2017年02月12日(日)

今年のテーマ

テーマ:自分(自己認識)
もう2月も半ばですが、
今年のテーマが決まりました。
これです。→『自我と境界線』

もともと自我に幅や厚みなんてない。
「自我に実体がある」
という私の錯覚が、これまで多くの問題をこじらせてきたのかもしれません。
錯覚を拭い去るのは容易ではありませんが、
実体がないものが肥大化し、幅を利かせてしまっては
事態が好転するはずもありません。

これからは、自分の心よりも身体に重点を置き、
実態に伴った生き方をしていきたいと思います。
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2016年07月19日(火)

生きること

テーマ:自分(自己認識)

もともと僕は世界の一部です。
・・・というよりも、
そもそも、世界の一部が吹き出物のように一時的に飛び出たものが僕です。

吹き出物と同じで、
「僕である」状態が過ぎれば、また元の世界に吸収されて散っていくでしょう。
でも、なぜだかその吹き出物に「僕」という自意識が芽生えた。
だから僕は、「僕である」と思っているわけです。




言い換えれば、「僕」は世界の目です。
世界は、「僕」を通して世界を見ることができます。
もちろん、「僕」以外にもあなたや屋久杉など、
世界はたくさんの目を持っています。
「僕」はその中の一つでしかありませんが、
しかし、自意識という形で「僕」は僕に任されています。


理由はわかりません。
ただ、これが奇跡的なギフトであることだけはわかります。
たとえこの期間がいつか終わるにしても、
「世界の一部である自分」を自覚的に感じることができる時間がある
・・・ということはスゴイことだと思います。
この与えられた機会をフルに使って、この世界を味わい尽くしてみよう。
そう思っています。

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2014年11月16日(日)

自分という視点の在り処

テーマ:自分(自己認識)

他人の顔は、すぐ見える。
自分の顔は、直接的には見えない。
だから、
他人の表情は、よくわかる。
自分の表情は、よくわからない。


自分の「生きている感じ」が実感できない。
そのせいもあってか、僕には、
まるで自分はロボットのようだ と感じていた時期があった。




世界中のあらゆるものを、僕は見ることができるのに、
僕は、僕自身を見ることができない。
そういう仕組みになっている。
つまり、自分という視点は、世界の外側にある のだ。
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2014年08月02日(土)

コーチングは特別なことではない。

テーマ:自分(自己認識)

最近、「コーチング」を強く意識するようになった。
たぶん、やっていることは(わかってくれば)単純なんだと思う。
でも、その単純なことが慣れるまで難しいのだろう。
だから、コーチを職業にしている人たちがいるし、その需要がある。


物事を単純に理解する、ということは
簡単なようで簡単ではない。
何事も、達人というのは、
その道を単純に理解して進んでいけるようになった人のことだ。


単純な理解の仕方ができるようになるためには、
最終的に、頭で理解するのではなく
肌感覚で理解できるようにならなければいけない。
「コーチング」は、そのための訓練を実践的にサポートしてくれるのだと思う。




そもそも、「コーチング」という名称に用語の壁 を感じる。
この言葉に馴染みがなかった人からすると、聞き方 の問題で、
まるで何か新しい用語かのように聞こえてしまう。
僕もそうだった。
でも実際は、
それを実践できている人にとっては当然だったことについて、
あえて焦点を当てて、それに名称を与えただけのものだ。


別に、特別なことではない。
ただし訓練が要る。
タイミングや時間の問題もあるから、
やるかやらないかは、僕次第だ。



(補足)
コーチでもなく、まともにコーチングを受けたこともない人間が、
「コーチングは特別なことではない」
って言い切るのも変かもしれない。
でも、用語の壁を超えるには、
逆に、そんな僕のほうが適役なんじゃないかって気がした。
僕が勝手に思ってるだけだけど。
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2012年05月29日(火)

最初の判定基準

テーマ:自分(自己認識)

生きていればいい。
まず、それで一応、基準はクリアだ。


最初の判定基準をそこに置かなくちゃ、始まらない。
「いきなりマイナスからスタート」
・・・なんて、絶対おかしいでしょう。


今日も僕は生きてる。
だから、まずはクリア。
でも欲を言えば、それで終わっちゃいけない。
せっかく生まれたんだから、欲を持っていきたい。
それから、プラスアルファを考える。




プラスアルファができなかった日もある。
それどころか、
今まで、できていたはずのことが、
致命的なミスや、大きな過ちによってマイナスになってしまう時もある。


でも、そんな日でも、
僕は必ず生きていた。
そこはクリアしていた。


生きている限り、
「何もかも駄目」なんて、あり得ない。
たとえ、どうしても本人にはそう思えてしまうとしても。




本人の意図に関わらず、
客観的には一段階クリアしているのだ。
まず、生きているだけで。

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2011年11月29日(火)

顔は、鏡面越しのほうが整って見える

テーマ:自分(自己認識)

(夜の電車の窓など)鏡面に移った顔のほうが整って見える。
本人の顔を直接見るよりも、鏡面越しに見たほうが、
なぜか、"しっくりくる"。


きっと、その顔を整えることが一番多い人(=本人)が、
いつも、鏡面越しに見ながら顔を整えているからなのだろう。

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2011年10月23日(日)

世界と自分の関係

テーマ:自分(自己認識)

世界を変えたければ、自分が変わればいい。
世界が変わらないのは、自分が変わっていないからだ。
世界の在り方を決めているのは、この自分なのだから。


しかし、
自分を変えたくても、自力だけでは変われない。
自分を変えるには、世界からの後押しがどうしても必要になる。
なぜなら、
自分を取り巻く世界の在り方が、いつも自分の在り方に大きく影響しているからだ。

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2011年10月19日(水)

「自己嫌悪」の正体

テーマ:自分(自己認識)

「自己嫌悪」は、
極度に抑圧された欲求の表れである。


ただし一般に、その表れ方は"裏返し"の様相を呈する。
・・・例えば、
「自分は他人のせいにばかりしている」
と自己嫌悪している時、そこには、
「他人のせいにしたい」
という欲求が裏返って表れている。


欲求を持っているのも自分なら、
それを抑圧しているのも自分である。
したがって、
「他人のせいにしたい」
という生(なま)の感情は、口が裂けても吐き出せない。
なぜなら、それを言うことを自分で厳しく抑圧しているからだ。


そこで、心は、
生(なま)の感情を抑圧しつつもそれを表現するために、別の方法をひねり出す。
その方法の一つが「自己嫌悪」である。
・・・上記の例で言えば、
「自分は他人のせいにばかりしている」
と自己嫌悪する姿を相手に見せることによって、
実は自分が(内心では)そのような欲求を持っている、ということを暗に相手に伝えているのだ。




しかし、「自己嫌悪」は、新たな「自己嫌悪」のタネになりやすい。
「『自己嫌悪』している自己」を嫌悪することは、とてもたやすいからだ。


実は、「自己嫌悪」の背後には、
「自分が悪く思われたくない」という、強い意図がある場合が多い。
その意図があるからこそ、
"(他者から見れば不都合かもしれない)自分の欲求を抑圧している姿"を、相手に見せようとする。
だが、それは自分の本来の姿とは程遠い姿でもある。
やがて無理が出てくる。続かなくなってくる。




まずは、
「自己嫌悪」は、極度に抑圧された欲求の表れである、
ということに気づくことが必要。
次に、
自分が悪く思われても(ある程度は)仕方ない、
と踏ん切りをつけること。
(ただし、実際に踏ん切りをつけるためには、そう思えるだけの強い内的動機が要る。)
・・・この二つができれば、
「自己嫌悪」は、おそらく自然に解消されるはずだ。


ただし、カッコ書きの中に書いた、
「そう思えるだけの強い内的動機」が、実は非常に重要である。
この動機がなかなか自分の中に生まれてこないのが、実際つらいところ。
特に必然性を感じる動機もないのに、
無理に自己嫌悪だけやめようとしても、普通、うまく行かない。
それに、動機を無理に作ろうとしても、なかなか難しい。


そういう意味では、
「自己嫌悪」の解消は、成り行きにまかせるしかない。
・・・なんて、取り付く島もないような言い方になってしまったけれども、
実際、それが現実なのだと思う。

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2011年08月07日(日)

僕は人間なのだ

テーマ:自分(自己認識)

そう、僕は人間なのだ。
良いとか悪い以前の話。
僕は人間であり、人間として世界を見ている。




と言っても、究極的な出発点は、「人間」じゃなくて「自分」だ。


もし、僕がアジサイだったら
・・・という仮定がどの程度まで成り立つのかわからないけど、
もしそうであれば、僕はアジサイとしてこの世界に関わり、そういう生き方をするだけだろう。
つまり、「僕が人間である」ということは、単なる既成事実に過ぎない。




以前、『「生命」の基準と、距離感』 という記事を書いた。
アスファルトの路上で潰れていた虫が、
実は虫でなくて花だった、ということに気づいた時の心境を書いたものだ。
「なーんだ、花か」と感じた自分の感覚が、奇妙に思えたのだった。


また別の時には、
自分のズボンで小虫が潰れているのを見て、瞬間的に“気持ち悪く”感じた。
でも、よく考えてみると、
植物をすり潰して染めた衣類を、僕は普段、平気で着ている。
どうして虫が潰れた衣類だけが気持ち悪いのか、考えてみると不思議だった。


以前の記事でも書いたが、
草花よりも虫のほうが、「僕に似ている」。
だから、草花の死よりも虫の死のほうが、「僕の死に近いものを思わせる」のだ。
ましてや人間は、極端に「僕に似ている」。
だから僕も、人間寄りの捉え方・考え方をし、人間寄りの生き方をする。
これは、至極自然な成り行きなのだ。

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2011年06月09日(木)

自己肯定の欲求

テーマ:自分(自己認識)

いま、ある状態を、認めてもらいたい。


悔しい気持ちや黒い心も含めて、
「直そう」なんて思わずに、
ただ知っていて欲しい。
でも、うまく伝えられない。
そしてそのことで責められたりして、
結局わかってもらえない。


まず僕自身が僕をわかっていないのだから仕方が無い。
やはり、最大の課題は“自分自身”だ。

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