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2014年06月15日(日)

言葉という仮想現実と、根っこにある生命

テーマ:現実

言葉に生かされながら、自らも言葉を紡いでゆく。
言葉は、究極的かつ原始的な仮想現実だ。
だから、仮想現実に生きる人を笑ってはいけない。
仮想現実に生きる人を「現実逃避」だと言うなら、
言葉に生きる人たちは、みな「現実逃避」だ。


正義、愛、真実、美、生命。
これらは、『究極の選択』 という記事で挙げたものだ。
「一つだけしか選べないとしたら、どれを選ぶか」という5択のアンケート記事。
ちなみに、
『究極の選択2』 では、夢、財産を加えた7択を、
『究極の選択3』 では逆に、「犠牲にするとしたらどれか」というアンケートを考えた。


さて、
正義、愛、真実、美、夢、・・・これらはみな、ある種の仮想現実だ。
また、財産のすべてではないものの「お金」もまた、
信用とルール、という言葉の上で成り立つ一種の仮想現実だといえる。


逆に、仮想でない現実のものには、何があるのだろうか。
生命や、衣食住などの生命に直接関わるもの。そのくらいしかないだろう。
それ以外の大半は、仮想現実である。
その仮想現実を生きがいにして、多くの人が生きている。
だから、仮想現実に生きる人を笑ってはいけない。




とはいえ、もちろん、根っこにある生命を忘れてもいけない。


時には、
おいしいものを食べ、太陽の光を浴び、体を動かしてみて、
仮想現実を取っ払って眼前の世界そのものを体感してみる。
そういうことも必要だ。
原点に返って、自分の体温と息遣いを感じ、空腹感や衝動を味わい直すのだ。
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2014年05月17日(土)

「面」と「線」の所在

テーマ:現実

点は、点でしかない。
「点」が集まって「面」になるのではなく、
たくさんある点と点の間に「面」を想定することによって、
そこに「面」が表れてくるのだ。


点がいくら集まっても、それだけでは「点の集まり」でしかない。
そこに「面」が表れてくるためには、
誰か(例えば、その「点」自身や、その「点」を観測している者)が、
複数の「点」を繋ぐ「面」をそこに見出さなければならない。
そのような主観的な視点なくして、客観的な「面」は在り得ない。




では、「線」の場合はどうか。
「点」が動いた軌跡は、確かに「線」に見える。


しかし、「点」が動いた後には、
動いた後の場所に「点」があるだけであり、「点」が動いて「線」になるわけではない。
「点」が動いた軌跡として想定されることによって、
そこに「線」が表れてくるのだ。




面をつくりたければ、面を思わなければいけない。
線を繋ぎたければ、線を思わなければいけない。


誰も何も思わなければ、「面」も「線」も表れてこない。
単なる散らばった「点」の集まりでしかない。


だから、想定しましょう。面の位置と大きさを。
信じましょう。線の長さと方向を。
望んでいる「面」や「線」を実現するには、他人まかせではいられない。
自分たちで築いていかなければいけないし、
自分で気づかなければいけない。


その思いの数だけ、「面」も「線」も現実味を帯びてくる。
現実の姿は、そのようにして形作られているのだと思う。
想像力は創造力 なのだ。
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2014年04月13日(日)

「信ずれば現実」と、誘惑のふるい

テーマ:現実

信ずれば現実。
あるいは、信ずるまでもなく現実
信じている人にとって、それは紛れもない現実なのだ。
たとえ、それが周囲の誰にも理解されない現実の在り方だったとしても。


しかし、そのくらい信じ、「それが現実だ」と思うようになるためには、
それ相応の、体感的な裏付けがやはり必要なのではないか、とも思う。




何かを信じるからには、
周囲の誰かに言われたからではなく、
かといって、盲信に走るわけでもなく、
地に足のついた、自分の確かな感覚で、信じていきたい。
ガリレオが、
「それでも地球は動く」と言ったのだとすれば、
彼は、自分の感覚を信じぬいた人なのだと思う。


数々の誘惑のふるいにかけられても、
なお最後まで、手放せず、疑えずに残ったもの。
人は、それをいつの間にか信じている。
人が信じている現実は、たぶん、そのようなものだ。




社会の法律も、
自然科学の法則も、
宗教における教義も、一種の「誘惑」になりうる。
それらの容赦ない視線にさらされてもなお、染まることなく残った現実。
それこそが、その人の信じる、その人だけの現実の在り方だろう。


そのような現実を持っている人は、幸せだと思う。
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2014年03月01日(土)

目的意識の程度

テーマ:現実

目的意識を持つことは、大切だと思う。
でも、あまり「目的」に囚われ過ぎちゃいけない。


自分の思い描いた通りの道筋で、予想通りの結果を出そう、
・・・なんて思っても、現実には、そうならないことが多い。
本当に多い。
たぶん、そうならないことのほうが圧倒的だ。




現実には、「行き掛かり上」で、生きている。
目的意識を持っていない人も、持っている人も、みな同じ。


「自分がここまでどうやって歩いてきたか」
を、明瞭に知る人が果たしているのか。
誰もが一度や二度ならず、思いがけないことで生き方の変更を迫られる。


中には、
それでもなお、力ずくで当初の道筋に戻ろうとする人もいる。
しかし、それではとても前に進めない。歩いていけない。
間違えて飛行機で海を渡ってしまったタンポポの種は、
元の大陸では花を咲かせられない。




だから、あまり「目的」に囚われ過ぎちゃいけない。
その都度、目的の修正を迫られれば必要に応じて設定し直して、
新たな目的意識を持っていけばいい。
そもそも目的なんて無くたって、生きていける。


・・・ただ、それでは生きる支えがなくなってしまうから、
やっぱり目的意識は持っておいたほうがいい。


その程度でいい。

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2013年04月18日(木)

物語のある世界

テーマ:現実

人は、どうして
物語の中で郷愁を感じ
物語の中に真実を探して
物語の中に夢を見るのだろう。


すべては、目の前に広がる
この世界にあるというのに。

人々が心を揺り動かされているストーリーさえも
この世界にあるというのに。


人々は、いつも忘れている。
思い付く限りの何もかもすべてが
この世界から始まっている、という現実を。




現実逃避さえ、この世界の中で起きている。
人も、ネズミも、
森の木々も、
大海原と青空も、
『風の谷のナウシカ』も、すべてこの世界のもの。

皆、運命共同体。
皆で作っていく世界。


この世界の行く末は
まだ決まっていない。
だから、この世界を生きよう。当たり前だ。


もし、「この世界の行く末が決まっている」と言う人がいるなら
その人に問いたい。
「あなたは未来のすべてを知っているのですか」と。




今日も、すべてがこの世界から始まる。
それは、これからも続いていく。
この世界は、まだ終わらない。

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2012年12月18日(火)

勝つか負けるか

テーマ:現実

つまるところ、勝つか負けるか。
それしかないらしい。




死人に口なし。
負けた者は、ただ消え去るのみ。
現にそうして歴史は動いてきた。
カエサルも、
武田信玄も、
生前は絶大な影響力を持っていたが、結局、「生きる」ことに敗れた。
世界を引き継ぐのは、いつも生き残った者達だ。


どんな理由であれ、
まずは、生き残らなければ始まらないし、
志半ばで死んだ瞬間に、すべては終わってしまう。
「生きる」方法は、人それぞれ。
センス、考え方、価値観、目標。
銘々のやりかたで、「生きる」。


誰もが、いずれは死ぬ。
その意味では、誰もが最終的には敗者になるのかもしれない。
一見すると、そう思える。
でも、必ずしもそうだろうか。
『葉隠』ではないが、
無駄に生をむさぼるよりも、己の死に場所をここと定めて死ねることのほうを
良しとするような世界観もある。




だから、必ずしも「生きる」=「勝ち」とは言い切れないが、
いずれにしても、
広い意味で、この世界は勝つか負けるかしかないようだ。


世界観と世界観の対立とせめぎ合いは、今日も続いている。
そして僕も、僕なりに。
負けるわけにはいかないのだ。

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2012年06月08日(金)

踏み出してみなきゃ進まない

テーマ:現実

まず、踏み出してみなきゃ進まない。


世界を動かしているのは、世界の構成員だ。
この世界は目まぐるしく動き、変化し続けているけれども、
その変化は能動的なものじゃない。受動的なものだ。


叱られたって、いいじゃないか。
(良くはないかもしれないけど、仕方ないじゃないか。)
笑われたって、馬鹿にされたって、いいじゃないか。
(その時は悔しいかもしれないけど、10年後には話のネタになるかもしれない。)


失敗したって、恥かいたって、
踏み出さないよりいい。
周囲の人に頼りながらでもいい。
助けてもらいながらでも、とにかく、
まず、踏み出してみなきゃ進まない。




「踏み出す」ということだけは、誰も代わってくれない。
自分で踏み出すしかない。
いったん踏み出せれば、
踏み出した自分を助けてくれる人が現れるかもしれない。
けれども、踏み出すことすらもしなければ、
そのような人が現れることもまた決してないのだ。

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2012年05月25日(金)

あげられるもの

テーマ:現実

あげられるものが何もない人でも、
たぶん――つまり、絶対ではないけど――、
自分の時間を差し出すことや、言葉を贈ることはできる。


心のこもった何気ない言葉や、
さりげなく共有した一度きりの時間。
その記憶が、今の僕を支えている。


もらって嬉しかったのは、そうした言葉であり、時間なのだ。

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2012年01月26日(木)

運は大きい

テーマ:現実

運の要素は大きい。


・・・でも、そう言い切ってしまうと取りつく島もない。
だから、才能や実力もあった、と言い添えておく。
そういう心遣いの形もあるのかもしれない。




僕は、(少なくとも今までは)いつも、生かされてきた。
自分の実力で生きてきたのではなかった。
でも、こんなことは露骨に言うもんじゃない。
・・・と、書いてしまっているけれども。


僕は、本当のことを知りたい。言いたい。
自分の株を自分で下げてしまっていることは、その代償だと思っている。

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2011年12月03日(土)

予定調和じゃない

テーマ:現実

予定調和じゃないんだ。


予定調和で生き始めると、程なく「しがらみ」の渦に巻き込まれる。
でも、それは本当の姿じゃない。
大切な人を大切にするのは、「しがらみ」からじゃない。
役割分担や義務で人を愛するのではないし、
昨日、愛していたから今日も愛する、というのでもない。




どの瞬間も、その瞬間になるまでは、
愛するか愛さないかわからない。
でも、いま大切に思う。だから愛する。


・・・その昔、日本にキリスト教が伝来した頃、
キリスト教で言うところの「愛」は、「御大切(ごたいせつ)」と訳された、と聞く。
この訳は、僕にとって非常にしっくり来る。


「ただ大切なだけ?」
と思われるかもしれないけど、
大切の度合いが、尋常じゃない。それが愛なのだと思う。
お金や、思い入れのある品物も大切だけど、
そういうレベルの「大切」ではない。




話を元に戻す。


予定調和じゃない、と言った。
じゃあ、愛するも愛さないも単なる気まぐれか、というと、
そういうわけじゃない。
予定調和じゃないから、その瞬間までわからないことではあるけれども、
どの瞬間もそうありたい、と熱烈に思う。
そして、どの瞬間もそうあろうと思い続ける。
その積み重ねが、愛なのだと思う。


ここで注意しなければならないのは、
「どの瞬間もそうあろうと思い続ける」
という言葉で終わっただけでは、それもまた予定調和に過ぎない、ということ。
結局、どの瞬間もそうあろうと思い続けたかどうかは、
後になってみなければわからないことなのだ。
だからこそ、いつまでもそうありたい、と今、強く思う。


決して手抜きできない、この強い気持ち。
それが本物なんだと思う。
"昨日の続き"で手抜きするのは、所詮その程度の気持ちでしかない。
予定調和じゃない、ということはキツイことかもしれないけど、
本物の気持ちは、それをキツイなんて感じすらしないものだ。

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