2006年12月04日(月)

貸してあげてもいいよ

テーマ:本音と建前

少年は言った。

「これ、貸してあげてもいいよ」


しかし、おじさんは答えた。

「それは君にとって大切なものなんだから、君が持っておきなさい」


その答えは、とても正しかった。
そして、おじさんが善良なおじさんであることも、少年はよく理解していた。
・・・だけど物足りなかった。
歯がゆくて、残念だった。




実のところ、少年は、
自分にとって大切なそれを、おじさんに是非とも貸してあげたかったのだ。
それを知ってもらいたかったし、それをおじさんと共有したかった。


けれども、「貸してあげる」と言って押し付けてしまったのでは、まるで意味が無かった。
あくまでもおじさん自身の意志として、それを受け取って欲しかった。
なぜなら、それは非常に大切なものだったからだ。
望まれもせずに貸してしまってもいいようなものではなかったからだ。




「もらいたい」だけが渇望ではない。
「あげたい」という渇望もある。
しかし、求められなければ、押し付けることはできてもあげることはできない。
社会的にも経済的にもずっと「もらう」立場にいた少年にとって、
「あげたい」渇望は、きっと大人の想像する以上に強いものだったろう。


だから少年は、あげられるものの数少ない中からそれを引っ張り出してきて、
おじさんに受け取ってもらえることを最大限期待しながら、
ぼそっと呟いたのだ。


「これ、貸してあげてもいいよ」


しかし残念ながら、経験豊富なおじさんには、
少年のその小さな背伸びに気づくことができなかった。




人知れず打ち砕かれた期待。
・・・そして少年の心は、また一つ、大人になった。

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同じテーマ 「本音と建前」 の記事
2006年08月15日(火)

「してはならないこと」

テーマ:本音と建前

「してはならないこと」
なんて、もともと存在しません。


「したくないこと」や、「できないこと」なら、たくさんあります。
僕は、人殺しをしたくないし、できません。
だから、僕にとって人殺しは、「したくないこと」であり、「できないこと」です。
さらに言えば、「憎らしいこと」や、「なくしたいこと」でもあります。


人殺しは、僕にとって、
「『してはならないこと』だと感じていること」
です。
でも、それは、あくまでも僕個人が感じているだけのことだから、
「してはならないこと」
の根拠にはなりません。


僕自身が、どれほど人殺しを憎み、「してはならないこと」だと感じていても、
現実に人殺しは頻繁に起きています。
人殺しが「してはならないこと」なんかでないことは、この残酷な現実がよく物語っています。
つまり、現実に、この世界は人殺しを許しているのです。




でも、僕は許せません。
自分が殺されることも、自分にとって大切な人が殺されることも、許せません。
僕だけでなく、きっと多くの人がそう感じていることでしょう。
そこで、人々はルールを作りました。
「人殺しをした者は厳罰に処せられる」というルールです。


現在、わが国では、悪質な殺人犯は死刑に処せられることになっています。
(死刑が人殺しにあたるかどうかについては、ここでは触れません。)
ほとんどの人は死刑になんてなりたくないでしょう。
しかし、中には例外もあります。
実際、過去に、死刑になりたくてわざわざ凶悪な無差別殺人を起こした人もいました。
こうなってくると、もう、本末転倒です。




この世界には、もともと、「してはならないこと」なんて存在していません。
「人間が鳥に変身する」「不死身になる」といった不可能なことを除けば、
基本的に何でもありの世界です。
「してはならないこと」
というのは、初めから世界に事実として存在していたものではなくて、
今、僕や皆さんがそれぞれの心の中で強く思っていることなのです。


しかし、このように言ってしまうと、
「人殺しを『してはならないこと』だと思わない人は、人殺しをしてもよい」
と認めてしまうことになります。


そんなことを認めるわけにはいきません。
だから、皆で強く訴え続けていくほかないのです。
「人殺しは『してはならないこと』だ」と。
まるで、それが当然の事実であるかのように。渾身の力を込めながら。

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2006年06月16日(金)

「正直に言って欲しい」

テーマ:本音と建前

「正直に言って欲しい」
と相手を説き伏せ、その結果、
実際に正直に言われて落ち込んでしまった人が、この世にどれほどいるだろう。


おそらく、正直に言って欲しかったのは本心に違いない。
しかし、それはあくまでも、
相手の話がある許容範囲を越えないものであることが前提だったのだろう。


「正直に言って欲しかったとはいえ、まさか、そんなことを言われるとは・・・」
こういう経験をしたことのある人は、きっと少なくない。




「正直に言って欲しい」
と相手を説き伏せるからには、
自分にも、それ相応の覚悟が必要だ。
もともと言いにくかったことを、あえて話してくれるわけなのだから。


その覚悟もなく、ただ正直に話せと相手に迫るのは、
自分にとって都合のいい「建前」に過ぎない。

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2006年06月15日(木)

隠れた意図

テーマ:本音と建前

昨日の記事『利己的な演技』 は、
自分自身のことを反省して書いたものだ。
しかし、これと似たようなことが、
実は、他の多くの人にも当てはまるのではないか、という気がする。


例えば、
雑誌のインタビューなどで、名の知れた人物が未来のビジョンについて語っている。
「これからの世の中は、きっと○○でしょう」
とか、
「世の中が○○になれば、多くの人がより幸せになれる」
とか。


でも、これは本当に、その人が純粋に思い描いている未来像なのだろうか?
ひょっとすると、
世の中がそのようになっていくことでその人自身がさらに得をするような、ある種の意図的な筋書きではないのだろうか?


もちろん、意識的に意図しているとは限らない。
ただ本能的に、有利な道を選んでいるだけかもしれない。
しかし、仮にそうだとしても、
究極的には、述べている内容そのものは嘘であり、述べること自体も演技だ、ということになってくる。




具体例を挙げると、
例えば、IT関連企業の社長のコメント。
彼が、
「これからは、世の中はますます情報化されていくでしょう」
と語った時、
それは本当に、彼が何もしなくてもますます情報化されていく、という意味なのか、
それとも、彼自らが情報化を後押しすることを含めて言っていることなのか。


もっと簡単な例を挙げれば、
「これから戦争が始まるでしょう」
と語った本人が、実は戦争の始まるきっかけをわざと作っていたような場合。
結果的に、現に戦争が始まったのだから彼は嘘つきではないものの、
むしろ嘘つきよりも陰険な詐欺師であると言えるだろう。



また、少し別の例を挙げると、
例えば、最近よく見かける「成功哲学」や「自己啓発」関連の本。


あれ、実は、著者が望むような世の中を実現するために、
読者の気持ちを一定の場所に向けさせようとする意図が隠されているのではないだろうか?
すべてではないだろうけれども、
中にはそういう本も少なからずあるような気がする。




本音が本音のまま語られることなんて、滅多にないのかもしれない。
建前が本音のように語られることなら、ざらにあるのに。




そして最後に、この記事の中にも、
知人が読んでくれることによって僕が何らかの得をする、という僕の意図が隠れているのかもしれない。
・・・疑いすぎですか?

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