2011年09月25日(日)

選択の条件

テーマ:善いことと悪いこと

自分の選択がもたらす結果について、
「その原因は、自分の選択にある」
と、すべて引き受ける覚悟があるのなら、
その選択をしてもかまわない。


しかし、それが許されるのは、
自分の選択がどのような結果をもたらすのか
を、知り尽くしている時だけだ。
知らずに選択し、
「こんなつもりではなかった」
と後悔する人は、
そもそも初めから、それを選択することは許されない。
また、
自分の選択がもたらした結果に気づかず、
“すべてを引き受けたつもり”になってしまう人も、
やはり、それを選択することは許されない。
上記に共通しているのは、
その人が、すべてを引き受けられない人である、ということだ。


身に覚えがあるだろう。
幼い頃には、周囲の大人からよく注意されていたのに、
今は注意されなくなったようなこと。
それは、簡単に言えば、
“大人になったから注意されなくなった”のだけれども、
もう一歩踏み込んで言えば、
幼い頃に比べ、多くを引き受けた上で「それ」をしているから、なのだ。




もっとも、どのような結果を望むかは、人によって違う。


時には、互いに、どうしても相容れないこともある。
片方の人にとっては望むべき結果が、
もう片方の人にとっては受け入れ難い結果であるような場合である。
そのような場合、
互いに相手の選択を牽制し合うことになる。


対立が激しくなれば、
「おまえの選択は許されない」
という表現も使われるかもしれない。
しかし、それは牽制のためであって、
その選択が根本的に許されていないわけではない。
僕が、
言葉には「思考する言葉」と「行動する言葉」の二種類がある、
と考える所以である。

『発言は行動である』

『行動する言葉』




・・・さて、この記事は、
「思考する言葉」として書かれたものだろうか。
それとも、
「行動する言葉」として書かれたものだろうか。


僕は、あえて明言しないことにする。

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2009年10月28日(水)

「してもいいこと」と「してはいけないこと」

テーマ:善いことと悪いこと

記事『ウジウジしようぜ』 の、趣旨の整理。




「いいこと」や「悪いこと」と、
「してもいいこと」や「してはいけないこと」とは、実際には大きく違う。


「いいこと」と「悪いこと」の区別をきちんと知るまでは、
「いいこと」が「してもいいこと」であり、「悪いこと」は「してはいけないこと」である。
しかし、
「いいこと」と「悪いこと」の区別を知ってからは、
「してもいいこと」と「してはいけないこと」を決めるのは、他人ではなく自分である。


「いいこと」と「悪いこと」の区別としてどうしても知る必要があるのは、
いま自分が生きている社会における、「いいこと」と「悪いこと」の区別である。
最低限、それだけは知っておく必要があるが、
それ以上の(例えば普遍的な善悪などの)区別は、無理に知ろうとする必要はない。
まず大切なのは、
他者との関係の場において「いいこと」とされていることと「悪いこと」とされていること
を、きちんと把握することである。
・・・しかし、それはもしかすると普遍的な善悪を把握することよりも難しいことかもしれない。


怒られるのは、「いいこと」と「悪いこと」の区別をわかっていないからである。
その区別がわかっている(と自分で思う)のなら、
「怒られるかもしれないから『悪いこと』をしない」という発想は、間違っている。
その場合、大切なのは、
自分にとっての「いいこと」と「悪いこと」の区別を相手に認めてもらう(ためにきちんと説明する)ことや、
あるいは覚悟を決めて、
相手にとってのその区別と対決する(ことによって自分にとってのその区別を守る)ことである。

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2007年06月12日(火)

席を外す時、荷物は

テーマ:善いことと悪いこと

席を外す時は、少なくとも貴重品だけは持ち歩こう。


たとえ、信頼できる知人が近くにいても、
その人に自分の貴重品を預けるようなことはせず、
自分でちゃんと持ち歩くのだ。




他人を見たら泥棒と思え、・・・と言いたいのではない。
あなたが信頼しているその人は、きっと、あなたの貴重品を盗んだりはしない。
むしろ、失くさないように、しっかり見張っていてくれることだろう。


だからこそ、貴重品をその人には預けないほうがいい。
もし預けてしまったら、
あなたの貴重品を預かったその人は、
あなたが戻るまで、あなたの貴重品から目が離せなくなるし、トイレにも行けなくなるかもしれない。
・・・それだけの心理的な負担を、その人にかけてしまうことになるのだ。


また、もし万が一、
あなたが席を外している間に貴重品が盗まれるようなことがあったら、
ただそれだけで、その場にいた知人が多少なりとも罪悪感をかぶることになる。




そもそも、貴重品は自分で持ち歩くのが基本であり、
自分の所有物についての責任は自分で持つのが当たり前なのだから、
その責任をむやみに他人に押し付けて良いものではない。
親しい相手であれば、なおさらだ。


もっとも、
社会的にも精神的にも運命共同体である、という認識がお互いにできている相手になら、
貴重品でも何でも預けていいと思う。


荷物を誰かに預けてその場を離れる時は、常に、それくらいの認識を持っておきたい。

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2007年06月06日(水)

パスワードを教えてはいけない理由

テーマ:善いことと悪いこと

どんなに親しい相手であっても、
いや、むしろ親しい相手であればこそ、安易にパスワードを教えてはいけない。


「パスワードを教えないなんて、まるで相手を信用してないみたいじゃないか」


・・・いや、そうではない。
相手がわざとパスワードを漏らしたり悪用するのではないか、と疑うわけではない。
ただ、何か問題が起きた時に、
その人があらぬ疑いをかけられてしまうのではないか、ということが心配なんだ。




例えば、パスワードを知っている人しか知りえない情報があり、
その情報がどこかで悪用され、さらに、そのことが発覚したとする。
当然、
「パスワードを知っている人間」
の誰かが犯人だ、ということになる。


もし、あなたがパスワードを知っていて、
親しい誰かにそのパスワードを教えていたとしたら、
あなただけでなく、その親しい相手も容疑者の一人だ、ということになってしまう。


もっとも、こんなことは滅多に起こらないことだろう。
しかし、親しい人を余計なトラブルに巻き込みたくないと思うなら、
安易にパスワードをその人に教えてはいけない。


「パスワードを教える」ということは、
その責任を相手に負わせる、ということでもあるのだ。

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2006年12月08日(金)

悪いのは失敗の「原因」のほう

テーマ:善いことと悪いこと

風邪をひいて熱が出ると、
なんとなく、「悪い状態になった」と思ってしまう。
しかし、熱が出ている状態そのものは、決して悪い状態ではない。
熱が出ている、ということは、
菌やウィルスに抵抗して全身が戦っている証拠。
悪いのは、熱ではなく、
熱を出さなければならない原因となった菌やウィルスのほうだ。


熱そのものは、むしろ、ありがたい存在だ。
単に苦しいからといって、その辺を誤解してはいけない。
古来より、人は熱を出すことによって、その力を借りつつ風邪と戦ってきたのだから。




熱が身体にとっての苦しみなら、
失敗は心にとっての苦しみ。


失敗することは苦しい。
だから、つい、「失敗は悪いことだ」と思ってしまう。
けれども、失敗を感じてこそ、人の心は成長する。
失敗を感じること自体は、とても大切なことだ。
悪いのは、失敗そのものではなくて、
その失敗を生み出した原因のほうなのだ。


失敗は、人の成長に欠かせないもの。
だから、失敗したことを責めたり、失敗した人自身を責めたりするのは筋違い。
古来より、人は失敗を繰り返すことによって、多くのことを学んできたのだから。


失敗そのものを責めるよりも、
まず失敗の原因を探り、次は失敗しないよう対策を練っていくことが大切。
その辺を誤解してはいけない、と思う。

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2006年09月25日(月)

わがまま

テーマ:善いことと悪いこと

わがままであること自体は、決して悪いことではない。
偽善者などに比べれば、わがままな人のほうがよほど好感が持てる。
妙に落ち着いている子供よりは、わがままな子のほうが、子供らしくてかわいいものだ。


実際にはわがままであっても、
好感を持たれれば、わがままとは見られなくなってしまう。
つまり、
わがままであること自体が悪いのではなくて、
「この人はわがままだな」と思わせてしまうことが、(強いて言うなら)悪いのだ。




「わがまま」も、それを貫き通して世間に認めさせてしまえば、
むしろ褒め称えられるようになる。
・・・例えばコロンブスのように。

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2006年07月12日(水)

「悪気がないこと」、「悪いこと」

テーマ:善いことと悪いこと

「悪気がないこと」は、「悪くないこと」とは違う。
たとえ悪気がなくても、悪いものは悪いのだ。


しかし、現実には、
「悪気がないこと」は、
「仕方がない」という表現によって、「悪くないこと」にされている場合が多い。




例えば、凶悪な犯罪者が精神病であった場合。
その犯罪者は、
「そもそも精神的に異常だったので、本人には責任がない」
という判断により刑を免れることがある。


でも、被害者やその身近な人は、それで納得するだろうか。
「精神的に異常だったのなら、確かに悪くない」
と思えるだろうか。
仕方がなかった、と仮に思えたとしても、
やはり、悪いことだったことに変わりはないだろう。




大多数の人にとっての「仕方のないこと」は、
便宜上、「悪くないこと」として扱われることが多い。
そのように扱っても大多数の人は不平を言わないし、ちゃんと社会の秩序は保たれる。
つまり、これは、「社会におけるルール」であるともいえる。


インフルエンザに罹ったら、休むのは悪くない。
むしろ休まなければいけない。
これが社会の常識であり、社会におけるルールである。


・・・しかし、だからといって、
そのことによって本業に支障が生じること自体が、まったく悪くないわけではない。
例えば、
もし、日頃から健康に気を配り、体を鍛えている人がいて、
その人が、そのおかげでインフルエンザを予防できていたとしたら、
インフルエンザに罹ってしまった人は、その人に比べると「悪い」と言えることにもなりはしないだろうか。


もちろん、にべもなくこのように言ってしまっては、
インフルエンザに罹った人にとっては非常に酷だろう。
だから普通は、こんなことを言われたりはしないし、
きっと、ほとんど誰からも思われもしない。
むしろ、責任を強く持ちすぎて罪悪感に苛まれてしまうことのほうが、好ましくないことである。
そういう意味では、
「仕方ない」の延長として「悪くない」と思っておくことは、
精神衛生上、むしろ大切なことである。



けれども、
そうだとしても、それがそのまま
「悪くない」
という事実と結びつくわけではない。


「悪くない」と思うことと、「悪くないこと」。
この二つは、きちんと区別されなければならない、と思う。

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2006年05月11日(木)

エサをあげてはいけないか?

テーマ:善いことと悪いこと

野生の動物に、みだりにエサをあげてはいけない。
見た目はかわいいかもしれないが、彼らはペットではないのだから。


エサに味を占めた彼らは、人間から食べ物を奪うようになる。
そうなれば、人間は彼らを退治しなければならなくなる。
だから、野生の動物にエサをあげることは、社会的には悪いことだ。

それに、人間の身勝手な行為のせいで、
結局、彼らを殺さなければいけなくなるのであり、これは倫理的に見ても悪いことだ。




しかし、だからといって、
子供にエサをあげさせる親は間違っているのだろうか。
もし、その子供が、野生の動物を初めて目の前で見た子供だとしたら。
もし、その子供が、余命数ヶ月しかない子供だとしたら。


たとえ社会的には悪であっても、教育のためには必要なことだったかもしれない。
経験することの大切さは、時に、倫理や道徳の大切さをも上回る。




人間にとっては、
社会も倫理も大事。
教育も経験も大事。
けれども、そのどれを基準にするかによって、良し悪しの判断は違ってくる。
竹を割ったように決められる物事なんて、実際、そう多くない。

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2006年01月09日(月)

迷惑をかけることは、必ずしも悪くない

テーマ:善いことと悪いこと

人に迷惑をかけることは、必ずしも悪いことではない。
・・・これは、僕にとって無二の友人Sが教えてくれたことです。



僕は、この通り、考えたことを長々と話してしまう性格です。
だから、Sは聞き役で、僕が延々と話す、というパターンが多いです。
一時期、僕は、
「人に迷惑をかけるばかりで何の役にも立てない自分が嫌でたまらない」
ということを毎日のようにこぼしていました。
Sも、耳にたこができるくらい、その話を何度となく聞かされていたと思います。


ある時、地下鉄のホームで、
また同じ話を繰り返していた僕に、Sは言いました。


「迷惑をかけることが、そんなに悪いことなのか?」

「母親は、自分の赤ちゃんに迷惑をかけられたら嬉しいんじゃない?」


この瞬間に、「迷惑をかけることは悪いことだ」と決めつけていた僕の価値観は、打ち砕かれました。
(・・・という話をしても、Sは、いつそんな話をしたのかまったく覚えていないそうですが。)




人に迷惑をかけることは、必ずしも悪いことではありません。
迷惑をかけてしまった側がどんなに申し訳なく思っていても、
かけられた側は、迷惑だなんてさらさら思わず、むしろ喜んでいる場合だってあるんです。


にも関わらず、
何でもかんでも「迷惑をかけてはいけない」と考え、緊張して孤立していたら、
そのことのほうが、よっぽど相手を悲しませることかもしれません。
だから、迷惑をかけることは、必ずしも悪いことではないんです。

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2005年12月26日(月)

叱られてもいい

テーマ:善いことと悪いこと

叱られることは、「してはいけないこと」ではない。
むしろ、叱られることは大切なことだ。
わざわざ好んで叱られる人はいないだろうが、その大切さを思えば、あえて積極的に叱られようとしてもいいくらいだ。
そのくらい、叱られることは大切なことなのだ。


叱られたくない。
怒られたくない。
・・・そう感じるから、毎日が必要以上に窮屈なものになってしまう。


本当は、
叱られてもいい。
怒られてもいい。
・・・そのことも覚悟の上で歩んでいくのが、一度限りの自分の人生なのだから。




この記事は、『精神世界と内面世界を語り合おう』 ブックに参加されているutamaro彦さんのブログの記事『叱られるありがたさ』 を参考にして書きました。

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