2014年11月16日(日)

今回、体調を崩し始めた頃の自分を振り返る。

テーマ:「まこっちゃ」の過去

肩に力が入りすぎていた。
・・・と、9月の自分を振り返って思う。


すべてを糧にする。 とか。
押し付けがましいのは嫌いだ。 とか。


言っていることは間違っていない、と思う。
でも、肩に力が入りすぎだ。
覚悟を決めた人間は、もう誰にも止められない。
でも、世の中、そんなに覚悟を決めた人ばかりじゃない(笑)。
もっとゆるく生きている人はたくさんいるし、それでも全然問題ない。
っていうか、そういう人こそ人生を謳歌していたりする。


・・・まあ、好き好きだから、どっちでもいいんだと思う。
僕は、もうちょっと肩の力を抜いたほうがいいな。

AD
いいね!した人  |  コメント(1)  |  リブログ(0)
2014年05月10日(土)

中学2年になってから

テーマ:「まこっちゃ」の過去

『死と喪失』 という記事でも書いたように、
僕は、中学2年になってから、急に死が怖くなった。
それ以来、頻繁に「死に対する恐怖感」に苛まれるようになり、
その意識が今も、僕の中で一つの大きな基準になっている。


当時に比べれば、「死に対する恐怖感」にも慣れてきて、
取り乱してしまうほど恐怖することは、もう、ほとんど無くなった。
息子が生まれて以来、日々の生活や仕事に追われるようにになっていることも、
(良い意味で)影響しているのかもしれない。


やはり、「死」は、人間にとって根本的な謎であり、
根元的な問いの対象だと思う。




それにしても、なぜ中学2年になってから、急に怖くなったのか。
死が怖い、ということは、
死にたくない、という気持ちの表れだろう。


僕は当時、死にたくなかった。
生きていたかった。
生きていることが、たのしかった。
だから、死にたくなかった。
いつか死んでしまう、という事実が悲しくてたまらなくなった。




今でも、「死」を真正面から意識して捉えようとすると、
心臓をわしづかみにされたような気持ちになる。
でも、それは、
僕が「生きていたい」と思えている証拠であり、
僕の世界が(根元的な部分では)たのしい、ということの証明である。
とても悦ばしいことなのだ。・・・と、今では思える。


「死」が怖くなった時のあの感覚を、
僕は、これから「武者震い」と呼ぶことにする。
・・・実際、本当に怖くなってどうしようもない時は、そんなことを言える余裕も無いんだけどね。

AD
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)
2012年10月02日(火)

僕は、人に嫌な思いをさせることが嫌だった。

テーマ:「まこっちゃ」の過去

僕は、人に嫌な思いをさせることが嫌だった。
自分という存在が誰かの心の負担になることに、我慢がならなかった。


たぶん、最初からそうだったわけじゃないと思う。
成人するまでの間に、
もう、いい加減、周囲の人たちに迷惑ばかりかけ続けてきたからだ。
そのことが、どうにも耐えられなかった。
しかし、それでも僕は相変わらず自己管理ができなかった。
結局、家族や周囲の人たちの世話になり続けてきた。


もちろん、これは一種の「考えすぎ」かもしれないし、
僕が気にするほど迷惑はかけていないのかもしれない。
実際、「そんなに気に病むことはない」と言ってくれる人もいる。
むしろ自意識過剰、なのかもしれない。
でも、
少なくとも僕自身はそう感じていたし、それが(僕にとっての)現実だった。




ある時、いつものように自己嫌悪の悪循環から抜け出せずにいたら、
ふと気が付いた。


自己嫌悪の悪循環から抜け出せずにいること自体が、
もっとも周囲を困らせ、
もっとも家族に心配をかけるのだ。


そのことに気づいた時には、もう、他に選択の余地がなかった。
僕は、
"家族に迷惑をかけてでも"自分を自分として肯定し、
"周囲の世話になってでも"自分の生き方を根本的には良しとする。
一度、そう決めたのだ。


これを「開き直りだ」と批判する声もあるだろうが、
仕方ない。
それは他ならぬ僕自身の不甲斐なさゆえの、お叱りの声だ。
甘んじて受け続けるしかない。
でも、それでもなお、
僕にとって大切な人たちをこれ以上悲しませないためには、
僕は、僕自身を、僕なりの在り方で、
まずは良しとしなければならない。




気づいたのは、確か僕が二十歳前後くらいの時。
二十歳を過ぎていたかもしれない。
年齢に比して情けない決断だったが、それが紛れもない自分の現実の姿だった。


根っこの性格は抜け切れないもので、
今でも相変わらず、自己嫌悪の連鎖に落ち込んでいく時がある。
一度、決めたことを貫くことさえできずにいる、ということだ。
しかし、それでも、
以前の自分に比べれば、随分ふてぶてしくなったと思う。


三十歳を過ぎた今、さすがに二十歳の頃に比べれば悪知恵もついてきた、
ということなのかもしれない。

AD
いいね!した人  |  コメント(2)  |  リブログ(0)
2009年07月04日(土)

ろくでなし

テーマ:「まこっちゃ」の過去

殺伐とした気持ち。


階段で、前を下りていく人に苛立って、
何度も、
何度も、
肩をぶつけながら割り込んで降りていこうとする自分を
鮮明に思い描いた。
・・・頭の中では人を突き飛ばしていたが、
実際にはそれをせず、
最後まで、おとなしく僕は階段を下りた。


「僕は、なんてお人好しなのだろう」
心でだけ呟いたのは、
そんなことを思う奴は最低だと、自分でも気づいていたからだった。


僕は、ろくでなしだ。


「本当にろくでなしだったら、そんなこと思わないよ」
と言ってくれるだろう人がいることさえ、
想像できてしまう僕は、計算高い筋金入りのろくでなしだ。

いいね!した人  |  コメント(5)  |  リブログ(0)
2008年09月21日(日)

期待の重み

テーマ:「まこっちゃ」の過去

あの時、僕は、
「期待しないで待ってて」
と言った。自分なりに気を利かしたつもりだった。


呆れたように、
「正直すぎるよ」
と言い返された。
そういう時は、期待して待つように言うのだ、とも教えられた。


期待させられて不安になってしまうより、
何も期待せずに、後で喜べることのほうが、相手は楽だろうと思っていた。


でも。
それで本当に楽になるのは、自分のほうだった、
と、後になって気づいた。

いいね!した人  |  コメント(2)  |  リブログ(0)
2007年11月27日(火)

瞼の裏側

テーマ:「まこっちゃ」の過去

夜、街灯や車の明かりのある場所で、
目を思いっきり細めたことはありますか?


目をつぶるか、つぶらないかくらいに細めると、
橙色や白の光が、瞼の裏側に差し込みます。
昔、父親の運転する自動車の中で、
夜の高速道路を走っている時に、よくそうやって遊んでいました。


瞼の裏側を意識することなんて、普通はしません。
目を開いている時は、「瞼の裏側」という世界は存在しませんし、
目を閉じている時は、「瞼の裏側」しか存在せず、視界は闇で覆われています。


でも、街灯や車の明かりが、細めた目の瞼の裏側に差し込んでくると、
「瞼の裏側」という世界が現れます。
それは日常生活には何の関わりもない世界で、
ただ走馬灯のように、あるいは万華鏡のように、
光の短冊が、大きさや形を変えながら現れては消えていくのです。


最近は、この遊びをほとんどしなくなりました。


でも昨日、仕事の帰りにイルミネーションで彩られた通りを歩いていたら、
急にこのことを思い出し、ひどく懐かしい気持ちに襲われて、
書き残しておこうと決めたわけです。

いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)
2007年08月05日(日)

夢と現実

テーマ:「まこっちゃ」の過去

遅刻だ。
もう起きなきゃ。


そう強く感じながらも、
瞼が重く、どうしても目が開けられない。
まるで、電車の座席で揺られてウトウトしてしまう時のように。


やっとの思いで目を開けても、すぐに閉じてしまう。
そればかりか、手も足も動かない。
しかし、僕は起きなければいけない・・・!




気合いを込めた次の瞬間、
・・・僕は、目を覚ました。


くらくらする頭を無理やり動かして時計を見ると、
遅刻するどころか、むしろ、起きるにはまだ早すぎる時刻だった。
僕は、
「寝坊したことに気づいて、眠いのを我慢しながら必死で起き上がろうとする」
という夢を、現実の朝方の起きる直前に見ていたのだ。


夢の中で目を覚まそうとして、実際に目が覚める、
という奇妙な体験だった。
夢の中で僕の身体は非常に重かったが、
現実の僕の身体が動いていなかったのだから、当然と言えば当然かもしれない。


ただ、夢の中では、僕はすごく混乱していた。
どうして自分の身体がこんなに重いのか、
さっぱり訳がわからなかったから。




脳は、つじつまが合うように世界を解釈するものらしい。
大切なのは、
その解釈が正しいかどうかではなく、その解釈でつじつまが合うかどうかなのだ。
少なくとも、脳にとっては。


だから僕の脳は、夢の中で、
自分の身体や瞼が動かない理由を、「重いから」だと解釈したのかもしれない。




また別の時には、こんな経験もした。


いったん目を覚ましてから、二度寝をして、
「ちゃんと起きて支度をして家を出た」
という夢を見たものだから、そこですっかり安心してしまい、
ハッと気づいて起きた時には本当に遅刻寸前になっていた、という経験。
あの時は、夢から覚めた後に、ひどく混乱した。




・・・夢って、何なんですかね。


夢を見ながら記憶を整理しているのだ、
と自然科学は説明しますが、
夢を見ている本人にとっては、その時、その夢の世界がすべてであって、
「記憶を整理している」なんて自覚はありません。
(最近の自然科学の説明は違っているかもしれません。詳しいかたがおられたら、ぜひ教えてください。)


かといって、夢と現実の区別がつかない、ということもありません。
夢から現実に引き戻されることはありますが、
現実から夢に引き戻されることはありません。
なぜだか自分でもよくわかりませんが、夢と現実の間には、明確な線引きがあります(この辺りは、自分の精神状態によっても変わってくるところなのかもしれませんが)。




少し話は変わりますが、
最近はほとんど見なくなったものの、幼少時から中学生になるくらいまで、
よく、崖の谷間で岩に追いかけられる夢を見ていました。


それだけなら単なる悪夢です。
でも、その夢の場合、
どうしても言葉では説明のしようのない奇妙な感覚がありました。
・・・というのも、追いかけてくる岩は、
「大きくて重く、かつ、細くて鋭い岩」
だったんです。


でも、言葉でこう書くと、どうしても矛盾してしまいます。
ありありと残る感覚と、その感覚に矛盾を感じる心。
僕は、この夢を見るたびに、
感覚の不思議さをつくづく噛みしめていました。

いいね!した人  |  コメント(3)  |  リブログ(0)
2006年09月13日(水)

届かぬ手紙、叶わぬ夢

テーマ:「まこっちゃ」の過去

先日、『タイム・ラグ』 という記事を書いた。


その中で、
「未来の自分に宛てた手紙が、その子の家のポストに投函された時、
もう、その子は他界していて、読むのは残された家族だった。」
と述べたが、
僕は、2000年に、その投函された手紙を受け取っている。
手紙を書いたのは、僕の兄。




兄は、小学生の時、
父と一緒に大阪万博に行っていた。
そこで、
「2000年の自分に宛てた手紙を書こう」という企画をやっていたらしい。


時を越えて我が家に届けられた専用ハガキには、
「将来の夢:昆虫博士になること」
と書かれてあった。
「将来の夢:」までは印刷された文字で、
「昆虫博士になること」が兄の直筆。
・・・その下手くそな字は、紛れもなく兄本人のものだった。




郵便受けにそのハガキを最初に見つけたのが、僕だった。
いつもの習慣で何気なく郵便受けを開けただけだったから、本当に驚いた。
時間が止まったように感じた。
そのハガキをずっと見つめながら、僕はゆっくりと家に戻った。


でも、何も考えられなくて、
「こんなのが届いてたよ」
と、何の説明もせずに、それをそのまま母に見せてしまった。


心の準備のできていない母は、それを手に取った直後、
「もうやだ」
と泣き崩れてしまった。




あの時、僕は18歳。
18歳にもなっていれば、もう少し何か配慮ができなかったものか。
そう思うと悔やまれる。
思い返すたびに。

いいね!した人  |  コメント(2)  |  リブログ(0)
2006年07月29日(土)

兄の死

テーマ:「まこっちゃ」の過去

僕が小学校に入学した年の6月、
7歳上の兄が、発作を起こして病院に運ばれ、そのまま帰らぬ人となった。
享年13歳、中学2年生だった。


兄は、もともと病弱で、体力も無かった。
40度を超える熱を出すことも、しょっちゅうだったらしい。
僕は幼かったので、その辺のことはあまり覚えていない。
でも、体の弱い人だったことは、よく覚えている。


その日、僕は歯医者に行っていた。
付き添いに、母親も来てくれていた。
その時、兄は確か、風邪を引いて家で寝込んでいたのだと思う。
歯医者から帰ってきた時には、痙攣の発作を起こしていた。


母親が、電話で救急車を呼び、それから会社にいる父親にも連絡していた。
うちはマンションだったので、
救急車が到着したら、救急隊員を部屋まで案内するように言い付かった。


1階に下りて待っていると、救急車が到着した。
手招きして、急いで階段を駆け上がった。
「駆け上がった」と言っても、6歳の子供の足だから、遅かったかもしれない。
救急隊員の人が二人、僕の後ろからピッタリ付いてきたのを覚えている。


兄と共に、母親と僕も救急車に同乗した。
救急車の中は、サイレンの音がけたたましかった。




当時、6歳だった僕は、
情緒も未発達だったらしく、特に悲しいとは感じなかった。
「兄が死んだ」
ということを、当時の僕は、悲しさというよりも「大事件」として捉えていた。
近所の人に、救急車に乗ったいきさつなどを言いふらしたりして、
親に叱られたこともあった。


そんなわけで、お通夜や葬式の時は、全然泣かなかった。
でも、周りの人が泣いているのを見て、
「ここは、悲しくなる場面なんだな」
と思ったりした。


だから、四十九日の法事の時には、
兄のことを思い、わざと悲しい気持ちに持っていって、
涙を流してみた。
その後、お墓参りの時に、
「涙が出ちゃったよ」
と、周りの大人に報告した。




当時の僕は、情緒がひどく未発達だった。

いいね!した人  |  コメント(2)  |  リブログ(0)
2006年06月11日(日)

中学以前と、中学以後

テーマ:「まこっちゃ」の過去

小学生の頃は、
体力こそあまりなかったものの、それでも病弱だった兄に比べれば数倍も元気だったし、
気が強く、自信もあり、そして結構やんちゃだった。


でも、卒業が近くなってくると、
陰口を言ったり、嘘をついたり、人間関係のいざこざに巻き込まれたり、
・・・そういうことが、つくづく嫌になってきた。


「勝ち負けの世界には決して加わらない」
僕は、そう決意した。
そして、その思いが、中学校に入学すると同時に、僕を変えた。




遊びで負けて悔しがったり、テストの点で勝って喜んでみたり。
そういうことは、とても馬鹿馬鹿しい、と思うようになった。


大切なのは、
遊ぶ時間を共有して楽しい、ということであり、
学んだことをしっかりと身につける、ということであって、
勝ち負けにこだわるなんて、くだらない。
・・・そう思っていたし、周りにもそう言っていた。


僕が「変人」を自覚するようになり、
また周囲からも変人だと思われるようになったのは、
この頃からだった。




「変人」のレッテルを貼ってもらっている限り、
人間関係のいざこざには巻き込まれずに済んだ。

「本当は、負けて悔しいんだろう?」

「あいつのこと、嫌い?」

「あの人を好きなんじゃないの?」

こういう詮索をされることも少なく、不本意な誤解を招かずに済んだ。

「『まこっちゃ』は変人だからな」

で片付けてもらえることは、かなり気が楽だった。


でも、その頃から僕は、
人間関係の板ばさみになりながらも生き抜いていく、
という力が身につかなくなっていたのだろう。
気がつけば、この通り、生き方のアンバランスな人間になってしまった。




今、自分が小学生だった頃のことを思い出してみても、
それは、まるで別の人の記憶でも覗き込んでいるかのよう。
「今の自分に繋がる、紛れもない自分の過去だ」
という実感が、今はどうしても湧いてこない。

いいね!した人  |  コメント(2)  |  リブログ(0)

AD

Ameba人気のブログ

Amebaトピックス

      ランキング

      • 総合
      • 新登場
      • 急上昇
      • トレンド

      ブログをはじめる

      たくさんの芸能人・有名人が
      書いているAmebaブログを
      無料で簡単にはじめることができます。

      公式トップブロガーへ応募

      多くの方にご紹介したいブログを
      執筆する方を「公式トップブロガー」
      として認定しております。

      芸能人・有名人ブログを開設

      Amebaブログでは、芸能人・有名人ブログを
      ご希望される著名人の方/事務所様を
      随時募集しております。