、サービスの実質的向上

テーマ:仕事

営業活動(広告活動を含む)の強化は、
提供するサービスの実質的向上と、必ず「同時進行」でなければならない。


たとえ、もともとサービスの実質的なレベルが極めて高かったとしても、
それに見合った営業活動をしていなかったのであれば、
営業活動の強化と同時に、それに伴うだけの実質的向上がやはり必要になってくる。
なぜなら、
「当初から一定の品質を保ちながらも、それについては特に宣伝しなかった」
ということは、
「その品質のサービスを提供することが当然だ、と周囲から見なされることを了承した」
ということでもあるからだ。
もし、ある日、営業活動を強化しても、
実質的向上が何もなければ、取引先は、その会社に対して
「なんだ、何も変わっていないじゃないか」
としか思わないだろう。


営業活動の強化の進行度と、提供するサービスの実質的向上の進行度は、
常に、相対的に測られているのだ。

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2009年12月22日(火)

ITと法律と、建設業界

テーマ:仕事

先日、『ITと法律』 という記事を書いたけれども、
この2つを「近い」と感じるのは、
僕が建設業界で働いているからかもしれない。


ITも、法律も、建設業界では対応が極端に遅れている。
しかし同時に、
ITも、法律も、今は急激に対応を進めているのも建設業界である。


僕は、建設業者の中にいて、
ITと法律の両方を役立たせながら働く位置にいる。
建設業界には、ITにも法律にも疎い人が非常に多い。
それでも成り立ってきたのが、これまでの建設業界だったのだと思う。


実は、ITも、法律も、どちらかと言えば嫌いだ。
たかが誰か人間がこしらえただけの仕組みのくせに、
偉そうに鎮座して、半ば強制的に人々を制するようなところが、どうしても好きになれない。


ITそのものや、法律そのものが、「偉そうに鎮座」するわけではない。
「偉そうに鎮座」しているのは、
つまり、ITや法律を飯の種にしている人間だ。
周囲の人々が、彼らを先生と呼んで「偉そうに鎮座」させている面もあるだろう。
いずれにしても、
所詮いびつな人工物に過ぎないものを、至上命題のごとく祀り上げているさまが、
僕には、異様に感じられて仕方がない。


だが、もともと理屈っぽい僕にとって、
ITや法律は馴染みやすい。(つまり僕は、結構いびつで極端な性格をしている。)
だから、
僕が、ITや法律に疎い人たちの助け(盾とか支えとか)になれれば嬉しい、と思う。
『ITと法律』 の中でも、
僕にとって一番重要な意味を持っているのは、次の箇所だ。


ただし問題は、ITにも法律にも疎い人が、いまだ少なくないことである。
そういう人々が実際に現実社会の中に多くいる以上、
その人たちの日常にそぐわないシステムをその人たちに強要することは、
根本的に、法の理念に反している。


・・・稚拙ながら、これが、今の僕にとって一つの基準になっている。
生きる上での基準、
というよりは、仕事する上での基準だけれども。

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