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2014年07月09日(水)

偶然とは

テーマ:矛盾/逆説

偶然を選ぶことはできないが、偶然を利用することはできる。




偶然は、予知できないからこそ偶然と呼ばれる。
事前に知ることができない以上、偶然を「選ぶ」という行為は不可能である。


しかし、偶然ということ自体は一般によく知られている。
その偶然を利用することは可能であるし、皆、やっている。
例えば、
賭け事は、偶然(の性質)を利用した遊びである。
過去の事象は、偶然(の結果)を利用して解釈される。(→『はざまを生きる存在』




偶然は、選べない。
偶然が必然化するのは、過去においてのみであり、
偶然を事前に選ぶことはできない。
したがって、偶然は受け容れるしかない。
まず、これが大前提である。


・・・とはいえ、
偶然に起きたことを利用することは、いくらでも可能である。
また、偶然の性質を踏まえれば、
(選べないまでも)偶然それが起こるまで「待つ」という選択も可能である。
どのような偶然を「待つ」か、という選択肢は無限にあるのだ。
その意味で、
そもそも単一の選択肢しかない必然とは違い、偶然は極めて自由である。(→『選択肢がある、というのは』


ただし、少し考えてみればすぐにわかることだが、
「一度も経験したことがなく、その可能性も想像できないような偶然を『待つ』」ことはできない。
その意味で、
偶然の自由度は、経験や知識の量や幅が増すにつれて広がっていくのである。


逆に言えば、
“初めのうち”は、偶然は極めて不自由である。さらに、必然よりも始末が悪い。
しかし、だんだん慣れていくにつれて、少しずつ偶然を手なずけられるようになる。
“その頃”になると、偶然は次第に自由になり、楽しいものになっていく。




偶然とは、そのようなものだと思う。
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2014年01月25日(土)

正しさによる保証

テーマ:矛盾/逆説

正しくない、とわかっていても
それをしなければいけない時がある。


「そんな時は、それをするのが正しいのだ」と、うそぶく人もいるが、
もちろんそれは間違っている。
こうした誤謬が生まれるのは、
最終的な判断基準を、無理やり「正しさ」に置こうとするからだ。


「しなければいけない」のは、「正しい」からではない。
端的に言えば、
「間違っている」けれども「必要」なのだ。




正しくない、とわかっていても
それをしなければいけない時がある。
間違っていても必要な時があり、
正しくても要らない時がある。


約束を破ることは、通常、間違っているが、
それでも約束を破らなければいけない時がある。
必ず守られる約束がもし存在するなら、それは、もはや約束ではなく事実であり、
事実と約束 は異なる。


判断において、正しさによる保証は必ずしも基準にならない。
未来に対して、よりよい状態をお返しできるという確信を、個人の責任で引き受けるならば、
ルールと約束 を破ることは許されるのだ。
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2013年12月28日(土)

ガイドブックと成功

テーマ:矛盾/逆説

成功するためのガイドブックが、巷でたくさん売られている。
しかし、その著者の多くは、
「成功しているから本を出す」のではなく、むしろ、
「出した本がベストセラーになる」ことによって成功している。
この場合、読者は、著者を成功させるために存在している。
その意味で、街中の広告は、「読まないほうがいい本」の基準になると思う。


もちろん、すべての本がその基準で判断できるとは言わない。
しかし、この情報過多の時代、限られた時間のなかで、
流されることなく自分にとって有益な情報を得ていくためには
必要な基準ではないかと思う。


情報 は操作される。
操作される側になるくらいなら、操作する側になったほうがいい。
だから僕は、自覚的にあえてこの記事を書く。
書いたところで社会的な影響はほぼ皆無だろうが、自己暗示的な効果は期待できる。
もっとも、できることなら操作せず操作されもしない、
自然体が一番いいのだけれども。




ちなみに、この記事で言う「成功」とは、
社会的な成功のことであり、個人的な成功のことではない。
おそらく、「個人的な成功」を指南する本を書くことは難しいし、
仮にそれを書いたとしても、その本がベストセラーになることはきっと更に難しい。
(→『失敗の意味』 を参照)

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2012年03月23日(金)

負の感情を抱いて

テーマ:矛盾/逆説

負の感情。
って、大事だと思う。


負の感情を増幅させず、ひいては減らしていく、
そのための必要条件の一つが、
「持っている負の感情を大切にすること」
だと思う。




もちろん、
負の感情を持ち続け、そこにしがみついているだけでは、
その感情はなくならないし、むしろ繰り返し上書きされ、増幅し、硬化してしまう可能性が高い。
かといって、逆に、
既に持っている負の感情から目を逸らし、その存在を否定してしまっては、
根本的な解決にはならない。


取り急ぎ、応急処置として表面的な解決を図りたければ、
目を逸らすことも方法の一つだけれども。


既にある、負の感情。
それを受け入れることが、まず第一歩だ。
僕は、
負の感情を持たない人には他人の心の痛みもわからない、
と思っている。
・・・ちょっと暴言かもしれないし、異論もあるだろうけど。


負の感情。それ自体は別に排除すべきものじゃない。
むしろ必要なものだ、とさえ言っていいと思う。
それくらいの気持ちで負の感情を肯定できた時、初めて世界は動く。




「負の感情を肯定することなんてできない」
と思う人がいるかもしれない。
それはそれで、そう思う気持ち自体がまさに負の感情なのであって、
そういう人は負の感情を肯定しないでいればいい、と僕は思う。


つまり、
負の感情を肯定できない自分を容認する、
ということが、とりもなおさず
「持っている負の感情を大切にすること」
になるのだ。

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2012年03月02日(金)

一般化された概念は、一般的じゃない

テーマ:矛盾/逆説

一般化された抽象概念は、
実は、感覚的には全然「一般的」じゃない。
特殊な、限定的な概念ほど、
感覚的には「一般的」な、つまり、日常的に慣れ親しんだ概念なのだ。


三角形、と言われて思い浮かべるのは、
正三角形や、二等辺三角形だし、
世界、と言われて思い浮かべるのは、
だいたい、地球上のこの空間だ。(もしくは、地球を含むこの宇宙とか。)


感覚的に「一般的」なのは、
特定の状況でのみ成り立つような、特殊な概念のほうであって、
いわゆる一般化された概念は、感覚的に言えば「一般的」ではない。
なぜなら、
感覚する私たち人間が、そもそも、
特殊な状況の中で生まれ、育ってきたからだ。


もともと特殊な状況の中で生きてきた者にとって、
「一般的」なのは、その特殊な状況の中においてありふれたもの
なのだから。

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2012年01月30日(月)

間の悪い行動を起こそう

テーマ:矛盾/逆説

こんなブログ記事を読んで、ヒントを探し求めるより、
今まで言わずにいた気持ちを、思い切って誰かに言ってみたほうがいい。


今の自分には、こんなことをする資格はない、
・・・と思っているとしたら、あえてそれをやってみるべき時かもしれない。
うつ病の人にとって「頑張れ」は禁句だ、と言われているけれども、
ずっと状況が変わらないようなら、あえて「頑張れ」と言ってみるべきかもしれない。
そして苦しくなって爆発したり、倒れてみたりすることによって、
初めて、錆びついた世界がようやく動き始める場合もある。
・・・もちろん、それでも何も変わらない場合もあるけれども。


自力でなくてもいい。
誰かに促されて渋々、でもいい。
それでも動いてみることができた。
昨日と同じじゃなかった。
そのことが大きい。


だから、こんなブログ記事を読んで終わり、ではいけない。
泣いて、わめいて、迷惑かけて、けんかして、
・・・そういうことも時には必要。
本当に大切なものは、その程度のことで失われたりしないだろう。
その程度のことで失われるものは、
その程度のものでしかなかった、ということかもしれない。


今日を、印象深い日にしよう。
こういうことは、ぎこちないほどいい。
タイミングの悪いことほど、印象は深く脳裏に刻まれるものだ。

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2012年01月12日(木)

青いことを言っていい

テーマ:矛盾/逆説

青いことを言っていいんだ。


かつて、青いことを言っていた人が、
いつか現実を知り、反省して、
「青いことを言う人」をたしなめる側になった時、
青いことを言う人がいなければ、たしなめる練習もできなくなるでしょう。


だから、
青いことを言っていいんだ。
青いことを言う人が、必要なんだ。

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2011年11月09日(水)

不安と共にあれ。

テーマ:矛盾/逆説

不安をやたらと排除しようとしないほうがいい。


不安と共にあれ。
耐えきれなくなった時、その反動が力となる。


不安は切り札。
だから、不安を大事にしたほうがいい。




「そんなの、きれいごとなんじゃないか」
って思うことも、また不安の一つだ。


だから、
「そんなの、きれいごとなんじゃないか」
と思いながらも、
しかし、その不安と共に生きるのだ。




不安は、きっと自分を成長させる。
絶望的な不安であればあるほど、
それは大きな武器になる可能性を秘めている。


不安に押し潰されるのが先か、
不安を手なずけて武器にするのが先か、
いつも試されている。


でも、大事なのは、
勝つか負けるか、ではなく、
その不安と共にいられるか、ということのほうなのだ。

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2011年10月02日(日)

「例外」のためのルール

テーマ:矛盾/逆説

単に「ルール」が設定されているだけなら、
「例外」も単に設定されているだけに過ぎず、実質的に「例外」は成り立たない。


「ルール」が定着している状況において、初めて「例外」は意味を持つのだ。
したがって、まずは「ルール」が徹底されるような環境を整えておくことが先決。
たとえ、一見馬鹿げたルールであっても、
ある重要な「例外」を効果的に機能させるためなら、
それだけのためにルールを徹底させることの意義は、充分にある。




誰も信号を守らない社会で救急車を走らせても、
その車は、救急車として機能しないのだから。

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2011年09月28日(水)

他人の目は気になる

テーマ:矛盾/逆説

人は、一人では生きていけない。


そのことがわかっているから、
人は、悲しいまでに他人の目を気にしてしまうのだ。


いつしか集団の中に埋没し、
集団の中での評価を糧に、生き甲斐を見出して、
喜び、悲しみ、憂い、笑い合う。
・・・それもこれも、
人が、一人では生きていけないからだ。




一人で生きていけることが、必ずしも幸せなわけではない。


一人では生きていけないことを自覚しつつ、
助け合い、支え合う中で、
かけがえのない時間と、かけがえのない体験を共有する。
素晴らしい経験である。
一人で生きていないからこそ、得られる経験である。




しかし、同時に人は、
一人で生きていないせいで、悲しいまでに他人の目を気にしてしまう。


本来、自分の人生における主人公は、他ならぬ「この自分自身」のはずだ。
ところが、
いつの間にか、他人の目から見た「自分像」が主人公にすり替わってしまっている。
だから虚しくなる。


そして、もがく。
「この自分自身」の生を生きたい!・・・そう、強く念じるようになる。
しかし、
人は、一人では生きられない。


こうして、心と現実の乖離が、決定的なものとなる。
理想と現実の乖離、とも言い換えうる。


現状に対する否定や、自己否定の悪循環が、このようにして始まる。




・・・しかし、勘違いしてはいけない。


他人の目を気にしてしまうのも、他ならぬ「この自分自身」なのだ。
共生する喜びを知っているからこそできる、人間らしい繊細な心の営み、
それが、
「他人の目を気にする」ということなのだ。


どうして、そのことを嫌悪するのだろう?
どうして、他人の目を気にすることが、そんなに恥ずかしいことなのだろう?
他人の目、気になるに決まっているじゃないか。
気にしてもいいじゃないか。


どんなふうに他人の目を気にするか、ということも個性のうちだ。
他人の目を気にする人は多いが、
どう気にしているのかは、人によって違う。十人十色だ。




「他人の目が気になってしまう」ということも含めて、自分自身の生を生きたらいい。
ただ、それだけのことだ。
本当の意味で「この自分自身」の生を生きる、というのは、そういうことだ。

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