2013年06月30日(日)

記録の在り処

テーマ:記憶/記録

記録したものも、ただそれだけでは「記録」として機能しない。
それを読む方法とセットになって、初めてそこに「記録」が成り立つ。


例えば、
幼児のなぐり描きのように、何を記したのかが不明なものは「記録」とは呼びにくい。
一方、大人が自分だけのために書いたメモ書きのような場合は、
他人にとっては「記録」として機能しにくいかもしれないが、
自分にとってはれっきとした「記録」だといえる。


しかし、その自分が(死亡などにより)存在しなくなれば、
そのメモ書きは、「記録」としての機能を失う。
ただし、「故人が書き遺したもの」といった、別の意味での「記録」は引き続き成立する。
また、幼児のなぐり描きの場合も、
親から見れば、「その年齢の時に描いた絵」という意味では立派な「記録」となる。


つまり、
記録されたもの自体が同じでも、読み方が異なれば別の「記録」として機能し得る、
ということでもある。




言語の場合、読む方法が文化的にだいたい決まっている。
したがって、その言語で書かれた本は、通常、「記録」として機能する。
しかし、幼児のなぐり描きの場合、読む方法を対応付けることが難しく、
それゆえに「記録」となりにくいのである。


こうした事情は、記録媒体に関わらず共通している。


例えば、電子媒体に保存したデータは、
対応するソフトウェア(アプリケーション)がわからなければ読み取れないし、
読み取れなければ「記録」にならない。




古代遺跡には、
既に、読む方法が失われてしまった「かつての記録」が散りばめられているかもしれない。
この自然界も、
もしかすると今の私たちがわからないだけで、もともと神の記録だったのかもしれない。


でも、それらを読む方法を僕は知らない。
だから、それらは僕にとって「記録」ではない。




一般に、ある対象が「記録」であるかどうか、ということは、
いつも、このような相対性のなかで主観的に決められているのである。

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2012年01月04日(水)

基本的なこと(記憶/記録)

テーマ:記憶/記録

過去について記録するときは、理性を働かせなければならない。


そもそも、何のための記録だろうか。
過去について記録する、ということは、
その過去を未来に繋ぎ止めておく、ということだ。
ともすれば薄れてしまいがちな記憶を、
鮮明なうちに世界の中に刻みこんでおき、
未来においても新鮮なままに再現できるようにしておく、ということだ。


感覚が違ってしまっているかもしれない未来でも、同じように再現できるようにしたければ、
単に感情的に記録するのではなく、
仮にその感情が失われた状態であっても、再度その感情を呼び起こせるような記録のしかた
を工夫する必要がある。


ただし、記録する対象そのものは、感覚的なものや感情的なものでも構わない。
むしろ、そのほうが良いかもしれない。
感覚的なもの、感情的なものの"感じ"は、非常に薄れやすい。
だからこそ、その記憶が薄れないうちに記録するのだ。
理性を働かせる必要があるのは、
その対象を記録する際の工夫のほうであって、対象そのものではない。




→ 『基本的なこと(世界)』

→ 『基本的なこと(思考と行為)』

→ 『基本的なこと(コミュニケーション)』

→ 『基本的なこと(記憶/記録)』

→ 『基本的なこと(心/感情)』

→ 『基本的なこと(人間/人生)』

→ 『基本的なこと(時間)』

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2009年07月09日(木)

記憶と光景

テーマ:記憶/記録

自宅と会社の間の、行き帰りの光景。
初めは道すらもわからなくて、新鮮そのものだったはず。


いつから慣れてしまったのだろう。
いつから飽きてしまうのだろう。
初めて行く場所なら、見慣れているはずの人々や車さえ、
目新しく新鮮に映るのに。


自動車だって、本当はすごく奇妙だよ。
当たり前のように思っているかもしれないけど、
道の真ん中を、人を乗せた鉄の箱が、かなりの速さで滑っていくんだ。
それも1つだけじゃないよ。次々とね。
赤や青のランプに従って、止まったり動いたりしながら、ちゃんと並んでね。
町全体が、まるで工場みたいじゃないか。


・・・でも、普段は、そんなことも思わずに、
単なる見慣れた光景として、「あ、車だ」としか思わず、
車が走っている場所はまるで障害物である(=道ではない)かのように考え、
定められた歩行者用の道だけを“道”と認識して、
何の疑問も持たずにそこを歩いている。




光景が、ある程度、記憶の中に納まると、
その光景は、意識に上らなくなってしまう。


僕は、
人の根本的な原動力は、理性や論理よりも、感性や感覚だと思う。
でも、感性や感覚が鈍ってしまった時、
理性や論理が警鐘を鳴らせば、そこに新鮮さを取り戻すことができるのではないかと思う。
・・・少なくとも僕の場合、そうしてきたような気がする。


一時期、僕が、
「根本的なのは感性よりも理性だ」
と思い込んでいたのも、
僕がそうやって、大事な局面で、理性で感性を呼び覚ましてきていたからかもしれない。
根本的なものは感性だけれども、
理性は、感性に働きかける大きな力を持っている、・・・と言ったほうがたぶん正しい。




今日、僕は、
「車だって奇妙なものじゃないか」
と、理性に呼びかけられ、
いつも見慣れているはずの町並みが、とても不思議でエキサイティングな光景に見えた。

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2006年11月11日(土)

自慢話してもいいじゃない

テーマ:記憶/記録

過去の栄光に縛られている人が、時々いる。
自分の昔の自慢話ばかり。
その栄光は、とっくの昔に過ぎ去ってしまったというのに。
今のその人の姿と、話の内容とのギャップが、むしろ痛々しくさえ映る。
だから、そんな話、聞きたくない。


・・・と、思うことがある。
でも、そう思われているのは自分のほうかもしれない。


以前、スキマスイッチの『君の話』という歌を紹介した が、
『君の話』で歌われているのは、
まさに上で述べたようなこと。
つまり、
「得意げに話す僕の話なんて、実はみんな聞きたくなかったんだ」
ということに気づいた時の心境を歌ったもの。




でも、みんな、そうやって過去の記憶を支えにして生きている。
それが人間というものではないだろうか。
昔の自慢話が、その人の生きる支えになるのなら、
それは決して恥ずかしいことではないはずだ。
・・・いや、恥ずかしいことかもしれないが、
恥ずかしいながらもそうやって虚勢を張って生きる姿は、とても人間らしい姿だろう。


少し前に、ガガガSPの『日暮し』という歌を紹介した
『君の話』も洒落ていて好きだけど、
今は、『日暮し』のほうが前向きで温かくて好き。
どちらも、等身大の気持ちを歌ったものであることに変わりはないのだろうけど。

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2006年02月22日(水)

記憶に縛られるな

テーマ:記憶/記録

記憶が、僕を、過去に縛りつけようとする。


あの日、誓ったこと。
やり残したこと。
かつての栄光。
幸せな日々。


・・・でも、過去の自分は、もう、ここにはいない。
過去の自分と張り合っても仕方がない。




大切なのは、今、自分がしたいことだ。
記憶の中を捜しても、おそらくそれは見つからない。
今、自分がしたいこと。
・・・それは、記憶の中にあるのではなく、今、ここにある。


そう、かすかに感じながらも心の奥に押し込めていた、「それ」だよ。
「それ」をしよう。
過去のことなんて気にしなくていいから。
記憶に縛られてはいけない。
さあ、始めよう。

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2006年01月14日(土)

記憶は言い返せない

テーマ:記憶/記録

ひとたび記憶のなかに押し込められてしまったら、どんな価値観も、「勝者」になることはできない。
記憶のなかの価値観は、「敗者」になるか、良くて「引き分け」にしかならない。
・・・なぜなら、記憶は常に受け身の存在だから。



記憶を呼び起こした時、例えば、こんなふうに思う。

「あの頃の自分の価値観は間違っていた」


この時、
「あの頃の自分の価値観」は間違っていたのだから、「敗者」となり、
それに比べて、
「今の自分の価値観」が正しいのだから、「勝者」となる。


どんな状況であっても、この「勝者」と「敗者」が逆転することは、普通、あり得ない。
「あの頃の自分の価値観は正しかったが、今の自分の価値観は間違っている」
と思うことは、それ自体が矛盾していて不可能だからだ。



記憶は、言い返すことができない。一方的に呼び起こされるだけだ。
だから、もし、「今の自分の価値観」のほうが間違っていても、
記憶には、そのことを積極的に指摘する術がない。
できるとしても、今の自分が間違いに気付けるように暗示することくらいである。




偉人が残した名言も、賢者が残した思想も、
(本人が死んでしまって、)記憶のなかの存在になってしまったら、
後の世の人々の記憶のなかで、言い返せないまま一方的に料理され続ける運命にあるのだ。

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2006年01月03日(火)

つらい経験こそが

テーマ:記憶/記録

この心に刻み込まれた大切な記憶。
生涯を通して持ち続ける記憶。
忘れられるはずのない記憶。


・・・そのような記憶として残るものの多くは、その当時、非常につらかった経験。
大切な人の死。
取り返しのつかない失敗。
誰にも言えない不安に一人で泣いた夜。
「もう二度と戻れない」と悟った、あの瞬間のこと。


これらはどれも、その当時は、決して望まない出来事だった。
悲しくて、悔しくて、やりきれなくて堪らない出来事だった。
でも、それは起こってしまった。
そうして、それが、この心に深く刻み込まれた。


深く刻み込まれた「それ」は、もう決して忘れてしまうことがない。
そして、今の自分は、「それ」に後押しされるようにして生きている。
もう、二度と同じことを繰り返すまいと。
その苦しみと向き合って生きていこうと。
似た記憶を抱えた人に、手を差し伸べていこうと。
・・・そう、気がつけば、「それ」こそが生きる原動力になっていた。



つらい経験こそが大切な記憶。
だから恐れることはない。
・・・いや、恐れてもいい。恐れてもいいから、
これからも、つらい経験をしても、それを自分の人生の一部として、受け止めていこう。


泣いても笑っても、人生に与えられている時間は限られているのだから。

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2005年08月17日(水)

『アンダースタンド』

テーマ:記憶/記録

『アンダースタンド』は、
ASIAN KUNG-FU GENERATION(通称アジカン)
というバンドの歌です。



かつて、ねじれて歪んだ心を持った自分がいた。
あの頃は、どうしようもなく不安定で、先が見えないまま醜くもがいていた。


でも、あの日の自分こそが、今の自分の土台なんだ。
・・・だから、それアンダースタンド。
あの日の君の気持ち、痛いほどよくわかるよ。
・・・だから、それアンダースタンド。
そして、あの日の記憶を決して忘れずに、いつまでも大切にして欲しい。



そういうメッセージが込められた歌。『アンダースタンド』。
醜くても、どす黒くても、その忌まわしい記憶こそが、
今の自分を駆り立てる。



(『アンダースタンド』は、アルバム『君繋ファイブエム』に収録されています)


ASIAN KUNG-FU GENERATION, 後藤正文, 喜多建介, 山田貴洋, 伊地知潔
君繋ファイブエム
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2005年08月16日(火)

記憶になければ何でも平気

テーマ:記憶/記録

どんなに残酷なことでも、記憶になければ何とも思わずにいられる。
知らない間に知らない場所で起こった殺人事件のことで胸が痛むことはないし、
気づかないうちに相手を傷つけていても、気づかなければ平気でいられる。
そもそも、記憶にないことについては、何とも思いようがない。
記憶にないのだから。


たとえ愛の塊のような人でも、
記憶にない相手(つまり、その存在すら知らないような相手)を愛することはできない。
すべてを愛するためには、すべてを知り、すべてを記憶する必要がある。
でも、そんなことは、そもそもできない。


知らない間に、僕の言葉で、思いもよらない誰かが心理的に追い詰められているかもしれない。
知らない間に、僕が生きていることで、思いもよらない誰かが死んでしまっているかもしれない。
そうした可能性は無数にあるけれども、そのどれも、僕には実感することができない。
なぜなら、そのどれも、僕の記憶にはないことだから。

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2005年07月11日(月)

記録は残る

テーマ:記憶/記録

情緒が不安定な人間なんて、誰からも信用されない。
「終わりよければ、すべてよし」
という言葉があるけれども、
不安定な人間は、いつも終わりを駄目にしてしまう。


僕は、すぐに不安定になってしまうせいで、
多くのことを、最終的に駄目にしてしまう。
今後、僕は、ますます駄目になっていく・・・かもしれない。
未来のことはわからないものの、実際、あり得ることだろうと思う。


僕自身は、どうしようもなく駄目になっていくかもしれないが、
それでも記録は残る。
駄目になる前の僕が書いた、この真剣な記録。
どんな形でもいいから、これらの記録が何かの役に立ってくれることを心から願う。


失われゆく自分の姿を、失われる前に刻み込むのだ。

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